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ファイン・ワインへの道vol.8

“偉大な年”は本当に偉大なのか??

「決定的に美味しいはず」で「どのメディアも、褒めに褒めちぎっている」、グレート・ヴィンテッジのワインを、満を持して開けて、肩すかしに遭った経験、皆さんも多くないですか?
しかも、しかるべき生産者、しかるべきクリュの“勝負ワイン”でさえ。
「あれッ? なんだかおとなしいな。表現力に乏しいな。ちょっと味が平板?? う~ん、偉大な年という割には、期待したほどでもなかったかなぁ(ガックリ)」というような感じです。
 輸送と保管には問題なさそう。コルク健全。抜栓数日前にワインを移動させた訳でもない。ビオディナミ・カレンダーは花の日、または果実の日。月齢は2日め~15日めまでの間。収穫から10年~30年待って、閉じている期間は過ぎているはず・・・・。と、ワインの機嫌を損ねる要素は、ほぼ排除されていても、です。とするとなんとなく推測されるのは、
「本当は、メディア(やワインの売り手)が言うほどまでは、偉大なヴィンテッジじゃなかった」という可能性です。
 その可能性を、私に単刀直入に諭したのは、かのアレッサンドロ・マスナゲッティ。イタリアを代表するワイン批評書エスプレッソ・ガイド初代編集責任者で、近年、計700ページ近くのバローロ、バルバレスコの壮大な大著を発表した大御所です。
一昨年、アルバのとあるレストランで、バルバレスコ1987/ロアーニャと、バルバレスコ・アジーリ1990/プロドゥットーリ・デル・バルバレスコを、なぜか2人だけでじっくり開けていた時のこと。ロアーニャの1987の豪快・壮麗に弾け、広がる革・スミレ・トリュフ香に対し、アジーリ1990はいつまで待っても開かず、香りも味わいも地味というか、全く単調。「期待外れだな~」と悶々としている筆者に、スパッとマスナゲッティ氏はこう言いました。
「その失望は、“偉大なヴィンテッジ”によくあることだ。偉大、とされるヴィンテッジは、本当は暑すぎて、期待した熟成感を発揮しないことが往々にしてあるのだ」と。
 すかさず「バローロだと、歴史的ヴィンテッジとされる1978よりも、その陰に隠れた1979のほうが、むしろ偉大なワインが多いように、経験的には感じるんですが、そのようなことですか?」と尋ねると、
「まさにそのとおり。1985もそれに近い」、と大御所は微笑んでくれました。

 偉大とされる年の落とし穴について、もう1人、またも大胆かつ超・直球な表現をしてくれたのが、他ならぬアンジェロ・ガイア。4年ほど前、バルバレスコのガイアのセラーで、彼の単一畑3種、2007と2008を比較試飲していた時のこと。当時の評価では、暑くパワフルなヴィンテッジとなった2007が圧倒的高評価で、涼しくやや雨も多かった2008の評価は低かった。ところが試飲すると、2007は確かにパワフルでボリューム感やタンニンの存在感はあるものの、卓越したネッビオーロに期待する陰翳、奥行き、妖艶さがどうにも乏しい。逆に2008は、酸やタンニンの質感自体に、まるで魔界の迷宮的なセクシーなドラマ性と深み、格調高さがあり、個人的には2007は2008よりかなり劣るように感じられました。そこで
「2007はアメリカ人好み。2008はイギリス人と日本人好みの年でしょう。2007は、やや奥行きと深みに欠ける気がしますけど」と感想を伝えると、ガイアは「アメリカ人にも鋭い人はいるのだが・・・・」とさすが紳士的に前置きした上で「2007のアメリカでの熱狂的なセールスには驚いた。出荷開始直後に完売した。2008はそうでもない。確かに、2007のような暑い年には、ワインの味がフラットになってしまう。暑さが、ワインの陰翳を押しつぶしてしまうのだ」と語った。
 なんて正直な人。なんて大胆な表現。
 生産者が、一応ジャーナリスト(の端くれ)に“フラット”なヴィンテッジという表現を使ってくれたケースは、後にも先にも、ちょっと記憶にありません。
 最近は、ヴィンテッジ・チャートによっては2008の評価が上方修正されているものもあり、依然、2007のほうが上、というチャートもある。

