エッセイ:Vol.96 人の輪
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定番エッセイ, ライブラリー, 塚原 正章の連載コラム
エッセイと『エセー』
エッセイの見本として、誰しも思い浮かべるのは、ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』だろう。モンテーニュは自分自身と人間について静思をこらし、古典をひもときながら、延々とモノローグを書きつづけた。その姿に懐かしさをおぼえるのは、かつて訳書を繙いたことがあるからだろう。けれども、全集版の関根秀雄・訳は、だらだら調の訳文と興をそぐ本文への挿入記号(a、b、c)に、閉口した。対するに2005年にはじまる宮下志朗訳は、1595年本を底本として「読みやすさ」を追求した、画期的な労作。白水社より全7巻中6巻まで刊行済。編集は芝山博さんで、マット・クレイマーをはじめとする名著を手がけたかたである。
翻訳はさておこう。モンテーニュの『エセー』は、あくまで自分にこだわるが、心情や感性によりかかる、いわゆる「日本的」な随筆とは異質である。が、モンテーニュの警戒心を解くような筆致が、和洋の両タイプのエッセイに共通しているのかもしれない。
アランのエッセイ「プロポ」
それにたいして、一生の間に「プロポ」という短めな思索の結晶を、驚くべき速筆で無慮5千点も書きあげ、30巻にものぼるテーマ別著作にまとめてきたのが、アラン(1868‐1951)である。各プロポは、上からの高みに立った「外在的」な批評ではなく、あくまで対象に寄り添い、著者が共感をおぼえるものごとや芸術作品に即した、内在的あるいは内発的な発振現象にちかい。
わたしにとって現代のエッセイの見本といえば、融通無碍な在野の思索家アランの諸作品。とらわれずに考える作業プロセスが、まるでそのまま文章の形をとったかのよう。日本でも早くからアランは高く評価され、すでに戦前から小林秀雄や桑原武夫といった時の教養人による翻訳がある。アランの人気は戦後いっそう加速化され、多くの翻訳が生まれ、白水社版の『アラン著作集』(全10巻)も編まれた。
だが、博識なアランは往くとして不可がないほど、哲学・文学と諸芸術に通じていた。そのうえ、どんな思考も抽象化と飛躍をともなうから、翻訳はやさしくない。著名な訳者たちによる翻訳ですら、すらすらと理解できるわけではなく、平易に見えて意外に手ごわいのがアランなのだ。ときには訳者が原意を理解しているのか、疑わしく思える場合すらあるくらい。
めでたい杉本秀太郎・訳
わたしのお勧めするアランの翻訳は、惜しくもつい先日物故された杉本秀太郎さんの手になる流麗な訳文。たとえば、『彫刻家との対話』(弥生書房)と、『文学折りにふれて』(白水社『アラン著作集8』。原題は『プロポ・ド・リテラチュール』)である。名訳家のほまれが高い杉本さんの訳文は、翻訳にともなう労苦の跡をとどめず、文章から思索のあやまでが伝わり、訳者が著者になりかわったかのような感がする。
改訳という自己修正作業
ところがじつは杉本さんは、ハナからの名訳者ではなかった。それどころか、若き日に手がけられた訳文はまことに読みにくく、流麗どころの騒ぎではない。たとえば、『文学折りにふれて』の初訳(『文学論』白水社)とか、アンリ・フォシヨンの『形の生命』(岩波書店)。かつてこれらの旧訳に接し、読み渋りがするのでびっくりした記憶がある。ただ感心なのは、杉本さん自身が若かりしときの訳文に不満をおぼえ、すすんで全面的な改訳をしていること。訳本の後書きにも、その旨が率直に記されている。全面的な改訳作業の結果が、アラン『文学折りにふれて』(アラン著作集8)と、フォシヨン『形の生命』(平凡社文庫版)。どちらも旧訳はまったく訳しなおしの役に立たなかった、と杉本さんは述懐している。
