*

ドイツワイン通信Vol.54

公開日: : 最終更新日:2016/04/01 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

ドイツワインと詩想

 今年は春の訪れが、例年よりも少し早いようだ。庭にある梅と杏の花の写真をフェイスブックに載せようとして気がついた。そしてこの原稿を書いている3月24日、東京近郊では桜の花がほころびつつある。

 

『春だ』

 春が来る そよ吹く風に

青いリボンを たなびかせ、

なつかしい 甘い香りに

大地はにおう 胸ときめかせ。

すみれは早くも 夢を見る、

花 ほころびるのも 近いだろう。

ほら、遠くから かすかに聞こえる 竪琴の音が!

春よ、おまえだね!

おまえの声を ぼくは聞いたよ!

                (エドゥアルト・メーリケ作、森泉朋子『ドイツ詩を読む愉しみ』130頁より引用)

 

 19世紀のロマン派の詩人メーリケの詩を、先日来日したトリーア大学の恩師H先生の奥さんは、北鎌倉にある円覚寺の境内を歩きながらそらんじてみせた。「学校で習ったのよ。誰でも知っているわ」と笑う。青空に満開の白木蓮がくっきりと映えて、そよ風に竹林が揺れていた。

  ドイツで誰もが春の訪れを実感する復活祭(ドイツ語でオスターンOstern)は、今年は3月27日の日曜日である。毎年訪れる日の変わる移動祭日で、春分の日の後に最初に訪れた満月の次の日曜日となっている。イエス・キリストが十字架にかけられてから三日目に復活したことを祝う行事であり、至る所に飾られるウサギや色とりどりの卵の装飾は、キリスト教が伝播する以前からあった北欧神話の春の女神エオストレ(Eostrae)を祝う祭りに由来し、復活と生命力を象徴しているともされる。

  天体の運行に基準を置いた復活祭は、ビオディナミでは大地の成長エネルギーを吸収するために埋めておいた雌牛の角に詰めた牛糞のプレパラートを掘り出す時期であり、またこれから夏にかけて光のエネルギーを吸収するため、水晶の粉を詰めた雌牛の角を埋める時期でもある。そしてまたジョージアに始まり、そして近年ドイツでも行われるようになったクヴェヴリによる醸造も、収穫されることで植物として一旦死を経たブドウが、冬の間に地中の瓶の中でワインとなり、やがて春の訪れとともにワインとして蘇るという点で、キリスト教の祭儀と深く結びついている。

 復活祭はその日を祝うだけではなく、それまでの40日間はイエスが荒野で修行した期間にちなむ断食の季節である。復活祭を目前にした週の金曜日はイエスが十字架にかけられた受難日で、聖職者たちにとっては断食で一番つらい時期だという。そして復活祭から50日後はイエスの信徒達に精霊が下り、様々な国の言葉で福音を述べ伝えることが出来るようになったことを記念する精霊降誕祭(ドイツ語でプフィングステンPfingsten)である。今年は5月15日にあたるが、各地のワイン村で初夏のワイン祭りが開催される。例えばモーゼルの支流ルーヴァーでは、カーゼル村のブドウ畑が広がる急斜面の中腹に地元醸造所のテントが並び、渓谷を吹き渡る初夏の風とともにワインを夜更けまで楽しむことが出来る。

  冬は復活祭を転換点として終わり、そして春が訪れる。その前後をあわせて90日間の行事が月の満ち欠けにより前後することは興味深い。この紀元4世紀頃から現在に至るまで約1600年間に渡り連綿と続く伝統に、ワイン文化を育んできたヨーロッパ文明の自然観が反映されているように思われる。

 

 日本におけるドイツワイン広報団体の復活

  復活という意味では2009年の閉鎖後7年目にしてようやく再開された、ドイツワインの広報団体日本支部ワインズ・オブ・ジャーマニー・ジャパン主催のセミナーが、3月上旬にフーデックスで開催された。業界関係者約50名で満席となり、関心の高さを伺わせたセミナーの講師は田中克幸氏。おおむね以下の内容だった。

  ドイツワインの問題点は、現行のワイン法では品質の基準が収穫時の果汁糖度におかれている点にある。果汁糖度は品質、つまりおいしさの基準にはなりえない。またドイツワインをひとくくりにして理解しようとするのも問題だ。生産地域によって伝統はもとより品種、気候、土壌も異なるので、様々な場面で使える多様性がドイツワインのアドヴァンテージのはずだ。また、今のドイツは寒くて冷涼な産地ではない。確かに冬は寒いかもしれないが、夏はブルゴーニュよりも暑いほどで、秋も昼は汗ばむ陽気になる日が多い。だから「ドイツワイン=冷涼=酸っぱい」という把握は訂正しなければならない。ブドウ品種もピノ・ノワール(シュペートブルグンダー)、ピノ・グリ(グラウブルグンダー)、ピノ・ブラン(ヴァイスブルグンダー)やソーヴィニヨン・ブラン、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨンからシラーに至るまで、様々な国際品種の栽培面積が増えていて、その仕上がりも相当なレヴェルに達している。先入観や固定観念を捨てて、多様な個性を持つ優れた辛口ワインの産地としてドイツを見直す必要がある。