 ではなぜ。偉大とされたヴィンテッジが“フラット!”な味になってしまうのか。
 そのことに、またも単刀直入に答えてくれたのが、カステッロ・ディ・カッキアーノのオーナー、ジョヴァンニ・リカーゾリ・フィリドルフィ。今や神格化される一方のトスカーナの巨匠エノロゴ、ジュリオ・ガンベッリが長年監修した、キアンティ・クラッシコの名門生産者のオーナーです。曰く、
「結局、アメリカ勢を中心にしたメディアが、“暑い年=パワフルな年=偉大な年”という単純至極な基準と舌で、ヴィンテッジを評価するからだ。さすがに2003みたいな超異常気象時は例外だったが。それにせよ、一般的に偉大な年とされるヴィンテッジの中には、暑すぎてワインの深みとフィネスが欠けてしまった年が無視できないほど多い。例えば私は、世界中でトスカーナの歴史的当たり年と激しく絶賛された1997のワインも、あまり好きじゃないね」。
 またも、なんと正直なイタリア人。他ならぬ1997まで、お好きじゃないと公言されるとは。これはそうとう、“グレート・ヴィンテッジ・コントラディクション(矛盾)”の根は深いと・・・…素直に猜疑心を深めるべきかもしれない。

 かく言う私も近年、生産者と共にここ十数年のワインを垂直試飲している最中、つい口を突いて「ノーマル・ヴィンテッジの方が、私は好きですね。陰翳とフィネスが豊かで」とか、「この年は、メディアで言われてるほど偉大な年とは思えないですね。なんだか味の底が浅くて、シンプルで」との言葉が、思わず出ることが多い。

 そんな不躾な私が「ノーマル・ヴィンテッジの方が好き」と言った瞬間、即「私も!!」と力強く返してくれたのはビオディナミ・ブルネッロの女傑ステッラ・ディ・カンパルト。「2004と2000はトスカーナの偉大な年とはとても思えない」と言った際「ワインのフィネスに着目する際、その意見は絶対に正しいと思う。パワフルさが評価された年だろう」と返してくれたのはモンテプルチアーノで1000年の歴史を誇るコントゥッチのアンドレア・コントゥッチ。
 ともあれ、私のそんな不躾・無遠慮なコメントを、ボンボン生産者にぶつけ続けた末、とうとう出てきたのが次のコメント。
先のガンベッリ監修カッキアーノのオーナー・ジョヴァンニ氏曰く

「真に偉大なワインは、ノーマル・ヴィンテッジから生まれる」。

 爆弾発言? いや、言い得て妙か。
知らなかったのは私だけ、であることを祈ります。
とはいえ、つい最近開けたエドアルド・ヴァレンティーニのモンテプルチアーノ・ダブルッツォ1985はどうにも偉大で・・・・、つまり“期待通りの偉大な年”も当然あり、ほんとうに、ワイン選びに先入観は禁物ですね。

さて、真のグレート・ヴィンテッジは何処に・・・・・?

 

追伸:
本文に引用した生産者コメントの多くは数年にわたり「ヴィノテーク」に頂戴したピエモンテ、トスカーナ取材の機会に得たものです。今年5月1日発売号には、この2月の取材記事「サンジョヴェーゼ・ピューリタンの勝利」(仮題)が出ます。カトリックの総本山の国で、ピューリタンの勝利を語る、向こう見ずすぎる論ですが・・・・・、ご笑覧いただければ幸甚です。

 

今月の、ワインが美味しくなる音楽
ムジカ・ナチュールなアコースティック音の春らしさ。
V.A.『クワイエット・コーナー 心に寄り添う音楽集』

 その響きは、まるでヴァン・ナチュールならぬムジカ・ナチュール。ほっこり、ほのぼのと気取らず、肩の力のぬけた静かで美しいアコースティック・サウンドを、世界の隅々から丹念に蒐集した名作コンピレーションです。
イギリスの知られざるシンプルSSW、静謐なブラジリアン、音の隙間を聞かせるジャズ・ピアノなどなど。広大な音ジャンルを横断しつつ、アルバム全体のトーンを、まるでお花見しながら極上ヴァンナチュール・ロゼで少しホロ酔い・的な静かで美しく幸せなトーンにまとめた選曲の妙は、どうにも圧巻の域です。
 個人的には、やや亜硫酸多めのワインが何故か目の前にある時でも、このCDをプレイすると、亜硫酸の不味さが少しだけ隠れるような気さえするのですが・・・・・・。
 それは、気のせいですよね。きっと。
https://vimeo.com/28530882

 

今月のワインの言葉:
『ワインを学ぶには人生はあまりに短すぎる』 パオロ・ディ・マルキ(イゾレ・エ・オレーナ)

 

寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載中。


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