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『ラシーヌ便り』no. 166 「ヴァン・ナチュール」

 アルザスに向かう機内でラシーヌ便りを書いています。日本はまだまだ日中の陽射しが強いですが、ヨーロッパでは秋が深まり、ジャケットを羽織っているようです。訪問記をFacebookに紹介してまいりますので、お付き合いください。
 まずは、山梨大学で行われた講演会のレポートを読んでの感想です。日本にヴァン・ナチュールが紹介されて、20数年になります。その間になされてきた議論は、フランスでも日本でも、何度も繰り返されてきました。最近、「日本での自然派ワインのマーケット」についてのインタヴューを受けることも多いので、私(ラシーヌ)の考え方を整理したいと思います。
 考えるきっかけは、Facebookの投稿で、内容は山梨大学で行われたボルドー大学ワイン醸造学部のジル・ド・ルベル教授による講演会のレポートでした。タイトルは「ナチュラルワイン 醸造的争点 科学的挑戦」(https://www.winery.or.jp/travel/10823/  このレポートで述べられていることは、ここでの紹介は省きます)

 

 日本では、ヴァン・ナチュール/ヴァン・ナチュレルを何故、いつから自然派ワインと呼ぶようになったのか?
 私が初めてヴァン・ナチュールの輸入に携わったのは、忘れもしない1998年3月。ラシーヌの前社ともいうべき(有)ル・テロワール社の、第1番目のコンテナでした。クロード・クルトワイヴォン・メトラティエリー・アルマンル・クロ・デュ・チュ=ブッフマルセル・リショーピエール・フリック、ピエール&カトリーヌ・ブルトン、クリスチャン・ヴニエ、ジャック・セロスを載せたコンテナが日本に到着、不安と興奮がないまぜの、出発でした。その時すでに、「自然派ワイン」という呼び方が定着し始めていました。

 

彼らのワイナリーへ通い始めた頃のジャン・マリーとティエリー(左の写真)、ジャック・セロス(右の写真)

 

 

 当時は、ル・テロワール以外に、フランソワ・デュマさんが営むヴァン・ビオ社(当初の社名)、エノ・コネクション(ヴィノスやまざき、エスポア)、ヴィンテージインポーツ(1991年に勝山晋作さんが輸入した流れを引き継ぎ、グラムノン、マルセル・ラピエールの2生産者のみを輸入)の、計4社がヴァン・ナチュールを輸入していたと思います。デュマさんは、有機認証を取得していないワインは扱わないという考えでしたので、社名であるビオロジックまたはビオディナミのワインと限定されていましたが、ル・テロワールと他の輸入会社では「自然派」という名称で呼んでいました。

 

 

 

 「自然派」という呼び方をいつ誰が始めたかは思い出せませんが、私が言い出しっぺでないことは確かでしょう。この4社以外の会社でも、有機認証を取得しているワインについて「自然派」 と呼んでいました。1997年秋の『酒販ニュース』、マコンの造り手のワインについての記事で、見出しに「自然派ワイン」の文字があった記憶があります。
 それでは当時、私が「なぜヴァン・ナチュールという呼び方をしなかったのか」と考えてみますと、
 ① 今ほどフランス語が、ポピュラーではなかったので、「ヴァン・ナチュール」はわかりづらかったことがあります。
 ② 「ナチュラルワイン」と呼んでしまうと、まるで日曜朝市のビオ・マーケットで売られているワインのようで、そのようなイメージが、日本で定着してしまうことを避けたいと思いました。当時の私は、「フランスで、有機栽培でもって少量の亜硫酸添加または非使用で醸造されたワイン」だから日本に紹介しようとしたのではありません。私が注目した特定のタイプのワインが、「味わいとして素晴らしいので、上質なワインとして、レストランで楽しまれている」ことを日本に広めることに必死でした。
 ③ 「自然ワイン、自然なワイン」というのもしっくりしませんでした。
 ④ 特に、ヴァン・ナチュールを、「志を同じくする造り手たちのムーヴメント」ととらえていたので、大変あいまいですが、造り手を総称して、「印象派」のように、「自然派」と呼ぶことにしたように記憶しています。
 1999年に カトリーヌ・ブルトンとジャーナリストのシルヴィ・オジュロが事務局となって、SOPEXA主催のロワールのサロンが始まる前日に、番外編として、ブルグイユの洞窟のなかで 《Dives Bouteille》(真正なワイン。フランソワ・ラブレーの「徳利大明神」にちなむ)の会が始まり、フランス全土のヴァン・ナチュールの造り手が、ここに集まるようになりました。
 結果的には2005年、多くのヴァン・ナチュール/ ビオロジックで栽培する造り手がサロンへの出展をやめてしまいました。I.N.A.O.が主催する、 巨大パヴィリオンでのフェアーには、出展する意味がなくなったからです。《ディーヴ・ブテイユ》は、その後ル・アーヴル、ドーヴィルからソッミュールへと場所を移し、2007年の《ディーヴ・ブテイユ》のサブタイトルは、“Vignerons vous invitent à déguster leurs vins sans artifices”「人工的な手管を排して作られたワインを味わう会へのお招き」から、“Vignerons en voie d’ extinction” 「絶滅途上にある造り手たち」に変わり、さては、“Vous aussi, venez visiter les vignerons indigenes dans leur grottes”「さあ、あなたもワイン原人に会いに彼らの洞窟までいらっしゃい」と、ヴォルテージは上がる一方でした。
 長い間、ヴァン・ナチュールの造り手たちの応援団であり、広告掲載のない情報誌「Rouge et Blanc」のジャーナリストである“フランソワ・モレル”は、こう言っています。「ル・ヴァン・オ・ナチュレルは、ごく少量の真の自然派ワインが生み出す、重要なムーヴメント。市場の2パーセントも占めていないにもかかわらず、議論や討論の激しさは、ひとつの疑問がいきいきと脈打っている証拠だ。」(『Winert』No.74 Spring 2014) まさしく「ごく少量の真のヴァン・ナチュール」の造り手が、まわりの造り手たちに大きな影響を与え、市場の中では小さいとはいえ、大きなうねりとなってきたのです。フランソワ・モレル流に言えば、「ごく少量の真のヴァン・ナチュールの造り手」のワインは、本当に素晴らしいものばかりで、飲み手を大きなエモーションで巻き込み、ワクワクさせ、感動を与えてくれます。

