ドイツワイン通信Vol.71
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最終更新日:2018/02/05
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
2016年のヴィンテッジ情報
8月も半ばを過ぎ、今年も収穫の季節が近づいてきた。すでに8月16日にはファルツで、発酵中の白濁した新酒「フェーダーヴァイサー」にして観光客に供される、早熟品種ソラリスやオルテガの収穫が始まったそうだ。ドイツでは、この濁り新酒をツヴィーベルクーヘンと呼ばれるタマネギのキッシュ ― 炒めて甘味を出したタマネギに、弱冠のベーコンと生クリームを混ぜて、小麦粉をこねた塩気のある生地に載せてオーブンで焼く素朴な料理 ― にあわせるのが定番である。今年は開花時期が6月上旬と平年よりも2~3週間早かったので、本収穫は9月10日ころにミュラー・トゥルガウから始めるという。モーゼルでも例年なら10月中旬に始めるリースリングの収穫を、今年は早ければ9月末頃に始めるかもしれないそうだ。
今年2017年の開花は天候に恵まれて一気に進行したので、果粒がそろっていて房の中で押し合っているという。8月に入ってからは肌寒く雨がちで、今年の夏はどこへ行ったのかというぼやき声が聞かれたが、8月22日現在は天候にも恵まれて、どの産地もおおむね順調に ― 4月下旬の遅霜で、とりわけヴュルテンベルクが30~50%の損害を受けたり、8月1日早朝にラインガウからモーゼル下流にかけて雹が降ったものの、幸い損害は軽微に留まったりしたものの ― 熟しつつある。2017年という生産年がどうなるかはこれからの天候次第だが、いずれにしても好天が続くことを祈りたい。
2016年産の印象と背景
去る8月8日に(株)ラシーヌの四谷オフィスで、7月下旬に到着したばかりの2016年産ドイツワインを含む試飲会があった。2015年産の辛口系リースリングは、7月の猛暑の影響で厚くなった果皮のタンニンのためか、構造がしっかりとしてシリアスな印象を受けることが多かったのに対して、2016年産は充実して余韻が長く、とりわけベーシックなリースリングが印象的だった。角が丸い酸味で、果実味はしっとりとしてニュアンス感に富み、中盤以降の伸びやかさはこれまで経験したことがないほどだった。特にモーゼルの【ヴァイサー・キュンストラー】、【A. J.アダム】とラインガウの【エファ・フリッケ】は申し分なかった。
2016年は4月から7月上旬まで、ドイツ各地で高温多湿に悩まされた年だった。とりわけ6月はベト病(ペロノスポラ)という黴による病気の一種が蔓延して、生産者達は温暖化のネガティヴな側面に直面した。多くの醸造所ではボルドー液に用いる亜硫酸銅の年間使用量の上限である、ヘクタールあたり3kgを使い切ったが、散布しても頻繁に降る雨に洗い流されて効果が無く、特例として追加でもう1kg使用してよいという認可をEUから取り付けねばならないほどだった。亜硫酸銅はホスホン酸カリウムを混ぜて散布することで、ブドウ樹の防御力が高まることが知られている。このホスホン酸カリウムはビオロジックにも利用出来る物質だったのだが、通常の植物保護材よりも効果が高すぎるとして、2013年に農薬に分類されて使えなくなってしまっていた。切羽詰まった一部の醸造所は、ビオロジックの認証を放棄して農薬を散布し、収穫を救ったという。
好天に恵まれた夏と秋
2016年前半の問題はベト病だけでなく、とてもストレスフルな状況だったそうだ。モーゼルでは4月下旬にヨーロッパ各地で深刻な被害を与えた遅霜は免れたものの、その後、蛾の幼虫による新芽の食害が下流域に広まり、5月末には中流域を豪雨が襲った。その後高温多雨となってベト病が広がったのは上述の通りである。しかし7月に入ると、まるでコインの表裏がひっくり返ったように、がらりと天候が変わって10月下旬まで晴天が続いた。あれだけの長雨の後でも、ブドウ畑によっては8月末頃には渇水ストレスの兆候がみられたほどで、これ以上病気や黴が広がらないようにと、風通しを良くするために多めに除葉した生産者の中には、房が日焼けして収穫の一部を失ったところもあった。
