ドイツワイン通信Vol.42
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最終更新日:2015/04/22
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ, その他
ザールの春風
春分の日を過ぎ、東京では所々で桜が開花しはじめたようだ。季節は確実に夏へと向かいつつある。陽光に強さが戻り肌で暖かさを感じると、私はザールのブドウ畑を思い出す。あれは丁度今頃だったと思う。復活祭の祝日で、アイル村にある醸造所の試飲イヴェントに行った時のことだ。ショーデン・オックフェンの駅から歩いて小一時間ほどかかるアイル村へは、途中でザール川に設置されている水門の上を渡る。そこで川の水は滝のように轟々と流れ落ち、辺りの景色は川面から立ち上る水蒸気で靄がかかったような、柔らかな光に包まれていた。それは光と影のコントラストがくっきりとしたドイツの風景とはひと味違う日本的な趣があり、陽光の暖かさと相まって気持ちが和んだことを覚えている。
私にとって、トリーアから電車で行けるザールはモーゼルよりも身近な場所だった。ザールブルク方面へと向かうローカル線は一時間に一本出ていて、大抵は光の加減が良い朝の比較的早い時間か、午後3時すぎにブドウ畑に着くように電車に乗った。しばらくモーゼル川沿いに走り、10分ほどで着くコンツの町で支流のザール川に入り、カンツェム、ヴィルティンゲン、ショーデン・オックフェン、ザールブルクと、大体5, 6分おきに無人駅に立ち寄っては発車する。そして、それまでずっと続いていた斜面に広がるブドウ畑が途切れて森に変わるゼーリヒの先で、大きく蛇行するザール川に沿ってカーブを描きながら、列車はフンスリュック山奥へと向かう。
コンツを出てから間もなくトンネルを一つ抜けると、車窓の左手にブドウ畑の斜面が見える。手を伸ばせば届きそうなくらいに間近にあるその畑はカンツェマー・アルテンベルクだ。間もなく到着するカンツェムの駅はブドウ畑の麓にある。待合所が一つあるだけの簡素なプラットホームから、裏手に続く階段を3段ほど上れば、視界いっぱいに広がるアルテンベルクの急斜面を見上げることになる。カンツェムを過ぎると間もなくヴィルティンガー・クップの山が眼前に迫り、列車はゴッテスフースの急斜面にそのまま突っ込んでいくかのように進むが、一歩手前で急カーブを描き向きを変えて、ブラウンフェルスの畑をかすめるようにしてヴィルティンゲンの駅に近づいていく。
ザールの気候と栽培条件
ザールのブドウ畑はほぼ100%斜面にある。ドイツとルクセンブルクの国境近くでモーゼル川に注ぎ込む支流で、ブドウ畑の麓の標高はモーゼル中流よりも20m以上高く、そのため冷涼で、昼夜の寒暖差が大きく年間降雨量も約800mmと比較的多い。栽培面積の約80%を占めるリースリングはモーゼルよりもゆっくりと熟し、栽培限界の気候条件であるが故に、川幅のやや狭い渓谷という地形的な条件とあわせて、スレート粘板岩の斜面が重要な意味を持つ。つまり、黒ずんだ粘板岩が昼間の太陽熱を吸収して夜間に放出し、水はけの良い土壌が余分な水分を速やかに流し去り、適度な給水を保証する。この厳しい栽培条件は近年の気候変動に伴って改善され、80年代のような尖った酸味とミネラル感が鋼のような印象を与えるリースリングは姿を消し、熟した酸味と精妙なミネラル感と軽やかな果実味で魅了する辛口が増えている。
もっとも、高品質なザールワインは今に始まったことではない。1868年にプロイセン政府のもと監修されたブドウ畑の格付け地図には、シャルツホーフベルク、カンツェマー・アルテンベルクをはじめとして、最上級に格付けされたブドウ畑がいくつも見られる。1927年、当時ザールを代表する生産者だったヤコブ・リンツ醸造所の創設100周年記念文集には以下の様な一文がある。「ザールのワインはどんな味がするのか教えてくれって? そいつは無理な相談だな。やってみたところで、人様に嘘はつきたくないからなぁ。えぇ?それじゃあ、生まれて一度もザールのワインを飲んだことのない可哀想な輩に、よだれを垂らさせたままほったらかしておくつもりかって? 仕方が無いなぁ。一言だけ言わせてもらうなら、良いヴィンテッジの高貴なザールワインの、あのピチピチとした若々しさ、輝くような充実感、草原に咲くいろんな花を集めた花束みたいなかぐわしい匂いは、神様が地上にお与えになった最上のワインの一つだと思うよ」。また、1896年の醸造専門誌『デア・ヴィンツァー』の中で、H. ブレスゲンはこう表現している。「光り輝く鏡のような、高貴な果実の酸味で溌剌とした、極上の香りの花束を内包した本当の通のためのワイン」と。
とりわけ19世紀末から20世紀初頭にかけて、ザールはモーゼルに並ぶ銘酒の産地として名高く、さらにスパークリングワインの産地としても成功していたことは、その気候条件から生まれるワインの個性からしても理解出来る。現在ファン・フォルクセンが醸造しているリースリング・ゼクト“1900 Brut“は、極めて複雑な繊細さとスケール感で飲み手を圧倒し、100年前の栄華の根拠をまざまざと見せつけてくれる。それが二度の敗戦と戦後の甘口ワインブームに伴う量産化への乗り遅れで――斜面の上でしかブドウが熟さないザールでは農作業の機械化は困難であった――、つい15年ほど前までは、どちらかといえばペシミスティックな雰囲気がこの産地には漂っていた。1990年代、気候変動の影響で以前よりもブドウが熟し易くなっていたものの、雨が多いので一定の果汁糖度に達したら速やかに収穫する生産者が多く、収穫量も70hl/ha以上は確保されていたと思う。軽く繊細でほのかに白桃の香るチャーミングなワインだが、近年需要の高い辛口に関してはファルツやラインヘッセンなどの温暖な産地はもとより、国際競争を勝ち抜くだけの説得力に欠けるものが大半だった。もちろん、そうしたワインは地元の人には愛されているし、今でもそのスタイルを守る生産者は少なくない。ちなみに、2008年のザールの葡萄畑は合計743haで、2006年まで続いていた減少に歯止めがかかったけれど生産者数は減り続けており、合計312軒のうち62%にあたる192軒が1ha以下の葡萄畑を所有し、10ha以上を所有するのは11醸造所にすぎなかった。
