*

『ラシーヌ便り』no. 134

 新年おめでとうございます。 皆様にとりまして、健康で幸多い一年でありますようにお祈り申しあげます。
お知らせしましたように、ラシーヌは1月10日から新オフィスで営業を始めます。 年末に事務所1階部分を移転しましたが、1月7日に残りすべてを移転します。
 顧みれば、図らずもラシーヌを創業することになり、仮初めに選んだ四谷三栄町の一角を転々としました。けれども早や13年を数え、多くの思い出があるだけに、この地を離れることは感慨深いものがあります。オフィスが手狭なため、やむをえない転居ですが、幸い事務所と試飲室を同一階に設けることができました。新しいオフィスでの希望を胸に、社員一丸となって邁進しますので、倍旧のお引き立てをお願い致します。
 2月8日に新オフィスでのオープン試飲会を開きます。テーマはピノ・ノワールです。新しい環境でのテイスティングに是非お越し下さい。

 

 1)メディアでのご紹介
昨年ラシーヌは、いろいろなメディアにご紹介いただきました。一つめは、“Liberation”紙(フランスの新聞)。
記事:"Vins Nature, Le Japon Accro Aux Crus Francais (LIBERATION-2016/11/4)“
京都に在住するリベラシオンアジア特派員のアルノー・ヴォルラン氏が、日本でのヴァン・ナチュレルのムーヴメントを故郷アンジュで耳にし、ラシーヌに訪問してくださいました。 本稿3)に翻訳してあります。

続いて、ベルトラン・セルス氏(パリ在フランス人、英語でブログ配信)。

img_1085-1

記事:"Wine Terroir Article of Yasuko Goda by Bertrand Celc"
取材いただきましたのは2015年11月終わりです。

Noma Japan についてのドキュメンタリー映画が現在放映されていますが、ワインの公式サプライヤーとして、ご紹介いただいています。

 国内では、池田書店から出版された次の書籍のなかでご紹介いただきました。
『おいしいワインはインポーターで選ぶ!』(美味しいワインの見分け方;それは裏ラベルのインポーターにあり)

 

2)初アメリカ訪問

 昨年11月に、初めてアメリカを訪れ、ヴァン・ナチュールのイベント「第一回RAW Wine」フェアに参加。
造り手、ジャーナリスト、レストランの方々とお話しする機会に恵まれました。ラシーヌの活動が、造り手の方々を通じて世界中に発信されていることを知り、驚きました。 これまでヴァン・ナチュールは、フランスの諸都市や他国よりも早く輸入を始めた経緯から、日本に優先的に輸出されてきました。たとえばアメリカには、シュレールとイヴォン・メトラは蔵元から直で輸入されていません。ですから、ニューヨークのレストランは、フランスのワインショップなどで数本ずつ購入して持ち帰り、オンリストしているようです。“Naked Wine”や“For the love of wine”の著者であるアリス・フェアリングは、「日本に行って、シュレールの素晴らしいワインを飲みたいわ、ニューヨークにはないのよ。日本には古いヴィンテージがたくさんあるのですってね」 と言っていました。 20数年を経て、ヴァン・ナチュールが北欧、オーストラリア、アメリカ東海岸で、しっかりと根付き始めていることを実感しました。近年ヴァン・ナチュールは随分値上がりし、日本のマーケットでは4000円を超えるワインの販売が、難しくなってきています。日本と物価感覚の大きく異なるこれらのマーケットに、価格の高いワインが、優先的に仕入れられていく流れを強く感じています。

img_0568%e3%80%80%e3%83%ad%e3%82%a6%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%b3

 さて、アメリカの国産ワインについては、最近は軽やかな味わいをめざす流れがでてきて、「新カリフォルニアワイン」と称して、日本でも複数のインポーターによる試飲会が行われています。RAW WINEでは、ヴァン・ナチュールの考え方で造られたワインも出展されていました。 ニューヨークのマーケットを見ようと、軽い気持ちで北米に行ったのですが、たまたまその期間にRAW WINEが開かれました。

