ドイツワイン通信Vol.58
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
新たなスタートに立つドイツワイン
先月ワインズ・オブ・ジャーマニー・ジャパン(WOGJ)が6月に開催した二人のマスター・オブ・ワインのセミナーについて報告したが、去る7月上旬にもWOGJがセミナーと試飲商談会を開催した。「リースリング&Co.」と題されたイヴェントで、2009年にドイツワイン基金駐日代表部が閉鎖されて以来7年ぶりの再開となる。会場は風光明媚な皇居前のパレスホテル。午前中はドイツワイン女王ジョセフィーヌ・シュラムベルガーさんと、ワイン専門誌への寄稿などで知られる森上久生ソムリエによる酒販店・レストラン関係者を対象にしたセミナーが開催され、約80名の定員に対してキャンセル待ちが10人以上並んだという盛況ぶり。これに平行して別室でプレス向けセミナーがあり、ワインライターの葉山考太郎氏が若手醸造家達が造るドイツワインを紹介した。午後の試飲商談会は国内のインポーターの部屋とドイツから取引先を探しに来た生産者の部屋の二部屋に分かれ、のべ約300名の来訪者で午後5時の閉場時間まで賑わっていた。
7年振りの「Riesling & Co.」
WOGJの活動開始から半年が過ぎ、ドイツワインのプロモーションもようやく軌道に乗ってきたようだ。イヴェントの中で最もアピールされていたのはジェネレーション・リースリングという若手醸造家団体である。2006年にドイツワインの広報組織でWOGJの本部にあたるドイツワインインスティトゥート(DWI)が、国内外でドイツワインのイメージアップをはかるために35歳以下の若手醸造家を募って結成した団体だ。当初は25名だった会員数は現在530名を超え、ドイツのワイン業界の若々しさと活気を印象づけている。午前中のセミナーでは同団体のメンバーでもあり、実家はバーデンの醸造所というシュラムベルガーさんがワイン産地とジェネレーション・リースリングの概略を説明し、続いて森上ソムリエが9種類のジェネレーション・リースリングのワインについて、その個性と料理との組み合わせを2時間以上にわたり丁寧に紹介した。
午後の試飲商談会では今回のために3月から準備をしてきたという、20種類のジェネレーション・リースリングのメンバーが手がけたワインが試飲に供された。会場のテーブルにはそれぞれのワインについて味わい、料理との組み合わせ、楽しむシチュエーションの提案まで記載されたオールカラーの小冊子が用意されていて、主催者の力の入れようが見て取れた。ただ、そのコーナーだけで20種類のワインを、小冊子のコメントを読みながら試飲をすすめる時間的余裕がなかった。また、ワインを実際に造った生産者が来ていなかったこと、そしてどのワインも現時点では日本では手に入らないことが惜しまれる。シュラムベルガーさんは団体のメンバーだが試飲に供されていたワインを造った当事者ではないので聞ける話も限られる上に、大勢の人々にワインを注ぐのに手一杯の様子だった。せめて数人でもよいから自分の造ったワインについて語ることの出来る若手醸造家がいると良かったと思うし、イヴェントの注目度も格段に高まっただろう。
普段使いの辛口系ドイツワインがポイント
もう一点このイヴェントで特徴的だったのは、出展者が提供するワインのほとんどが辛口から中辛口だったことだ。事前にDWIから指示があったそうで、未だに根強い「ドイツワイン=甘口」の図式からの脱却を意図しているのだろう。ジェネレーション・リースリングのワインもことごとく辛口系で、いずれもクリーンでカジュアルなスタイルの普段の食事に合わせるようなワインだった。こんなワインがいつも冷蔵庫の中に1, 2本冷えていれば言うことはない。ドイツでの小売販売価格は大体5~15ユーロといったところか。ドイツのワイン産地に住んでいる消費者が普段飲むワインそのもので、素顔のドイツワインと言って良い。ただ、輸入されたとしても小売価格は恐らく1800円前後から3000円前後になるだろう。とすると、なかなかデイリーワインとして気軽に買い物カゴに放り込む訳にもいかないのがつらいところだ。
いずれにしても、普段の食事に合わせることの出来るワインがドイツにも多い、あるいは今どきのドイツワインは普段の食事に合わせて飲むものなのだ、ということがこの機会にアピールされたのは良かったと思う。周知の通り日本では1990年代の赤ワインブームによる消費全体の伸びで、それまではもっぱら贅沢品であったワインが日常的に消費されるようになった(一人あたり年間消費量は未だに2.81ℓではあるが、これには消費地や社会層・年齢層に偏りがあるものと思われる。参照:http://www.kirin.co.jp/company/data/marketdata/pdf/market_wine_2016.pdf)。ワイン消費が浸透して、普段飲みのワインが1000円前後から容易に入手出来るようになったものの、そのレンジに該当するドイツワインを我々が目にすることはまだ少ない。だからこそ、普段飲みのドイツワインの存在をアピールする意味がある。
凋落の20年
