ドイツワイン通信Vol.60
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
モーゼルの閉鎖性
8月下旬、5月に続いて今年2度目のドイツに行って来た。今回は取材が目的ではなく、どちらかと言えば休暇だった。醸造所には一軒も予約を入れなかった。ただ、8月最後の週末に開催されるザールのワインイヴェントには行ってきた。その日はとびきりの猛暑で、真っ青な夏空が広がり気温は35℃を軽々と越えて、ブドウ畑を含む全ての景色が眩しかった。
「ザール・リースリング・サマー」と称するそのイヴェントは、ザールにある10の醸造所が門戸を開放して--入場料が二日間通しだと30Euro、一カ所だけなら15Euroかかるが--主に新酒を試飲に供するというイヴェントだった。各会場はシャトルバスで移動することが出来るが、今年は大型バスを仕立てて醸造所に乗り付けた団体もいて、どの会場も大いに賑わっていた。けれども試飲用のワインが並ぶテーブル前が人であふれかえることはなく、寄せては返す波のように、時折混雑してもしばらくすると人影はまばらになった。醸造所の入り口ではあれだけの人数が押しかけていたというのに、一体どこに消えたのか。私たちは無理することなく、興味の趣くままに一口ぶんだけワインを注いでもらっては、グラスの表面につく水滴で指を濡らしながら香りと味を楽しんだ。
正直なところ、人混みと暑さで個々のワインにはあまり集中出来なかった。いや、集中して試飲に取り組むための機会ではそもそもなかったのだと言えば、言い訳めいてしまうだろうか。「この生産者は造りが安定してるわね」とか「繊細で生き生きとして、まるで蝶が舞うみたい」と言う、トリーア大学で知り合って10年以上経つ連れの言葉を聞きながら、滅多にワインを飲まない筈の彼女の表現の的確さに舌をまいた。味覚については一般に女性の方が優れていると言われるが、とりわけ五感で受け取ったシグナルを、直感的に言葉で表現する能力に長けているのだろう。私がああでもない、こうでもないと表面的な要素を乏しい語彙から選び出そうとして迷っているうちに、彼女はいともたやすく普段の言葉でそのワインの本質を突いてみせる。私は内心少しうろたえながら、さも知った風を装ってうなずいてみせる。そう、その通り。よくわかったね、と。
私がそれほど優れたテイスターではないという事実に関しては自信がある。まずスピードが遅い。十人並みに味わうことは出来ても、それを表現するのにいつも四苦八苦している。言語化しなくても記憶に残れば良いのだがそうもいかない。訓練を続けていればいつかは楽になるのではないかと思いつつ、かれこれ20年以上経ってしまった。いや、試飲を苦しんではいない。むしろいつも楽しんでいる。ワインは果てしなく興味深く、いつしかそこから抜け出せなくなってしまった。五十を過ぎ、もはや引き返すには遅すぎる。
試飲会の訪問者と醸造所の雰囲気
一日の終わりにファン・フォルクセン醸造所の新酒試飲会に立ち寄った。2015年産は隙のない仕上がりでミネラル感に富み、ザールらしく味わい深い酸味と相まってシリアスな印象を受けた。とりわけシャルツホーフベルク「P」の充実感と複雑さ、広がりは見事という他はなかった。昼間の熱気が少し和らいだ中を、オーナーのニエヴォドニツァンスキー夫妻の3人の子供たちが元気に駆け回っていた。「やあ、よく来たね!」というローマンの気さくな挨拶に、反射的に少し戸惑ってしまった。日本の挨拶の感覚に比べて親しすぎたからかもしれない。それを察した彼は「失礼」と謝り、私はこちらこそと恐縮した。彼のこうした誠実さと優しさが私は好きだし、ワインからも伝わってくる。ビール大国ドイツの大手ブルワリー・ビットブルガーの御曹司なのだが、人を分け隔てせずに接してくれる。
ファン・フォルクセンの新酒試飲会には10年位前に連れと一緒に来たことがある。彼女はワインこそ気に入ったものの、試飲会の雰囲気はあまり好きになれない、と言った。上流階級的で居づらかったのだそうだ。確かに品の良い、オーナー一族の親戚や友人らしいセレブ的な人もいたし、ワイン商やソムリエだけでなく医師や弁護士、裁判官や大学教授といった、社会的なステータスのある職業の人がまとっている一種独特の、礼儀正しく鷹揚で落ち着いた印象が、黒光りする調度品とステンドグラスのように高い窓と相まって、ワインがなければ絶対に足を踏み入れることがないであろうし、また招かれることもない世界を醸し出していた。
