*

合田玲英のフィールド・ノートVol.21

公開日: : 最終更新日:2014/12/26 ライブラリー, 新・連載エッセイ, 合田 玲英のフィールドノート

Vol.21

ナチュラルワインからの自由? 

1.ナチュラルワインがぼくの人生だった

 今年の5月のこと、自分のワイン観を揺るがせかねない経験をしました。というより、それまで、自分が特殊な環境のなかにいて、特殊なワインの見方をしていたのかもしれません。

 僕は2007年に初めて南仏のドメーヌ・レオン・バラルで収穫を行い、2009年から2年あまり、畑やセラー内で働きました。その後ギリシャのスクラヴォス・ワイナリーで1年ほど働き、現在はイタリアにいます。その間出会った生産者のワインは、全ていわゆるナチュラルワインでした(ナチュラルワインの定義には、ここでは立ち入りません)。

 フランス、ギリシャ、イタリアだけではありません。ジョージアのような、ワインの始原期とほぼ変わらない状態でワインが造られている場所にも行くことができました。初めてジョージアの人たちと彼らのワインとともに席を囲んだことは、忘れられません。

 このような数年間にわたる集中的なワイン体験と出会いのなかから、(僕の受け取り方にも問題があったかもしれませんが)、ワインに対する大きな先入観を含む価値観が出来上がってきました。

 たとえば、昔ブルゴーニュワインやボルドーワインを好きで飲んでいた方が、ナチュラルワインに出合ってからワイン観が変わり、以前のようなワインが飲めなくなったという話など、自分にとっては印象的でした。特にワイン銘醸地のワインと、ナチュラルワイン(有名でない地域の小規模生産者のワインというほうが適切でしょうか)との対比についての話も、いまなお耳にこびりついています。

 おおざっぱに要約すると、まずナチュラルワインは、金儲け主義(最近どこかの人たちが、ナチュラルワインの仕事にかかわる誰かにあてつけて、金儲け主義という見当違いな非難をしつこく浴びせているようですが)とは無縁な存在であるとされていました。また、ナチュラルワインには、情熱が注ぎ込まれていて、銘醸地ワインとは根本から違う、とも聞きました。

 そのような話を聞くたびに、銘醸地のワインをほとんど飲んだことがないにもかかわらず、その通りだと受け入れてきました。そして漠然と《銘醸地ワイン→ナチュラルワイン→ジョージアワイン》のような、更に原始的な造りをしたワインへと、自分の好みは向っているのだろうと結論付けていました。さらに言えば、それこそがいいワインだ、と思っていたのです。

2.ブルゴーニュでの体験にめざめて

 前置きが長くなってしまいましたが、今年の5月にブルゴーニュワインの古酒を飲む機会がありました。ブルゴーニュワインをアメリカへと輸出する、ベッキー・ワッサーマン夫妻のル・セルヴェ社の歴史(35周年)を祝うパーティでのことです。彼女たちと長らく取引関係にある高名なブルゴーニュワインの生産者がこぞって集まり、会場に自分たちの蔵のボトルを持参していました。それらのワインの中には本当に素晴らしいものがありました。自分がこれまで飲んだことが無い雰囲気を備えているものもあり、飲んだ瞬間おもわずポカーンとしてしまったのですが、間違いなく美味しい味でした。

ベッキー・ワッサーマン夫妻

 これまで描いてきた《銘醸地ワイン→ナチュラルワイン→ジョージアワイン》という図式どおりに、自分の嗜好は変化していくものだと思い込んできたので、ナチュラルワインにはまってからは、銘醸地の「グランヴァン」に感動することは無いだろうと決め込んでいました。なので、これらのワインを飲んだ時に、自分の中でのワインに対する価値観の大きな塊が溶けた気がしたのです。その会の最後に生産者たちがベッキーの元へ集まり、バン・ブルギニョンという収穫の終わりを祝う歌を唱っている姿を見て、どこの生産者も根っこは何も変わらないのだなとしみじみ思い、僕が勝手に先入観を持っていただけと、強く反省させられました。

