ドイツワイン通信Vol.112
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
温暖化と北ドイツのブドウ栽培
毎年11月、複数のドイツワインガイドが刊行される。その先駆者にして定番は、ジョエル・ペインが編集主幹を務める「ヴィヌム」のドイツワインガイドだ(”Vinum” Weinguide Deutschland 2021)。ドイツワインに比類のない経験と見識を有するペイン氏は、毎年の編集作業に多大な労力を傾けているが、余暇に恵まれれば世界のワイン産地を訪ね、ラシーヌのオフィスにも毎年予告なしに、ひょっこりと現れてはシャンパーニュで喉を潤していく。
ペイン氏が編み続けるこの定番ドイツワインガイドは、1994年版の創刊から2017年版までは、「ゴー・ミヨ」Gault & Millauの名を冠していたが、ライセンス契約が切れ、2018年版からは出版社を変えて「ヴィヌム」になった。一方、「ゴー・ミヨ」のドイツワインガイドは、2018年版から別の出版社から新たな執筆陣で刊行されたが、2020年5月に資金不足が明らかとなり、一時は継続が危ぶまれた。結局、2021年版からは生産地域別に出版されることになり、現在はバーデン・ヴュルテンベルク編だけが出ている。他の産地のガイドも続くとのことだが、出版日程は不明だ。
ドイツワインガイドはこの他、「アイヒェルマン」Eichelmannと「ファルスタッフ」Falstaffもあり、産地・生産者・生産年の情報は供給過剰気味なのだが、全部ドイツ語である。せめて英語版のドイツワインガイドが、毎年出版されるようになれば良いのに、と思う。
新たなワイン産地の萌芽
今回一つ興味深かったのは、ファルスタッフのワインガイドで「ブランデンブルク」が、新興産地として取り上げられていたことだ。「ブランデンブルク」は高品質ワインの生産地域ではない。首都ベルリンをとりまく州で、旧東独のワイン生産地域「ザクセン」の北に位置し、ブドウ栽培面積はわずか約35ヘクタール。収穫の一部は隣接するワイン生産地域「ザクセン」と「ザーレ・ウンストルート」で醸造され、高品質ワイン(クヴァリテーツヴァイン)となるが、その他のブドウは「ラントヴァイン・ブランデンブルク」となる。栽培されているのはミュラー・トゥルガウと、通称「ピーヴィ」Piwiと呼ばれるカビ菌耐性交配品種である。
少し復習すると、ドイツには13の「高品質ワイン生産地域」があり、旧東独の「ザクセン」と「ザーレ・ウンストルート」を除いた11地域は、フランス寄りの南東部に位置している(下図参照)。市場に出回る95%以上のワインは、この13生産地域で造られており、そこで生産されたワインは、EUのワイン法上の「保護原産地呼称ワイン(g.U.)」となる。格付けとしてこの下に位置するのが「ラントヴァイン生産地域」で、EUワイン法上の「地理的表示保護ワイン(g.g.A.)」を産する。2004年以降にドイツ北部の「ブランデンブルク」「メックレンブルク」「シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン」が、ラントヴァイン生産地域に認定され、現在26のラントヴァイン生産地域がある。
図1:ドイツの連邦州(https://euro-japan.net/jp/) |
図2:13の高品質ワイン生産地域(DWI) |
今回ファルスタッフで星一つを獲得したヴァインバウ・Dr. ヴォバールは、2012年に設立された(https://www.weinbauwobar.de/de.html)。褐炭を露天掘りしていた採石場跡に水を引いた湖畔の斜面に、1.4ヘクタールのブドウ畑を開墾。ピーヴィ品種で寒さに強いソラリスSolaris、ピノティンPinotinなどを栽培している。醸造は高品質ワイン生産地域ザクセンのVDP加盟醸造所、シュロス・プロシュヴィッツの醸造責任者が担当している。
ブドウ畑の開墾とワイン法
ちなみに、EU域内で新たに商業目的のブドウ畑を開墾することは、1976年から2016年まで禁止されていた。主に南仏やイタリア、スペインの過剰生産と、ブドウ畑の廃棄に対する高額の支援金負担を抑制するためである。だがドイツでは、1アールもしくは99本以下のブドウ栽培と醸造を、個人消費を目的として行うことは認められているので、あえて99本以下を栽培し、自家醸造することは北ドイツでも細々と行われてきた。
また、中世に修道院がブドウ栽培を始め、戦争などで幾度もの中断をはさみながらもワイン造りを続けて来たことで知られるのは、ベルリン近郊のポツダムにあるヴェルデラーナー・ヴァハテルベルクWerderaner Bachtelberg(現在は10.4ヘクタール)と、メックレンブルクのシュロス・ラッテイSchloss Rattey(4.5ヘクタール)、ブルク・シュターガルトBurg Stargard(0.25ヘクタール)である。ヴァハテルベルクはその歴史的な重要性から、1991年に高品質ワイン生産地域ザール・ウンストルートの飛び地として認められ、ドイツ最北のクヴァリテーツヴァインを産する畑として一時期話題になった。