 北米では、評価の高いワイナリーやナチュールな醸造を目指すワイナリーを数軒訪問しました。いずれも、まったくアメリカ・ワインに無知な立場が勝手に思い込んでいた従来のアメリカ・ワインに思い描く世界とは程遠いスタイルで、驚きました。疑問を持たずに買いブドウで作っているにしても、十分にその人らしく面白いと思うものもありました。この地にも自根の畑が栽培され、花崗岩質の土壌ではフルーティなワインが生まれていました。

img_0535%e3%80%80%e3%83%ad%e3%82%a6%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%b3

 

3)『リベラシオン』 2016年11月4日付け記事を翻訳でご紹介します。

fullsizerender

Vins Nature, Le Japon Accro Aux Crus Francais (LIBERATION-2016/11/4)

ヴァン・ナチュール、フランスの上質ワインに魅了された国、日本。
東京特派員、アルノー・ヴォルラン執筆、2016年11月4日18時11分付

 新しいもの、そして個性豊かな醸造家を追い求め続ける日本の消費者たちにとって、フランスのビオワインは、更にその魅力を増し続けている。
 ロワール河とレイヨン川に挟まれるようにして流れるルエット川が、蛇行を繰返すことで生み出したこの地方で、7月のその日の夜も、日本は、ただ、果てしなく遠い国の一つとしか思えなかった。グロロー(訳注:赤ワイン用のブドウのセパージュ)の入ったグラスを囲んでいるところに、その男は突然、姿を現した。ディレッタント(文芸愛好家)として知られるこのブドウ栽培家は、面白がりながら、友人の一人を驚かせたある出来事を語り始めたのである。ある朝、彼の元に、一人の日本人輸入業者が通訳を連れてやって来た。そして、彼が天塩にかけて創り上げた、ブドウ本来の味を活かすために人工的なものを一切加えていない、所謂、ビオ・ワイン(ヴァン・ナチュール)の、全量を買い取りたいと告げたというのだ。
 東京の落ち着きのあるオフィスでこの話しを聞いた合田泰子は、思わずその口元を緩めた。ラシーヌという会社を率いる、妥協を許さないエピキュリエンヌ(女性美食家)は、日本にヴァン・ナチュールの輸入を早期に始めた輸入業者の一人であり、この逸話がどのような光景の中で起こったのか、容易に想像できたのである。バッグを肩にする相棒の塚原正章と共に、レンタカーを乗りまわす合田は、ヨーロッパの田舎を定期的に回っては、新しい「発見」、ヴァン・ナチュールの新たな作り手の逸材を探し求め続けている。そして、つい最近のこと、喜びと興奮と共に、思わず「やっと見つけたわ!」と、彼女が声を上げるような出会いが訪れた。それは、エンビナーテを訪れた時のこと。「カナリア諸島の岩だらけの急斜面に、4人のスペイン人が力を合わせて育て上げた見事なブドウ畑が広がっていたのです。彼らの作るワインは絶妙としか言いようがありませんでした」。
 ワインに対する熱い想いを語るとき、合田は、多少の誇張は恐れない。喜びと、「旨味溢れる」形容詞を畳み掛けるように繰り出すのである。感情表現には極端に控えめだと言われる日本人には珍しいことである。ヴァン・ナチュールの日本におけるアンバサダーとして活躍する彼女は、20年前から大きな成長を続ける日本市場が更に拡充していくこの瞬間を、今、喜びと共に噛みしめている。
 「一味違うわね…」。合田が、この仕事を始めた時、ヴァン・ナチュールの将来に賭けようとする輸入業者はほんの一握りしかいなかったし、本国フランスでも、大手ワイン業界でこの取組みに敬意を払うものなど、皆無だった。今日では、30を超える日本企業が、輸入している。2015年の実績で、ラシーヌは、60万本近く*のワインを仕入れているが、その大半がフランスのワインである(*原文45万本。事実にもとづいて訂正)。「もし、日本人が買ってくれなかったら、フランスのビオ、或いはヴァン・ナチュールの生産者は、風前の灯だったろう…」。こう語るのは、ラシーヌと共に、ヴァン・ナチュールを日本に紹介したパイオニアの一人、フランソワ・デュマである。「日本人のお蔭で、生産を軌道に乗せることが出来た。長い付き合いが出来て、真面目で、金払いの良い日本人を、フランスのブドウ栽培家は、皆、好意的に思っているよ」。デュマは、昨年、4万本以上を日本に輸入した。ワインによっては、日本の地を踏む前に、既に買い手の付いてしまっているものもあるほどである。
