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ドイツワイン通信Vol.68

ドイツワインと親近感

 5月も下旬に入り最高気温が30度を超える日が続いた時、窓から空を眺めていたら、なぜか懐かしい気分が湧いてきた。なぜだろうとしばらく考えて、乾燥した空気の肌触りがモーゼルのそれに似ていることに気づいて腑に落ちた。今でも時々、ドイツに住んでいる夢を見る。バスに乗って大学に向かうところを途中下車してブドウ畑の丘を登っていたり、ワイン祭りから帰宅する際の混雑した停留所に佇んでいたりするのだけれど、トリーアの町の周辺をバスで移動している夢を見ることが多い。あるいは、13年間住んでいた、ベッドと勉強机と小さな食卓のあった20平米ばかりの狭苦しいアパートに大勢の人々が出入りしている夢であるとか、大抵はストレスフルな状況の中で右往左往している。目が覚めるとほっとすると同時に、まだトリーアに住んでいるかのような気分をしばし味わう。

 夏至が次第に近づいている。ブドウの開花まであと2週間ほどだろうか。夜10時すぎまで明るかった空を眺めながら、猫の額ほどのベランダで飲んだ冷えたリースリングのことを思い出す。今年もまたモーゼルに里帰りして、あの頃のようにゆっくりとした時の流れを、ワインとともに味わえたらと願っている。

 

今飲むべきドイツワイン

 ワインズ・オブ・ジャーマニー日本オフィス(以下WOGJ)の企画『今飲むべきドイツワイン』30選が4月上旬に発表されたことは、前回のドイツワイン通信でお伝えした。15本は国内の輸入元から応募されたワインで、もう15本はまだ輸入元の決まっていないワインだ。そして今月、輸入元の決まっている15本のワインを紹介する冊子がリリースされた(http://www.winesofgermany.jp/contents/2017/WOG_201704_select15/)。それぞれにキャッチコピーがついて、味わいの描写、合わせる料理、飲むべき状況がユーモアを交えて提案されている。キャッチコピーは例えばこんな具合だ。

「キラキラとした明るさが、ドイツワイン感を変える白。」A. J. アダム、2011リースリング ドローナー、モーゼル)
「ピュアなのに、複雑。ドイツクラシックスタイルの進化形。」(同、2011ホーフベルク ファインヘルプ、モーゼル)

 ドローナーの「ドイツワイン“感”」は「ドイツワイン“観”」の誤植かもしれないし、意図的なものかもしれない。仮に「ドイツワイン感」という感覚があるとすれば、それはどのようなものなのか。「キラキラとした明るさ」がドイツワインにとって新しい感覚であるとすれば、これまでのドイツワインのイメージはその反対であったのか。また、「ピュア」であることと「複雑」であることは対置されうる事象なのか。さらに「ドイツクラシックスタイル」とは初耳だが、どのようなスタイルを指しているのか、とか、色々と思うところはあるのだけれど、ここは理屈っぽく考えるのではなくサラリと読み流して、言葉遊びを楽しむべきだろう。

 味わいの表現に「ベルベーヌ」という言葉が用いられていて、恥ずかしながら私はそれが何であるかわからなかった。英語ではレモンバーベナlemon verbena、和名は香水木という、南米原産のレモンやはちみつの香りのするハーブで、消化を助け緊張をほぐす効果があり、フランスでは食後にベルベーヌのハーブティーを楽しむことがあるそうだ。昔は長寿・安産・催淫効果があるとされ、媚薬に使われたり、夏至の日に魔力の高まる魔法の草として様々な儀式に用いられたりしていたという。なるほど。アダムのリースリングにそういう要素があると考えると、なんだか飲んでみたくなるではないか。

 さらに面白かったのが、それぞれのワインから連想される消費シーンの表現だ。ドローナーについてはこう書いてある。
「親しみやすいが実は高尚な部分も持つ存在。シロガネーゼが白の着物で着飾り出かけた歌舞伎の初日の、食事の際に飲むような、大人のワクワク感のお供に。」
 親しみやすさと高尚さは相反するものなのかどうかという議論はさておき、アダムのドローナーから和服姿のシロガネーゼを連想した著者のイマジネーションに敬意を表したい。しかも歌舞伎の初日なので、おそらくシリアスで気品が漂いつつ背筋の伸びた味わいだが、どちらかといえば伝統的な印象を受けるワインということなのかもしれない。