おもうに独創的な思想家の著作は、あまりにオリジナルゆえに理解も翻訳も難しいとみえる。たとえば経済学では、ソーステン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』(2種の訳が、いずれも難読)であり、美術史ではフォシヨンがその例だろう。フォシヨンは別の訳者によるもの(『かたちの生命』阿部成樹訳・ちくま文庫版)をみても、意が通じにくくて隔靴掻痒の感がある。
ともあれ、いまや杉本さんの感性あふれる名文も名訳(あるいは訳しなおし)も生まれてこない以上、これまでの著作と訳業をくまなく探すしかない。杉本さんの翻訳の先生は、桑原武夫さんとおぼしいが、その桑原さんですらアラン『芸術論(芸術の体系)』(岩波版)は必ずしも読みやすくなく、同書の別の訳者(長谷川宏・訳『芸術の体系』光文社古典文庫)はそのあたりを憚らずに述べているのが面白い。
雑談・桑原武夫をめぐって
そういえば、わたしの進んだ学び舎の経済学部では、第二外国語による原書購読があった。翻訳があるからと油断し、自由選択科目でルソーの『社会契約論』“Du Contrat Sociale”を選んだら、生徒は二人きり。毎講、たっぷり冷や汗をかかされた。おまけに、桑原武夫・島田虔次郎の共訳(岩波文庫)は、厳正な原好男先生の指摘によれば、しばしば正確さを欠くため、種本が種本の役割を果たさず、大いに困った。だがおかげで、わたしは桑原さんの神話化から逃れることができたわけ。
ついでに言えば、桑原さんには一度お目にかかったことがある。さる披露宴の二次会の席であったが、並み居る京都大学・人文科学研究所系の著名なお歴々が、桑原さんの前ではいかにもお弟子さんという風情で、かしこまって居並んでいた。桑原さんの思いつきのような発言(たとえば「偉大な思想家は、長男であることが多いね」)にたいして、周囲には反論すらしにくい雰囲気が漂っていた。座談の雄である桑原さんも、むろん長男。珍説があまりに可笑しかったので、へそ曲がりなわたしは、「カール・マルクスも、丸山真男も、長男ではなかったのでは」と、つい反論してしまった。しかし、まあ、そんなことはどうでもよい。
「人の輪」序説:編集者の役割について
翻訳は、著者と訳者、それに読者がいて、書き手と読み手の円環が完結する。それら三要素のうち、ひとつでもレヴェルが低ければ、思考とエモーションを伝達する流れはとどこおり、コミュニケーションは成り立たない。一般に著者と読者のあいだの流れを円滑に進めるのが出版社だが、出版社よりむしろ優れた編集者が、仲立ちとして欠かせない。編集者が結果的につなぐ人の輪が、ときにめでたく成立するわけで、そこに編集という芸があるのだ。
亡友の鷲尾賢哉は講談社の名編集者と謳われたが、鷲尾が聞き役側の一人としてまとめあげた労作が、『わたしの戦後出版史』(トランスビュー)。インタヴューの相手は、かつて未来社で続々と名著を手がけた編集者の松本昌次さん。未来社は、戦後日本を代表する尖鋭な小出版社であり、鷲尾の大先輩にあたる松本さんは、今なお現役の編集者(影書房・代表)だが、惚れ込んだ書き手(たとえば、花田清輝と丸山真男)と共鳴運動をするような心意気でもって、編集活動を営んでこられた。
先週、数十年ぶりに松本さんにお会いして、丸山真男さんを中心とする秘話や逸話を伺ったが、87歳という高齢にもかかわらず、大いに語り、盛大にワインを召し上がる元気ぶり。毎月レイバーネットの「いま、言わねばならないこと」で健筆をふるい、現在の憂うべき政治状況と、弛んだジャーナリズムを鋭く批判しつづけている松本さんに、われわれ次世代は学び、敬意をはらわざるをえない。先見性と情熱にあふれた編集者こそ、優秀な著者(および訳者)と、意識の高い読者をつなぐ、啓発的なキーパーソンであることを、あらためて再認識させられたしだい。
ワインも人の輪の上になりたつ
