ドイツワイン通信 Vol. 37
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最終更新日:2014/12/26
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
2014年収穫の風景
今年の私は旅行運に恵まれたようだ。4月、8月のドイツに続いて10月はトルコのカッパドキア、オーストリア、そしてドイツと回ってきた。羊や牛の群れが横切るアナトリアの白茶けた大平原から、秋の気配深まるズュードシュタイヤーマルクやヴァッハウの急斜面のブドウ畑、ノイジードラーゼーやヴァグラムの平野、そしてウィーンの喧噪と、わずか数日のうちに様々な光景の中を通り過ぎた。トルコでの取材を終えたのち、オーストリアとドイツでの私の役目は合田さんの通訳だった。取材ならばなるべく多くの情報を記録してアウトプットに備えるが、今回は通訳としてコミュニケーションのお手伝いに徹してほとんど記録をとらなかった。とはいえ、まだ記憶に新しいこともあり、思い出すことの出来る光景や言葉がある。その中から今回はドイツの様子をお伝えしようと思う。オーストリアから夜行列車でモーゼルに入ったのは10月7日、多くの醸造所で本収穫が始まった翌日だった。空には低く雨雲が垂れ込め、時折り降り注ぐ驟雨がトリーアに向かう列車の車窓を濡らしていた。
前回お伝えしたように、今年は例年より二週間も早く収穫作業が始まった。暖冬の後速やかに成長したブドウは5月下旬に開花を迎え、その後一ヶ月あまり日照りが続いた。6月下旬にようやく降った雨で胸をなで下ろしたのも束の間、今度は冷涼で雨の多い天候が8月下旬まで続いた。そのころドイツ南部で広がり始めたオウトウショウジョウバエによる被害は、次第に北上してラインヘッセンやモーゼルに到達した。9月上旬から晴れ間が増えたが、9月21日にラインヘッセン北部からモーゼル下流にかけて土砂崩れを伴う豪雨となり、水ぶくれしたブドウの果皮が裂け、暖かく湿った風に乗ってボトリティスなどの黴と腐敗が広がった。私たちが訪れたのはそんな時だった。合田さんは「こんな大切な時期にお邪魔して申し訳ない」と生産者に幾度も詫びていたが、彼らは快く迎え入れてくれた。
ファン・フォルクセンの収穫
トリーアの駅でピックアップしてくれたファン・フォルクセンのオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキーの車のトランクには、トイレットペーパーやキッチンタオル、洗剤が山と積まれていた。総勢約70人分の収穫作業者のものだという。ローマンは約50haものブドウ畑を所有する、ザール最大の個人経営の醸造所を率いているのだが、従業員に頼まずに自分で買い出しているところが微笑ましかった。5日前から傷んだ房の除去作業を行っており、前日の10月6日に46人でヴィルティンガー・クップで本収穫を始めた。好天に恵まれたその日の様子を、人生で一度しか書き込んだことの無いフェイスブックにアップロードしてから就寝し、目が覚めたら既に7000人を超える閲覧があったと驚いていた(https://www.facebook.com/vanvolxemwines)。
約70人もの収穫作業者を使う醸造所は、モーゼルでは恐らく他に無い。急斜面なので人の手で収穫作業を行わざるを得ず、さらに今年のように傷んだ房が日々増えて行く状況では、念入りな選果とスピードが欠かせない。一日収穫が遅れると、損失は約4000Euro(約55万円)にもなるんだ、とローマンは嘆息した。完璧を目指すこの醸造所では、醸造所に持ち帰った収穫もベルトコンベアーの上で選別し、傷んだ部分を排除してから醸造する。
収穫作業は毎日11時間に及ぶ。連日の重労働で疲弊した作業者たちの士気を高めるため、アイスクリームとチョコレートを休憩時間に配る。ここファン・フォルクセンをもってしても、近年は人集めも大変らしく、ボルドーのシャトーで収穫を終えたチームを、そのままザールに連れてくることは出来ないかどうか、真剣に検討しているそうだ。
昼過ぎに小雨は止んで、ローマンは収穫再開の指示を出した。スレート粘板岩土壌の急斜面の畑は水はけが良く、ザール川沿いに吹き抜ける風で房の乾きも早い。生産量が少なく、新酒試飲会をキャンセルせざるを得なかった2012, 2013年産のような状況を、今年は繰り返したくないのだろう。既に4月下旬の雹で約9haのゴールドベルクの大半の収穫を失っているだけに、損失を最小限に留めたい。恐らくそう考えていたのではないだろうか。
A. J. アダムの収穫
ノイマーゲン・ドーロンにあるA. J. アダム醸造所に到着する頃、再び小雨が降り始めた。その日は本収穫の初日で、共同経営者であるアンドレアスの妹バーバラを含む5人がホーフベルクの畑で収穫していたが、その成果は一抱えほどのオレンジ色のボックスが数えるほどだった。しかしその中のリースリングは水滴を帯びたエメラルドのように美しく、傷みはごく少なかった。ホーフベルクの畑は灰色スレート粘板岩に珪岩と酸化鉄の混じる石の多い土壌で表土が薄い。そこに生えた草の上でボックスをズルズルとすべらせながら斜面を降りて、農道にある年代物のトラクターまで運んでいた。
4haあまりのブドウ畑の収穫は毎年5, 6人で行っている。所有面積が少ないということは、少人数で臨機応変に対応出来る。「大規模な醸造所では手がまわりきらず、最適な収穫のタイミングを逃してしまうことがある。だから小規模な醸造所には小規模なりの利点があるんだ」と、ルドルフ・トロッセンが言っていた。