 では、ホーフベルクはどうか。
「古典的だが古さはない。結婚式で乾杯のシャンパーニュの次にサーブしたり、盆暮れの家族の集まりに出すなど、家族とちょっといい時間”を過ごす時に飲みたい。」
 古典は古くさいものなのか。現代にあっても常に新しさを感じさせるものが古典ではないのかという議論はさておき、ここには親しみやすさ、扱いやすさ、誰にでも美味しく飲めるワインですよ、というメッセージを読み取ることが出来る。確かに残糖は30g/ℓあって口当たりは良い。ただ、2011年産で瓶詰めから既に5年間の熟成を経ているので、相応の深みや落ち着きと複雑さがあるはずだ。また、上述のドローナーが村名ワインであるのに対して、このホーフベルクはベネディクト派の修道院が所有していたグランクリュなのに、盆暮れに家族で飲むのにふさわしいという設定には若干の違和感がなきにしもあらず、か。結婚式でシャンパーニュの次に供するのは良いとして、グランクリュを大勢の喉をしめらせるため使うのは少々もったいなくはないかといった、少々歯痒くてモヤモヤとした思いが胸中を去来するのだが、いずれにしても、この説明からホーフベルクというワインに親近感は湧くかもしれない。

 この『今飲むべきドイツワイン』のパンフレットは他のワインについても読んでいて楽しい。「ぐりぐりと舌に食い込んでくるような硬質なミネラル感」とか「女性が男性を落とす時と決めた2回目のデートで繰り出してきそう。いい女の策略の小道具に、ぴったり」といった表現を見ると、飲んでみたい、あるいは飲まされてみたいという好奇心や煩悩を刺激されて、ドイツワインって楽しいのかも、という期待感を抱いてしまう。ワインショップのサイトやPOPを使った商品説明に引用すれば目を惹いて印象に残るし、会話のきっかけになりそうだ。そして上等なリースリングを「かちかちに冷やして、どうぞ」はちょっともったいなくはないか、とか、5本掲載されている赤ワインのうち4本に官能、色っぽい、エロスといった表現が出てくるのはいかがなものか、なんていちいち目くじらを立てていては、いつまでたってもドイツワインはポピュラーになれないのだろう。ソペクサの運営するWOGJが著名なテイスター5人に依頼してブラインド試飲で選び抜いたワインを、人気ワインライターが執筆したというこのパンフレットには、恐らく計算し尽くされたマーケティング戦略が反映されているに違いない。WOGJが出展する試飲会などでも配布されるはずなので、見かけたら是非参考にして、ワインとこの解説をきっかけにした会話を楽しみたい。

 

ニューヨークのドイツワイン事情

 実際、ワインを売るにはわかりやすさと親近感が多かれ少なかれ影響するのは、洋の東西を問わないらしい。先月、モーゼルのトリーア在住のワイン商ラース・カールベルクのブログに「ニューヨークのレストランにドイツワインを売る難しさについて」
The Challenges of Selling German Wine to New York Restaurants)という記事がアップされて、一部で話題になった。投稿者はラース本人ではなく、NYのコンサルタント兼ワイン商のエヴァンP. スピンガーン氏だ。去る2月にニューヨークでリースリング祭りRieslingfeier(https://rieslingfeier.com/)というイヴェントがあり、ドイツからの生産者や北米の業界関係者が集まったそうだ。その際のディスカッションで、レストランのソムリエ達はリースリングに夢中でよく理解しているし、顧客も辛口のドイツワインが増えていることは知っていて語りもするが、実際に売れるのは今のところもっぱら甘口なのはなぜか(Americans talk dry but drink sweet)といったテーマが議論されたそうだ。少なくともニューヨークでは、辛口が甘口と同様に売れるようになってきているが、それ以外の地方ではまだ時間がかかりそうだという。 

 しかし販売側にはドイツワインに理解があっても、実際にはレストランではドイツ産リースリングはグラス売りか、一本$50~60以下の利益率の薄い価格帯以下しか動かず、シュペートレーゼ以上の甘口やグランクリュの辛口(VDP.グローセス・ゲヴェクス)はなかなか売れないとスピンガーン氏は指摘する。在庫を持つことはコストを圧迫するので、レストランの経営者は売れ残ったドイツワインをグラス売りするかボトル価格を値下げすることを余儀なくされている。ワインリストは知名度のあるフランスやカリフォルニアのシャルドネが大半を占める一方で、ドイツワインは「その他」のコーナーに押し込められるか、「アロマティックなワイン」とか、最悪の場合は「甘口ワイン」の中に何本か散見されるに留まってしまう。仮に数少ないドイツワインがオンリストされていても、お客は発音しにくいドイツ語で書かれた長たらしい名前を苦労して読むよりは、慣れ親しんだソーヴィニヨン・ブランを注文した方がずっと楽だし失敗しないので、ドイツワインはすっ飛ばされる傾向がある。売れないのでやむなく値下げしても、お客はナパとかブルゴーニュの聞き覚えのあるワインのほうが値付けが高いのは高品質だからなのだと誤解して、結局ドイツワインに手を出さない。たとえ売れなくてもボルドーやブルゴーニュのように、寝かせておけば値上がりするならまだしも、最初から希少で高価なBAやTBAなどの貴腐ワインを除けば、ドイツ産リースリングではそれも期待出来ない(一般にグローセス・ゲヴェクスなら少なくとも10年は熟成すると言われているが、それは値段とは別の話)。

