ファイン・ワインへの道Vol.100
今年、啓示的だったワイン、トップ5
パリのノートルダム寺院の再開で、初のミサ用ワインはラトゥールでもシャンベルタンでもなく、コート・ロアネーズほぼ無名のナチュラルワイン(ドメーヌ・ド・ラ・ベニソン=デュ―/ Bénisson-Dieu)だった、という朗報も届いた年の瀬。お陰様でこの連載も100回目となり、特例的に少し趣向を変え、パーソナルなお話をさせてください。
それが表題「今年(2024年)開けたワインの中で、最も啓示的だったワイン、トップ5」、です。啓示的と言うのと、激しく感動的と言うのは……とても近いのですが、真に偉大なワインは、大きな感動と同時に、なにか天啓のような示唆を与えてくれるものが多いものです。それは皆様もよくご存じのはず。
とても個人的かつ僭越な話で大変申し訳ありませんが、下記5本からの啓示が、皆様のワイン選びのご参考になると嬉しく思います。
(※:いくつかラシーヌさん輸入のワインもありますが、セレクトはいつもどおりラシーヌさんへの忖度は一切ありません。全て公平かつ中立的な選択の結果です)
5位:
「不気味なほどブルゴーニュ的」? な、南アフリカの白
クリスタルム 2017 シャルドネ クレイ・シェルス
“南アフリカのラ・ターシュ”とも言われるキュヴェ・シネマで大いに勇名を馳せる生産者ですが……、 白のトップ・キュヴェもまた、気品輝き。格調高い果実味の多層性と多元性が驚愕の1本、でした。 ブルゴーニュの上級品でも簡単には出会えないディープな余韻と、 その中に響く目覚ましく鮮明で純潔、 引き締まった果実感は、堂々のメディテーション・ワインの域。“21世紀の今では、世界最トップクラスのシャルドネを、ブルゴーニュ以外の産地が産むことができる”というワインの公理をどうにも美しく再証明してくれた 1本です。 ちなみに、ジャンシス・ロビンソンは、南アフリカで最冷涼地域の一つとなる、このウォーカーベイ地区に関して、「ピノ・ノワールもシャルドも、不気味なほどブルゴーニュ的なワインを生む地域」と記していますが、こんなに美味しい不気味さならば、いつでも大歓迎ですね。
それなのに、お値段は未だに1万円でお釣りが来るレンジ。ラベルのブランド性が空虚な、時に薄~い味のブルゴーニの(冴えない)グラン・クリュ一本で、このワインが5本買えてしまいます。さて、どちらが賢明、なのでしょう?
4位:
ブルネッロ顔負けの熟成力が、キアンティに。
スパレッティ 1966 キアンティ・ルフィナ・リゼルヴァ ポッジオ・レアーレ
サンジョヴェーゼ身分制度(?)のごとく。ブルネッロは常にキアンティより上、との体制感(まさに、アンシャン・レジーム)を盲信されている方は 、少なくないですよね。二流のブルネッロよりも、一流の キアンティがいいということを立証するには、何も1966年などというヴィンテッジを持ち出さずとも、近年のキアンティ・クラシコのトップ生産者の作品をご体験いただければ、あっさり 納得していただけるかと思います。
それでもあえて このワインを挙げさせていただくのは、 熟成力に関してもキアンティのトップ生産者のものは、ブルネッロと十分比肩するということを見せつけたワインだったからです。しかもこの生産者の拠点はキャンティ・クラシコ圏ですらなく、ルフィナ地区。しかし、マスター・オブ・ワインのニコラス・ベフレージ曰く「1950年代、60年代は、トスカーナ高品質ワインの代名詞的存在だった」と記すほどの生産者です。
このスパレッティの同キュヴェは、1964年から1975年まで、全ヴィンテージをゆったりと時間をかけ複数回飲みましたが、 最も傑出していたのが1966年。 激しく顔と鼻に突進し、ぶつかってくるようなサワーチェリー、甘いマッシュルーム、キルシュ、オリエンタル・スパイス、腐葉土、ダージリン・ティー、クランベリーのドライフルーツなどの香りは、どうにも陶然、かつ官能的。ほどよい枯れ感もありつつ、まだまだ芯としなやかさがある果実感と、完全にほぐれてシルキーになったタンニンの舌触りと奥行きも、まさに、ザ・セクシー・ワインの域、でした。
ブラインドで出されていたら、ブルゴーニュ、コート・ド・ボーヌの熟成赤の最上級品と答えたでしょう。
このワイン、66年が手に入らなくても、64、68、71、74年などにも、ブルネッロを色褪せさせるキアンティの片鱗があります。このあたりのヴィンテッジでも価格は、日本で買っても2万円前後。ボルドーのちょっとした上級格付けシャトーよりもさらに手頃、です。
