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合田玲英のフィールド・ノートVol.43

公開日: : 最終更新日:2019/02/06 ライブラリー, 新・連載エッセイ, 合田 玲英のフィールドノート

《 十人十色の生産者たち 》

 ・ティエリー・ピュズラ
 ティエリーのワインはパリのヴァンナチュールシーンによく合う。パリの多くのビストロで、グラスを手頃な価格で楽しめる。近年の醸造上の変化としては、2014年からスターターを準備する事が加わったそうだが、ネゴシアンをピエール・オリヴィエ・ボノムへと譲り、ドメーヌは2014年、15年と特に磨きがかかっている。数年前からジョージア、スペイン、イタリアのワインを輸入しており、多くの生産者の交友の中心となっている。職人堅気という感じではないけれど、小粋なティエリー。“プティ・ブランは買いブドウだから、安い値段で多くの人が楽しめる。カイエールやグラヴォットは特別なワインだが、俺はこういうのも好きなんだ”。

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・マルク・アンジェリ
 長年ラ・ルネッサンス・デ・ザペラシオンで重要な役割を務め、若手の育成にも力を入れている。この5年間で30人近い若手生産者がマルクの支援を受けながら、ロワールでワイン造りを始めた。そのうち半分は畑仕事が辛くてやめてしまったそうだが、残った生産者には継続的に指導をおこない、トラクターや醸造設備を共有したりしている。もちろんマルクのところだけでなくフランス各地で多くの新規生産者が出てきている。
 “Il faut les règles,決まりが必要だ”。マルクはしきりにこの言葉を口にしていた。”多くの若い人たちが自然なワイン造りに興味を持ってきてくれるのはとても喜ばしい。でも簡単なことじゃないんだ。僕なんか最近になってようやくビン詰め時の亜硫酸無添加をすべてのキュヴェにおいて、できるかもしれないと思い始めたところだ。でもそれにはもう少し実験しなくてはならない。やればいいというものではない”。

 

・ジル・アゾーニ
 今年から本格的に息子のアントノーが醸造に加わり、ワイナリーの名義も息子のものとなった。ジルの畑は友人へ譲り、アントノーは買いブドウでの醸造を続ける。
アントノー:”これから数年はまだ父(ジル)が手伝ってくれるから醸造の面ではとても心強い。僕は頭が硬いけれど、父はなんというか、芸術家なんだ。考えて分からないところを感じて、あせらず待つ事ができる”。
ジル:“僕のワイン造りにおいて亜硫酸無添加は絶対条件だ。ワインにブドウ以外のものを入れるなんて、僕にはできない。出来上がったワインが顧客の気に入るものかどうかはわからないけれど、買う買わないは顧客の自由さ。幸運なことに毎年買ってもらえるワインができて、ほっとしているよ。はっはっは”。
 ジルはとても優しい。

 

ラウレアーノ・セレスとジョアン・ダンゲラ
 ラウレアーノのワインは、ビン詰めまで亜硫酸無添加。ナチュラルワインの楽しさとカタルーニャの魅力がいっぱいに詰まっている。一方ジョアン・ダンゲラのワインは、本人たちも言うようにクラシックなニュアンス。ジョセプとジョアンもブルゴーニュやバローロなどのワインをよく飲んで研究し、同じグルナッシュを造るラヤスのことは特別尊敬している。また、近所でワインを造るラウレアーノのことも同じくらい敬意を払っている。”ラウレアーノのワインは、本当に個性の塊という感じだよね。本当に大好きなワインのひとつだけれど、僕らが同じ方向性のものを造っていこうかどうかは、とても悩んだよ”。
 ジョアン・ダンゲラは、2004年からナチュラルなワイン造りへ方向転換した。そのさい、亜硫酸の無添加醸造も考えたが、それよりも彼らの親たちが造ってきたとおりにすることを選んだ。“たとえば樽を硫黄燻蒸せずに管理しようとすると、大量の温水が必要になる。専用の機械もいるし、たくさんのエネルギーを使う。それが硫黄燻蒸なら、たった一回火を灯すだけで済む。よっぽどシンプルだし、なにより祖父が”樽の硫黄燻蒸は、真っ暗な樽の中に灯をともしてあげるためなのだ”と話していたのを、大切にしているんだ”。
 両ワイナリーは車でお互いに30分の距離にある。ワイナリーの規模も造り手の背景も違うが、お互いに尊敬しあっていることが話をして伝わってくる。

