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エッセイ:Vol.111 【別講】「ナチュラル・ワイン・セレクション」について

[別講]

「ナチュラル・ワイン・セレクション」について
On Natural Wine Selection

すべて冗談から始まる
 この表題は、いつもの冗談である。
 なぜ、どこが?
 もったいをつけず、すぐに謎解きをすれば、これらの英語3ワード(natural, wine, selection)の、どこで区切るかでもって、意味が変わってしまうからだ。

 

語順について(その1
 まず、素直に普通の語順で読めば、natural wine のselectionになる。だから、たとえばラシーヌが扱っているナチュラル・ワインの一覧表やカタログ、ポートフォリオといった意味合いであって、商品内容の良しあしを別とすれば、特別な含意はない。

 

語順について(その2
 ところが、生物学に関心がある方ならば、natural selectionが、お馴染みダーウィンの「自然淘汰」という成語であるとお気づきになるはず。それを踏まえれば、この3語じつはダブル・ミーニングを成していて、natural という形容詞が、wineとselectionの両方にかかると読める。ならば、natural wine が、natural selection(自然淘汰)されるという意味合いになるから、やや意味深な表現である。

 

日本のナチュラル・ワイン市場寸史―その早期成立について―
 いわゆる自然派ワイン市場が、日本で早々と成熟期に達したとしよう。だとすれば、厳しい生存競争の結果、市場で淘汰されて優れた自然派ワインだけが生き残る、というような事態が生じてよいはず。このタイプの、当時はほとんど知られざるワインは、意欲的なインポーター数社が世界に先駆けて日本に輸入しはじめて、すでに20年を越える。
 それゆえ、初期の自然派ワインの優品を造りだした、叡智にとむ冒険的な生産者とそのワインは、続々と日本に紹介されだした。高価ながら定温海上輸送方式(リーファー・コンテナ)がすでに使用可能であったし、日本国内では良心的な定温保管倉庫も(少ないながら)あり、また低温輸送が可能な宅配ネットワークと、ワイン専門の定温トラック輸送業が登場するという幸運にも恵まれた。

 

世界が注目する日本の自然派市場
 その結果、いつしか自然派ワインという名が付けられて、一定のファン層を獲得し、日本が小さからぬ自然派ワイン市場を形成することができた。日本におけるこのような例外的な自然派ワイン市場の形成は、海外の生産者や専門家のあいだでも高く評価されている。じじつ近年では、デンマークの「ノーマ」だけでなく、海外からのジャーナリストも先進国日本の自然派ワイン市場とラシーヌに注目し、ラシーヌのオフィスにもよく仕事やインタヴューに訪れたりもする。

 

自然派ワイン市場の特徴とゆがみ
 けれども、輸入自然派ワインが急速に普及定着する過程のなかで、インポーターのワインの選択・管理状況や、飲み手の嗜好などを反映した、いわば「日本型の特徴と歪み」を伴った、自然派ワイン市場が出来あがってしまったのも事実である。もっと具体的にいえば、極端な味わいやタイプの自然派ワインや、もともと品質劣化しやすいワインが不注意のために酷く劣化したまま、市場に出回ったりもした。あげく、生産地で売りにくい極端型の自然派ワインや劣化したワインがあると、たちの悪い生産者はこれを平然と「それじゃ、日本向きにしよう」などとうそぶく始末。日本は、一部の劣化自然派ワイン生産者にとって、処分品市場になりさがるというような憂慮すべき事態すら見られる。

 

日本は劣化ワインの処理場?
 冗談じゃない、高質で先見性にとんだ日本のワイン・マーケットを見損なうな、と憤りたくなる。いずれにせよ、どんなワインでも品質劣化したら、本来の味筋はまったく失われること必定。まして敏感極まる本物のナチュラル・ワインは、見るも無残な姿をさらすだけで、自然派ともワインとも無関係の、慄然たる世界を呈してしまう。ただし、このような死体愛好症型のワイン嗜癖があるとしかいえないインポーターと愛好家が、どうやらこの国にいるらしいのだ。だとすれば、劣化劣悪なワインを抱えた生産者が日本を「お客さん」扱いするのも、まあ無理はなくて、どっちもどっちなのだ。

 

座して忍ぶなかれ
 本来、そのような筋を違えた自然派ワインや劣化ワインは、当然ながら自然淘汰されてしかるべきなのだ。けれども、淘汰には時間もかかるし、極端な嗜好がすぐに変わりそうな気配はない。ワインに先入観なしに接することができ、フレッシュな味覚を持ち合わせる、健全なワイン人が生まれ育つのを期待するしかないのだろうか。とすれば、市場淘汰はまだまだ夢の先のこと。とはいえ、劣化の危険をもいとわず、つねに品質向上の手立てを講じながら、諦めずに労多き仕事をつづけ、河の澄むのを待つしかあるまい、たとえ、千年かかろうとも。「斥候(ものみ)よ、夜はまだ長きや」と、呟きながら。

 

 
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