また、シュロス・ラッテイとブルク・シュターガルトのブドウ畑は、2001年に地元有志が栽培協同組合を結成して世話をしている。2004年にラインラント・ファルツ州から3.7ヘクタールの栽培権を譲渡してもらい、ラントヴァイン生産地域よりも格下の、ターフェルヴァイン生産地域「シュターガルター・ラント」としてブドウ栽培が公認されたが、2009年のEUワイン市場改革でターフェルヴァインの格付けが廃止されたことにより、ラントヴァイン生産地域「メックレンブルク」に格上げされた。どちらのブドウ畑もホテルやレストランを併設し、観光客がワインを楽しめるようになっている。
商業目的のブドウ畑は、連邦農業食糧庁に申請して認可を受け、様々な規制を守らなければならない。2016年までは、本来ブドウ畑ではなかった土地で新たにブドウ栽培を始めるには、上述の例が示すように、高品質ワイン生産地域から必要な面積の栽培権を譲り受けるという形をとっていた。その際、好奇心旺盛な南ドイツのワイン生産者が、北ドイツでブドウ栽培に取り組むことがあった。2008年にラインラント・ファルツ州が、シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン州に10ヘクタールの栽培権を譲渡した際、ナーエのSJモンティニー醸造所が、バルト海に面した港町キールの近郊に、2ヘクタールのブドウ畑を開墾してワイン造りを始めた。また、ラインガウのバルタザール・レス醸造所も、2009年にドイツ最北のリゾート地と知られるシルト島に、0.3ヘクタールのブドウ畑を開墾。ソラリスとミュラー・トゥルガウを栽培している。
ブドウ畑の開墾禁止の解除
温暖化の進行を見据えて、EUは2016年にブドウ畑の開墾禁止を解き、各国のブドウ畑面積の1%を上限に、毎年新たに植樹してよいことになった。ドイツでは自主規制で0.3%を上限としたが、高品質ワイン生産地域以外の州には、年に5ヘクタールを目安として、新たに商業目的のブドウ畑の開墾を認めることになった。すると、ワイン好きが昂じて醸造所を設立したり、果樹園の経営者がワイン醸造にも本格的に取り組み始めたり、観光・宿泊施設にブドウ畑を併設する人々が、各州で数十人名乗りを上げたが、ブドウ畑の栽培条件や申請者の栽培・醸造の知識、事業計画を審査した結果、認められたのは1ヘクタール前後の小規模なブドウ畑を予定している2、30人前後にとどまっているようだ。申請が認められた場合、3年以内に植樹しなければならず、違反した場合は罰金が科される。
植樹してから最初の収穫が実るまでに3~4年はかかるので、2016年以降新たに開墾されたブドウ畑のワインは、そろそろ市場に出回りはじめるころだろう。ただニーダーザクセン州の場合、ラントヴァイン生産地域にも指定されていないので、現在は地理的呼称をラベルに記載することができず、単なる「ドイツワイン」として出荷されることになる。今後はおそらく、新たな地理的表示保護ワイン生産地域(g.g.A.)や、あるいは保護原産地呼称(g.U.)の申請が、各地で行われることになるのかもしれない。
図3: 2020年のブドウ栽培可能な気候条件(積算温度)がある地域と、2040年の予想分布。(Deutschland 2040: Ein Paradies für Winzer? | Qiio Magazin)
北ドイツで芽吹きつつある新しいブドウ栽培の広がりは、今後どう展開していくだろうか。温暖化の恩恵を受けるだろうことは間違いない。現在はまるで耐寒性のある交配品種の栽培試験場のような趣を示しているが、将来はリースリングやブルグンダー系の伝統品種の栽培が可能になるかもしれない。ただ問題は、地形と土壌だ。北ドイツは南ドイツに比べて圧倒的に平野が多く、土壌も砂やレス、粘土質の堆積土壌で岩が少ない。ブドウ栽培は栽培に適した立地条件がある、限られた場所に留まるだろう。緯度が高いので夏の日照時間は、ドイツ南部よりも約1時間長くなるそうだが、ブドウの成熟にどれくらい貢献するのかはわからない。それでも、ドイツよりも北に位置するデンマーク、スウェーデン、ノルウェーでも既にワイン造りが行われており、ワイン雑誌Vinumの記事が指摘するように、これらの国々で今後盛んになる可能性があるというなら、北ドイツで優れたワインが造られる可能性もあるだろう(Schweden könnte sich zum Wein-Hotspot entwickeln (vinum.eu))。
北ドイツで栽培・醸造されたワインを、我々がまず口にする機会があるとすれば、おそらくデュッセルドルフのワイン見本市、プロヴァインだろう。何年先になるかわからないが、楽しみだ。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。
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