*

ドイツワイン通信Vol.46

温暖化とドイツワイン

 関東でも梅雨が明け、連日最高気温35℃前後の猛暑が続いている。私が子供の頃は滅多に聞かなかった熱中症という言葉が頻繁に聞かれるようになり、日本のどこかの町で最高気温が40℃を超えることも、さして珍しいことではなくなった。

 いつ頃から日本の夏がここまで暑くなったのか定かではないが、ドイツでは2003年が温暖化の到来を克明に印象づけた猛暑だった。8月の太陽は針のように肌を刺し、日陰に入っても石畳から立ち上る熱気が押し寄せ、汗は片端から乾いて体力とともに蒸発して行ったことを覚えている。

2003年の猛暑

 あの年まで、ブドウ樹は生産年の天候に左右されるのが当然で、灌漑や給水は行われていなかった。しかし深刻な渇水に耐えきれなくなった生産者で河川の取水権を持っている者は川の水を汲み上げてブドウ畑に散布した。8月中旬には早熟品種の収穫が始まり、日ごとに上昇を続ける糖度に「世紀のヴィンテッジ」ともてはやされたのも束の間、9月下旬から10月上旬にかけて例年よりも2~3週間早く始まった収穫で得られたリースリングの果汁は、糖度こそ往々にして100°エクスレ(23.8% Brix)を超えたが酸度が6g/ℓ前後と低かったため、「2003年産はアロマティックで魅力的だが熟成しない」「若いうちから妙に熟成香が出やすい」などと、すぐにこき下ろされるようになった。あの年初めて、それまでドイツには縁が無いと思われて来た、果汁やワインに酒石酸を添加して酸を補うことが許されたのも画期的なことだった。1990年代後半から栽培面積が増えていた赤ワイン用ブドウ品種が完熟して、良い意味でドイツ産とは思えない仕上がりのものが増え、赤ワイン生産国としてのドイツの将来性を予感させたのも2003年という生産年だった。

温暖化による変化

 あれほど極端に暑く乾燥した夏は2003年以来訪れていないが、1980年代までは10年に2, 3回しか完熟しなかったリースリングが、1990年代は毎年着実に、2000年代には容易に完熟するようになった。まだ現役の1971年に施行された果汁糖度による格付けは現在ではほとんど意味をなさず、補糖を行わないプレディカーツヴァインの中で最も下の肩書きの繊細で軽やかなカビネットが、熟したブドウで造られるアロマティックでフルボディのシュペートレーゼやアウスレーゼよりも造りにくくなっている。また、収穫の近づいたリースリングは、果皮が薄く柔らかくなって、太陽にかざすと中の種の影が透けて見えるようになる。そんな状態になるのは以前は10月に入ってからだったのが、近年は開花時期が2~4週間早まっていることもあり、9月中に果皮が薄くなる。そして9月は10月よりも降雨量が多く、以前はさほど問題にはならなかった雨で、果粒が水ぶくれして果皮が裂けてしまい、黴や腐敗が急速に広がって収穫量が減少する傾向がある(参考:Mosel Fine Wines No.28, June 2015, pp. 69-70, „Mosel Perspective: Winemaking in the Age of Climate Change“)。

 こうした状況の中で高品質なワインを醸造するには、健全な果粒と傷みのある果粒を選り分ける念入りな選別作業が必要なのだが、それはとても手間がかかる。しかも天候次第ではわずかな晴れ間を縫って全速力で収穫作業を進行させなければならないので、どこまで丁寧に選別出来るかは、どれだけの人手を確保出来るかにも左右される。例えばファン・フォルクセンは個人経営の醸造所としては大規模な40ha以上を所有するが、総勢約80人という大部隊で手分けして収穫を行うことで高品質を実現している(https://www.facebook.com/vanvolxemwines/posts/927917233888650)。ラインヘッセンやファルツなどでは、手作業による選別を重要な畑に集中して、ベーシックなワインにする畑ではハーヴェストマシンを積極的に利用することもあるそうだ。実際、2013年、2014年は二年続けて晴れ間を縫って全速力で収穫しなければならなかった為、「ターボ・ヴァインレーゼ」(ターボをかけた収穫作業)と巷で呼ばれた。また、持ち込まれた収穫を処理するキャパシティも必要となるので、ブドウ畑の次に投資するならば、何はさておき圧搾機が欲しい、という話も昨年耳にした。

