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ドイツワイン通信Vol.119

現在のドイツワインを読み解く四つの鍵

 この9月で、13年間暮らしたドイツから帰国してから、丸10年になる。その間に自分が成長できたかどうかというと、はなはだ心もとない。つい先日、5年前に私がフェイスブックに投稿した、マルク・アンジェリ氏の来日セミナーの記事を目にした。今、同じ熱量を持った記事が、果たして書けるかどうか。

 この世の全ての存在は変化する。成長であれ退化であれ、発展であれ衰退であれ、様々な速度で変化し続けている。水面に投げ込んだ石が波紋を描き、その波紋が別の波紋とぶつかり合って変化するように、一つの変化は次の変化を引き起こして、延々と続いていく。仮に不変の存在があったとしても、周囲の状況が変化すれば、その存在自体の持つ意味が変わり、もはや同一のものとは言えなくなる。

 生々流転は世の常であり、ワインの世界も例外ではない。気候変動、栽培醸造技術の進歩、市場の評価、消費者意識の変化などの影響を、ドイツワインもまた、常に受け続けている。私の考えでは、以下の4項目が、現在のドイツワインの状況を、読み解く鍵となるように思う。

 1.気候変動とその影響
 2.有機栽培の一般化
 3.辛口によるテロワールの表現
 4.醸造の多様化とナチュラルワインの萌芽

 なぜこの4項目なのか。1.と2.は主として栽培に関わる点だが、気候変動は包括的な、避けては通ることが出来ないテーマであり、いわば外的要因と言える。有機栽培の一般化は、ドイツの国民性と消費者行動に関連しており、内的要因についてだと言えるかもしれない。3.と4.は醸造に関するテーマだが、辛口によるテロワールの表現は、現在に至るまでの過去の振り返りであり、醸造の多様化とナチュラルワインの萌芽は、現在から未来を望むような観点を意識している。以上の4点から、現在のドイツワインの状況を、包括的に捉えることができればと思う。

1.気候変動とその影響

 気候変動については、以前もこのエッセイで取り上げた(ドイツワイン通信Vol.117 、  Vol.112 )。1990年代以降、ドイツのブドウ栽培条件は大きく変わり、現在も変わりつつある。近年はとりわけ、ピノ・ノワール、ピノ・ブラン、ピノ・グリ、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランなど、もともとフランスで栽培されていた品種の栽培面積が増加し、ドイツのブドウ畑全体の25%を超えている(Statistik_2020.pdf (deutscheweine.de))。逆に、1980年代まで盛んだった早熟交配品種は減少している。ミュラー・トゥルガウやソラリスといった、耐寒性のある交配品種の需要は、13生産地域よりも北方の、これまでワイン用のブドウ栽培がほとんど行われてこなかった地域や、デンマーク、スウェーデンなどの周辺諸国で高まっている(ドイツワイン通信Vol.112 )。

 品種構成だけでなく、栽培面でも生産者は対応を変えている。従来は、高品質なワインを醸造するためには出来る限り収穫を遅らせて、辛抱強く完熟を待った。しかし近年は、ブドウの葉を減らして光合成を抑制し、発酵後のアルコール濃度が高くなるのを避け、収穫のタイミングも、果汁糖度よりもむしろ酸度の値が低くなりすぎないことに気を付けるようになってきている。例えば記録的な猛暑と乾燥の年だった2018年産に、酸度の高く感じられるリースリングが、とりわけベーシックなクラスのものに多かったのは、そうした事情による。さらに、ファルツのハンメル醸造所Weingut Hammelでは、フルーティなアロマを保つために、昨年ブドウが冷えている夜間から早朝にかけて収穫したという。

 醸造面でも、2010年頃のモーゼルでは、リースリングの乳酸発酵は好ましくないとされていた。しかし近年では、例えばモーゼルのメルスハイマー醸造所のように、伝統的な木樽で野生酵母を使って醸造した場合、春になってセラーの気温があがり、乳酸発酵が始まるのは自然なことだという認識が広がっている(ひさびさのドイツ その34 | モーゼルだより – 楽天ブログ (rakuten.co.jp))。これは、気候変動の直接的な影響というよりも、ステンレスタンクと培養酵母を使った、人為的な介入によるワイン造りに対する反省と、伝統回帰から生じた変化だが、これはまたあとで取り上げる。

