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ドイツワイン通信Vol.117

公開日: : 最終更新日:2021/07/01 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

ドイツは今も冷涼な産地なのか?

 一般に、ドイツは冷涼な産地だと言われている。
 確かに、ドイツのワイン生産地域は、日本では樺太の真ん中あたりを通る北緯50度前後に位置している。北海道最北端の宗谷岬ですら北緯45度だ。ドイツ最南端のワイン生産地域、バーデンのスイスとの国境付近が北緯47度だから、ドイツのブドウ畑の北緯は、北海道にもかぶらない。オホーツク海のどこかで、ようやくドイツのブドウ畑の南端の緯度にぶつかる感じだ。
 気温はどうだろうか。例えば、2007年に出版された『ヴァインアトラス・ドイチュラント』(Braatz/Sautter/Swoboda, Weinatlas Deutschland)には、ドイツの中でも冷涼な産地、モーゼルの年間平均気温は10.1℃とある。ドイツでは最も温暖な地域のひとつで、アルザスのコルマールとライン川をはさんだ対岸にあるバーデンのカイザーシュトゥールでも10.1℃とある。
 一方、東京の平年値(1991~2020年)は15.8℃(気象庁|過去の気象データ検索 (jma.go.jp))。ちなみに緯度はギリシャのクレタ島とほぼ同じ北緯35度だ。

 だが、何かひっかかる。「ドイツは冷涼な産地です」と言われて頭に浮かぶのは、「ああ、そうか。昔からそう言われているし、ドイツはやはり甘口が有名だ」というイメージではないだろうか。
 「冷涼な産地」という前提が先入観に入った瞬間、その枠組みから外れるものを排除し、想定されるものだけを認めようとしてはいないだろうか? 「ドイツ=冷涼な産地」という記号は、確証バイアスのトリガーとなっているのではないだろうか? 現在のドイツワインの実像を、素直に捉える妨げとなってはいないだろうか。好奇心を抑制してはいないだろうか。
 そこで、「ドイツはもはや冷涼な産地ではない」という仮説を立てて、以下に検証してみたいと思う。 

検証:気候の平年値

 まず、気象データから見てみよう。上述の『ヴァインアトラス・ドイチュラント』には、ドイツワインの産地の地理・歴史・土壌・気候を俯瞰するのに適した本で、各産地やベライヒの年間平均気温、年間降水量、年間日照時間が記載されている。だが、そこには落とし穴がある。平年の値として掲載されているのは、1961年から1990年の観測値から割り出した平年値なのだ。つまり、明らかに温暖化以前の、現在の状況にはそぐわない気候データなのである。
 なぜ2007年に出版された本なのに、そんな昔のデータを使っているのか。執筆陣の怠慢ではないようだ。国連の専門機関の一つで、気象事業の国際的な標準化を担っている「世界気象機関」WMOは、2015年まで平年値の更新を30年に一度としており、『ヴァインアトラス』の執筆当時の公式データとして公表されていたのが、1961年から1990年の平年値しかなかったのだ。2015年からは1981年~2010年が基準期間となり、10年ごとに更新されることになった。(参照:世界気象機関、気候の基準値を、10年ごとに更新する平年値と長期比較用基準の二本立てとすることを決定|環境展望台:国立環境研究所 環境情報メディア (nies.go.jp)

 ドイツでは1988年以降、程度の差はあってもブドウが毎年完熟するようになったと言われている。そして温暖化の傾向は、夏の猛暑でドイツやフランスでも熱中症で多数の高齢者が亡くなった2003年の夏以降、一層強まった印象がある。最新の30年間の平均値は1991年から2020年で、これならば温暖化以降の平年値といえるが、残念ながら1960年~1991年の観測地点が、都市開発などの環境変化によりほとんどの地点で継続しておらず、その近郊と比較するしかない。 

モーゼル(トリーア) 1960~1991 (*1) 1981~2010 (*1) 1990~2020 (*2)
年間平均気温 9.9℃ 9.8℃ 10.9℃
年間降水量 754mm 779mm 690mm
年間日照時間 1265時間 1605時間 1630時間

注:*1はTrier Petrisberg、*2は*1から10km近く南西にあるTrier Zewenの観測値。
参照:Wetter und Klima – Deutscher Wetterdienst – Leistungen – Vieljährige Mittelwerte (dwd.de) 