 ところで、先に触れた山梨での講演会のタイトルは、「ナチュラルワイン 醸造的争点 科学的挑戦。」
 ですが実際には、ヴァン・ナチュールに頻繁に見られる欠点の指摘に、多くの紙面が割かれています。特に、亜硫酸非使用で作られたワインの問題を取り上げています。が、一方ボルドー大学経済部門の研究者の意見として、「消費者の求めるものでワインの香味品質は発展してきたのだから、消費者の言うことは無視できない」とも述べています。
 マーケットでは、2パーセントにも満たないワインが何故これほど注目され、議論の対象になるのでしょうか? 以下は、私見です。
 その一つは、話題の飲食店や大人気店では、ヴァン・ナチュールを店主自らの熱意で選んで紹介し、レストランとして注目されている。店主たちは自ら生産地を訪ね、造り手との繋がりを大切にして、店の顧客に伝えようとしている。このようにして醸し出される一体感がお客を惹きつけ、結果として店の賑わいを生み出しているから、業界、同業者、研究者といえども無視できないのです。逆に人気に乗じて安易な店作りをしても、できるものではない。
 次なる事実は、ヴァン・ナチュールとは決して亜硫酸非使用のワインだけを指すのではなく、それらの多くは少量の亜硫酸を使用していることです。
 ごく一部ですが、丹精した栽培の結果として畑に力がそなわり、天候に恵まれ健康なブドウがとれた時に、優れた造り手が作って初めてヴァン・ナチュールが生まれる場合があり、それは奇跡に近いワインだと思います。いずれにせよ、造りそこなったような不出来なワインをやり玉に挙げて、批判や議論の対象とし、挙句は「ファンは強い欠点さえも好むものだ」などと決めつけるのは、一方的に敵視しているにすぎないのではないでしょうか?
 私自身、この30年の間に販売不可能で処分を幾度したことでしょうか? 今にして思えば、処分対象となったワインは、《有機栽培を初めて間もないため、畑に十分な力が備わっていなかった》り、《ヴァン・ナチュールとしては生産本数が多すぎて、入念な注意力がいきわたらなかった》り、《残糖があるのに、亜硫酸ゼロや無濾過で瓶詰めする》といった、いずれも無謀な作をした結果現れた現象でした。優れた造り手ですら、失敗することもあったのです。
 ヴァン・ナチュールには、不安定で個体差が多く、若いうちは欠点が強く表れるワインが多いのは事実です。けれども、数少ない真のヴァン・ナチュールは、欠点があっても10年の時を経て、美しく熟成し、感動を与えてくれることがあるのを、何度も経験してきました。味わいがまとまり真価を発揮するのに時間がかかるので、インポーターもレストランも忍耐と費用がかかります。
 ヴァン・ナチュールが市場で広く認知されるようになった現在では、「少量の真の自然派ワイン」は、供給が需要に追い付かないので、それぞれの立場で少量ずつ熟成させ始めている方もいます。その為に倉庫を作り、低温スペースを設置する店舗レストランが増えているのは、ワインを大切に思う結果です。
 ヴァン・ナチュールに良いワインと問題のあるワインがあるように、ヴァン・ナチュールでないワインにも良いワインと問題のあるワインがあります。私にとっては、少々の欠点や揮発酸が存在することよりも、SO2を多用することによって「味覚の大きな広がり、余韻の長さ、飲み心地良さ」が失われることのほうがもっと大きな問題であり、大きな欠点だと考えます。今は、ヴァン・ナチュールであるかどうかは重要でなく、どこまでも嗜好の違いとして、それぞれがそれぞれのタイプを楽しむことが大切だと思います。それこそが現在求められている、真の多様性ではないでしょうか。


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