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合田玲英のフィールド・ノートVol.50 《 シャンパーニュ3生産者来日 》

 1週間で京都・大阪・名古屋・東京と4都市5日間にわたる、来日イヴェントだった。中2日、京都で休みの日には、近場の酒蔵を見学させてもらったりもした。あまり予定を詰め込みすぎるのも悪いなぁと思いつつも、こちらが見て欲しいのでいろいろと引き連れて行ってしまった。でもその度に、生産者同士、驚きや感心の声をあげて話し合っているのを見ると、来てくれてよかったと思います。
 生産者来日恒例の、日本ではどこでタバコを吸えるのだ、とか、女性専用車両や、駅のホームで整然としている様におどろき、特に祇園祭でごった返す中、人一人通れる分のスペースが自然と空いていることには驚愕していました。イヴェントでもしっかりと来場者や運営の流れを観察していて、どの人も後から来る人のことを考え、大切に少量ずつワインを味わってくれて、本当に感動していると話していました。
 ワインの、特にシャンパーニュの試飲会では、会の最後の方ではただの飲み会になってしまうことが多いが、最後まで適切な温度で提供されるように準備されていて、真剣さと心地よい緊張感が途切れることがなかった、とティエリー・ラエルト。
 ブノワ・ライエは、「日本のソムリエやバーテンダーがボトルを手に取り、抜栓し、ワインを注ぐ様はとても儀式的で、集中して大切に扱ってくれていることが伝わる」と、感心していました。
 食事は、やっぱりフランス料理以外のものがつづくとさすがにしんどそうで、寿司屋でワインを頼んだり、ピザやサンドイッチなどを食べているときは少しホッとしているようにも見えました。今春にイヴォン・メトラが来日した時も、山の奥の料亭料理が異世界すぎてわけがわからなかったと言っていたのを思い出しました。
 それにしても、鮎の塩焼きの頭は食べるのかどうか、頭を食べられる魚のサイズの限界を一晩中話しているのはおかしかったです。ただし、日本料理とシャンパーニュ、特にナチュラルに造られたものどうしのマリアージュの親和性には目を見張るものがあり、これだけヴァン・ナチュールが日本で愛されているのも納得した様子でした。

 ラエルト夫妻だけは三度目の来日で、前回は20年前に訪れたそうですが、若いフルーリーのカップルや、ライエ親子にとっては初めての日本でした。ブノワ・ライエは、ヨーロッパ以外はニューヨークにしか行ったことがないのだそう。ティエリー・ラエルトが最年長で60歳過ぎ、ブノワ・ライエの息子エティエンヌ・ライエが一番若くて26歳。年齢差があったりもしたけれど、各試飲会などでブノワ・フルーリーが話しているのを見ている、ティエリー・ラエルトとブノワ・ライエの眼差しはとても優しいものでした。

ティエリー・ラエルト(左)、ブノワ・フルーリー(右)

 各都市でもディナーの後に皆でビールを飲みに行ったりしていて、ライバル意識というよりも仲間意識を強く感じました。
 数日一緒に過ごすと、数時間のワイナリー訪問では知ることができない部分も多く聴けて、試飲会来場者の方から、言われてみれば確かに気になる質問も多く飛び出しましたので、以下に一部を紹介します。

《 シャンパーニュ・フルーリー 》
 来日したブノワ・フルーリーは、6人兄弟の末っ子・四男で、主に栽培担当。現在72歳の父親のジャン=ピエールが、1989年に初めてシャンパーニュでビオディナミによる栽培を始めたことでも有名です。ジャン=ピエールは全く違う職業に就きたかったのでしたが、彼の父親が有無を言わせずワイナリーを継がせてしまったそうだ。ジャン=ピエールが就きたかった職業とは、実は天文学者。当時恋人であった妻もドイツに住んでいたことから、自然とルドルフ・シュタイナーの書物にも出会い、それをブドウ畑で試したいと思っていたそうです。よくある話しですが、畑の横でハーブの煎じ薬を煮出していると、周りの農家にもよく馬鹿にされたそうで、子供だったブノワも学校でよくからかわれたよと話していました。
 それでもジャン=ピエールがビオディナミを導入した3年後には、他の2生産者がビオディナミ栽培に踏みきりました。”彼らがいたから父親はビオディナミ栽培をつづけて来られた。今では大手も導入しているし、止まることなくこの動きが続いていってほしい。そして日本では長い間フルーリーがビオディナミのパイオニアであることが知られていなくても、市場で選ばれつづけていることにとても勇気をもらった”とブノワは語ってくれました。

《 ラエルト・フレール 》
 ティエリー・ラエルトは息子のオーレリアンのことを心配しつつも頼もしく思い、衝突がありながらも、息子が有機栽培の方向へと力を注いでいることを、誇らしく思っています。オーレリアンは以前、有機栽培へと転向はしたけれど、やはり父親の代から支えてきてくれた顧客のことを無視するようなシャンパーニュ造りはしたくない、とも言っていました。
 ヨーロッパでも、ドザージュの少ないものが好まれ、評価される傾向がさらに強くなっているようで、ティエリーはキュヴェ数を絞ってもいいのかもしれないと考えていたところでの来日でした。さらに気を引き締めてワイン造りに取り組まなければ、とティエリーはオーレリアンに電話したそうです。

《 ブノワ・ライエ 》

熱心に説明をするエティエンヌ・ライエとブノワ

 他の2生産者と比べてさらに規模が小さいので、細かなところで独特の考え方が垣間見えます。電子顕微鏡で酵母の観察をして、判断材料にもするそうです。そうかと思えば、馬とロバを飼っていて、動物との暮らしに触れて、とくに動物と植物の共鳴関係について、馬が畑に入るということ自体がブドウ樹に与える影響などと興味父子で来日してくれた、ブノワとエティエンヌです。エティエンヌは26歳で、学校を卒業して20歳の頃から、シャンパーニュ・ブノワ・ライエでワインづくりに関わって来ていた。その間にンセルム・セロスとエルヴェ・ジェスタンで、2年ずつ働いていた。自社での仕事はもっぱら畑仕事。同じ栽培担当のブノワ・フルーリーと移動中もずっと話しこんでいました。父親のブノワも、終始リラックスした様子で、静かなおももちとは裏腹に、セミナーで終始冗談を忘れず、楽しそうにワインやエティエンヌ、それからその弟のヴァランタンのことについて話していました。
 深い話をしてくれました。実はボトルも一つ一つ違うものを使っていたりしていて、かなりのロマンチストな側面もありました。

 

~プロフィール~

合田 玲英(ごうだ れい) 1986年生まれ。東京都出身。
2007年、2009年:
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル:写真左)で収穫
2009年秋~2012年2月: レオン・バラルのもとで研修
2012年2月~2013年2月:ギリシャ・ケファロニア島の造り手 (ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで研修
2013年2月~2015年6月:イタリア・トリノ在住
2017年現在、フランス在住


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