ドイツワイン通信Vol.111
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最終更新日:2021/01/01
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
ルドルフ・トロッセンは語る
12月初旬、モーゼルの生産者リタ&ルドルフ・トロッセンの試飲会に、ネットを介して醸造家本人が登場した。6月のゲルノート・コールマン(イミッヒ・バッテリーベルク/モーゼル)に続いて、ドイツの生産者では二人目だ。今年はコロナの影響で、オンラインで生産者とつながるイベントが増えている。世界各地で生産者と、彼らの製品を販売する立場にある人々や消費者が、オンラインで繋がる機会が増えていることは、苦しみや悲しみ、困難に出会うことの多かったコロナ禍の一年の中で、ポジティヴに捉えてよいことの一つだと思う。
ルドルフとの出会い
私は、ルドルフと二度出会っている。最初はモーゼルの古都、トリーアに住んでいた時だ。毎年10月初旬の週末に、町の広場で収穫感謝祭がある。その年の農作物の収穫を神様に感謝して、麦で作った一抱えもある王冠を載せたお神輿をかついで、民族衣装をまとった人々が町を練り歩いたり、あちこちに設営される飲食を提供する屋台の傍に、大小のかぼちゃをはじめとする様々な農作物が、にぎやかに並んでいたりした。
ルドルフはその祭りに、1980年代初めに仲間とともに設立した、ビオワイン醸造所団体「オイノスOinos」のメンバーとして、ワインをグラス売りする屋台を出店していた。季節柄、発酵中の濁り新酒フェーダーヴァイサーもあり、私にはそれがお気に入りだった。大抵のフェーダーヴァイサーは、なぜだかわからないが、飲むと首筋や肩の筋肉が痛くなることが多かった。だが、オイノスの屋台のフェーダーヴァイサーだけは、何杯でも美味しく飲めた。不思議に思って、カウンターの中にいた生産者に聞いてみても、「他の人の造っているのと同じだよ」と、ほほ笑むだけだった。その際、ルドルフのワインも何杯か飲んだはずなのだが、それは口当たりのよい、モーゼルの普通のリースリングで、特段記憶に残るようなものではなかった。ただ、トリーアの町を吹き抜ける秋の風と、祭りのにぎわいの中で静かにワインを口にする体験の心地よさと幸福感が、私の体の芯までしみついていて、未だに残っている。
二度目に出会ったのは2013年、学業を終えて日本に帰ってきてからだった。ある時、(株)ラシーヌ代表の合田さんに「ルドルフ・トロッセンを知っていますか」と聞かれた。英国出身のワインジャーナリスト、シュトゥワート・ピゴットが、著書の中で何度か紹介していたので頭の片隅にあったのと、収穫感謝祭で飲んだ記憶がおぼろげにあったが、合田さんが、さほど知られていないモーゼルの一生産者の名を挙げたことに、少し驚いた。ゴー・ミヨのドイツワインガイドにも載っておらず、有名な畑を持っている訳でもなく、有力な醸造所団体に加盟してもいない。ただ、1970年代から有機栽培に取り組む、モーゼルのビオの草分け的生産者の一人として、熱心なワイン好き達の一部に知られているだけだったからだ。
その時合田さんは、ロワールのシリル・ル・モワンを訪れた際、ルドルフのワインのボトルを見つけたのだという。それは亜硫酸無添加の辛口リースリングで、「え、ドイツでそんなワインを造っている生産者がいるの?」と驚き、すぐルドルフに連絡をとって、ロワールから直接モーゼルへと赴き、醸造所を訪問したのだそうだ。「初めて合田さんがこの部屋に来た時、とても深く集中して試飲していたのを覚えている」と、今回のウェビナーでルドルフは言った。
ルドルフは語る
イベントでは1時間あまり、ルドルフに人生、ブドウ畑、そして亜硫酸無添加醸造について語ってもらった。ワイン造りを始めたのは祖父で、家畜も飼育する農夫だった。父がワインの瓶詰・直売をはじめ、2.5haのブドウ畑を所有する専業農家となったが、その当時から畑の大きさは変わっていない。「国際的には小規模かもしれないが、モーゼルとしては普通の大きさ。樽売りではなく、醸造したワインを自分で瓶詰して販売すれば、一家を養うことの出来る規模」だそうだ。
ルドルフは子供の頃からずっと家業を手伝い、栽培・醸造を主に父から学んだ。既に12歳の時には農薬散布を任されていたが、15~17歳の頃、農薬を散布していると薬液がもろに顔にかかるので、肌が荒れたり湿疹ができたりして、化学合成物質に不信感を抱くようになった。それは1970年代半ばのことで、ヨーロッパ中の若者たちが、世界を変えようと試みていた時代だった。かけがえのない地球と、自然の美しさを守らなければならないという意識を、彼の世代は強く抱いていた。シュタイナーが提唱しているバイオダイナミック農法に、友人を通じて出会ったのは、その頃のことだったという。