 温暖化の傾向は、期間が遅くなるにつれて一層強まっていると言えそうだ。とりわけ日照時間が、温暖化以前よりも明らかに増えている。参考までに、トリーアの直近3年間のデータは以下の様になっている。 

モーゼル(トリーア) 2018 2019 2020
年間平均気温 11.3℃ 10.9℃ 11.6℃
年間降水量 734.4mm 721mm 659mm
年間日照時間 2017.4時間 1934.9時間 1953.9時間

参照:Monats- und Jahreswerte für Trier – Temperatur, Niederschlag und Sonnenschein – WetterKontor

 こちらは民間の気象情報サービスサイトWetterKontor.deのデータだが、年間日照時間が2000時間前後という値はボルドー(2035時間)に近く、ディジョンより多い(1849時間)(いずれも1981~2010の平均値。参照:Annual Sunshine in France – Current Results)。この2018年からの3年間は、猛暑と干ばつがとりわけ厳しい年だったので、やや極端な値といえるのだが、現在のモーゼルの栽培環境が、1981~2010年のボルドーやブルゴーニュに近づいていることは間違いなさそうだ。

補足情報:収穫状況の過去と現在

 もう一つ、温暖化進行の目安になりうるのが収穫開始時期である。以下は、ラインガウのシュロス・ヨハニスベルクの1970年から2020年までの収穫開始日である。 

1970 10月19日 1980 10月12日 1990 10月9日 2000 10月16日 2010 10月4日
1971 10月11日 1981 10月12日 1991 10月7日 2001 10月7日 2011 9月12日
1972 10月23日 1982 9月25日 1992 10月9日 2002 10月14日 2012 10月5日
1973 10月17日 1983 10月7日 1993 10月7日 2003 9月23日 2013 10月7日
1974 10月19日 1984 10月29日 1994 9月30日 2004 10月11日 2014 9月27日
1975 10月10日 1985 10月14日 1995 9月23日 2005 10月7日 2015 9月28日
1976 9月25日 1986 10月11日 1996 10月4日 2006 10月2日 2016 9月29日
1977 10月18日 1987 10月19日 1997 10月10日 2007 9月26日 2017 9月15日
1978 10月26日 1988 10月8日 1998 10月9日 2008 10月5日 2018 9月6日
1979 10月20日 1989 9月29日 1999 10月12日 2009 9月30日 2019 9月20日
                2020 9月18日

参照:Staab/Seeliger/Schleicher, Nine Centruies of Wine and Culture on the Rhine- Schloss Johannisberg, 2001. 2001~2020年の収穫開始日は、醸造所に提供していただいた情報。

 1970年代は10月中旬以降、1980年代は10月2~3週目が多いが、90年代は9月末~10月2週目、2000年代は9月3週目~10月2週目、2014年以降は毎年9月中に開始され、次第に早まっている。

 温暖化が進む現在の状況は、温暖化以前の収穫状況と対比することでより一層明確にすることができると思う。モーゼルで1970年代からワイン造りに携わっている、【リタ・ウント・ルドルフ・トロッセン】のオーナー醸造家、ルドルフ・トロッセンは言う。
「気候変動が現実だということは、ワイン造りに携わる者ならば、毎年完熟したブドウを収穫しているということから、一番実感として感じる。若いころは、それは当たり前のことではなかった。当時は10年に2、3回優良年があって、例えば1971、1975、1976だが、次にまずまず良い、なんとかなる年があり、そして1~2回、まったくダメな年があった。春の訪れが遅く、夏が短く、熟しきらない、香りの少ない、酸っぱいブドウの年だ。
 私が経験した最後の不作の年は1980年と1984年だった。収穫がとても遅く、10月中旬から11月1日まで続いた。それよりもっとひどかったのが1965年だそうだ。収穫は11月に入ってからようやく始まった。そうしたら氷と雪に見舞われてブドウは凍り、何台ものトラクターがブドウ畑から帰る途中に、降り始めた雪のために事故を起こした」。
 現在とは隔世の感がある。

生産地域の地理的区分 

 以上から、「ドイツはもはや冷涼な産地ではない」と言おうとしたのだが、調べているうちに都合の悪い事実が二つほど出て来た。
 一つはEUによるワイン生産地域の区分だ。2008年にAからCIIIbの6つのゾーンに分けているが、バーデン以外の11生産地域が「最も冷涼」とされるゾーンA、バーデンはアルザスと同じBに含まれている。(参照:LexUriServ.do (europa.eu)