今を去ること21年前、1995年までドイツワインは輸入ワインのシェア第二位であった。しかし1998年に赤ワインブームがピークを迎え、国内消費数量合計は297,883kl(輸入・国産合計)に達した。それから若干の中だるみの時期を経て、2014年の消費量は1998年当時を上回る350,670klに達している。一方でドイツワインは1998年から2010年まで凋落の一歩を辿り、2014年の輸入ワインにおけるシェアは第8位の1.6%、輸入量も約6分の1前後にまで落ち込んだ。2012年以降ラシーヌをはじめとする、新しくドイツワインの取り扱いを始めたり起業したりした輸入商社が複数登場したのにもかかわらず、ドイツワインの輸入量はあまり回復していない。
その背景として挙げられるのは、1998年まで輸入されていた大半のドイツワインは安くて甘いリープフラウミルヒかシュヴァルツカッツで、食事にあわせて消費するスタイルに切り替わった日本市場にそぐわなくなったという点が一つ。大規模メーカーが輸出向けに造る低価格帯のワインと、いわゆる「銘醸」として既存の輸入商社がアピールする高価格帯の中間を埋める、そこそこ手頃な価格で品質も良好な辛口系のドイツワインが、量的に少なく存在感が薄かったことが二つめの理由ではないかと思われる。今回のジェネレーション・リースリングとして紹介されたワインの造り手も小規模生産者が多いので、もし輸入されるものが出てきても、若手醸造家によるいまどきの辛口ドイツワインとして市場で存在感が出せるかどうかがポイントになるかもしれない。三つ目はもしかするとこれが最も深刻な問題かもしれないが、ドイツ文化そのものに対する親近感の減少があるのではないかと思う。
遠ざかるドイツ文化への親近感
例えば戦前のいわゆる旧制高校ではドイツ語が第一外国語であり、ドイツ文学や哲学は現在とは比較にならないほど重要だったという(村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮社)。医学用語にドイツ語が多いのはその当時の名残というのはよく知られている。太平洋戦争に敗北して進駐軍がやってきて、英語の重要性が飛躍的に増したけれども、その当時はまだ戦前のエリート達の嗜好や考え方の影響が強く残っていて、大体70年代までは学生運動の用語に「ゲバルト」(暴力)とか「シュプレヒコール」とか使われたように、ドイツ語がまだ広く親しまれていた。私は1965年生まれだが、グリム童話とかミヒャエル・エンデとか、音楽と言えばベートーベンやバッハで育ってきており、西洋史といえばドイツ史であったし、ヨーロッパ観光といえばロマンチック街道であった。そして学生時代に実際に行ってからからはドイツ文化への憧憬がますます強くなり、結局会社を辞めて留学してしまった。
ところが2011年に帰国してみて気がついたのは、ドイツ文化の日本における存在感の薄さだった。いや、確かに行くところに行けば、例えば毎年ドイツ連邦共和国大使館が主催するドイツフェストなどに行けば、ドイツ文化に親しみを持つ人々が大勢いることがわかる。労働時間の短縮であるとか脱原発、難民問題など、時折ニュースでドイツ関連の話題が出ることはあるが、大学で第二外国語にドイツ語を履修する学生は大幅に減少し、私の専門である西欧中世史もドイツ史よりもフランス史やイギリス史の専門家が幅を利かせている。あまつさえ英語教育偏重、文系不要論なども取りざたされるようになっており、一部にドイツ語の響きがかっこいいとする向きがないではないが、ドイツ文化の日本のおける存在感は、ますます影を薄くしているように見える。昔はドイツだから売れるという面があったことだろう。ドイツが好きだから、あるいはドイツが好きな人に贈りたいから、ドイツワインが欲しいというお客が少なくなかったのではないか。今となっては古き良き時代の昔話であり、その再来はもはや望むべくもない。
新しいドイツワイン=食中酒としてのドイツワイン
そんな訳で、日本でドイツワインは市場を新たに開拓する必要がある。その足がかりがジェネレーション・リースリングであり、普段使いに向いた辛口系ワインなのだろう。WOGJはセミナーと試飲商談会に続いて、もすぐ終わってしまうが7月末までドイツワインウィークとして、食べログと共催で全国のキャンペーン参加飲食店・販売店でドイツワインが300円安く飲めたり買えたりする企画を行っている(http://www.winesofgermany.jp/contents/2016/german_wine_weeks2016/)。この他ウェブマガジンAll Aboutで「温暖化で変化 ドイツ・ワインが今注目される理由」と題した良記事が出たり、グルメサイトfavyで中華料理とドイツワインを合わせたレポートが掲載されたりと(http://www.favy.jp/topics/10218)、ウェブマーケティングも進めているようだ(後者に関してはWOGJがからんでいるか定かではないが)。
食中酒としてのドイツワインというイメージが定着して、フランス・イタリアと同じスタートラインに立てたのであれば、そこから新しいドイツワインの物語が始まる。かつて私がそうであったように、一度ドイツワインの魅力に気がつけば、消費者は自分で情報を求めて世界を広げて行くだろう。あとは販売する立場にある人々が、そのワインや生産者達の情報を十分に伝えることが出来たなら消費は次第に伸びていくに違いない。例えばウェブショップなどの生産者情報などを、この機会にもう一度見直してみてはどうだろうか。
(以上)
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