  まったくその通りだと思う。丁度その頃来日していたジャンシス・ロビンソンさんも「ドイツはもはや冷涼な産地ではない」と、アカデミー・デュ・ヴァン主催のセミナーでキッパリと断言して、参加者から驚きの声が上がったそうだ。温暖化だけでなく、若手生産者たちの新しい栽培醸造手法に積極的な姿勢と、国際競争をどうやって生き抜くかという課題の中から生じたテロワールのもたらす個性を引き出そうという意識の浸透が、ドイツの昔ながらの職人的なメンタリティと現代的なリベラルで国際的な視野と相まって、この伝統的な生産国のワインを一層向上させている。

  4月にはそんなドイツワインの現在を知る機会が何度かある。まず4月13日(水)~15日(金)に東京ビックサイトで開催されるワイン&グルメ(www.koelnmesse.jp/wgj/)。14日と15日にはドイツワインプリンセスのカロリーヌ・グーティエさんが来日してセミナーを行うそうだ。4月13日にはドイツを含む世界のリースリングを集めたリースリング・リング大試飲会がパレスホテル東京で開催される(www.rieslingring.com/tasting2016.html)。さらに24日(日)、25日(月)はドイツのマインツでVDPドイツプレディカーツヴァイン全国連盟の大試飲会がある(http://www.vdp.de/de/aktuelles/details/artikel/26-27-april-2015-vdpweinboerse-2015-10015/)。ドイツワインの今を肌で感じるには絶好の機会だ。

 

 ドイツワインの覚醒作用

  さて、先日トリーア大学中世史学科の恩師H先生ご夫妻が来日したことは上でも触れた。今回東京を御案内することになろうとは留学していた当時は想像出来なかったことだが、80歳近い高齢にもかかわらずお二人ともかくしゃくとしていて、東京タワーでは大展望台から階段で地上まで降りたほどだった。

  そんな先生は夕食で一度もワインを口にされなかった。トリーアではもちろんワインを飲まれていたし、ご夫婦で近所のワイン居酒屋にも時々行かれているそうだが、5日間夕食をご一緒して一度もワインを飲まれずビールをジョッキで3杯おかわりされていた。

「ワインを飲むと眠れなくなるからね。明日も早いし、ゆっくり眠るためにはビールの方が良いんだ」と言う。「でも夜に書き物をする時にはワインを飲みながらのことが多い。9時半頃に一区切りつけて居間に降りてきて、妻と一緒に一杯飲んでからボトルを持って書斎に戻り、それから夜中の2時頃まで仕事を続ける。眠る頃には大抵空になっている」そうだ。

 「ワインは精神の翼を広げる」とドイツでは言われ、ワイン好きの文化人には事欠かない。ゲーテのワイン好きは有名だし、ベートーベンの第九の『歓喜の歌』の詩の作者フリードリヒ・シラーもそうだった(思うに、あの詩はワインによる酩酊状態で書かれたと考えた方が相応しくはないだろうか?)。ブドウ品種にその名を残している詩人ユスティヌス・ケルナーはもちろん、日本では童話作家として知られるヴィルヘルム・ハウフや、ノーベル賞作家のヘルマン・ヘッセ、上述の詩『春だ』を書いたエドゥアルト・メーリケもワイン好きとして知られる。

 

『ワインによせる交換歌』  エドゥアルト・メーリケ

 私は飲もう、葡萄の酒を、

すぐに魂は暖まるだろう

明るい声が聞こえてくる

女神達の讃歌が。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

するとまもなく憂鬱は消え

猜疑心も、心配事もみんな

海風の中に散っていく。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

するとバッカスが、痛みを

消し去り、花々の

甘き香りに酔いつつ踊る。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

花輪を編んで

頭上にのせて、歌おう

人生を満たすほどの幸福を。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

心地よいのは、素敵な匂いのする

女の子を腕に抱いて

アフロディーテに寄せて歌うこと。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

なんと素敵だ 女の子達に囲まれて

なみなみと注がれた大きな酒杯で

私の精神と感覚を広げるのは。

 

私は飲もう、葡萄の酒を、

大勢の中から私が勝ち取り、

彼らから奪った;

だが結局死ぬのはみんなと同じ。

                                                        (拙訳)

 

 詩人の他にドイツの初代連邦大統領テオドール・ホイスもワイン好きで知られ、博士論文もネッカー川沿いハイルブロンにおけるブドウ栽培とブドウ農家階級をテーマにしている。演説の原稿を書くときは常にワインを飲んでいたそうで、ある演説の後で「その原稿を書くのにどれだけかかったのか」と問われたホイスは「大抵はワイン一本だが、あの演説には三本半かかった」と答えたそうだ。つまり一晩にワイン一本飲むので、三本半なら三晩と少々を費やしたという訳である。

  上に挙げた人々はほとんどがドイツ南部のヴュルテンベルク出身者で、彼らがいかに郷土のワインを愛していたかがわかる。H先生は北ドイツの出身で、ミュンヘン大学で学んだ後にモーゼル川沿いのトリーアで長年教鞭を執っていたのだが、やはり執筆時はワインを傍らに置いている。もしかしたらドイツ人に多いのかもしれない。

 「最初にワインの力を借りて書き上げたなら、素面の時に手直しするのが良い」と、今回どこかで目にしたはずなのだが見つからない。あるいはワインの見せた幻だったのだろうか。

  (以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

 
PAGE TOP ↑