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Sac a vinのひとり言 其の四「ソムリエの五月病」

合わない、ということ

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢わんとぞおもふ。
ソムリエ的には地のワインに地の料理の素晴らしさを謳う愛の唄 と勘違いしたいものである。
流れを同じくし、共に過ごして来た一つがいが、突然の別離にあい離れ離れに相成りましたが、何たる宿業か行き着く先は同じ胃袋たり得た、正に比翼連理、国士無双に月下麗人である。
Comté にvin jaune,boudin noir にkabinett、cervelle de veau にbalbera d’alba、Beaujolais にcharcuterie . 正にヤマハブラザーズやサイモンとガーファンクル、テンコジの如きnice team,1+1が200になるやうな相棒とでも呼ぶべき存在が佳酒と佳肴には存在する。
で、あるが悲しいことに浮世には不倶戴天の敵としか言えないお互いの足を引っ張りあう組み合わせも存在するのである。quelles misérables!
熱したクレソンと白ワイン、取り分けsauvignon blanc は成田離婚をしているマリアージュ
生牡蠣に高アルコール且つ高タンニンの赤 例えばぺゴーのダ・カーポ、まるでアントニオ猪木とカシアス・クレイの世紀の真剣勝負のごとく噛み合わない。
因みに私は牡蠣には赤ワインの方が美味しいと思っている人間であり、シャブリと牡蠣が大っ嫌いである。
とまあ、書いているだけで自分にダメージがある酷い組み合わせが世の中には多々あり、お客様には絶対に出してはいけない。
ただ、マリアージュというものを考えるときにかやうな組み合わせ達程アナライズに役に立つモノは無い。
AとBが合わない、悪い箇所を引き立て合っていると言うのは簡単である。では、実際のところそのAとBの含有ないし内包するどのやうな要素がこういった状況を引き起こしているのか検証することにより、そこからAのαという要素とBのβという要素が¨合わない¨と判断すると、ではαという要素が取り去られた場合またはαからφに変化した場合はどのように成るのか? と思考の触手をうねうねとアメーバ状に伸ばして行くことが出来るのである。

特に
「合っているマリアージュは論理的とは限らないが、合わないマリアージュには必ず合わないロジックが存在する」 為、思考実験や理論の構築の際には至極便利且つ有用である。
まあ思考するだけに留まらず、実際に試すかどうかは各々の裁量に委ねるとする。 身に染みて理解は出来るが、合わない時の苦しみと悲しみ、そして何故かやうなことをしたのかという虚無感も味わわなければならないのだから。

 

マリアージュの思考形態

袖振り合うも多生の縁
何か前世で余程良い功徳でも積んだのか、皆様に斯様な拙著をお披露目する僥倖をラシーヌ様に頂いているが、皆様の中の多数の方が
「彼奴は実際どのやうな仕事をしているのか?」」
「 大言壮語を吐いているが、実地で物の役に立っているのか?」
等と思われているであろう。
至極当然である。
而して実際皆々様方に証明するのは少々難しいので、私がマリアージュを決定する際の考察から意思決定に至るまでを文章におこしてみやうと思ふ
余計に不安になる方もゐるかも知れませんが、まあ其れはご愛嬌、笑って許して♪ と相成りたい。

例1
肉じゃが
1,用いられるのは何肉か?
 豚?牛?鳥?
2,関東風?関西風?
3,出汁は何か?カツオ?昆布?アワセ?あご?
4,ジャガイモは?メークイン?男爵?新じゃが?
また、火の通し加減は?
キッチリ形が残っているか? ドロドロか?
5,醤油は濃口?薄口?たまり?
6,みりんor砂糖?
7,糸こんにゃく?白滝?
8,オカズ風?小料理屋風?割烹風?
等々、パッと此のくらいの選択肢が思い浮かぶが、例えば
関東風牛ばら肉と男爵芋、白滝でみりんと濃口醤油で形が崩れるまで煮込む家庭風 ダシはカツオが少し
とすると
パラメータが
風味 塩味は醤油由来、甘さはみりんと玉葱と馬鈴薯の甘み。カツオダシの押し出しの強いパッツンとした乾いた香り ばら肉の脂ギッシュなニュアンス
多層的な甘塩っぱさとリッチさ
食感 ジャガイモの他の素材に纏わりつくデロデロ感、白滝のシコシコ、ばら肉の脂のプルプル感、玉ねぎのムッチャリ感
総じて柔らかく飲み込むスピードは早い ミディアムからフル
温度帯 60℃位から始めて、スイートスポットは45℃位?
アツアツより温かい位が真価を発揮する。