もっとも、私にとってそこにはアウェイ感はなく、ワインに惹かれて集まる同好の士の集う居心地の良い空間だった。興味深いワインがあり、それに関心を持つ人々が集まり、そしてオーナーが歓迎の意を表してくれれば問題はない。ただ、同じく新酒試飲会であっても、それほど落ち着かない醸造所もあった。ルーヴァーのマキシミン・グリュンハウスである。
毎年5月下旬の週末に開催される試飲会は一般向けの日とワイン商向けの日と分かれていて、私が赴いたのは一般向けの日の方だった。ルーヴァーの外れにあるモノポールのブドウ畑の斜面と向かい合ってぽつんと建つ、かつての修道院だった城館のまわりには鬱蒼とした大木が聳え、石畳の坂道を上った先にある城門をくぐると良く手入れされた庭園が広がり、その奥に試飲会場となる洋館が控えていた。建物の建築年代はやはり修道院だったファン・フォルクセンとそれほど変わらないだろう。しかし試飲会の雰囲気は、グリュンハウスの方が私にとってはよそよそしかった。そこは試飲会の会場であると同時に、5代目オーナーのDr. カール・フォン・シューベルト氏と友人たちとの語らいの場でもあった。ロータリークラブの友人であったり、家族ぐるみのつきあいのある親しい顧客であったり、お互いの近況を和やかに話合う社交の場とも言うべき雰囲気があって、それが私には少し苦手だった。もちろん熱心なワイン好きもいて、あちこちの試飲会で見かける顔も少なくなかったし、彼らと感想を話し合ったり、フォン・シューベルト氏と言葉を交わす機会もあるにはあったが、私はどちらかといえば歓迎されているというよりも存在を許容されているといった案配だった。
念のために申し添えておくと、その試飲の日にフォン・シューベルト氏が誰かを追い返したのを見たことはない。「せっかく訪れてくれた人を、追い返すような真似はしませんよ」と入り口付近で入場の可否を問う人々に笑顔で答えていたことを覚えている。それに彼のワインは毎年間違いなく、ルーヴァーだけでなくモーゼルの中でも一、二を争う出来映えだった。一リットル入りのエステートワインから既にグリュンハウス独特の香味があり、樽番号付きのアウスレーゼは普段甘口をパスする私でも見過ごすことの出来ない、素晴らしく個性的で印象的なワインだった。10世紀頃から修道士たちが手塩にかけてきたマキシミン・グリュンハウスのブドウ畑のポテンシャルは非常に高く、醸造の手腕も申し分ない。ただ、試飲会の雰囲気は少々苦手だった。もっとも、それは私が招待状も無しに、友人知人から仕入れた情報をもとに押しかけていた後ろめたさもあったのかもしれない。
VDPモーゼルの混乱
そのフォン・シューベルト氏が去る8月下旬に、今年加盟したばかりのVDPモーゼルの代表に就任したのは、まさに晴天の霹靂と言って良い出来事だった。グリュンハウスは既に80年代からモーゼルの銘醸として定評があり、地域を代表する生産者が集まる醸造所団体VDPに加盟していないのが不思議だった。もう何年も前に何故加盟しないのかとフォン・シューベルト氏に聞いたことがある。その時は確か、メンバーになると全国各地で行われるイヴェントに出展しなければならないが、それに出ても経費がかさむだけで経営上のメリットにならないから、という回答だったと記憶している。醸造所は20世紀初頭にはVDPの前身であるVDNV(ドイツ・ナトゥアヴァイン競売者連盟)のメンバーだったのだが、いつの頃か退会していた。それが今年1月に数十年振りに再加盟を果たし、それからわずか8ヵ月後に連盟の代表に選ばれたのである。フォン・シューベルト氏の人望の厚さが伺える。
しかしVDPモーゼルの代表者交代の裏には色々と事情があったようだ。事の発端は6月22日行われた新規加盟メンバーの承認に関する総会で、候補に挙がっていた三軒の醸造所-マルクス・モリトール、クネーベル、ルベンティウスホーフ-のうち、クネーベル以外は三分の二以上の賛成票が得られず否決されたことだった。しかも出席者よりも投票用紙の数が多かったことも明らかとなった。通常はこうした事態はあり得ず、1月に新規加盟醸造所の候補が連盟代表からメンバーに通知され、異議のある者は投票前に申し立てることになっている。それにもかかわらず当日になって加盟が否決されたのは背信行為であるとして、代表のエゴン・ミュラー4世(シャルツホーフ)と執行役員のニック・ヴァイス(ザンクト・ウルバンスホーフ)とクラウス・ピエモン(ピエモン)が辞任したのである。
どんでん返しで加盟が否決されたことは数年前にもあり、トリッテンハイムのクリュセラート・ヴァイラーがそうだった。その時はおそらく同じトリッテンハイムのVDP加盟醸造所が裏で工作したのではないかと囁かれている。既に加盟が決まったかのようにクリュセラート・ヴァイラーに話していた当時のVDPモーゼル代表エバハート・フォン・クーノゥ氏は、面子をつぶされたと大荒れだったという。否決された醸造所の落胆も想像するに余りある。