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・エリック・ローズダール
 ”酸化臭も還元臭も大嫌いだ”といいながら、完全に亜硫酸フリーのワイン造りをしている。けれどナチュラルワインのムーヴメントには全く加わらず、ときにはとても批判的。ブドウ選びも常識とは大きく異なる。エリックが魅力を感じるのは、耕作放棄されて忘れ去られたような畑に実るブドウだけ。
 醸造のキーワードは、ガス。アルコール発酵時の二酸化炭素の発生と、それによるワインの酸化からの保護を第一に考え、醸造工程を組み立てる。発酵が完全に終わるまえ、ワインが常に二酸化炭素ガスに守られている状態でしかワインを移動しない。そのため、早い時には、赤ブドウを摘んで1ヶ月後にはビン詰めまで済ませてしまう。
 両親の住むパリを車で行き来するたびに、紹介されたワインバーなどを訪れ、自分のワイン造りを説明し、気に入った人に極少量ずつ販売している。何もかも規格外だが、出来上がるワインはブドウが樹上でそのままワインになったかのように、とびきり純粋。

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・アレッサンドロ・フィリッピ
 シチリア州トラーパニ近くで、元カンティーナ・エリチーナの醸造責任者をしていた、アレッサンドロ。ソアーヴェの造り手フィリッピの出身で、醸造家として活動している。カンティーナ・エリチーナは、地域の古樹を守るために始めたプロジェクトだったが、残念ながら営業停止してしまった。
 アレッサンドロの話では、シチリアで余所者が活動をするのはとても難しいとか。逆にいえば、それがワインのキャラクターを守っているわけだ。そもそも、カンティーナ・エリチーナは、400人のブドウ栽培者たちによる協同組合だったので、意思統一してワイナリーを運営していくのが難しかった。そこで現在は、カンティーナ・エリチーナ時代から付き合いのある、4人の理解しあえるブドウ栽培者たちとともに、別の形でワイン造りを再スタートさせた。
 アレッサンドロのワイン造りは、電気を用いる近代的な醸造設備を使いつつ、電磁波による悪影響を抑えるなど、大量のワイン造りも配慮されている。“自分で畑を持って、少量つくるのもいいけどね。ある程度の量のワインを造らなければ、地域の古樹は守れない。このあたりのワインはあまり見向きもされないけれど、古いブドウ畑が動物用飼料の耕作地になるのも残念なんだ”。

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・サルヴォ・フォーティ
 エトナといえば、イ・ヴィニエーリ。収穫期のエトナは雨ばかりで、2011年に1ヶ月ほど収穫期にお邪魔したときは太陽を拝めなかった。なのに、あのような凝縮感のあるワインができるのが凄い。イ・ヴィニエーリの醸造家サルヴォ・フォーティからは、なにを聞いても明確な答えが返ってくる。
 ”ネレーロ・マスカレーゼはその名の通り、ミュスカ系の品種だ。ミュスカはもともと海岸沿いの土地が適していて、太陽を必要とする品種だ。昔はエトナ山の東側の麓はほとんどネレーロ・マスカレーゼが植わっていたが、それだけでは需要を満たせない時代があった。畑を増やし続けた結果、標高700mを越すところまで畑が広がっていった。イタリアの他の地域で不作だった年に、船でネレーロ・マスカレーゼを運んでそれぞれの地域でビン詰めしていたんだね。カターニアの近くに”Riposto(場所を移す)”という名の港町が残っているのがその証拠だ。そして時が経ち、ワインブドウの需要が以前よりもなくなって、低地のブドウ畑は他の作物の耕作地になり、残るは高地のブドウ畑のみとなった。つまりネレーロ・マスカレーゼは、決して高地に適した品種ではない。どんなに雨が降っても、収穫前に最低一週間は太陽を浴びなければ、適切な熟度には達しない。それを待つことができるかできないかが重要だ”。
 イ・ヴィニエーリの醸造において欠かせないのが、パルメントと呼ばれる醸造施設だ。パルメントとは、切り出した石で建てられただけの伝統的なセラー、だと思っていた。がサルヴォによると、どうやら施設だけを指す言葉ではないそうだ。“エトナのワイン造りには、パルメントが欠かせない。パルメントとは、石壁に囲われた農場での生活形態を意味している。果樹園があり菜園があるという具合で、パルメントはワインの醸造のみをするところではなく、果物を干したり、家畜を飼ったりしていた。全ての生活がこの農場で完結しているということが重要なんだ”。
 エトナでは、カターニア出身のサルヴォですら、土地の売買はスムーズにはいかないことが多いそうだ。毎年最低5件は新規の造り手が現れるため、地価の上昇もとまらない。そういえば、確かに2、3年前から急に、エトナ周辺のワイナリーが試飲会に加わる割合が上がっている。イ・ヴィニエーリは、まだサルヴォが求める理想の醸造環境にはなっていないそうだけれど、その日を待ち望んでいる。

 

合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール
1986年生まれ。東京都出身。≪2007年、2009年≫フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)で収穫≪2009年秋~2012年2月≫レオン・バラルのもとで研修 ≪2012年2月~2013年2月≫ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで研修 ≪2014年~現在≫イタリア・トリノ在住

 
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