*

ファイン・ワインへの道Vol.98

アンリ・ジャイエをブラインドで出してみると……?

目次:
1:イギリス社交場で、スーパーが無邪気なトリック
2:価格が150倍でも、ブラインド判別困難?
3:味よりも、原始的需給バランスと投機が決める価格
4:存在するかも。ジャイエに近いピノ・ノワール

 

イギリス社交場で、スーパーが無邪気なトリック

 いかにも上流階級の社交場然とした、夏のイギリスの乗馬競技会内のワインスタンドでの出来事です。ワインスタンドの主人が、ラベルを隠し、 いかにも上流階級然とした人々に ワインをサーヴします。ノーブルな人々が想像した、そのワインの価格は 6000円から8000円。しかし実際のそのワインの価格は、わずか1000円なのでした。超物価高、超インフレのイギリスで、です。1600円のワインを、6000円から8000円の価値があると評価した試飲者もいました。   そしてもちろん、 ワインの価格を聞いた人々は、「信じられない」、「唖然とした」、「あなたは新たな顧客を獲得した!」と、一様に驚いています。
 この、なかなかにエスプリの効いたトリックを公然と、優雅でハイクラスな社交場(ロイヤル・インターナショナル・ホース・ショー/ウエスト・サセックス)で仕掛けたのは、ドイツの大手スーパーマーケットALDIのイギリス支社。 サーヴされたワインは、同スーパーマーケット・セレクトの低価格帯のワインでした。
 ちなみに、このスーパーマーケットがワイン愛好家2000人に対して行った調査では 43%が 「質の高い低価格 ワインで仲間を驚かせたことがある」と回答。 また「 高額なワインは”完全に過大評価されている”」と回答した人も38% いたそうです。
 また、この時にスーパーが セレクトしたワインの中で、シャソー・エ・フィス・サント・ヴィクトワール・プロヴァンス・ロゼ(Chassaux Et Fils Sainte Victoire Provence Rosé)については、マスター・オブ・ワインのサム・カポーン(Sam Caporn)が、「価格は2500円だが、4800円のワインの代替品として最適」ともコメントしています。
 同様のことや似たようなことは、今日も世界のあちこちで……起こっていることでしょう。ご想像どおりに。

 

価格が150倍でも、ブラインド判別困難?

 そのうちの1つに、つい最近の私の実体験も加えさせていただいていいでしょうか。
 アンリ・ジャイエのグラン・クリュ、エシェゾー2001年を ブラインドでサーヴした時のお話です。
 つい先日、私がやや気合を入れて選んだピノ・ノワール 4種類と、アンリ・ジャイエのエシェゾーを、シニア・ソムリエ や ワインバー・オーナー、 ワイン醸造家などを含む22人でブラインド試飲しました。
 語るのも恐ろしい価格面では、ジャイエ は1本300万円前後、 その他のピノ・ノワールは1本8000円~2万円ほどの レンジでした。1本あたりの価格差が 150倍~300倍もある(!)のだから、 全員、ジャイエのワインを特定できて当たり前だろう……と想像されるのは人情であり、ある面でワインラヴァ―の悲願であり、はかなき希望、かもしれません。
 しかし。ご想像通り。
 当たらないんですよ。 相当のプロフェッショナルでさえ。
 全22人の中で、ジャイエを特定できたのは 7名のみ。
 同じく7名がドイツ、バーデン(カイザーシュトゥール)のピノを、また3名が南アフリカのピノをジャイエだと感じてくれました。
 もちろん全てのワインのコンディションは完璧で、ゴージャス極まりないスミレ、ベリー、スパイス香が爆発し、長々と五感を震撼させたジャイエのワインは、リリース時にロンドンから6本購入し、当家のセラーでずっと保管していたものでした。
 また2001年は、思慮の浅いヴィンテッジ・チャートの間違った評価に反して、近年頻出する、行き過ぎた暑さによる瑕疵を逃れた、真にブルゴーニュらしい、素晴らしいヴィンテッジであることは、念のため強調させていただきます。

ブラインドで供したワインは、この5本。

 

