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合田玲英のフィールド・ノートVol.47 《 トスカーナ小話 》

公開日: : 最終更新日:2018/02/05 ライブラリー, 新・連載エッセイ, 合田 玲英のフィールドノート

 トスカーナ小話 》
 本を熱心に読む方ではないけれど、ワインを通すと歴史の話もより面白く聞くことができる。トスカーナに来ると町の美しさに圧倒されて、ワインにまつわる話にも俄然興味が湧いてくる。ジャンフランコ・ソルデラは「ワインを知ることは、地域の歴史と美術から日々の作法まで全てを知ることと同じだ。逆にそれらを知らなければワインを知っていることにはならない」と言う。その後に、「お前は何も知らないな」というお言葉もいただいてしまった。

 

《 Badilante 》
【ポデーレ414】では、今年あらたにバディランテというキュヴェをリリースする予定だ。”badilante”とネットで検索すると、スコップを持った農夫たちの写真が出て来る。

シモーネと【ポデーレ414】のスタッフ

 中世のトスカーナでは何世紀もの間、マラリアに悩まされてきた。現在は海辺に少し自然公園として残っている沼沢地帯は、かつては海岸から15km離れたグロッセートの街の周りまで広がっていた。湿地にマラリア蚊の発生する夏、人々は街に住むことができず、標高の高いところへと移動していたそうだ。トスカーナの中世の街が丘の上にあるのは、マラリアを避けるため、というのも理由の一つだという説もある。
 干拓自体は何世紀もの間少しずつすすめられてきたそうだが19世紀に大規模な事業が始まった。大規模といってもトラクターやシャベルカーなどのない時代、灌漑用水路は全て手作業で作られた。マラリア蚊が発生するから、作業は寒い時期だけだったのだろうか。そして暖かい時期に作業員は高地へと移動して、放牧したり畑を耕したり、ちょっとワインを作ったりしていたのかなあ。


 2014年まで、【ポデーレ414】の赤はモレッリーノ・ディ・スカンサーノ一種類を作るのみだった。しかし、2014年のように夏季の雨が長引いたり、2015、16年のようにあまりに乾燥していたのに雹が突如降ってきたりと、経験に無い気候の変化が増えてきた。ブドウを狙いどおりの熟度に導くのが難しい年が多くなったので、オウナーのシモーネ・カステッリはセカンドラインとして早飲み型の赤ワインを作ることにした。今まで1つのキュヴェしか作ってこなかった同じブドウから、モレッリーノ・ディ・スカンサーノとトスカーナ・ロッソ(バディランテ)を作りわければ、モレッリーノ・ディ・スカンサーノの個性を高く保つことができる。
 【ポデーレ414】のワインは、生産量の20%以上が地元グロッセートの街で売れている。多くのワインが市場を海外に求めている中で、地元でそこまで消費されているのは驚いた。観光客が多いおかげもあるのだろうか。あまり語られることのない、偉大な仕事(干拓)をした昔の人たちのことを、少しでも知ってもらえたらと、ワインのエチケットにはジャケットを着てスコップを持った男(badilante)が、手押し車にねそべりタバコをふかしているところが描かれている。

 

《 La Diana 》
 中世に栄えた街は、どこでも大きな川や湖などの水場が近くにある。ただ、シエナは例外の1つで、丘の上にたたずみ、ヴェローナやフィレンツェなどのように川があるわけでは無い。そのため12世紀にシエナ共和国が興る以前からも、そこに住む人々が多くの井戸を掘ってきた。すると井戸を掘りに地下へと降りた人が口を揃えて、まるで大河がながれているかのような音がする、と言ったそうだ。いつしか、その大河は「ラ・ディアーナ」と呼ばれるようになった。のちにダンテが神曲にその名を引用したことから多くの人の知るところとなった。13世紀にシエナ共和国政府の命令で、その「大河」を見つけようとさらに多くの井戸が掘られ、地下通路は互いにつながって、最終的には25kmにも達した。通路の形がワイン貯蔵用の大樽(ボッテ)の形に似ていることから、この地下通路は「ボッティーニ」と呼ばれている。結局「ラ・ディアーナ」は見つからなかったが、地下通路の壁面を伝う水滴はボッティーニの各所に設けられた貯蔵槽に集められ、現在も噴水などに使用されている。

 

《 パブ 「La Diana」 


 2014年1月、シエナでラ・ディアーナという名のパブがオープンした。パブの名前はもちろん前述の伝説から来ているのだが、ラ・ディアーナではシエナ近郊でビールも作っている。8人のシエナ周辺に住む麦農家、ビール生産者、バリスタが協力してビール事業を立ち上げ、シエナの周囲の素材だけを使ってビールを生産している。
 ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの造り手である【ライエッタ】のフランチェスコ・ムリナーリも、その共同経営者の一人。先だってのワイナリー訪問時に、この話をしてくれた。30代前半のフランチェスコは、数年前から馬による畑の耕作を他の若手のブルネッロ生産者と始め、地域の伝統や文化に即した自然なワイン造りを自分の納得のできるアプローチで進めている。トラクターの代わりに馬による耕作を導入し、毎日の仕事に20%労働時間を増やすことで、長い目で見た時の利益は大きく増えるという事をテーマにした本も書いている。

【ライエッタ】フランチェスコ・ムリナーリ

 フランチェスコは地域のブドウ農家以外の農家にも友人が多く、ブドウに比べて麦の値段があまりに低いことから、どうにかできないかと皆で思い立った。さすがにビール醸造用の水はボッティーニの水を使用、というわけにはいかなかった。けれども「0km」をモットーにして、南トスカーナのモンタミアータ火山の地下水を使っている。ラ・ディアーナでは7種類のビールを造っていて、たとえばベアトリーチェなど、どれもダンテの『神曲』に登場する女性の名が名付けられている。いかしている。

今回のワイナリー訪問でも二つの素敵な話が聞けた。本当に知らないことばかりだ。

 

~プロフィール~

合田 玲英(ごうだ れい) 1986年生まれ。東京都出身。
2007年、2009年:
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル:写真左)で収穫
2009年秋~2012年2月: レオン・バラルのもとで研修
2012年2月~2013年2月:ギリシャ・ケファロニア島の造り手 (ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで研修
2013年2月~2015年6月:イタリア・トリノ在住
2017年現在、フランス在住

 
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