温暖化とブドウ品種

 温暖化の影響は収穫作業だけに留まらない。従来はドイツの冷涼な気候では容易に熟さなかったカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、シラー、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランといった国際品種の栽培面積が増えている。特にシャルドネは2000年以降約175%増加し、白ワイン用品種ではショイレーベを抜いて8番目に広く栽培されている品種となった(2013年の栽培面積は1,608haで、総栽培面積に占める割合は1.6%にすぎないが)。ソーヴィニヨン・ブランもラインヘッセンやファルツで近年力を入れる生産者が増えつつあり、中には畑の半分を今後ソーヴィニヨン・ブランに植え替えて行くつもりという若手醸造家もいる(2013年の栽培面積は801ha、総栽培面積の0.8%)。赤ワインでは周知の通りシュペートブルグンダー(=ピノ・ノワール)の品質向上が著しく、かつてのブルゴーニュの気候が現在のラインヘッセンやファルツのあたりにまで北上しているのではないかと言われている。また、色が薄くてフルーティな、昔の典型的なドイツの赤を産したポルトギーザー、トロリンガー、シュヴァルツリースリングの栽培面積は減少する一方で、色の濃い量産品種ドルンフェルダーや、黴耐性がありビオロジックに向くレゲント、オーストリアではブラウフレンキッシュと呼ばれるレンベルガーがそれぞれ増えており、現在ドイツのブドウ畑に占める赤ワイン用品種の割合は約36%に達している(参照:http://www.deutscheweine.de/fileadmin/user_upload/Website/Service/Downloads/statistik_2014-2015.pdf)。

温暖化とブドウ畑の立地条件

 温暖化により高品質な辛口が増えている一方で、冷涼なブドウ畑を活用して「温暖化対策」を行う生産者もいる。例えばモーゼル川沿いの急斜面最上部の、森から吹く涼しい風があたる区画や、支流の渓谷の奥の方にある区画、あるいは日照時間が相対的に短い西向き・北向き斜面の、従来はブドウが熟しにくかった冷涼なブドウ畑が見直されている(Mosel Fine Wines No.28, June 2015, pp.69-70)。ファン・フォルクセンとマルクス・モリトールが現在取り組んでいる、ザールの忘れられた銘醸畑オックフェナー・ガイスベルクの14haの再開墾もまた、ザール川から脇に入った渓谷の奥にある斜面だ(ドイツワイン通信Vol. 42参照)。粘板岩と、珪岩の混じった硬砂岩と、一説によれば斑岩も混じる痩せた土壌で、冷涼で森からの給水に恵まれているので、温暖化の進んだ現代に適した栽培条件を備えている。来年春にはマサルセレクションされた遺伝的素質に優れたリースリングを、四半世紀にわたって放置され十分に休息をとった土壌に植樹する予定だ。アルコール濃度が低く香り高いワインになるとファン・フォルクセンのオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキーは確信している(参照:http://www.larscarlberg.com/the-rebirth-of-a-riesling-legend/)。

オーディンスタールの冷涼なブドウ畑

 これに類似した冷涼なブドウ畑がファルツのオーディンスタール醸造所の畑だ。アルザスのヴォージュ山脈を北に伸ばした先の中部ファルツにあるのだが、そこはファルツの森の山裾から始まるブドウ畑の斜面に銘醸畑が集まり、約20kmほど離れたライン川までなだらかな平野が続いている。オーディンスタール醸造所は斜面の上の奥の森の中にある。他のブドウ畑の海抜はせいぜい250m前後だが、それを超えた海抜約350mの高地に約5haのブドウ畑がある。全部で17haあまりの醸造所の地所の一部は、1980年代初めまで玄武岩が露天掘りされていた採石場だ。まるで火口がぽっかりと口を開けたような案配の絶壁で、フェンスで立ち入ることは出来ないようにはなっているものの、深さ約100mの穴の縁に立つと足がすくむ。

 不動産業で成功した現在のオーナーのトーマス・ヘンゼルが、19世紀初頭に建てられた屋敷と地所を購入したのは1998年のことである。ラインガウのエーバーバッハ修道院を彷彿とさせる立地だが修道院とは関係なく、ヴァッヘンハイムの市長だったヨハン・ルートヴィヒ・ヴォルフが週末の別荘として建てさせた。当時も専門家からは、この標高の森の中で、しかも部分的に軽く北向きに傾いた斜面はあまりに冷涼で、ブドウは熟さないだろうと揶揄されたそうだ。しかしヴォルフはそれを意に介さず、約3500万年前の噴火で吹き飛ばされて入り混じった、火山性の玄武岩と堆積性の雑色砂岩、貝殻石灰質、コイパーという異なる生成年代の土壌が狭い範囲に集まっている素晴らしい土壌なのだから、ブドウを栽培しなければもったいないと、冷たい東風を防ぐためにわざわざ雑木林を植林して、館の周囲に約2haのブドウ畑を開墾してゲヴルツトラミーナーを植えたそうだ。この品種は周知の通りアロマティックで酸がマイルドで、当時しばしばリースリングと混植されて、その酸をマイルドに、香りを華やかにするのに利用された。

