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ドイツワイン通信 Vol. 36

公開日: : 最終更新日:2014/12/26 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

ドイツのブドウ畑の新たな脅威

9月下旬に入り、ドイツではブドウの収穫が山場を迎えつつある。

 アイスヴァインが収穫出来なかった暖冬と温暖な春に続いて、今年の開花は昨年よりも一ヶ月あまり早い5月下旬に始まった。DWIドイツワインインスティトゥートによれば2007年以来の記録的に早い時期の開花だという。続く6月は暑く乾燥したが、7月から冷涼で雨がちな、まるで夏を忘れて秋になってしまったような天候が続いた。東京で40℃に迫ろうという猛暑の頃、ドイツは20℃台前半という涼しさだったからブドウの成熟にはブレーキがかかり、黴が少し出始めていた。やがて9月9日前後にバーデンやファルツなどの温暖な産地でミュラートゥルガウやドルンフェルダーといった早熟品種の収穫がはじまり、DWIは今年の収穫量は平年を若干上回るだろうと報じた。ただ、それは安定した天候が続けば、という条件付きだった。

 案の定というべきか、9月21日の午後、モーゼルからラインヘッセンにかけて局地的に豪雨となった。モーゼル下流では土砂崩れで川沿いを走る鉄道と道路が一次通行止めになったほどの降雨量で、一時間に100ℓを超えた所もあったという。ただ、モーゼル全体の平均降雨量は20~40ℓ前後で、下流以外の影響は幸いそれほど深刻ではなかったそうだ。

それにしても今年の収穫は早いペースで進んでいる。早熟系品種は言うまでもなく、ブルグンダー系も23日の時点で収穫目前か収穫済みで、ファルツでは9月19日頃から、モーゼルでも22日前後から一部でリースリングの収穫を始めている。もっとも一つの区画を一度に収穫するのではなく、本収穫が始まる前に傷みの出始めた房を選んで収穫する、いわゆるフォアレーゼVorleseである。モーゼルの多くの生産者はリースリングの収穫開始を10月6日前後に予定しているそうだ。

ドイツを襲った「スズキ」の恐怖

 しかし今年、雨にも増してドイツの生産者達を恐れさせているのが「スズキ」である。日本出身のそれは4月頃にバーデンの果樹園に姿を現し、やがて7月頃から勢力を増しながら次第に北上し、ヴュルテンベルク、ファルツ、フランケン、ラインヘッセン、そしてモーゼルのブドウ畑にも姿を現した。特に赤ワイン用のブドウを好み、数日のうちに深刻な被害を及ぼしかねないという危険な存在だ。といっても、人間ではない。学名を「ドロソフィラ・スズキイDrosophila suzukii」と言うショウジョウバエの一種で、和名は「オウトウショウジョウバエ」である(オウトウは桜桃、つまりサクランボのこと。ドイツ語ではキルシュエスィッヒフリーゲKirschessigfliege、略称KEF)。その名の通りサクランボやイチゴ、キイチゴ、ブルーベリー、プルーンをはじめとする、もっぱら果皮が赤~黒の果実やベリーに産卵する。1930年頃には日本・韓国・中国で広く生息していたというこのショウジョウバエの一種は、1980年代にハワイ、2008~9年には北米西部とカナダで大繁殖し深刻な被害をもたらした。ヨーロッパでは2008年にスペインで最初の被害がみつかり、2009年にフランスとイタリア、2011年にはオーストリア、ドイツ、スイスまで拡大した。とりわけ今年は暖冬で越冬が容易だったうえ、夏の湿った気候が大量発生を促し、現在ドイツ各地のブドウ畑で問題となっている。

「スズキ」の名の由来

 ちなみに、オウトウショウジョウバエの学名にある「スズキ」の名は、大正時代に京都で花園昆虫研究所という標本商を営んでいた鈴木元次郎氏に由来する。鈴木氏は元々蒔絵職人だったのだが、その図案の参考にするために島津製作所の標本部に出入りしているうちに、昆虫学に魅せられたらしい。スズキの名が最初に文献に登場するのは1931年のことで、昆虫学の大家であった松村松年博士の『日本昆蟲大圖鑑』の猩猩蠅科の中で「スズキシャウジヤウバヘ Leucophenga suzukii Mats.」とあるので、当時松村博士はコガネショウジョウバエ族の一種と鑑定したようだ。ちなみに、ショウジョウバエは約3000種が知られており、スズキの他にもベップ、イチノセ、カネコ、キタガワ、タカハシなど研究者の名前がついたものも多い。一般にショウジョウバエと呼ばれるのはキイロショウジョウバエDrosophila melanogasterで、熟した果物類や樹液やそこに生息する野生酵母を餌とするから自然と酒や酢にも寄ってくる。もともとショウジョウバエの猩々(しょうじょう)とは、赤い目をして酒にたかることから、顔の赤い酒飲みの妖怪「猩々」にちなんで命名された。そして安物の酒には見向きもせず、ワインでも上等なものほど寄ってくるという。そこで大蔵省の醸造研究所は、一時期ショウジョウバエを利き酒判定に使おうという研究に真剣に取り組んでいたそうである。