 もう一つは合衆国の気象学者で、気候がブドウ栽培に与える影響を研究しているグレゴリー・V.・ジョーンズ博士の、世界各地のワイン生産地域を区分した2005年の論文である。そこではモーゼル渓谷、アルザス、シャンパーニュ、ライン渓谷を「冷涼」Cool、オレゴン、ロワール渓谷、ブルゴーニュ、ボルドーなどが「中庸」Intermediate、カリフォルニア、南アフリカ、ローヌ、ポルトガル、バローロ、キャンティなどが「温暖」Warm、ハンターヴァレー、バロッサ・ヴァレー、ポルトガル南部などが「高温」Hotとされている。(Jones, et.al., Climate change and global wine quality 2005, 参照:SJNL441-01-DO00014704.tex (linfield.edu) 
 博士によれば、1950年から1999年までに、ブドウ生育期(4~9月)の平均気温は1.26℃上昇しているが、モーゼルやライン渓谷の冷涼な気候にある産地では、現在栽培している品種の栽培環境は、より恵まれた状況となっており、これがワインの評価を上げている。だが、今後2050年までに平均気温が2℃上昇した場合、栽培品種は一段階高い温度に適した品種へとシフトし、高品質なワインを産する地域は移行するだろう、という。そして、モーゼルよりも冷涼なワイン産地は、まだ萌芽の段階にあり、高品質なワインの産地として台頭する途上にあるのが現状だ。(参考:ドイツワイン通信Vol.112 | (株)ラシーヌ  RACINES CO,.LTD.

温暖化だけではない、味わいと品質向上の原因 

 では、こう言うことにしよう。「ドイツは今も冷涼な気候に適した品種を栽培可能な産地である。そして、これまで栽培されてきた品種のポテンシャルを、温暖化を通じてよりよく発揮することができる栽培環境にある」と。
 例えば、1980年代は甘味で酸味とバランスをとったほうが、より魅力的な味わいになったリースリングは、現在はより高度に熟した状態で収穫されるようになり、甘味でバランスをとるまでもなく、辛口でも十分に鑑賞に堪えるバランスを備えるようになった。反面、ブドウが容易に熟すようになったため、かつてはとりわけモーゼルが得意としていた、軽く繊細なスタイルのワインをつくることが難しくなった。アルコール濃度13%以上のアロマティックな辛口が、1990年代よりも増えたとはいえ、軽やかさや生き生きとした酸味は、近年のヴィンテッジにも感じられる。温暖化で何もかもが変わった訳ではない。

 もっとも、味わいの変化と質の向上は、気候変動による影響だけではない。収穫の判断基準も、以前は果汁に含まれる糖度の高さだったが、近年はブドウの味わいと香りの高さなどが判断の主な基準となる、「生理的完熟」とともに、酸度の状態を考慮するようになっていると聞く。また、糖度が高くなりすぎると、辛口に仕立てると高アルコール濃度になるので、光合成で糖分を作り出す葉を減らして果汁糖度の上昇を抑制したりもする。その際、ブドウの日焼けを防ぐために、房の上に日陰をつくる葉を残すようにしている。
 ブドウ畑との向き合い方も変わり、近年はテロワールの表現を目指して、化学合成肥料や除草剤の使用を抑え、土壌の微生物環境を意識する生産者が増えた。量よりも質を重視するようになり、以前は60~80hl/haが一般的だったが、近年は、とりわけフラッグシップとなる辛口ワインでは、40hl/ha前後も珍しくなくなった。醸造では醸造技術優先だった90年代までの反省と、ドイツワインが世界各地で高い評価を得ていた1900年頃の醸造を参考に、培養酵母と野生酵母の使い分けを工夫し、発酵温度の調整や酵素などの合成物質を出来る限り使わないという生産者が増えた。また、とりわけモーゼルでは、以前は避けていた乳酸発酵も、前向きに利用するようになった。
 赤ワインもまた、現在は90年代以前よりもブドウが完熟しやすくなったため、高品質なのに価格もこなれたものが増えている。これも温暖化の恩恵ととともに、国外で経験を積んだ生産者達が持ち帰った、栽培醸造ノウハウの向上によるところも大きい。

結論:ドイツは今も冷涼な産地である。だが、昔のままの産地ではない。 

そういう認識が、当たり前になってほしいと思う。 

 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。

 
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