ワインの二大主役は、むろん生産者と消費者。インポーターと卸・販売店をふくむ流通と、飲食の機会とサーヴィスを提供するレストランやワインバーは、ワインに必要不可欠な媒介者という役柄である。いうまでもなくワインはブドウの加工品であり、地中深くに根ざして育つブドウは、大地と気候を含む環境条件(テロワール)の産物である。ワインは土壌の単純な反映物などではなく、テロワールはあくまでも可能性として存在し、補助線のような役をする。
そのテロワールの可能性と独自性を解釈し、毎年ことなる自然条件のなかで、ブドウの栽培とそのワインへの転化変身を促すのは、あくまでも造り手(ヴィニュロン)という個々の人間である。自然の条件と現象に左右されながらも、造り手の側における営為――すなわち無数の判断の積み重ねと、修整と学習作業の連続――が、個別ワインの品質を具体的に決定する、もっとも重要な契機になる。
造り手こそ、ワインの第一次関与者なのだが、もし造り手が畑やセラーで決定的な間違いを仕出かしたら、それらの産物であるワインを正しいありかたに戻すことはできない。出来上がったワインと、流通・販売・提供の過程で決定的な変質をこうむったワインを、あるべき元の姿に戻せないという品質の《不可逆性》あるいは《非可逆性》が、ワインの特徴なのだが、それは余談。
固有なテロワールを柔軟に解釈しつつ、無数の判断と修正・学習作業を積み重ねた結果がワインの姿をとるから、造り手の人柄や人格、判断の連続が必ずやワインの味わいに現れ出る、とみてよい。だが、だからテイスティングすれば、その因果関係がわかるというのは、ちと短絡した楽観論である。
たしかに、セラーのなかで試飲すれば、出荷以前の状態が実感としてわかるが、それはあくまでもその時点の、そのセラー内における、部分的な樽やビン内の状態を映し出しているにすぎない。熟成途上にある容器(樽、タンク、ビン)のなかのワインは、完成からほど遠いし、セラー内が理想的な試飲スペースであるとはかぎらない。とすれば、専門家であろうとなかろうと、しばしば儀式になりがちなセラー内試飲時の《実感》を、信頼しすぎてはなるまい。しばしば、造り手のセラーにおけるよりも、消費地(たとえば東京)で飲み味わったときの方が、くっきりして雑味がなく、味わいが澄んでいることすらあるから、常識など当てにならない。
さて、そのセラーで特定の容器から試飲したワインが、なぜそのような味わいになるかを考え、その場で因果関係まで推測するのが、セラー内試飲の課題なのだ。その際造り手は、必ずしも最上のテイスターではない。賢い造り手は、栽培と醸造にかかわる正確な知識を即座に整理し提供してくれたりするが、ワインの味わいがその情報を裏付けているとはかぎらない。が、一般論はここまで。造り手も訪れたテイスターも、ワインから試されていることはたしかだから、誰しも気を抜くことができないのです。やれやれ、そろそろ造り手から離れなければいけない。
アフター・ザ・セラー(セラーを後にして)
そこで、ワインが生産者の手元を離れたあと消費者にいたるまで、各種の機械を操作したりしながら流通の各ステップを媒介するのも、また人間である。ワインという生きものを生かしたままできるだけ歪めずに、消費者の手元あるいは飲食のテーブルまで届ける、輸出・保管・流通・販売・サーヴィスに携わる人間の使命は、はかりしれないほど大きい。
この間ワインに直接間接にかかわる多くの人々が、高い使命感をもって各自のミッションを遂行すれば、品質と味わいの劣化が最低限でとどまるはず。最終的に消費者が「あるべき姿にかぎりなくちかいワインの味わい」を、その意味で正確に把握し、ますます楽しむことが可能になる。つまり、生産者から発して消費者に至るまで、関与する多数の人たちからなる、目に見えない「輪」の存在が、ワインの味わいを支えているというわけ。
だから、逆にいえば、インポーターだけがいくら細心の注意をはらい、厳密な手配を怠らず専用保管倉庫にまでワインを送り届ける努力をしたとしても、外部委託という仕事が多くある以上は、ワインが「無事」にたどりつく保証にはならない。インポーターの視点からすれば、仕事の内部サークル(社の内縁)と外部サークル(外縁)が、切れ目なく円滑かつ良心的に繋がっていることを、期するしかない。