 とにかく、長い瓶熟成をへたワインを飲んだ時に味わった、20~30年後に飲める姿を描いて造られてきたことをまざまざと感じさせる素晴らしいバランスは、衝撃でした。また、その会で飲まれたワインは、蔵から直接持ってこられたので、例外的に長い間良い状態で保たれていたのだろうと思います。

 

3.シャンパーニュでもまた

 そのパーティの前後に、ブルゴーニュとシャンパーニュのワイナリーを訪問しました。どちらの地方にも古くからのワイナリーがあり、多くのワイナリーが何百年も前に作られた石積みや穴を掘っただけの地下セラーを持っています。そのようなセラーに恵まれた生産者が、完璧な醸造・熟成環境のなかで情熱を持ってワインづくりをしているのは、飲み手として本当にありがたいと、良い状態の古酒を飲んでから思うようになりました。じつは、そのような環境のセラーを持っている生産者は、本当に少ないようです。ヨーロッパ中にそういうセラーが少なからず残っているとしても、使われなくなったり、建て替えられたりしてしまうのが残念です。

 そういう状況の中で、そのような恵まれたセラーを持っていることの重要性に気づいて醸造している生産者は、本当に稀有だと思います。例えばブルゴーニュ、マルサネ地区のシルヴァン・パタイユは、弧を描く天井がやや低い地下セラーの石壁と地面が、畑の土壌と同一であり、石壁に付着している菌類もまた畑の土中にいるものと同一であることの重要さを説明してくれました。

 シャンパーニュ・マルゲには、築150年という穴を掘っただけの大きなトンネル型の地下セラーがあり、オーナーであるブノワ・マルゲは、そこで長期瓶熟成させることの大切さを熱心に語ってくれました。彼らのような生産者がいるおかげで、まだ知らないワインの世界への足掛かりが出来るのだと思います。

シルヴァン・パタイユ セラーにて シャンパーニュ・マルゲセラー

4.カンパニアの論客:「ワインづくりに自由を」

 最後に、イタリア国カンパニア州のナンニ・コペという生産者を訪問したとき、オーナーのジョヴァンニ・アシリオーネがしてくれた話をご紹介いたします。ジョヴァンニはワインジャーナリストを兼ねているだけに、ワインというものを俯瞰的な視点でもって考えていることが話していてわかります。彼は、栽培醸造にナチュラルを求めることには一定の理解を示しています。けれども、「ナチュラルワイン」という項目が、ワインの分類に入り込むことを好ましく思わず、ワイン造りにイデオロギーが持ち込まれがちな現状に強い違和感を持っています。特にナチュラルワインの生産者が、ある種の共通認識をもって他生産者の醸造法を否定するのには耐えられず、“Io odio l’ideologia!!!!!!!!”(僕はイデオロギーを嫌悪している!!!!!!!!)と言っていました。

ナンニ・コペ ジョヴァンニ・アシリオーネ

 栽培におけるビオロジックやビオディナミという栽培方法に対する意見も同じで、彼は「もし僕の娘が病気になったら、迷わず抗生物質を与えるだろう。運よくこれまで、硫黄や硫酸銅で畑の中での病気に対処できているけれども、必要とあれば畑に農薬をまく。ワイン造りにおいては、栽培でも醸造でも僕は自由でなければいけない」と、言葉に熱がこもっていました。

 上記のことは、僕が彼にブルゴーニュの会で感じたことを話した時に、話してくれたことです。ワインを飲むときに、僕はまだどうしても余計なことを考えてしまいがちですが、ジョヴァンニがワインを造るときと同じように、自由に飲めたらと思います。

合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール
1986年生まれ。東京都出身。≪2007年、2009年≫フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル:写真左)で収穫≪2009年秋~2012年2月≫レオン・バラルのもとで研修 ≪2012年2月~2013年2月≫ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで研修 ≪2014年現在≫イタリア・トリノ在住


PAGE TOP ↑