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『ラシーヌ便り』no. 114

公開日: : 最終更新日:2015/05/08 定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー, その他

no. 114

1)ダヴィッド・クロワの来日

「親しいダヴィッドへ
あなたと会った日のことは、忘れません。当時、クロ・デ・ゼプノーでワインメーカーをしていたバンジャマン・ルルーが、こう語りました。「自分と一緒に仕事をしてきた男が、若手ではずば抜けている。カミーユ・ジルーのワインメーカーに適任かどうか、ぜひ面接してみたら」。こうして生まれた私たちの初ヴィンテッジは、2001年。いまでも何本か持っているけれど、年を追って美しく熟成していく。

  それから多くの年月とヴィンテッジが過ぎてゆく。たとえば、2003年のような難しい年。経験をつんだワインメーカーですら、のっけから手の打ちようがなかった。2004年もまた、問題続き。あなたには嬉しくはなかったけれど、平静を失うことはなかった。

  いまの私にとってワインは、静かなワインか、騒がしいワインのどちらか。静かなワインからは、アペラシオンが聞こえてくる。騒がしいワインは、まるで音量の大きな音楽。歌手はいるのに、歌が聞こえてこない。あなたのワインは、静かなワインね。

あなたとともに何年も歩みつづけることができて、ありがとう。

ベッキー (塚原正章訳)」

 

 ダヴィッド・クロワが、4月2日から4月9日まで来日しました。この素晴らしい手紙は、ラシーヌの求めに応じて、ベッキー・ワッサーマンがダヴィッドの広告用メッセージとして送ってくださったものです。

 ベッキーが述べたような彼の人となりとワインについて、大阪・京都・東京で、試飲会、セミナー、ワークショップを通じてたくさんの方々に、深く知っていただくことができたと思います。

 ダヴィッドのワインを初めて飲んだのは、2008年のグラン・ジュール・ド・ブルゴーニュの時です。モレ・サン・ドゥニ村の会場で、ジュヴレ・シャンベルタンの試飲会がありました。個人的にジュヴレ・シャンベルタンは苦手なアペラシオンで、「やはり、このAOCはどうも性にあわないなー」と思いながらテイスティングをしていた中に、カミーユ・ジルーのブースで、ダヴィッドが2006を出展していました。一口テイスティングして、「これはすごい才能の持ち主だ」と思いました。おしつけがましい濃さはなく、のびやかで、バランスのとれた上品な味わいに驚きました。後でわかったことですが、このジュヴレ・シャンベルタンは、大変樹齢の高いレ・クレ産で、ジュスティスの隣にあります。ラヴォー・サン・ジャークの地層の連続であり、表層が深く、粘土少なく、水はけがよく、ブドウは早熟で、それ故華やかな味わいのワインができるといった、ずば抜けた質のブドウから造られたワインだったのです。すぐさま、彼のワインをどのようにすれば取引できるか調べ、ベッキー・ワッサーマンを訪ねました。それから5年が過ぎ、ダヴィッドは来日しました。カミーユ・ジルーの醸造責任者になることが決まったのは、大学卒業寸前の22歳の終わり、ドメーヌ・デ・クロワの運営責任者に抜擢されたのは27歳、彼の資質と人物を見抜き抜擢したベッキー、ダヴィッドにすべてを信頼してまかせた経営者たちに恵まれたこと、数々の幸運に恵まれてダヴィッドの今日があります。

 現在37歳になったダヴィッドは、十数年の経験を重ね、優れた資質と明晰な頭脳で、ブルゴーニュならではの高貴さを備えたワインを生み出しています。それ故に、クライブ・コーツが「ここに26歳の若き天才ダヴィッド・クロワあり」と語り、 ジャスパー・モリスは著書『ブルゴーニュワイン大全』で、あるいは『ブルゴーニュ・オージュルドュイ』誌の73号で「今年の新スター」として紹介された天才、ダヴィッド・クロワと論じているのです。