ともかく、ワインを扱う各段階にかかわっているすべての組織と個人の仕事に、高い質を求めるのは容易ではない。外からみると、インポーターの存在と仕事はまだしも比較的わかりやすいだろうが、それにくらべて(インポーターからしても)分かりにくいのが、フォワダーと倉庫の役割だろう。
フォワダーの重要性
とりわけ重要なのが、ワインの海上輸送にかかわる全面的なロジスティックを担う専門業者、フォワダーという「陰の主役」である。むろん、リーファー・コンテナによる海上輸送用船を、インポーターが単発的にあつらえることは出来なくはないが、世界的な規模で常時このようなネットワークを組むことは、産業規模が小さなワインのインポーターごときには、不可能にちかい。
かりにヨーロッパの生産地(蔵元)を離れたワインが、日本の港に到着してワイン専用倉庫に納入されるまで、海上で4週間を要し、それ以外に、ヨーロッパと日本をふくむトラック輸送期間中(リーファー・トラックの使用)、基地(フォワダーの倉庫と、コンテナやトラックの係留所、積み替え港(中継地)等での滞在期間を同じ4週間とすれば、計8週間ものあいだを、ワインはトラック内(荷台)か、フォワダー倉庫内、(リーファー)コンテナの内部で過ごすことになる。この期間が、外から見ればブラック・ボックスになるわけで、これが規定通りにスイッチ・オンされて、きちんと温度管理されているかどうかが、ワインの死命を決する。だから、高レヴェルな仕事の質を保ち、それを支える世界各地の諸ネットワークを有するフォワダーに、輸入ワインの命運が握られている、といっても過言ではない。
それを確証するような事件が先日おこってしまい、わたしたちはフォワダーの役割を再認識させられた。コンテナ内のワインに取り付けた温度湿度センサーの取り違えによる誤認事件である。具体的には当社担当者が、二個のコンテナにとりつけたセンサーを取り違え、センサーを読み取ったグラフに、別の航路日程を当てはめしまった。結果、コンテナ内に温度異常があったと誤認した報告をあげ、販売にストップがかかった。が、再点検したところ、担当者による誤認である事実が判明したので、再試飲して品質劣化も見当たらないことを検証したうえで、出荷停止を解除したというお粗末な一幕。なにはともあれ、お客様にはとんだ迷惑をお掛けしたことをお詫びし、小社への不信を招いてしまったことを反省しなければならない。
誤認事件から学んだ、フォワダーの仕事の高質さ
コンテナ内温度異常を誤認したので、わたしたちは間をおかずにフォワダーに連絡して、扱いと保管状態チェックに異常の有無を確認していただき、「異常なし」というご返事をいただいた。その後の社内作業の再点検で、ラシーヌ側担当者の不注意による取り違えが判明して、異常事態がなかったことが明らかになった。
とはいえ、たとえ一時的にせよ、フォワダーの仕事内容と状況を把握するため、事実確認を求めたことは事実。結果的に大変な非礼をはたらいてしまったことになるので、フォワダーの方々には深くお詫びを申し上げた。だが、その際の話し合いのなかで、フォワダーの責任者と担当者が、いかにラシーヌの仕事に細心の注意と深い愛情を傾けていただいているかを、わたしたちは言葉のはしはしからうかがい知ることができた。このことが、今回の失態から学んだ最上の経験であり、喜びである。わたしたちは当フォワダーを、今後も信頼して仕事をお任せしたいという気持ちを高めることができた。災いが転じて、福。ラシーヌにとって、わが子のように大切なワインを、各生産地から川崎の倉庫に至るまで、万全の手配をお願いしているジェイ・エフ・ヒレブラントジャパン(株)のみなさまに、あらためてお礼申し上げるとともに、今後ともよろしくお願い申しあげる次第です。ほんとうに有難うございます。
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