味よりも、原始的需給バランスと投機が決める価格

 そんな中で出たこの結果は、テイスターの試飲能力が劣っていた訳ではけしてありません。
 ”ワインの公理”、即ち「一般的にワインの価格が100倍でも、美味しさが100倍になることはない」が、また当然のように証明されただけのことです。
 もちろん100倍 どころか 10倍でも、その価格差がワインの 味わいと感動の絶対量に比例することはほとんどない、のではないでしょうか。
 1本10万円のワインは1本1万円のワインの10倍美味しいのなら、誰もが ブラインドで 高額 ワインを特定できるはずですね。 そして、この話をした途端、このコラムをお読みの皆様は、「私が知っている 1万円、2万円のワインは、普通に売っている10万円のワインより断然感動的だ~~~!!」との力強い確信に満ちた実例をどっと多数、お出しいただけることでしょう。 そう確信します。

 それなのにどうして、1本のワインの価格が何百万円にもなってしまうのか。
 理由は簡単。とても単純な供給と需要のバランスの問題です。
 ごく限られた、そう多くない 生産量のトップワインに、世界中から需要が集中すると、 味は上がってないのに値段だけが上がる。
 ものすごく原始的かつ子供じみた経済原理です。
 最近はワインが完全に投機対象になって、各国の金融機関のファンドマネージャーが値上がり目的でワインを買うことも、価格騒乱要因として皆さんご存知のことですね。
 味は上がっていないのに値段だけが上がる。 アルマン・ルソーのシャンベルタンは、価格が2万円から100万円になっても味の実態は2万円の時のまま。アンリ・ジャイエのクロ・パラントゥ(昔、ケースで買っていました)も、価格が2万円から500万円になっても味の実態と根幹は250倍にはならず、 2万円の時のままです……。

 

存在するかも。ジャイエに近いピノ・ノワール

 ともあれ、本稿でも。論旨は極シンプルです。
 ジャイエのワインは確かに素晴らしい。でも、その死後から18年経った今の世界には、真摯に探せば、数はそう多くないものの、世界の隅々にいくつか、プロでもジャイエと間違えるようなワインが実在する、ということです。
 なのに。残念ながら。
 そのラベルがバーデンだったり、南アフリカだったりした時点で、自動的にそのワインを蔑視? する(価格が安いから??)消費者は、今も岩盤的に存在するようです。その岩盤がある限り、値上がり目的でワインを買う金融関係者の笑いは止まらない……ことでしょう。
 その昔、孔子は40歳を”不惑”、つまり惑わないようになる年齢、としましたが……、ワインのラベルや価格に”惑わされない”ようになるには、現代ではもう少々、時間と経験が必要、なのでしょうか。

 

追伸:
この日、ジャイエに迫ったワインは下記2点、でした。
ザルヴァイ2014 シュペートブルグンダー・ヘンケンベルグ(22名中、7票)
クリスタルム2018 ピノ・ノワール キュヴェ・シネマ(22名中、3票)

 

今月の、ワインが美味しくなる音楽:

秋の夜が滋味深くなる、
アジア発、メロウ・チルアウト・ジャズ。
KIM OKI 『STORY』

 ゆったりとスローなピッチで、抑制の利いた静かなメロディーの奥に、チルアウトや癒しを超えた、”救済”や”祈り”のニュアンスまで漂う音、なのです。作者はサックス奏者ですが、その使い方はとてもアンビエント的。またしても偉大な才能が出てきたものです。韓国から。先月もお伝えしましたが、最近の韓国インディーズの作品性の高さは、本当に驚異的です。
 このアーティストは非常に多作ですが、大半の作品がアコースティック・アンビエントとして、アルバム全体を通してレイド・バックできるのも魅力。韓国インディーズの多くに共通する、非常に繊細でデリケートなトーンも美しく、その響きはまるで心の傷を治癒する子守歌のよう。
 秋の夜、ナチュラルな甘口ワインなどと共に、しっとり過ごす時間を、さらに心地よくしてくれるはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=BVcHmVOev3w

 

今月の言葉:
「価値は、お金でできているわけではない。期待や憧れが、絶妙に調和してできている」
                  バーバラ・キングソルヴァー(作家)

 

寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「(旧)ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記
事を寄稿。アカデミー・デュ・ヴァン 大阪校」、自然派ワイン、および40年以上熟
成イタリア・ワイン、各クラス講師。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査
員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。

 
PAGE TOP ↑