 エーテルヴァインは、年間に13万本のヴァン・ナチュールを販売しているが、その多くが、フランス、そしてイタリアワインである。
 確かに、年平均、一人当たり2リットルを僅かに上回るほどしか消費しない日本のワイン愛好家は、ビールや日本酒、ウィスキーを愛する酒豪たちを前に、大きな存在感を示しているとは決して言えない。しかし、輸入業者も、小売り業者も、最低でも2千5百円(21ユーロ相当)はするという値段にもかかわらず、ヴァン・ナチュールへの日本人のニーズを掻き立てる術を見事に心得ていた。「日本には、新しいもの、一風変わったものを愛する文化があります。(そんな中で、)フランスで、続いてイタリアで、ビオ、ヴァン・ナチュールが作られるようになった時、大胆で冒険を厭わない若い人たちが、すぐにその魅力にはまったのです」と、塚原正章は語った。
 国内に、本格的なブドウ栽培を行う伝統がなかったことも、日本という新しい市場誕生の後押しとなった。丁度、同じ時期、販売各社は、日本人お得意の完璧なサービスシステムを伴う、流通ネットワークを確立する。「フランスの醸造家の酒蔵から、日本のお客様の食卓まで、14度という温度を保ってワインをお届けすることができるように努力しました。ヴァン・ナチュールは、温度変化に特に敏感ですからね」と合田は語る。
 栽培家であると同時に輸入業者でもあり、畳文化をこよなく愛するフランス人でもあるフランソワ・デュマは、「どんなに足掻いても、もがいても上手く行かず、大手業界関係者や批評家たちからは、散々扱き下ろしにされた」そんな時代の後に、どうして、これほどまでの成功をヴァン・ナチュールが収めることができたのか、その理由を、最近ようやく理解できるようになった。「日本では、『食事こそ、健康を担うもの』(医食同源)とみなされている。こうした考え方が、ヴァン・ナチュールのコンセプトと重なるのであり、だからこそ、日本料理とも完璧にマリアージュするのだ」。大手食品企業の作るスタンダード化された味に反旗を翻し、職人の手作りの味を護っていこうとするレストランが産声を上げたのは、2000年に入ってからのことである。昔ながらの愛好家たちが、木樽で熟成され、「パーカライズされた」(かの有名なアメリカのワイン批評家の名前を基に作られた造語である。「あのパーカーからコメントを得た…」といったニュアンス)、しかしながら、本当のところ、味はお粗末この上ないワインに、惜しみなく大金を注ぎ込む光景にもうんざりし、フランソワ・デュマは、若い世代にターゲットを絞ってビジネスを拡げていくことにする。そんな彼ですら、多くの日本の若者が、7月に開かれるフジロックフェスティバルで、もっとヴァン・ナチュールを輸入して欲しいと彼に訴えて来た時には、驚きを隠せなかった。もちろん、品質へのこだわりは護り続けている。「ワインは、偶然の産物ではないのだ」。合田も、「科学的な知識、インスピレーション、そして畑での精魂込めた作業」こそが要だと語る。栽培家が、持てる力を十分に開花するようになるまで、5年間寝かせて待つことすら、彼女は厭わない。そして、そんな彼女のやり方を、日本人の客たちは正当に評価してくれる。
 合田は、ワインの種類を拡げていく術を学んだ。フットワーク軽く世界を駆け回りながら、ブドウ本来の味が発露する様に常に関心を持ち続け、そして、そうした味にこそ、忠実であろうと努める。90年代初め、かつてボルドー大学のデギュスタシオン・コースでワインを学んだ若き日本人女性は、母国の輸入会社のバイヤーとなり、マルセル・リショーのコート・デュ・ローヌを試飲する機会に恵まれる。前年までのものと比べて、その年のワインの品質の高さ、まろやかさ、果実味の深さ、そして洗練された味わいに、彼女は驚愕した。「リショーは、にっこりと微笑んだ後で、おもむろに、『実は、一切、硫黄を使わずに醸造してみたんだ』と明かしたのです」。今日なお、合田は、この自然派ワインの先駆者に敬意を抱き続けている。もちろん、彼女は、反硫黄添加の「アヤトラー」(狂信的指導者)になった訳ではないし、コチコチの純正主義者が扱き下ろすように、化学的な添加剤を使った「従来の」ワインを、風刺しようなどとも考えていない。「難しいことを言うつもりはありません。私はただ、有名どころのワインより、自分自身が信頼に足ると直感したワインを輸入しようと決意しただけなのです」。