2.有機栽培の一般化

 2000年以降、ドイツの人々の有機栽培に対する姿勢は大きく変化した。ブドウ栽培だけでなく、農産物全般に、有機栽培による生産物は、安心で質の良い製品という見方が普及した。その契機は、2000年代前半にドイツでも症例が発生した、狂牛病のヒトへの感染と、2005年に東南アジアで猛威をふるった鳥インフルエンザである。劣悪な環境で行われていた大量飼育のもたらす残酷さと危険性への認識が、適切な条件での飼育と、ひいては自然本来の回復力と生態系の維持の重要性を認識させた。大手ディスカウンターやスーパーマーケットチェーンでも、有機栽培(ビオ)を謳ったブランドを立ち上げ、2000年代後半に広く普及した。

 1990年代まで、有機栽培の農産物は、主に都市部の教養市民層が専門店で購入する、ニッチ市場の産物だった。例えば、1900年に開業したレフォルムハウスReformhausは、有機栽培された農産物とその加工食品や、合成保存料を使わない化粧品等を専門に扱う店で、現在も大都市を中心に多数の支店を展開している。その発端は、19世紀の急速な工業化に対する反省から生まれた、自然に近い生活への回帰を目指す運動(レフォルムベヴェーグングReformbewegung)だった。
 やがて第二次世界大戦後の高度経済成長時代にも、19世紀と相通じる危機感と反省が生まれ、1968年に西ドイツで、反ファシズムと反核を主題とした学生運動が激化した。この学生運動は、反核と環境保護をマニフェストに掲げる緑の党の結成につながった。また、当時ティーンエイジャーだったモーゼルの醸造家、【ルドルフ・トロッセン】にも大きな影響を与えた。世界はこのままでよいのか、どの方向にすすむべきなのかを自らに問う中で、ルドルフ・シュタイナーの思想に出会い、両親の醸造所を継ぐと同時にバイオダイナミック農法に転換したのは、周知の通りだ(ひさびさのドイツ その13 | モーゼルだより – 楽天ブログ (rakuten.co.jp) )。

 1970年代後半に、トロッセンはモーゼルの志を同じくする若手醸造家達と、有機栽培研究会「オイノス」Oinosを立ち上げた。やがて1985年、同じ志を持つ各地のワイン生産者達があつまり、ドイツで最初の有機栽培専門の醸造所団体「エコヴィン」Ecovinが設立された。翌1986年にはチェルノブイリ原発事故が起こり、環境保護への関心は高まった。
 一方で有機農法に取り組む生産者は、とりわけモーゼルでは、偏屈な変わり者と見做され、村八分にされることが多かった。なぜなら、急斜面のブドウ畑では、村全体の合意の上で、ヘリコプターで農薬散布を行うのだが、有機農法の生産者は、それに断固として抗ったからだ。例えばクレメンス・ブッシュ醸造所Weingut Clemens Buschのように、所有するブドウ畑が、ひとつの斜面にまとまって位置し、他の所有者の畑から離れている場合は、大きな軋轢は起きなかった。しかしそうではない、在来農法のブドウ畑に囲まれた区画を持つ多くの有機農法の生産者は、隣接する畑の所有者と喧嘩したり、粘り強く交渉したりしながら、志を貫いてきた。また、周囲の理解が得られにくい中であっても、各地で有機栽培に取り組む生産者は跡を絶たなかったのは、政治的な観点からの環境保護への関心の高さと、農薬による健康被害(散布後、肌にかかった薬剤が引き起こすかゆみや発疹、子供たちの健康に悪影響を与えるのではないかという懸念)から逃れたいと考える生産者が常にいたからだ(ドイツワイン通信 Vol. 32)。