 オーディンスタールの地所はやがてヴォルフがカード賭博で負けて失い、新たな所有者の孫娘がダイデスハイムの醸造所に婚資として持参した。その醸造所は1992年という早い時期からオーディンスタールのブドウ畑をビオロジックで栽培していたが、3週間に一度前後畑を訪れては必要な作業をすませて帰る程度で、あまり丁寧に世話していなかった。現在栽培と醸造を任されているアンドレアス・シューマンが2004年に採用されたとき、それまでブドウ畑の面倒を見てきたその生産者は、「ここではブドウは完熟しないから、出来てもせいぜい地酒(ラントヴァイン)がいいところだ」と言うので「『私が来たからには大丈夫。きっと完熟させてみせます』と言い返してやった」そうである。

 オーディンスタールのブドウ畑は確かに冷涼で、冷気は斜面を下っていくので霜の被害は一度もないが、ブドウの成熟は低地の畑より20日前後遅く「やっぱりブドウがなかなか熟さないので苦労しているみたいだ」と、ダイデスハイムのとある醸造所の人から昨年聞いた。年間降水量は約400mm程しかないが、周囲の森の保水力のお陰で渇水に悩んだことはない。2006年に雹―これも温暖化の影響である―の深刻な被害を被った時、ガイゼンハイムの親友でビオディナミの研究者ゲオルグ・マイスナーから、牛糞を雌牛の角に詰めて熟成させたプレパラートとイラクサを水に浸けて発酵させた液肥を、雹でボロボロに破れた葉に対してすぐに散布するよう言われて実行した結果、絶望的と思われていた収穫は例年の約3割の量を確保出来た。ビオディナミの効果を確信したアンドレアスは、それからデメターのセミナーを訪れたり、ビオディナミの農場を見学して物の見方や考え方を学び、ブドウ畑に取り入れて行った。畝の間で豆科の植物やマスタード、タイムなど様々な植物を育て、昆虫やトカゲの住処となる石垣を設置しブドウ畑周辺の生物多様性を育んだ。プレパラートに必要なたんぽぽやスギナ、カモミールなどの植物は、醸造所の周囲の草原や森で採集する。夏の間敷地内で放牧した牛の糞から堆肥を作り、屠殺してその肉を食べ、内蔵に薬草を詰めてプレパラートをつくるなど、ブドウ栽培に必要な材料をすべて醸造所の周囲の環境から調達している。ブドウの畝の支柱は木製で、プレパラートを作ったり散布している時は携帯の電源を切って、電磁波スモッグの影響を絶つ。しかし人智学を盲信している訳では無く、あくまでも効果があるから採用しているんだ、という。2013年にはデメターの認証を受けている。

 醸造は基本的に野生酵母で行い、酵母が活動を続ける限り発酵し、乳酸発酵が始まったらそのまま続けさせる。「ブドウ畑でバランスがとれていれば、ワインはセラーでも自分で自然に調和をとる」のだという。亜硫酸はフィルターをかけて酵母を除去する直前に60mg添加し、瓶詰めの時点で遊離亜硫酸25mgあればそのままリリースする。その他にも亜硫酸無添加醸造、アンフォラ醸造、オレンジワイン、さらに無剪定栽培にも二つの区画で取り組んでいて、ブドウが自ら到達する調和をブドウ畑とセラーの両方で追求している(ドイツワイン通信Vol.32参照)。

 温暖化の影響から脱線してしまったが、オーディンスタールのワインには空気の中を漂うような、スピリチュアルな軽やかさがある。その繊細さはやはり冷涼なブドウ畑ならではのもので、素直で穏やかな一体感と、清涼感を添えるほっそりとした酸味のアクセントは、北限の気候条件と丹念な選別作業と、アンドレアスが分析値ではなく自らの感覚を信じ、介入を極力控えて見守り育てた結果だ。一方で、そのワインの生命感はガラス細工のように繊細で脆く壊れやすい。静かにいたわるように扱い、味わいたい。

 今年のドイツは5月から2ヵ月間猛暑が続いていて、モーゼルの開花は6月中旬のほぼ平年並みで順調に終わったものの(http://www.moselfinewines.com/vintage-2015-flowering-completed.php)、雨が降ったのはわずかに二日間で、多くのブドウ樹は渇水ストレスに苦しんでいるという。ファン・フォルクセンでは毎日4万ℓの水を手作業でブドウ畑に散布しているそうだ(https://www.facebook.com/vanvolxemwines/posts/1095750403771998)。温暖化でブドウが容易に熟すようになったとはいえ、選別作業や渇水による収穫量の減少、給水などの手間とコストを考えれば、高品質なワインを醸造することは、却って難しくなっているのかもしれない。

   (以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会 員。

 
PAGE TOP ↑