ザールに吹く新しい風
さて、近年ザールワインが昔日の栄光を取り戻しつつあることは衆目の一致するところだろう。ザールに限らず、ドイツワイン全体がこの10年間で活気づいている(日本にはまだ十分に伝わっていないけれど)。ザールに限って言えば、私がドイツにいた2010年前後から丁寧に世話されている区画が増えたような気がする。例えば下の写真はヴィルティンガー・クップの畑からカンツェムの方向を見渡したものだが、左が2004年4月12日、右が7年後の2011年4月8日の撮影である。
違いがどこにあるかおわかりだろうか? ブドウはどちらも棒仕立てで、2004年は短梢剪定なのが2011年は長い母枝を一本残す方式に変わっている。また、2004年はいつ耕されたのかわからないほどに固まった地面で歩きやすかったのだが、2011年はスニーカーが鋤き起こされた柔らかい土壌にめりこんで、斜面を登るのに一苦労させられた。所有者が誰かはわからないが、ワインの質を向上させるために、一層の手間をかけるようになったようだ。またこの頃、長年休耕地になっていたカンツェマー・アルテンベルクの区画に新しい苗木が植えられていた。駅のすぐそばにある斜面の麓から頂上まで続く細長い区画で、もともとトリーアのホスピティエン慈善連合醸造所が所有していたのを、新しい所有者が購入したのだと聞いた。
そして先日、トリーアの地元紙にファン・フォルクセン醸造所とモーゼル中流のマルクス・モリトール醸造所が共同で、オックフェンにある1980年代から放置されていたブドウ畑12haを購入し、現在整地作業を行っているという記事があった(Volksfreund.de, 13.März 2015)。ファン・フォルクセン醸造所のオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏によれば、そこは90年前はモーゼルで高く評価されていた畑オックフェナー・ガイスベルクで、パリのホテル・リッツのワインリストにも記載され、トリーアの競売会でもシャルツホーフベルクやオックフェナー・ボックシュタインに次ぐ高値で落札されたワインを産する畑だという。
ローマンとマルクスは50人以上の地権者を説得して購入したというから、相当な労力をかけたことだろう。かつて有名だったこのブドウ畑が蘇るとは夢想だにしなかったと、畑に最寄りのオックフェン村の村長はコメントする一方、30年以上放置されて猪や鹿が子育てをする場所になったブドウ畑を狩猟の縄張りとしている隣村のショーデン村の村長は、事前の断りもなくいきなり開発作業を始められたことに不快の念を表明している。それは2月28日から9月30日まで森林の伐採を禁じる連邦自然保護法を遵守するため、州の農業委員会から急いで作業するようにとせきたてられたためだったという。うち捨てられた畑には古木が残っていたはずだが、これまた州の条例で2年以上続けて放置され、適切に世話をされなかったブドウ畑のブドウ樹は引き抜いて整地すること、という規定があるそうだ。いずれにしても、ショーデン村の村長とローマン達は近いうちに話し合いの場が設けると報じられている。
オックフェン村といえば銘醸畑ボックシュタインを所有するDr. フィッシャーも、2014年4月からモーゼル中流のザンクト・ウルバンスホーフ醸造所オーナーのニック・ヴァイスと、南ティロルのJ. ホーフシュテッター醸造所のオーナーであるマーティン・フォラドリ・ホーフシュテッターの出資を受けて、「Dr. フィッシャー・ボックシュタインホーフ」として新しい出発を切ることになった。モーゼルのVDP加盟醸造所の中では目立たない存在だったが、今後の向上が期待される。近年オックフェン村の回りには、どうやら新しい風が吹き始めたようだ。
オックフェン村とそのブドウ畑はショーデン・オックフェンの駅とザールブルクの駅の丁度中間あたりで、ほんの一瞬だけ車窓から見渡すことが出来る。もちろん歩いて行くことも出来、途中の高台には対岸を見渡す見晴台があったと記憶している。実際のところ、ザールのブドウ畑はシャルツホーフベルクを含め、ことごとく歩いて行くことが出来る。最短のお勧めのルートはヴィルティンゲンの駅からカンツェムの駅までザール川の蛇行を見下ろしながら斜面の中腹を歩くコースで、大体2時間半見れば良いだろう。急斜面のブドウ畑からの景色は文句なしに素晴らしい。そしてまた、季節によって様々な様相を見せてくれる。ザールを訪れる機会があれば、是非一度歩いてみて頂きたいと思う。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会 員。
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