9月は暖かく乾燥した晴れの日が続いて、糖度は順調に上昇して酸は着実に分解された。10月に入ると気温は下がって曇りがちになったので、糖度はゆっくり上昇したが80~95°エクスレ以上には上がらず、リンゴ酸はほぼ分解されつくして酒石酸が残り、総酸量は平年並みかやや低めとなった。そして注目するべきことに、ボトリティス菌がほとんどまったくと言ってよいほど繁殖しなかったそうだ。開花期の雨で結実がゆっくりすすんだため、大小の果粒が入り交じって房の風通しがよくなったことと、7月以降の晴天で表土の湿気がすっかり乾いたこと、さらに成熟期の強い日照で果皮が厚くなった結果だろう。通常、果汁糖度が100°エクスレ以上に達するには貴腐菌(=ボトリティス菌)が菌糸で果皮に穴を開けて、そこから水分が蒸発して果汁を凝縮する必要がある。従ってアウスレーゼ以上の、貴腐ブドウを使うワインの生産量はとても少なくなった一方、ボトリティス菌のついた収穫が多い年は増える亜硫酸の使用量も、2016年産はおしなべて少なくて済んだ。私見では、これが先日試飲したリースリングの余韻の長さの一因ではないかと思う。
ザールの【ファン・フォルクセン醸造所】でも、近年の総亜硫酸量は約60mg/ℓ台と減少傾向にあるが、2016年産も同様に少ないようだ。オーナーのローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏に聞いたところ、その理由は上述の通りボトリティス菌が繁殖しなかったことと、もう一つは手作業で収穫時に選果した上に、圧搾前に8人の作業者で粒選りして、完璧ではない果粒を排除していることを挙げた。そしてさらに、2016年産から稼働している、最新技術を投入した新しい醸造施設の成果もあるという。どんな技術なのか詳細は教えてもらえなかったが、相当な設備投資を行ったようだ。
悲喜こもごもの生産年
もっとも、生産者やブドウ畑によってばらつきがあるのも2016年産の特徴で、ベト病が繁殖した畑では収量が減って、そのぶん凝縮感のあるワインとなった。幸い被害を免れた畑では、繊細でエアリーな軽さを備えたワインが多いという。ただ、全体として収穫量は少なかった。ベト病の被害が深刻だったヴァイサー・キュンストラー醸造所のエンキルヒャー・エラーグルーブでは、収量はわずか10hℓ/haに留まり、醸造所全体でも収穫量の約50%を失ったという。丁度ビオロジックに転換中だったため、ブドウ樹に抵抗力が十分ついていなかったことも原因だろう。しかしそのワインは繊細でエレガントで凝縮感のある、醸造所の最高の生産年だったという2014年産を彷彿とさせる出来映えとなった。
そして貴腐ワインが収穫出来なかったので、アイスヴァイン用にブドウを樹上に残しておいた生産者は、11月30日から12月5日にかけて例年よりも早く訪れた氷点下7℃以下の寒気の中で、凍結した房から凝縮した果汁を得ることに成功した。A. J. アダム醸造所もそのひとりで、11月30日にアイスヴァインを収穫したが、通常の収穫も日焼けによる弱冠の損失以外はベト病の被害もほとんどなく、恵まれた生産年だったという。
以上、2016年産を味わう際に頭の片隅に入れておくと、特徴がつかみやすくなるかもしれない。上記のヴィンテッジ情報をふくめ、個々の醸造所のワインの試飲コメントなども無料のニュースレターMosel Fine Wines Issue No. 35, June 2017 (http://www.moselfinewines.com/moselfinewines-issue-35-jun-2017-is-out.php)にあるので、興味のある方はご参照下さい。
オルツタイルラーゲとグラン・クリュ
この原稿を書いている22日、ヴィースバーデンでは毎年恒例のVDP.プレディカーツヴァイン醸造所連盟のグローセス・ゲヴェクス、つまりグラン・クリュの辛口の試飲会が行われている。120名の招待客の中にはフェイスブックやブログ、ツイッターで速報を上げている人もいて、現場の高揚した雰囲気が伝わってくる。生産量は少なかったものの、定評ある醸造所は例年のように見事なワインを醸造していて、2016年産は2015年産に勝るとも劣らない出来映えのようだ。