  貴重な話を聞くことができましたが、なかでも私が驚いたのは、カミーユ・ジルーの買いブドウについてです。 ずっと、カミーユ・ジルーは、長い歴史の中で契約してきたとびっきりの畑のブドウを購入できているから、質の高いブドウを手に入れることができると思っていました。 実際は、2002年にダヴィッドが醸造長になったとき、すべての畑を見直して、ジュヴレ・シャンベルタンとヴォーヌ・ロマネ以外は、新たに探して、契約したということです。 名の通ったアペラシオンであっても、栽培がダヴィッドの基準にあわないものは、すべて購入を止めて、有機栽培で、樹齢と標高の高い畑のものを新たに加えていきました。 例えば、シャサーニュ・モンラッシェ・プルミエ・クリュ=テット・デュ・クロは、モルジョの区画の聖堂のあるクロにあり、最も標高の高い場所に位置します。モルジョは粘土質で、重く厚みのある味わいになりますが、この畑は石灰質に富み、非常に酸の美しい細見の味わいのワインが生まれます。

 このような、優れた畑を見出し、ポルトフォリオに加えていけるダヴィッドの実力を見直しました。 2003年以降のカミーユ・ジルーは、ダヴィッドが造りだした世界なのです。

 造り手が来日すると、催しの準備・運営等で大変な労力と時間を必要とし、おこしいただくお客様方により有意義な内容の運営をする責任があります。ですから、来日が続くと、正直のところ手放しで歓迎とはいかないのですが、この度の来日では、私達自身が学ぶことが多く、彼の人となりを深く知ることでより彼のワインの素晴らしさを確認できました。また、ダヴィッドご本人も、ワインを扱っていただいている方々と直接会って、どのような場所で扱われているのか確かめることができ、日本の中でも、とりわけ優れたマーケットを実感でき、実り多い来日であったと喜んでいただくことができました。 ご出席いただきました方々に、お礼を申し上げます。追って、セミナー内容をホーム・ページに掲載いたしますので、楽しみにお待ちください。  

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2) ヴィニタリー2015

 3月18日よりヴェローナに出張しました。この度は、塚原の「徹底してブルネッロ・ディ・モンタルチーノをみるぞ」の掛け声で、ヴィニタリーの期間中は積極的にブルネッロ・ディ・モンタルチーノのブースと、トスカーナのサンジョヴェーゼを中心にテイスティングしました。今年は例年より2週間近くも早く開催されたため、会場が涼しく、巨大なエアコンが作動しておらなかったために大変良い環境でテイスティングすることができました。今までのヴィニタリーで最もワインが良い状態だったように思います。

Az. Agr. il Marroneto di Mori Alessandro 歴史あるマドンナ・デッレ・クラツィエの畑 (Az.Agr.イル・マッロネート)

Az.Agr. L’Aietta(Az.Agr. ライエッタ) 17歳の時に、実家の別荘の小さなテラスでワイン造りを始めたフランチェスコ・ムィナーリ、 幅が狭く、円形のテラスのため、パリサージュできないので、アルベレッロで仕立てている。

Az.Agr. L’Aietta(Az.Agr. ライエッタ)
17歳の時に、実家の別荘の小さなテラスでワイン造りを始めたフランチェスコ・ムィナーリ、
幅が狭く、円形のテラスのため、パリサージュできないので、アルベレッロで仕立てている。

 イタリア・ワインを勉強始めたころ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは高価でありながら、凡庸で、価格に見合わないワインが多いと感じていました。ヴァン・ナチュールの考え方が広まってきた流の中で、ヴィラ・ファヴォリータ、ヴィニ・ヴェーリ、ヴィヴィットに出展する造り手も増えてきましたが、後味の甘さが気になり、志はよいのだけれど今一つほれ込むことができないワインが多いと決め込んでいました。バートン・アンダーソンは、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを評して、「若いうちは、風味重厚で骨太で、醸造期間の熟成と、ビン熟成が進むにつれ、どこも突出した点のないおだやかなワイン、たっぷりおいしさを楽しめるワインに成長し、香りにもこのうえなく精妙な複雑さが生まれる」と述べていますが、ソルデラ以外になかなかそのようなワインに出会うことができないまま長年見過ごしてきました。1980年代には見事なワインを造っていたところも、改めてテイスティングしてみると大量生産の特徴のない味わいも何軒かありました。 長く知っている評価の高い造り手を含め、20人近くのブースを訪ね、その後実際に造り手を訪問しました。その中から、心から嬉しい出会いがありました。 7月に、到着する予定です。これで、ラシーヌのトスカーナの全容が、さらに充実してきました。


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