 やがて1991年にEUが有機栽培規約を発効したことで、ドイツの公的農業指導機関が、エコヴィンと共同で有機農法セミナーを開催するようになった。有機農法はもはや、一部の風変りな環境問題マニアのものではなくなった。2000年代に入り、ブドウ畑の土壌の個性を辛口ワインで表現することが、高品質なワインを醸造する生産者達の主要テーマとなると、土壌の微生物環境を整え、ブドウ畑をとりまく生態系を回復させることが大切だということに、理解を示す人々が増えた。例えばファルツのビュルクリン・ヴォルフ醸造所Weingut Bürklin Wolfや、クリストマン醸造所Weingut A. Christmannのように、ブルゴーニュの著名生産者を模倣して、有機栽培を飛び越えて、いきなりバイオダイナミック農法に転換する生産者がとりわけVDP加盟醸造所から現れたのは、目指すところが環境保護ではなく、テロワールの表現だったからである。
 もともと高品質なワインを醸造する生産者達が有機農法に転換すると、有機農法で栽培したブドウを使ったワインのイメージも、ポジティブに変わった。それまで有機栽培に取り組む生産者のワインは、ブドウ畑の生態系の回復には熱心に取り組んでも、醸造は素人レヴェルなものが多く、「ビオワインに旨いものなし」と言われていた。しかし2000年代半ばに入ると、「ビオ」はワインを含む食品全般で、高品質な製品の目印という見方に変わった。

 今ではテロワールの表現を目指す多くの生産者は、有機栽培認証を取得しているか、「必要に迫られた場合に備えて」認証を取得しないだけで、実質的には有機栽培を行っている。ただ、統計の上ではドイツのブドウ畑の約10%(2019年)が、有機栽培の認証を受けているにすぎない。しかし温暖化の進行と、持続可能性SDGsに対する関心の高まりをうけて、その割合は今後さらに増える見込みだ。去る7月、VDP.ドイツ高品質ワイン醸造所連盟は、2025年までに加盟する200あまりの醸造所全てが、持続可能性を持つブドウ栽培を行うことを宣言したのも、その表れである。

3.辛口によるテロワールの表現

 周知の通り、1985年の不凍液混入事件を契機に、ドイツワインの甘口に対する信用は失墜し、生産者達は辛口に活路を求めた。しかし既に1970年代末頃から、ドイツの醸造業界のモラルは崩壊していた。質より量のブドウ栽培、著名生産者による不正補糖事件、強力な農薬による深刻な健康被害が問題になっていた。だから、不凍液混入事件はオーストリアに端を発するとはいえ、起こるべくして起こった事件だった。
 現在に続く高品質な辛口ワインの萌芽の一つは、1984年、ゲオルグ・ブロイヤーをはじめとする当時の醸造業界を憂えたラインガウの生産者たちが、19世紀末に賞賛された高品質な辛口の復興を目指して結成した、カルタワイン同盟である。また、1985年頃にはバーデンのヨアヒム・ヘーガーWeingut Dr. Hegerとアールのヴェルナー・ネーケルWeingut Meyer-Näkelなど、野心的な若手醸造家達がブルゴーニュを手本に、バリック樽を使ったシュペートブルグンダーの醸造の試行錯誤を始めたのも、その一つだった。

 1990年代に入ると、ファルツのビュルクリン・ヴォルフ醸造所Weingut Bürklin-Wolfが、フラッグシップのワインをEdition P.C., G.C.と称し、ブルゴーニュのプルミエ・クリュ、グラン・クリュをモデルにして、辛口リースリングの格付けを始めた。やがて1999年にラインガウブドウ栽培者連盟、2001年にVDPドイツ高品質醸造所連盟が、それぞれブドウ畑の格付けを行った。ここで気を付けたいのは、いずれも伝統品種の辛口だけが、格付けの対象だったことである。フランスのグラン・クリュに比肩しうる辛口ワインが、ドイツでも出来ることを世に示すことが格付けの目的だったので、甘口は眼中になかった。

 2000年代に入ると、それぞれのワイン生産地域を管轄する州政府が調査した、ブドウ畑の土壌分布に関する出版物やウェブサイトが登場した(例:nahe_04092008.pdf (lgb-rlp.de))。すると、シーファー(粘板岩)、ムシェルカルク(貝殻石灰質)、レス(黄土)など、ブドウ畑の土壌を辛口ワインの名称に採用して、それぞれの個性をアピールしたワインが増えた。この場合、ブドウ畑の格付けは関係ないので、主にベーシックなワインの差別化に都合が良かった。