やがて1978年にトラクターの事故で父が他界し、21歳で醸造所を継ぐと、すぐにバイオダイナミック農法に転換した。農業学校が教えるように、土壌に不足している栄養素を補うために化成肥料を与えるのではなく、動物由来の有機物を与えて、土壌の生命力を強めた。「自然がどのように作用するのかを深く理解すると、農業はある意味、芸術になる」とルドルフは言う。「畑とともに、農民である自分自身も変化し、発展していかねばならない。ブドウ畑に根を張るように、醸造とも深くかかわっていくと、やがて、ブドウ畑が人格を持った存在であるかのように思われ、自分と畑が特別な関係にあることに気付く。ブドウ畑と自分は、共鳴しあっている。相手にやさしいまなざしを贈れば、やさしさが返ってくるように」。
「一つ一つのブドウ畑を、それぞれ完結した生態系として理解し、ワインにテロワールを反映させることを目指している。外から持ち込んだものは、自然の調和を乱すだけだ。醸造学校で教えていたのは、ブドウ畑やワインに何を加えるか、ということだった。たとえば培養酵母だ。若いころから、それは正しいことではないと感じていた。自然に発酵をすすめるべきだと思った。培養酵母で醸造する必要性は、ブドウ畑での農作業を、間違った方法で行うことから生じる当然の帰結だ。土壌が生命に満ちた畑で、自然に栽培したブドウを圧搾したら、発酵は自ら速やかに始まるものだ。そしてセラーでも、微生物環境が自然なバランスを保っていなければならない。どんなセラーでも長年のうちに、それぞれの微生物環境ができている。そのおかげで、アルコール発酵も乳酸発酵も自然に起こる」。
亜硫酸無添加の醸造
亜硫酸無添加醸造を始めたのは、2010年のことだ。ルドルフの甘口を輸入していたデンマークのインポーターは、ナチュラルワインを好んでいたので、事あるごとに色々試飲させてくれたのだそうだ。当初は酸化的な味わいのどこが良いのか理解に苦しんだが、ある時、コペンハーゲンの星付きレストランのソムリエ達が醸造所を訪れて試飲した際、「とても良いワインだけど、亜硫酸無添加でも造ってみてくれないか」と言った。ノーマやゲラニウムといった、世界的にも有名なレストランのソムリエ達が言うのであれば、彼らの名誉のために、試しに造ってみることにした。
「翌年彼らが再訪したとき、ブラインドでそのワインを出した。それはピラミデのアウスレーゼ・トロッケンの一部に、亜硫酸を添加せずに瓶詰したものだった。同時に、亜硫酸を添加したノーマルバージョンも並べて出した。彼らはそれが何なのか、知らなかった。違いはほんのわずかな量の亜硫酸と、フィルターをかけているか、いないかだけだったが、香味の違いは大きかった。彼らは大いに感銘を受けたようだった。そして、モーゼルに有機栽培で亜硫酸無添加のワインがあることが、あっというまに世界的に知られるようになった。今では20か国以上に輸出していて、その大半は高級レストランで売られている」。15ℓの試験醸造から始まった、亜硫酸無添加のワイン「プールスPurus」シリーズは、今では生産の約70%を占め、需要は年々増えている。
ヴィンテッジとテロワールの表現
その日試飲した「プールスPurus」シリーズからは、思いのほかにピュアで繊細な印象を受けた。それまでは、酸化的なニュアンスが明瞭な、多かれ少なかれ野性的な辛口リースリングという印象だった。しかし今回は、熟成を経て雑味がそぎ落とされ、北国の光と、粘板岩に深く張った古木(ルドルフの畑は20~30%が樹齢40年以上で、一部に樹齢100年を超える自根のリースリングが育つ)がもたらすミネラル感と、伸びやかな酸味の織りなす、モーゼルならではの美しさがあった。畑ごとの個性もまた、一つの完結した生態系として他から何も持ち込まないことで、より際立っているような気がした。
「一般的な亜硫酸無添加のワインよりも、このリースリングは、個々のヴィンテッジの特徴が遥かによく出ていると思う」と参加者の一人、梁世柱ソムリエは言った。「2013のように、ボトリティスが多く亜硫酸無添加で造るのは難しいのではないかと思う年もあれば、2014のように、無添加でやっていることが全てポジティヴに作用しているような年もあった」と指摘。
亜硫酸はワインを型にはめてしまう力が強い、とルドルフは言う。亜硫酸が、ワインに含まれる酸素と結合して中和すると、酸化が抑制され、味わいが固定される。一般的なリースリングのイメージは、この状態のものだ。しかし無添加の場合、抗酸化能力がとりわけ低いリースリングは、酸化のニュアンスが大きな比重を占めてしまう(参考:無添加リースリングの真価 (sommetimes.net))。「酸化はワインの個性を変える。それを好む人もいれば、だめだと思う人もいる。しかし酸化した状態でも、ワインの中にブドウ畑の個性はある」と、ルドルフは言う。「もっとも、通常の亜硫酸を添加したワインよりも、感じ取るのが難しい面もあるかもしれない」。
半世紀以上にわたって世話を続けてきたブドウ畑とルドルフとの間には、言葉を超えた親密なつながりがあるに違いない。「今日はそちらで、皆さんと一緒に試飲できないのが少々悲しい」と、画面の中のルドルフは言った。彼は常に新しい生産年のワインと向き合い、仕事で試飲するのもせいぜい2、3年前のヴィンテッジしかないそうだ。コロナが終息し、いつの日かルドルフと一緒に、熟成したプールス・シリーズを飲めたら良いと思う。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。