ドイツワイン通信Vol.70
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
和製ドイツワイン用語をめぐって
先日、ワインスクールで教鞭をとっている方から、私が昨年担当させていただいた日本ソムリエ協会教本のドイツワインに関する記述に関して、こんな質問を受けた。「オルツタイルラーゲの数は減ったのですか?」と。改定に際して心がけたのは、現在のドイツワインを理解するのに必要な内容を優先させる、ということだったので、各産地の主要なぶどう畑名の中で近年話題になっていないものを相当数削除した。その中にラインガウの「シュロス・ライヒャルツハウゼン」があり、いわゆる「オルツタイルラーゲ」の一つだった。
ワインビジネスに携わっている方でも、「オルツタイルラーゲ」をご存じの方はそれほど多くないのではないだろうか。数年前のソムリエ協会教本によれば「一カ所にまとまってある大きなぶどう園で、特に許された場合、村名、畑名の併記が不要」ということで、ソムリエやエキスパートの試験対策には以下の5つの畑名を暗記する習わしだったようだ。
シュロス・ヨハニスベルク
シュロス・フォルラーツ
シュロス・ライヒャルツハウゼン
シュタインベルク
シャルツホーフベルク
ところが、試みにネットをドイツ語のOrtsteillageで検索すると、日本語のソムリエ試験対策のページ以外はヒットしない。英語はもとより、ドイツ語でもワイン関係の情報は出てこなかった。これは一体、どういうことなのか。ドイツでは死語となっているワイン用語が、唯一日本ではその命脈を保っているということなのだろうか。
1971年のドイツワイン法
オルツタイルラーゲに根拠があるとすれば、1971年のドイツワイン法に記載があるはずだ。参考までに、ドイツワインの栽培・製造・流通に関する法律全体を「ワイン法令」Weinrechtと称し、その骨格とも言うべき「ワイン法」Weingesetzと、その実行上の規則を定めた「ワイン条例」Weinverordnungに分かれている。しかしこの「オルツタイルラーゲ」という用語は、ワイン法だけでなくワイン条例にも出てこない。
では一体どこに「オルツタイルラーゲ」の法的根拠はあるのか?ワイン法§22b(1)によれば、地理的表記は「ぶどう畑台帳」Weinbergsrolleに記載されていることが前提で、市町村Gemeindeと市町村の一部Ortsteilの名称を用いることができるとある。ここに「オルツタイル」という言葉が登場するが、これは一般的に行政上用いられる地理的範囲を指し、市町村の一部という以上の意味はない(オルツOrt=場所/ 村落/ 町村、Teil=部分)。そして「オルツタイルラーゲ」の「ラーゲ」については、ワイン法§2の22に「特定のぶどう畑(単一畑アインツェルラーゲEinzellage)もしくはそのような畑の集まり(集合畑グロースラーゲGroßlage)」とある。つまり、「オルツタイルラーゲ」という用語はなくても、市町村の一部(オルツタイル)を名乗るぶどう畑(ラーゲ)は存在することが可能なのだ。
「ぶどう畑台帳」の記載
さて、エティケットに記載されるぶどう畑名は「ぶどう畑台帳」に登録されていることが大前提となる訳だが、台帳は連邦食糧・農業省(Bundesministerium für Ernährung und Landwirtschaft、略称BMEL)が管轄しており、公式サイトから閲覧可能だ(http://www.bmel.de/SharedDocs/Downloads/Landwirtschaft/Pflanze/Weinbau/Bekanntmachung_gA_dt_Wein.pdf?__blob=publicationFile)。では、冒頭の5つの「オルツタイルラーゲ」はどうなっているだろうか。台帳の畑名リストはワイン生産地域別になっており、市町村とその一部(オルツタイル)、単一畑、その単一畑の含まれる総合畑と、その総合畑が属する地区(ベライヒ)が一覧表になっている。
Gemeinde/Ortsteil Einzellage Großlage Bereich
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Johannisberg/ OT 複数の畑を含む Erntebringer Johannisberg
Schloss Johannisberg
Winkel/ OT 複数の畑を含む Erntebringer Johannisberg
Schloß Vollrads
Oestich/ OT 複数の畑を含む Gottesthal Johannisberg
Schloss Reichartshausen
Hattenheim/ OT 単一畑なし Deutelsberg Johannisberg
Steinberg
また、モーゼルのシャルツホーフベルクは上記の形式の表には記載がなく、巻末のアルファベット順の「生産地域別市町村とオルツタイル名一覧」に出ているのみとなっている。
地理的表記を定めたワイン条例§39(1)には、ぶどう畑名に必ず市町村名かオルツタイル名を併記することと定められているので、通常はぶどう畑名には市町村名が併記される(例:ベルンカステラー[=市町村名]・ドクトール[=ぶどう畑名])。しかし上記の4つの「オルツタイル」名は、特定の単一畑と関連づけられていないので、「市町村名+ぶどう畑名」という通常の形式をとらず、ただオルツタイル名のみの記載が許されているようだ。
銘醸畑の現在
そのような訳で、「オルツタイルラーゲ」という用語はドイツワイン法関連文書には存在しないが(反証があれば是非ご教示願います)、オルツタイル名のみを名乗るぶどう畑は確かに5つ存在する。ただ、よくわからないのがラインガウには他にもシュロス・シェーンボルンなどシュロスのつく生産者はいくつもあるのに、なぜこの4生産者が1971年のドイツワイン法制定当時、地理的表記に関して特例を認められたのか、という点だ。また、シュロス・ヨハニスベルク、シュロス・フォルラーツ、シュタインベルク、シャルツホーフベルクは現在も存続しているが、シュロス・ライヒャルツハウゼンは現在EBSヨーロピアン・ビジネス・スクールになっており、シュロスの名は4haのぶどう畑名としてのみ存続し、バルタザール・レス醸造所が所有している。
いずれにしても46年前と現在では、ドイツワインをとりまく環境は相当に大きく変化している。確かに当時は銘醸畑といえばラインガウでありモーゼルであったかもしれないが、現在はその他の生産地域にも銘醸畑は続々と登場し、その数は優に100を超える。1990年代から若手醸造家らの活躍で品質を向上させてきたファルツやラインヘッセンに対して、大規模な生産者の多い伝統的産地ラインガウは、高品質な辛口による品質向上を強く主張した生産者達を異端として排除する姿勢を、2000年代前半まで示していた。今でこそ【エファ・フリッケ】をはじめとする若手醸造家達や海外から移住してきた醸造家や、異業種で成功した資産家がブルゴーニュタイプの高品質なワインで知られるようなったりといった例が出てきたが、それも今から10年前くらいから始まったことだ。
そういう状況の中で、未だに「オルツタイルラーゲ」を知っていることにどれだけの意味があるというのか。愛好家やマニアならばトリビアとして知っていても害にはならないかもしれないけれど、それがプロフェッショナルの資格試験問題に出てくるとすると、それはちょっと問題かもしれないなぁと考える次第です。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。