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合田玲英のフィールド・ノートVol.64 《 ヴァレンティーニ 》

 ワイナリーを案内する前に、フランチェスコ・ヴァレンティーニは、このように話を切り出した。
 「見てくれ、このグラフを。ヴァレンティーニ家では、1880年から毎年の収穫開始日と、終了日を記録している。70年以上の間、収穫時期はほぼ変わらないが、1980年代を境に年々早まっていている。温暖化に関しては諸説あるけれども、このデータは無視できない。熟成する赤ワインを造るのは簡単だと言ったが、その熟成をさせるだけの価値のあるワインを造るのに必要な、モンテプルチアーノを栽培することが近年難しくなってきている。父、エドアルドの代はモンテプルチアーノ・ダブルッツォを瓶詰する年の方が多かったが、私の代になってからは、瓶詰しない年の方が圧倒的に多い。今年の春に、父と祖父の代に、赤の瓶詰をしなかった年だけ(モンテプルチアーノ・ダブルッツォとして瓶詰しなかった年)の垂直試飲会を行った。それは、ただの好奇心ではなく、この試飲会を通して、参加者に気候変動の重要性を説くことが目的だった。なぜ、過度な工業化、商業主義に歯止めを掛けなければいけないのか。人間の活動が環境に与える影響を、一杯のグラスに注がれたワインを通して、飲み手に伝えることが、使命だと思ってワイン造りをしている。」

 ブドウ栽培、ワイン醸造、どちらも良いワインを作る上で必要な当然の工程を普通にこなしているだけのように見える。何も特別なことはしていない。しかし、その普通のレベルがとてつもなく高い。モンテプルチアーノ、トレッビアーノ・ダブルッツォ、合せて60ha以上のブドウ畑を所有しているが、ヴァレンティーニのラベルを貼られてリリースされるのは、そのうち3万本にも満たない。

 余談だけれど、ヴァレンティーニとしてリリースされないワインは、ヴィノ・スフーゾ(テーブル・ワイン)として、ワイナリーの周りのレストランだけにラベル無しで販売されるようだ。地元の、レストランでのみ、ヴァレンティーニのテーブル・ワインはある?と聞くと、カメリエーレがニヤリと笑って、エチケットの貼られていないボトルを持ってきてくれる。最初は白ワインしかない様子だったが、少し安っぽいグラスに注がれた、かすかに風格を感じさせるトレッビアーノを飲んでいると、内緒だよ、と赤のボトルを持ってきてくれた。

 ここまで厳しく、ワインのリリースを厳選するヴァレンティーニ家が、ワインと同じくらい、もしかするとそれ以上に大切に考えているのが、オリーブオイルだ。アブルッツォの中でも、ヴァレンティーニが居を構えるロレート・アプルティーノの街周辺は、イタリアでも随一の作付面積だ。確かに、フランチェスコに案内をされるまでは、ブドウ畑らしいものを見かけなかった。エドアルド・ヴァレンティーニの目指した、地域の伝統を忘れず、自然との調和を探るという理念を、フランチェスコは間違えなく引き継いでいる。

 現在は、他社のフラントイオ(オリーブオイル製油所)に、搾油を依頼しているが、現在自社所有のフラントイオを建設中。加水せずに油を抽出できる、遠心分離機を使用した最新の搾油機で、香の出方に大きく差が出るらしい。地下の部分も壁を2重にして、温度コントロールなしで、最適の温度に保たれるようになっている。
 「オリーブオイルを造るには、最新の技術が必要だ。なぜならオリーブオイルは、オリーブの果肉にあるオイルを抽出する必要があり、その過程でどれだけ酸化をさせないのかが重要だ。ワインの場合は全く逆で、ゆっくりと、手間と時間をかけて果汁をワインへと変化させる必要があり、どれだけ人間が介入しないかの方が大事だ。だから伝統的で、シンプルな道具で十分なのだ。完璧な調和は、自然のみが与えられる。完璧な調和は、人間には作り上げることができない」
 2018年の9月のイタリア訪問は、ジュゼッペ・リナルディの訃報を聞いて帰国した。その数日後、さらにステーファノ・ベロッティも亡くなったと聞いて、去年のハリディモス・ハツィダキスの事を思い出さずにはいられなかった。
 ヴァレンティーニを訪問中、現当主のフランチェスコ・ヴァレンティーニと一緒に息子のガブリエーレが同行してくれた。まだ20代で、厳しく完璧主義者を思わせる父とは違い、朗らかな人柄が印象的だった。フランチェスコは、「自分の代では、自分が最良だと思うことをやるだけだ。ガブリエーレの代には、気候から経済状況から、何一つ同じことはないだろう。ガブリエーレ自身が、必要なことを、決めていけばいい。」と、話す。

 

~プロフィール~

合田 玲英(ごうだ れい) 1986年生まれ。東京都出身。
2009 年~2012 年:ドメーヌ・レオン・バラル(フランス/ラングドック) で研修 
2012 年~2013 年:ドメーヌ・スクラヴォス(ギリシャ/ケファロニア島) で研修
2013 年~2016 年:イタリア/トリノ在住
2017 年~:日本在住

 
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