 1996年に合田は、フランス、ロワール地方で開催されたワインのサロンに参加する。そしてここで彼女は、「果実味ゆたかで、やわらかく、まっすぐな酸があり、ミネラルの存在感も十分に感じられる素晴らしい白と赤ワイン」とに出会う。トゥアルセでラ・フェルム・ドゥ・ラ・サンソニエールのマルク・アンジェリと出会ったのだ。「フランスに在住するヴァン・ナチュールのヴィニュロンで、これ以上の人はいない」と、合田と塚原は口を揃える。アンジュ近郊でのヴァン・ナチュールを造る中心的な人物として活躍するマルク・アンジェリは、その四分の一(5,000本)を日本に向けて輸出している。彼の方でも、1996年、初めて合田と出会った時のことが忘れられない思い出となっていた。「私の話しに静かに耳を傾けるこの女性は、ワインが、飲み手に与えてくれる情熱(エモーション)を理解することの出来る人でした。彼女のお蔭で、私は日本という国を知ることができましたし、それ以来ずっと、この国と、細やかな気配りを決して忘れないこの国の人々に、私の心は魅了され続けています」。枯れることない情熱の持ち主でもあるブドウ栽培家は、こう語ってくれた。
 既にアンジェリは、10回ほど日本を訪れている。前回の訪日は7月のこと。この時は京都を訪ねた。ここで彼は、江上昌伸と出会う。4か国語を操る、このインスピレーション豊かな若者は、合田泰子にとって、まさに息子にも等しい存在で、二人は、ヴァン・ナチュールに対する、理に基づいた、しかも並外れた愛情を分かち合っている。今年41歳になる江上は、大阪の生まれだが、現在は京都に根を下ろし、規模は小さいながら、成長著しいワインショップ、エーテルヴァインを経営、関西のレストランやバーはもちろん、平安神宮のお膝元に佇む瀟洒な料亭にも数百本を超えるワインを卸している。
 かつて江上は、輸出入を扱う酒販店でアルコール類全般を販売していた。シャトー・ラトゥールや、シャトー・ラフィットを楽しむ日々の中、彼は、ある試飲会で、初めて「本当に心打たれるワイン」に出会う。「豊かで、こくがあり、何とも言えない複雑な味わいでした。そして、体全体に響き渡るようだったこの感覚が、一体、どこから来るものなのか、その背景には、栽培家のどんな哲学や作業があるのか、どうしても知りたいと思ったのです。そこから、化学的なものをほとんど使わず醸造を行う生産者に関心を持つようになり、未だ、彼らへの興味が尽きることはありません」。そして、丁度、10年前、江上は自分の会社を立ち上げた。飽くなき探求心を持った若者の、たった一人での船出だった。
 現在、エーテルヴァインは、9人の社員を擁し、フランス、イタリアを中心としたヴァン・ナチュールを、年間、13万本販売している。定期的に現地を訪れる江上は、こう語る。「ブドウ畑の様子を観、栽培家の性格を知り、そして、その地方の空気を直に感じる…、これ以上、重要なことはありません」。「近いうち」に、彼は、アンジュを訪ねるつもりだ。この地方のシュナンの品質は、素晴らしいのである。その朝、江上は「パニエ・ド・フリュイ」という名のワインを紹介してくれた。フランソワ・シェネ率いるラ・クレ・ダンブロジアで生まれた、力強い、魅惑的な白ワインである。高い完成度を求めることで知られるこの栽培家は、ボリュー・シュール・レイヨン(メンヌ・エ・ロワール県)に、3.5ヘクタールのブドウ畑を所有し、「飲む人の心を掴んで離さないワイン」を作っている。ボリューには、日本の一般の消費者や、レストランから、これほど素晴らしいワインに出会えた喜びを伝えるお礼のカードやメールが、ラ・クレ・ダンブロジア宛てに頻繁に送られてくる。アンジュの町は、思ったほど日本から遠くないのかもしれない。

 

 
PAGE TOP ↑