今回の三醸造所のうちマルクス・モリトールは、近年ファン・フォルクセンとコラボしてザールの忘れられた銘醸畑オックフェナー・ガイスベルク再開発プロジェクトに取り組んでいる。そしてクネーベルはモーゼル下流を代表する若手生産者として定評ある醸造所だ。ルベンティウスホーフはザールのVDP加盟醸造所フォン・オテグラーフェンの醸造責任者を務めるアンドレアス・バルト氏が創設した醸造所で、完熟したリースリングを野生酵母を用いてステンレスタンクで発酵した個性的なワインで知られている。このうちマルクス・モリトールとクネーベルは、既にベルンカステラー・リングというモーゼルの醸造所団体に加盟しており、とりわけモリトールはこの団体の秋のオークションの目玉となるワインを出品している。モリトールとクネーベルがVDPに移ればベルンカステラー・リングにとっては大きな損失となったことだろう。しかしまた一方で、モリトールは1971年のドイツワイン法に基づく肩書き制度を擁護し、プレディカート毎、畑毎に辛口・ファインヘルブ・甘口をリリースしている。1971年のドイツワイン法に批判的な立場をとるVDPは、独自にブドウ畑の格付けによる四段階のピラミッド型品質ヒエラルキー(上からグローセ・ラーゲ、エアステ・ラーゲ、オルツヴァイン、グーツヴァイン。ただしVDPモーゼルはエアステ・ラーゲを採用していない)を定めており、モリトールがこれにあわせた品揃えに変更することは難しいのではないかとも指摘されていた。
いずれにせよVDPモーゼルの6月の投票結果は無効となり、新規加盟審査はやり直されることとなった。そして上述の通り代表を辞任したエゴン・ミュラー4世の後任としてフォン・シューベルト氏が選ばれ、副代表としてザールの女性若手醸造家ドロテ・ツィリケンさんが選出された。エゴン・ミュラー4世とニック・ヴァイス氏は今後も執行部のメンバーとして他の3名(クレメンス・ブッシュ、トーマス・ハーグ、ヨハネス・ハールト)とともに運営に携わる。
新体制になってから3週間後の9月16日、毎年恒例のオークションがトリーアで開催された。今年注目を集めたのはエゴン・ミュラーの2015シャルツホーフベルガー・リースリング・カビネット、アルテ・レーベンが約200Euro(750mℓ)と、Joh. Jos.プリュムの2005グラーハー・ヒンメルライヒ、トロッケンベーレンアウスレーゼ(1.5ℓ)が約1万Euroで落札されたことだった。エゴン・ミュラーのカビネットは1200本という出品本数の多さもあり、壇上から競売を眺めていたエゴン・ミュラー4世は喜びを隠しきれない様子だったそうだ。
他の産地よりも閉鎖的と言われるモーゼル
新規加盟メンバーをめぐる一連の騒動は、VDPモーゼルの閉鎖的な性格を改めて浮き彫りにした。VDPだけでなくモーゼル全体が、他の産地の生産者から見ると閉鎖的に見えるらしいのは、蛇行するモーゼル川の両岸に迫る急斜面の圧迫感によるものかもしれない。「モーゼルの連中はみんな根暗でペシミストさ。楽観的なアールとは大違いだ」と、アールのとある生産者が言っていたそうだ。ラインヘッセンでは周知の通り、若手醸造家団体メッセージ・イン・ア・ボトルが2000年頃から活動して以来お互いに助け合う気風が浸透し、40代以下の醸造家が次々と頭角を現している。現在のVDPラインヘッセン代表は元メッセージ・イン・ア・ボトルのフィリップ・ヴィットマンである。ファルツでもVDPが率先して若手醸造家を育成しようと、2003年に支援プログラムを立ち上げて新旧世代の交流を促進し、そこから新規メンバーが3名誕生している。
一方VDPモーゼルでは、2007年にファン・フォルクセン(再加盟)とクレメンス・ブッシュ、2010年にフォン・オテグラーフェン(これは相続に伴うオーナーの交代による形式的な承認だった)、2013年にペーター・ラウアーが加盟しているが、今回のフォン・シューベルト氏の代表選出に伺われるように、伝統ある醸造所を偏重する傾向が指摘されている。ゲルツ・ツィリケンの後継者、ドロテ・ツィリケンさんが副代表に選ばれたのも、そのイメージに配慮したのだろう。今回審査のやりなおしとなった醸造所をはじめとして、近年頭角を伸ばしている若手生産者が加盟することになれば、閉鎖的というイメージを払拭する一助になるかもしれない。また、長期的な視点からすると今回の裏工作を行った者がいたのならば、それを排除することも必要だろう。フォン・シューベルト氏の采配に期待したい。
(以上)
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