訪問を切り上げる頃、雨足はさらに強まった。これでは収穫は無理だ。中止しようとアンドレアスは言った。しかし骨休めの暇もなく、改修中のセラーでやるべきことが山ほど待っているに違いなかった。
リタ&ルドルフ・トロッセンの収穫
翌朝雨は止んで、前日よりも少し暖かかった。ルドルフ・トロッセンの運転するバンに乗って醸造所に向かい、私達と入れ替わりに6人ほどの作業者が乗り込んで収穫に向かった。醸造所の顧客や友人に親類、それにグルジアと中国からの研修生といった人々で、和気藹々としていた。
彼らはとても熱心に選果を行っていた。「どうやるのかって? よく見てな」と、一人が手際よく房から茶色に変色した部分をはさみで切り落とし、残った部分をバケツに入れた。あまりに手際がよかったので呆然としていると、ルドルフが房を一つ手にとって見せてくれた。一部はボトリティス、一部は酢酸バクテリアで傷んだ房だった。似たような茶色なのだが、酢酸バクテリアにやられた方は色が少し赤味を帯びている。房を手にとって怪しいと思ったら臭いで確かめ、ボトリティスは残して酢酸バクテリアの方は切り落とす。切り落とさなければマストの中で酢酸発酵が起きて、セメダインのような匂いがワインについてしまう可能性がある。収穫直後に亜硫酸を添加すれば微生物の活動は抑制出来るけれど、トロッセンのプールス・シリーズのように亜硫酸無添加で醸造する場合、選果を徹底する以外にない。一方、ボトリティスは多少混ぜて醸造してもほとんど問題にならない、とルドルフは言う。「辛口の醸造にボトリティスは疫病神みたいに言われているけど、あれは農薬メーカーのプロパガンダだよ」と、4月に訪れた時に言っていたのを思い出す。
帰り際、ルドルフは収穫チームに「みんなご苦労さん、あとで暖かい昼食を出すから楽しみにしてて」と声をかけていた。奥さんのリタさんの手料理で、これがトロッセンのワインが美味しい理由の一つだそうだ。ファン・フォルクセンにしてもトロッセンしても、収穫チームのモティヴェーションは、質の高い収穫を得るためにとても大事なことだと考えている。昼食のご相伴にあずかりたい気持ちをぐっとこらえて、私達はヴァイサー・キュンストラーへ向かった。
ヴァイサー・キュンストラーの収穫
モーゼルで訪問する最後の醸造所で、トラーベン・トラーバッハにあるヴァイサー・キュンストラーに着いた時、再び小雨が降り始めた。呼び鈴を押すとしばらく間を置いて玄関の扉が開き、アレクサンドラ・キュンストラーさんが現れた。「いま圧搾中なの。少し待っていて」と私たちを試飲室に通してから再び姿を消した。
彼女が醸造所に一人残って操作していたのは、約30年前に製造されたガス式圧搾機だった。シリンダーの中に厚手のゴムで出来た袋があり、中に空気を吹き込み、ブドウを外壁に押しつけるようにして絞汁する。コンピューター制御なら自動でやってくれる圧力調整も、様子を見ながら手作業でやらなければならない。時間も手間もかかるが、ブドウに優しい圧搾が出来るという。
やがて雨脚が強まり、オーナー醸造家のコンスタンティン・ヴァイサーと収穫チームも畑から戻ってきた。コンスタンティンは腰の高さほどの円筒形の容器から、清澄した果汁をサイフォンの要領で移し替える作業を黙々と行っていた。4人の収穫作業者達はトラクターの出入りする中庭の軒下で、手持ち無沙汰に雨宿りしていた。あたりには雨音と圧搾機のモーターの低いうなり声が静かに木霊していた。
エファ・フリッケの収穫
その後列車でラインガウに向かい、キートリッヒにあるエファ・フリッケの醸造所を訪れた。ここでは収穫作業はモーゼルよりも進捗していて、礼拝堂のような趣のあるセラーでは4, 5基の小型ステンレスタンクが既に発酵中だった。鬱蒼とした木立に囲まれた、14世紀にシトー派修道院が所有する農園だったという地所の庭に張られたテントの下に圧搾機が鎮座し、少し離れた場所に移動用冷蔵車が設置され、ホースで繋がれていた。形式にこだわらない、エファとチームの若々しい柔軟さを反映しているようでもあった。彼女が縁あってここに引っ越してきたのは2008年5月のことだ。荒れ果てていた地下セラーから大量の瓦礫を運び出し、ステンレスタンクを揃え、少しずつ現在の姿にまで整えてきた。美しいセラーに微かに響く発酵の音に、彼女のささやかな幸せを感じた。
モーゼルの本収穫開始からおよそ二週間と少し経った10月20日頃、フェイスブックにはいくつもの醸造所から、収穫を無事完了したことを伝えるコメントがアップされた。私たちの帰国後天候は回復し、小雨が2, 3日ぱらついた程度で、収穫作業にはほとんど差し支えなかったようだ。結果的に8月頃に期待されたような豊作にはならなかったものの、量的にはほぼ平年並みで、選果に多大な労力を要したものの、満足のいく収穫を得る事が出来たという。
収穫を終える事が出来た喜びは、どこのワイン産地でも同じだろう。モーゼル川の支流ザールとルーヴァーでは、それを祝う独特の風習がある。最後の収穫を積んだ荷台に色とりどりの短冊を吊した枝を立て、クラクションを鳴らしながら醸造所に向かったり、ブドウ畑に同様の枝を立てて、その周りで「キケリキー! キケリキー!」と鶏のときの声を模して叫ぶのである。数年前、ザールのブドウ畑で偶然目撃したその光景は、傾きつつあった陽光に映えてそれは美しかった(その時のブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/diary/200812030000/)。いつかもう一度、この景色に出会えたらと思う。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会 員。
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