そうです。こんなに有名なのに。キアンティ(のトップ生産者)は、最も消費者に過小評価されているブランドの一つ、なのですね。いつまでも。
3位:
ジャーマン・ピノ・ノワール、無限の偉大さを立証
ザルワイ 2018 シュペートブルグンダー・ヘンケンべルグ
世界のグラン・ヴァン・ピノ・ノワールの重要産地・地図に、ドイツ、バーデン地方を壮麗な威厳とともに加えさせた決定的な1本です。もちろんこのワイン以前にもいくつかのドイツの赤の生産者は日本でも評価されていましたが、 それら先達よりさらにブルゴーニュ的。 個人的には本当にこのワインは、その爆発的で純粋な香り高さ、特にスミレの花、多彩なベリー、スパイスのアロマと、異次元レベルにシルキーできめ細かいタンニンの質感が、本当にアンリ・ジャイエの一級ワインと似ているように思うのです( 炎上覚悟で申し上げますが)。
産地は バーデン地方の中でも特に火山性土壌が強い(というか休火山のカルデラの麓)にある、カイザーシュトゥール地区、オーヴァーロートヴァイル村。石灰岩がないと最上級のピノ・ノワールが生まれないという前世紀的盲信も、痛烈に転覆・啓蒙してくれるという点でも有難い啓示に満ちた1本であります。
ちなみにこのワイナリーのシングル・クリュは計3つ、他にキルヒべルグ、アイヒべルグというキュヴェがあり、価格面ではこのヘンケンべルグが一番下で、現地ワインショップ価格では40ユーロ弱なのですが……、上のキュヴェはややパワフルになりすぎる嫌いがあり、このキュヴェが最もブルゴーニュ的、かつアンリ・ジャイエ的なのです。
このワイン、過去2014~2019年、全ヴィンテージを計60本以上は試飲しましたが、特に2018年は、香りのゴージャスさの面で記念碑的な1本です。ともあれ、このワインに出会ってから、今まであんなに好きだったブルゴーニュの赤への思慕が色褪せ、追う気力が薄れてしまったという声も、少しづつ出始めているようです。私も、その一人です。
2位:
イタリア・赤の最トップ候補。または、飲むクリムト。
エドアルド・ヴァレンティーニ 1992 モンテプルチアーノ・ダブルッツォ
このワインの偉大さは大昔から常識だろう!とお叱りを受けそうですが。 それでも、念のため。 通常、イタリアの最トップワインを探そうとする場合、どうしても行き先はバローロ、バロバレスコ、ブルネッロ、 アマローネに限定されてしまうのは人情ですよね(スーパータスカンって、何でしたっけ?)。しかし。やはり真のイタリアの頂点ワインは、その4つの生産地域ではないところから出現しているのではないか、という思いは個人的ながら何年も不動のままです。
確かに、約20年の熟成(忍耐)が、このワインの真価、 つまり絢爛豪華、かつ深淵で哲学的な、魔性の極みとも思える香りと味を現すために必須という高めのハードルはありますが。その仁義を切れば、報いてくれます。その努力に。
今年開けた 92年ヴィンテッジも、 深遠な活力あるキルシュ、スパイスと共にコンポートしたベリーやなめし革、バラ、スミレ、金木犀などの花々のドライフラワー、多彩なジビエの干し肉などなどの香りがと味わいが美しい均整と共に無限に全身に響く妖艶至極な極品。一口ごとに押し寄せる、まさにスピリチュアルな波動の中に、モーツアルトの享楽性と、ブラームスの気品(または、サンバの熱狂と、エリック・サティのクールネス、と言ってもいい)が同時に強烈に渦巻く、圧巻の知覚体験(気絶直前もの)でした。
またある面では「飲む、クリムト絵画」、とさえ思えるそんな絢爛至極なグラン・ヴァン中のグラン・ヴァンが、ピエモンテでもトスカーナでもない、アブルッツォの辺境から生まれているという事実。それはいつも、我々のワイン選びの硬直した先入観と偏狭さ、つまり最上級ワインは有名産地でしが生まれないという誤認を鮮やかすぎるほどに粉砕してくれるという点でも、とても啓示に満ちているのです。この造り手のワインは、いつも。
1位:
ポルトガルのコシュ・デュリ、でしょう。
エントレ・ペドラシュ 2022 ピコ アリント・ドシュ・アソーレス
太陽系の惑星が並んでいる中で、突然、 木星と土星の間にもう一つ、 新たに木星ほど大きく土星ほど美しい惑星が現れた、くらいの衝撃でした。このワイン。ポルトガルのリスボンから西へ はるか約1700km。大西洋上の小さな島、ピコ島 から、まさかここまで威厳あるグラン・ヴァンが出てくるとは。 地球という場所の豊饒さと広大さ、その奥行きの深さに、畏敬を感じずにはいられないと同時に、自分のワイン観の狭さと浅さを深く反省させられる発見、でした。