Drosophila suzukiiあるいはオウトウショウジョウバエの脅威

 さて、話をドイツにもどすと、キイロショウジョウバエは昔からドイツにもいて、もっぱら傷んだ果実に集まり卵を産み付けていた。それはバクテリアを運んで来て酢酸の生成をともなう腐敗をもたらし、収穫に混じるとワイン全体を損ないかねないので嫌われていたが、このオウトウショウジョウバエはそれよりもずっとたちが悪い。雌の産卵器にノコギリの歯のようなギザギザがあり、これで収穫間近の果皮を破って中に1~3個の卵を産み付けるのだ。まず、産卵の際につけられた傷から滲み出した果汁が黴や細菌の温床となる。そして2、3日で幼虫が孵化して果肉を食い荒らす。しかもその増え方が尋常ではない。彼らは一日7~16個、一生に約300~600個の卵を産む。最短10日前後で成虫となり、一年間で10~13世代発生するという。その生存期間は短いもので8~14日、長いものは約10ヶ月に及び、一部は枯れ葉の下などで越冬する。

手間のかかる対策

 今年ドイツでオウトウショウジョウバエの名が話題となり始めたのは、バーデン南部で早熟品種の赤ワイン用ブドウに深刻な被害が出始めた8月20日ころである。それから間もなくドイツを訪れた私は、生産者の口から「スズキ」の名が出るたびに、いささか後ろめたいような、申し訳ないような気分にさせられた。オウトウショウジョウバエは日陰を好むのでブドウの葉を取り除いて風通しを良くし、房に直射日光をあててやるのが対策の基本である。しかし今年のドイツの生産者が直面している困難な状況は、収穫目前となってから事態の深刻さに気が付いたことに起因している。早期であればオーガニック農法でも使える薬剤(SpinTor)を用いた散布液を7日毎に噴霧すれば効果的に防除出来るが、それを散布した後7日間は薬剤成分の残留期間なのでブドウを収穫することが出来ない。他の薬剤と組み合わせて濃度を下げ、残留期間を一日まで短縮する手法もあるそうだが、収穫直前のブドウに農薬は基本的に使えないのである。またSpinTorはミツバチも殺してしまうため、周囲に養蜂農家がある場合は同意をとる必要があるという。

 早期発見のため生産者は毎日畑を巡回し、ブドウの状態をチェックしなければならなかった。とはいえ果皮にあけられた直径わずか数ミリ以下の小さな穴を、あの無数にある房の中から見つけるのは大変なことだし、食い尽くされた果粒を見つけた時には既に時遅し、である。そこで上の方に2, 3mmの穴をいくつか開けたペットボトルに水で薄めたリンゴ酢を入れたトラップを設置し、オウトウショウジョウバエがあたりを飛び回っていないか確認している。9月17日付のモーゼルの農業指導所(DLR Mosel)のレポートでは、もしも見つかったら果汁糖度に関係なく速やかに、かつ傷んだ部分を選り分けながら収穫することを勧めている。幸いにも今年は開花が早く成熟期間が長かったので、果汁糖度が若干低めでも十分なアロマが乗っているそうだ。

 今のところ被害が報告されているのは赤ワイン用ブドウ品種のみである。9月23日付のアルゲマイネ・ツァイトゥング紙によれば、ラインヘッセンではほとんどの赤ワイン用品種は収穫を終えており、生産者達はバーデンほど深刻な事態にならなかったことに安堵しているそうである。ある生産者はオウトウショウジョウバエと豪雨による損害をあわせても約15%前後と見積もっていて、収穫量は昨年よりも増えそうだという。ちなみに、最も深刻な被害のあったバーデン南部のカイザーシュトゥール周辺の損失は30~40%と見積もられているが、最終的な結果はまだわからない。

 しかし収穫シーズンはまだ終わっていない。赤ワイン用ブドウが畑からなくなって行き場を失ったオウトウショウジョバエは、次にリースリングに卵を産み付けるのではないかと懸念する声もある。しかし2011年以来「スズキ」対策の経験を積んできたアルト・アディジェの農業指導連盟によれば、これまでに被害にあったのはフェルナッチ(トロリンガー)、ローゼンムスカテラーとラグレインといった果皮の黒い赤ワイン用ブドウのみで、白ワイン用ブドウ(グラウブルグンダー、ゲヴュルツトラミーナー、ソーヴィニヨン、ミュラー・トゥルガウ、ケルナー)は無事だというから、リースリングが主力の生産者はひとまず安心してよさそうだ。

 

2014年は例年にも増して手間のかかる年となっていて、赤ワインは生産者によって品質に大きな差が出るだろうと言われている。リースリングに関しては今後の天候次第では質・量ともに満足のいく良年となりそうで、天気予報も今のところ10月9日まで涼しい秋晴れが続くと予想している。2012, 2013は収量の少ない生産年だっただけに、生産者達の期待は高まっている。
(以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会 員。

 
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