そういえば、前回オルツタイルラーゲについてこのエッセイに書いたが、先日、そのオルツタイルラーゲの一つであるシュロス・フォルラーツの経営責任者で、来日中だったロヴァルト・ヘップ氏に話を聞く機会があった。最初「オルツタイルラーゲ」と聞いても何の話か要領を得ない様子だったが、「1971年のワイン法で認められた、オルツタイル名を名乗る畑ですよ」と言うと、ああ、あれのことか、とようやく理解してもらえた。ヘップ氏によれば、オルツタイルを名乗る畑は、テロワールというよりも政治的な枠組みで決まったもので、村あるいは町の一部にまとまって存在する畑のことだという。「例えばシュロス・フォルラーツならば、シュロス・フォルラーツ・ヴィンクラー・シュロスベルクのように、醸造所名の下にさらに村名と畑名を名乗らずにすむので、すっきりとわかりやすいことがメリット」だという。
シュロス・ライヒャルツハウゼンについては、かつてエーバーバッハ修道院が所有していた畑だから、オルツタイルを名乗ることになったのではないかと指摘した。「もっとも、今は畑の一部に学生寮が建っているがね」と笑う。一方、名前が似ていてよく混同されるシュロス・ラインハルツハウゼン醸造所は、所有する畑があちこちに分散しているのでシュロスであってもオルツタイルを名乗るには至らなかったそうだ。そしてオルツタイル名を名乗る畑はドイツワイン最高の畑なのかと聞くと、「今ではもっと他に優れた畑は沢山ある。VDPのグローセ・ラーゲを見ればわかるだろう」と言った。実際、VDPがグローセ・ラーゲに格付けしたラインガウのブドウ畑の区画は54もある(http://www.vdp-rheingau.de/de/klassifikation/die-lagen/vdpgrosse-lagen-des-rheingaus/ 参照)。そしてシュロス・ライヒャルツハウゼンはVDP加盟醸造所のバルタザール・レスが1970年代末から単独所有しているが、グローセ・ラーゲではない。川沿いの砂地にある平坦な4haあまりの畑である。
伝統とは何か
ここで改めて思うのは、伝統とは何かということだ。1971年のドイツワイン法で政治的に規定されたオルツタイルを名乗る畑よりも、1867年にプロイセン政府が作成した格付け地図の方が、ラインガウの伝統を考えるには相応しい。そこではブドウ畑は三段階に格付けされていて、13のブドウ第一級に格付けされている(https://de.wikipedia.org/wiki/Rheingau_(Weinanbaugebiet)#/media/File:Rheingau1867.jpg)。格付け地図はその後何度も改版され、1984年にラインガウの生産者有志がカルタ同盟を結成した際には、1885年の格付け地図(Die Dahlensche Bonitätskarte)に基づく優れた畑からの食事に合う辛口を目指したのは周知の通り。やがて1990年代に、イギリス出身のワインジャーナリスト、スチュワート・ピゴットがトリーアの市立図書館で1868年のモーゼルの格付け地図を発見して復刻出版したことや、19世紀末から20世紀初頭にかけての世界各地のレストランやワイン商のリストで、格付けされたブドウ畑のドイツワインはボルドーの特級と肩を並べていたことが再発見されて、ドイツワインの辛口の目指すべき方向性が見えてきたのである。
こうした流れからすると、ザールのファン・フォルクセン醸造所の”1900″と名付けられたリースリングのスティルワインは興味深い。カンツェマー・アルテンベルクと周辺のブドウ畑に残る樹齢100年を超える自根のリースリングの古木の収穫を、100年前の醸造を忠実に再現するべく調達したバスケットプレスで圧搾して、伝統的なフーダー樽で野生酵母により発酵、18ヵ月間微細な澱とともに熟成してノンフィルターで瓶詰めしたワインだ。2005年産が初リリースで年間生産量は約1700本。現在市場に出回っている2007年産の残糖度は41g/ℓ、酸度は6.8g/ℓ、アルコール濃度11%と、分析値だけ見ると繊細な甘口カビネットのように見えるのだが、自根の古木の非常に凝縮した果汁を醸造したので熟成能力はとても高い、経験からすると2020年よりもずっと長く持つだろう、とニエヴォドニツァンスキー氏は太鼓判を押した。
100年前のワインはどんな味だったかは、このワインが教えてくれるはずだ。1971年のドイツワイン法ではなく、1900年頃の原点まで立ち返ってはじめて、ドイツワインの本当の姿が見えてくるように私には思われる。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。