 温暖化でブドウが容易に毎年完熟するようになり、収穫時の果汁糖度に基づいた格付けは、その意味を失った。そして2009年のEUワイン市場改革で、地理的呼称保護制度がドイツにも導入された。さらに2021年のドイツワイン法改正で、生産地域、村、ブドウ畑と、地理的呼称範囲が狭くなるほど、格付けが上がることが決まった。ただし、2026年産まで移行期間なので、2021年産からラベル表記が切り替わる訳ではない(ドイツワイン通信Vol.116 )。
 EUは、新世界からの輸入ワインとの競争に勝つために、その土地でしかできない個性を差別化の根拠とした。生産者達は、土地本来の持ち味を表現するため、例えばイミッヒ・バッテリーベルク醸造所の畑名入りワインように伝統的な木樽を使い、野生酵母のみで発酵温度を調整せずに醸造し、澱とともに熟成する100年前の伝統的手法を再現したり、出来る限り醸造中のワインに介入しないで見守ったりすることを試みている。

4.醸造の多様化とナチュラルワインの萌芽

 出来る限り介入しない醸造は、1990年代に流行した、培養酵母を使いステンレスタンクで低温発酵する手法と対照的だ。極力介入を避けた醸造の嚆矢は、紀元前から続くジョージアのクヴェヴリを使った醸造である。2000年代後半には、ドイツでも何人かの生産者がいわゆるアンフォラ醸造に取り組んだが、幅広いムーヴメントとなるには至っていない(ドイツワイン通信Vol.56 )。
 アンフォラとほぼ同じ時期に登場したのが、卵型をしたコンクリートタンクだ。しかし素材の性質上、内壁が果汁の酸に腐食されるため、ジルヴァーナーやソーヴィニヨン・ブランで成功している例はあるものの、普及するには至っていない。花崗岩でできた円柱形のタンクも数年前に登場し、これは内壁が酸に侵されないので、リースリングを醸造しているところがあるが、試験醸造の域を出ていない。
 また、一部で話題となっているオレンジワインも、挑戦している生産者は多いが、本家本元のジョージアのルカツィテリやムツヴァネほどに、他にはない魅力を感じるものには、私はこれまで出会っていない(ドイツワイン通信 Vol. 28)。

 ただ、亜硫酸無添加のナチュラルワインは、静かに浸透しつつある(ドイツワイン通信Vol.102 )。ドイツでおそらく最初に、2010年から亜硫酸無添加のリースリングを醸造しているモーゼルのルドルフ・トロッセンは、ナチュラルワイン好きの顧客に醸造をせがまれて試しに醸造したところ、コペンハーゲンのレストランNOMAのソムリエが毎年購入することになり、本腰を入れて造り始めた。今では生産の約7割が、亜硫酸無添加で瓶詰される(ドイツワイン通信Vol.111 )。
 ラインヘッセンの若手醸造家ビアンカ&ダニエル・シュミット夫妻Ökologisches Weingut Schmittは、アルザスの亜硫酸無添加醸造で知られる生産者パトリック・メイエに影響を受け、2012年にナチュラルワインを造り始めた。彼らがペット・ナットを醸造する時も、オーストリアでそれを醸造している生産者にノウハウを聞くと、快く教えてくれたという(2017年10月 ドイツ出張備忘録 8. エコローギッシェス・ヴァイングート・シュミット | モーゼルだより – 楽天ブログ (rakuten.co.jp))。フランケンのシュテファン・フェッターWeingut Stefan Vetterは、オーストリアの研修先でナチュラルワイン醸造を学び、2010年に故郷フランケンに戻り、実践に移した。こうした2010年以降のナチュラルワイン醸造の広がりには、若手醸造家達の国際経験と、気さくでオープンな気質が追い風となっている。

 【イミッヒ・バッテリーベルク】醸造所(モーゼル)のゲルノート・コルマンによれば、ドイツワインの亜硫酸添加量は近年減少傾向にあるという。10年前は醸造過程のいずれかのタイミングと、瓶詰前の2回添加する生産者がほとんどだったが、最近はゲルノートのように、瓶詰前に1回だけ添加するという生産者も増えつつあるようだ。 

 有機栽培がドイツのブドウ畑全体に占める割合約1割でしかなく、ナチュラルワインに取り組む生産者は、さらにごく一部でしかない。いわば、水面に投げ込まれた小石が、静かに波紋を広げ始めたような状況だが、ドイツワインをとりまく様々な状況から生じる、色々な波紋とぶつかり合いながら、ゆっくりと広がっていくのではないだろうか。

 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。


 
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