小さな火山島の真っ黒な土壌で、強風などの自然条件で収穫量がわずか1t/ha(!)という驚異的な低さになるというこのワイン、目もくらむ多元性と多層性あるミネラルと酸が、引き締まった緑の柑橘、ハーブ、アカシアの蜂蜜、白い花々などの香りと美しく一体化し、長編ミステリー小説のように続く余韻。その味わいはまさに、”ポルトガル版コシュ・デュリ”そのもの、でした(またも、炎上覚悟で申し上げますが)。
本当に、昔のワインの教科書には載っていない場所で。人知れず、卓越した情熱を持つ生産者が真摯な仕事を続け、堂々の超一流グラン・ヴァンとしか言いようのない作品が、静かに少しづつ誕生しているのです。地球、および人類は美しい、です。
2020年代の世界のグラン・ヴァン産地地図は、2010年代のそれよりも、さらに多方面で、重要点を増やしています。つまり、私たちが謙虚に柔軟になれば、さらに未知の新グラン・ヴァンを今以上に発見・感激できる訳です。そんな、ワインの楽しさの核心とも思える、幸福な啓示が、この1本から、貴方の舌と魂に伝わると思います。きっと。
では皆様も、来年もまた、心と身体、そして世界全体の見え方までが美しくなるようなワインとの出会いが、より多くありますように。
追記:
上記5本の次点としては、ユリス・コランの多くのシャンパーニュなどなどがありますが、書ききれず、上記5本に留めます。またブルゴーニュの有名ドメーヌのグラン・クリュ、カリフォルニアの熟成カルトワインなどなども、有難くもかなりの数、試飲の機会をいただきましたが、到底、上記5本の感動、感激、啓示には至らなかったことは、老婆心ながら記しておきます。
今月の、ワインが美味しくなる音楽:
ストラディヴァリを捨てた名手の
凛々しく端正な室内楽を、お正月に。
『シューベルト ピアノ三重奏曲第一番(作品99。D898)』
クリスチャン・テツラフ、ターニャ・テツラフ、ラルス・フォークト
お正月恒例となった(?)クラシック音楽のご紹介。今年はシューベルトのほのぼのとした歌心が清新なメロディに映る、室内楽の名曲を。ピアノ、ヴァイオリン、チェロの3人のみシンプル編成で素朴につづる音と、その残響が美しいこの曲は、ふと時折アンビエント的な聞き方もできるようにさえ思えます。
そしてもう一つ、この作品を推させていただく理由は、当代最高峰のヴァイオリニストの一人、クリスチャン・テツラフの作ゆえ。この人、なんとストラディヴァリ(1台数億円の価格がテレビなどでも話題になる17世紀の神話的なヴァイオリン)を持っていたのに、もはやそれを使わず(捨て?)、演奏や録音は全て現代のヴァイオリン作家、シュテファン⁼ペーター・グライナーひと筋という英断を下した人なのです。
あの、ストラディヴァリを捨てて、より以上の価値があると判断した現代作家の楽器を選ぶというスタンスが……、このコラムで一貫してお伝えしている「有名無実な高額ブランドワインを超える、無名・真摯生産者は少なからず実在する」という基底理念に通じている気が……勝手にいたします。そんな(手前味噌な)嬉しさも加味されて、年始の澄んだ空気の中で味わうワインを、この人の演奏が美味しくしてくれることでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=HyNYYk7vDGU
今月の言葉:
「新しい真理の発見のときはつねに少数派である。それが正しければ多数派になる」
湯川秀樹(理論物理学者)
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「(旧)ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記
事を寄稿。アカデミー・デュ・ヴァン 大阪校」、自然派ワイン、および40年以上熟
成イタリア・ワイン、各クラス講師。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査
員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。
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