 また、ドイツワインはコストパフォーマンスが非常に高いということが盛んに言われた時期もあった。NYのレストランではプロセッコやオーストラリアのシラーではそれで成功したが、ドイツ産リースリングでうまくいかなかったのは、リースリングそのものに問題があるのかもしれないとスピンガーン氏は指摘する。実際、ジャンシス・ロビンソンも2014年9月30日付けのブログでこう述べている。「…次第にわかってきたことは、リースリングは幅広い消費者をひきつけてブームをひき起こすには、ある意味個性が強すぎるということだ。リースリングの問題は、シャルドネやピノグリと違ってフレイヴァーがとてもパワフルで(中略)それを嫌う人も中には出てくる」と書いている(http://www.jancisrobinson.com/articles/riesling-will-it-ever-catch-on)。資本主義においては一般に、品質は物を売るのに必ずしも必要ではなく、アメリカ人がファストフードを選ぶのは、品質が劣っているとしても手軽でわかりやすいからだ。一方ドイツワインは細長い妙なボトルに入っていたり、形や色に色々とヴァリエーションがあって、ドイツ語で書かれたものすごく読みにくいラベルが貼ってあったら、なかなか買おうという気にはならないだろう。“GG”とか“Großes Gewächs”といった専門用語が重要な意味を持っていて、しかもそれがワイン法とは関係ないVDPの自主規制による格付けだなんて、お客が聞いても一層混乱するだけだ。「何、VDPだって? あーわかった。今日はサンセールでいいよ」となるのがオチだ。

 1971年のドイツワイン法で単一畑が統合されて果汁糖度が格付けの際の品質基準となり、バルクワインが横行し、リープフラウミルヒが甘くて手頃な価格のワインとして人気を博した80年代までのイメージが、カビネットやシュペートレーゼといった、ドイツでしか出来ない貴重な甘口を、未だに二流品扱いさせているのは残念だ、とスピンガーン氏は述べている。またニューヨークにはドイツ料理で評判のレストランが皆無なことも問題だ。フレンチやイタリアン、スペイン料理を出すレストランなら無数にあって、それぞれがその国のワインを多数オンリストしているが、ドイツレストランと言えば南部のバイエルン地方をコンセプトにしたビールやソーセージを売りにしたレストランが知られている程度で、高品質なドイツワインに相応しいドイツの伝統的な料理を提供する店ではない。だがドイツ本国に美食文化がないかというとそんなことはなく、ミシュランの三つ星レストランが2016年版で10軒あり、これはイギリスの4軒、スペインの9軒よりも多い。ドイツの伝統を生かした高品質なドイツレストランがニューヨークに出来ればと願わずにはいられない。

 といったことをスピンガーン氏は書いている。彼のこの記事に対してはいくつか興味深いコメントがあり、ケンブリッジのアメリカン・フレンチレストランCraigie on Mainのソムリエ、カール・ヨーク氏は以下のように指摘している。Craigieのワインリストではリースリングがブルゴーニュの赤よりも多いし、トロッケンと記載がなくても辛口に感じられるワインは辛口のコーナーに記載して売れるように工夫している。GGも$110を若干下回る値段だが、飛ぶようにとはいかなくても地道に売れているし、コスパという点ではブルゴーニュに比べたらずっと良い。ドイツワインを売るにはドイツ料理レストランである必要はない。ただ、ドイツワインが存在感を持っている、品揃えのしっかりしたワインリストが必要だ。スタッフもリースリングは料理に合うと考えているし、ドイツやオーストリアのワインがよく売れているそうだ(Craigie on Mainのサイト:https://www.craigieonmain.com/)。

 

ドイツワイン・セミナー等の増加

 ドイツワインに親近感を抱いてもらい、購入時の不安感やためらいを減らすには、上述のWOGJのパンフレットが役立つだろう。ドイツワインの認知度を上げるためには、販売に携わる人々の理解を深めるための試飲会やセミナーの開催や、SNSやネットを通じた地道な広報活動が欠かせない。試飲会やセミナーに関しては、最近すこしずつ増えている気がする。例えば日本ドイツワイン協会連合会の主催する『ドイツワインの基礎』シリーズや、その下部組織であるケナークラブが主催するセミナーやワイン会、東京ドイツワイン協会のドイツワインフェストなどのイベント、フェイスブックの東京ドイツワインサークルがほぼ月イチで開催するセミナーなどがある。他にも西新宿のドイツワインレストラン「リースリング」で時々開催されるセミナーや、ドイツワインに力を入れている輸入商社が毎年定期的に開催する試飲直売会の他にも、生産者の来日に伴うセミナーや食事会、さらにワインショップやカフェなどで開催される小規模なセミナーの告知をしばしば目にするようになった。良い傾向だと思う。

 日本市場におけるドイツワインの風向きは、すこしずつ変わりつつある。それだけは確かなようだ。

 

(以上)

 
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