以上を踏まえて之に合わせるワインのパラメータを考察すると
酸味が余りきつくない物で、素材の甘みに収斂性、味付けの甘みに果実味を対応させる。又は口内に乾きを覚えるような収斂性を馴染ませることにより、野菜のエキス分とバランスをとらせる。
対応ワイン
白 saint péray,pinot gris VDT,出来ればblanc de noir。
新樽で収斂性が前面に出ているワインだとより効果的。
赤 valpolicella, madiran, Tempranillo
樽は古樽比率が高いものが好ましい。

とまあ普段のマリアージュの際の選択理由を文章化するとこんな感じになる。
まあ あくまで理屈は理屈、選択の際に有用ではあるが、その通りにやると絶対に合うか? と言われると必ずしも完璧ではない事もある。
胃袋に従ってみるのも時には一興ではある、しかも打率が高いから面白いものである。

 

合わせるということ

想像して下さい。
貴方の目の前にサンザシを使ったカリカリの豚肩肉の香り高い酢豚があります。
何を合わせましょうか?
甘酸っぱさとボリューミーさに合わせてアマローネレチョート?
香りの方向性をシンクロさせてエペルネイのchampagne rosé?
甘みを重ね合わせるAlsace pinot gris vendange tardive ?

収斂性で味を引き締めるジョージアのツォリコウリのクヴェヴリ熟成?

そのどれもが正解である。
料理には、殊に複雑な一皿には様々な表情が存在し、また合わせられるワインも又同様に存在する。
少々穿った見方をすれば先ほど述べた極端に合わないマリアージュを抜かせば、大体の料理は大体のワインに合わせることが出来る、と恣意的に捉えられる。
ならばマリアージュという仕事は余り意味が無いのでは無いか?
と思われる方々もいらっしゃるだろうが、私としてはむしろ、だからこそソムリエという仕事の重要性が増す、と言いたい。
自身が属している店舗の料理とワインの在庫を誰よりも把握し、理解している我々が顧客とTPOに合わせた選択以上に良いものはそうそう無い、またそう思いながら提供しなければならない。
(評価は我々自身ではなく、エンドユーザーの顧客が行うものである)
その選択が正しいか正しくないかは重要ではあるが、それ以上に大切で我々が念頭に置くべきなことが
「お客様と料理に対して自身がどのような合わせ方をしたいのか?」ということである。
合う合わないは単純に経験と感性の問題で、ある意味では変化も改善も出来にくい。
しかし自身がどのような楽しみや味わいをお客様に提案して行くかは、ルーキー ベテラン 天才 凡骨 全く関係無く、またそこに感応して需要が生まれて来るのは全国津々浦々、七つの海を跨いでも人種が変わろうとも 変わらない点である。
噛み砕いていえばクォリティを追求するのは当然であるが、ニーズを満たすためには自身の立ち位置や利用方法を明確にして且つ対外的に発信すべし とでも言おうか?
よく
「良いものを作ってゐればお客様は必ず着いてくる」
という方々がいるが、 自身の志向や使い方を発信せずに「品質が良いから来てください」等というのはプロフェッショナルとしてあまりにも傲慢である、と感じる。品質の追求はプロフェッショナルの義務であり喜びであるが、其れを理解して頂く努力を惜しまないことこそが我々の最も重要な職務の一つである。

合わないことを恐れるよりも合わせることに腐心して、顧客に自身の主張を理解してもらえない 其れこそがプロフェッショナルが真に恐れるべきことだと私は言いたい。


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