ドイツワイン通信 Vol. 35
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最終更新日:2014/12/26
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
変わり行くドイツワイン
晩夏の厳しい暑さが続いている。朝夕に秋の気配を感じるとともに空の色が深くなり、広大な空間を熱気と蝉の声が満たしている。蝉の声はやがて鈴虫に取って代わり、今はウンザリしているこの暑さが恋しく思われる季節となるのだろう。モーゼルでは8月に入ってから雨がちな天候が続いているそうだが、ブドウの生育は順調だという。ラインヘッセンでは濁り新酒として地元を訪れた観光客に提供するブドウの収穫が始まった。本格的な収穫期まであと半月ほどである。
ラインラント・ファルツ州のワイン表記条例改正
去る8月14日、VDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟は「『呼称範囲が狭くなるほど高品質』となる歓迎すべき改正。ラインラント・ファルツ州の新たなワイン表記条例」と題したプレスリリースを公表した(http://www.vdp.de/aktuelles/details/artikel/neue-weinkennzeichnungsverordnung-des-landes-rheinland-pfalz-9855/)。「呼称範囲が限定されるほど高品質」とは、ブルゴーニュのような格付けシステムを念頭に置いた表現である。周知の通り現在のドイツのワイン法に基づく格付けは、フランスなどと異なり収穫時の果汁糖度に基づいている。品種やブドウ畑に関係なく果汁糖度さえ基準を満たせば高い格付けを名乗ることが出来、ヘクタールあたりの収穫量の上限も125hℓと制限が無いに等しかったので、ワインの質はもっぱら生産者の志に委ねられ、同じ格付けのワインでも醸造所によって品質に差があった。それが結局、格付けは高くても質の低いワインをはびこらせ、ドイツワインの評判を落としてきたのである。
上記のプレスリリースによれば「ラインラント・ファルツ州は、先頃ワイン表記条例を改定し、単一畑からのワインに対し収穫時の果汁糖度基準をより高くし、急斜面のテラス状の畑(Terrassenlage)で収穫されたワインは(訳注:エティケットに表記可能な)ブドウ品種をリースリングとブルグンダー系に限定し、(訳注:1971年のワイン法で表記を禁止された)土地台帳に基づく区画名を使えるようにする」ことを決めたそうだ。この件についてVDP会長のステッフェン・クリストマンは「これは最初の小さな一歩にすぎないが、正しい方向へ向かう一歩には違いない」と、人類初の月面着陸の際の一言を彷彿とさせるコメントをする一方、この決定が効力を発揮するために、速やかに議論を深めていかねばならないと提言している。
ドイツでは各州がドイツワイン法に基づき、州内のワイン生産地域に適用される具体的な条例を定めて運用することが出来る。その一例はラインガウの位置するヘッセン州において、1999年産からリリースされている「エアステス・ゲヴェクス」である。端的に言えばグラン・クリュの高品質な辛口系ワインだが、ラインガウには19世紀に行われたブドウ畑の格付け地図が伝承しており、それをもとに栽培・醸造研究機関のあるガイゼンハイム大学が個々の単一畑の地質・降雨量・日照量・気温・給水量などを調査して格付けしたものだが、ドイツ全体のブドウ畑の約3%にあたる比較的狭い範囲の伝統産地だから可能となった法規定である。
一方、ラインラント・ファルツ州にはワイン生産地域モーゼル、アール、ミッテルライン、ナーエ、ラインヘッセンとファルツが含まれ、ドイツ全体の約6割を超えるブドウ畑が広がる一大ワイン産地だ。ラインヘッセンやファルツの広大な丘陵地帯からモーゼルやアールのような渓谷の急斜面まで、地形はもとより土壌・気候も様々な産地が含まれている。ここでもブドウ畑の格付けはVDP加盟醸造所が19世紀の格付け地図をもとに行っているが、ワイン法や州の条例で定められた公的なものではない。また、約30~150haを所有する比較的規模の大きな伝統的な醸造所が中心のラインガウと異なり、ラインラント・ファルツ州では3ha以下の小規模ブドウ栽培者が大半を占め、そうした小規模生産者からブドウやワインを購入して自社ブランドで販売する醸造協同組合や大規模醸造所が有力であるため、州政府は畑の格付けには消極的であった。例えば2009年8月にEUワイン市場改革に伴う保護地理的呼称(略称g.g.A.)と保護原産地呼称(略称g.U.)がEUのワイン生産国全体に適用されることになった際、ドイツでは従来の果汁糖度に基づく格付けにほとんど変更を加えることなく、ラントヴァインがg.g.A.、クヴァリテーツヴァイン以上はg.U.に含まれるとした。これに対しVDPとラインラント・ファルツ州の一部生産者は、呼称範囲が狭まるごとにブドウ品種を限定し、ヘクタールあたりの収穫量を絞り込む「呼称範囲が狭くなるほど質が高くなる」制度を提案し、2011年2月には州のワイン農業担当相に陳情に訪れたが、これまで成果らしい成果はあがらなかった。ただ、急斜面のブドウ栽培を支援する必要性は早くから認められてきた。
急斜面のブドウ栽培支援
そしてようやくラインラント・ファルツ州議会で、急斜面とテラス状のブドウ畑のワインを際立たせようとする表記条例が議決された。それまで頑なに守られ続けてきた1971年のワイン法から、ブドウ畑の格付けへと一歩踏み込んでいるように見えるのだが、この決定に関するラインラント・ファルツ州の8月6日付プレスリリース(http://www.rlp.de/no_cache/einzelansicht/archive/2014/august/article/steillagenweine-staerker-profilieren/) を見ると、州政府の主眼が急斜面でのワイン栽培の支援にあることがわかる。具体的には2014年産から「シュタイルラーゲ(急斜面の畑)」Steillageや「テラッセンラーゲ(急斜面にあるテラス状の畑)」Terrassenlageと表記されたワインは、品種をリースリングかブルグンダー系(シュペートブルグンダーとフリューブルグンダー)に限定し、収穫時の果汁糖度基準をカビネットより5°エクスレ高く設定し、公的審査の官能試験で5点満点中3点以上獲得することが決められた。急斜面のブドウ畑のワインが高品質であることを消費者にわかりやすくすると同時に、品質に見合う価格設定を可能にしようというのである。ちなみに「急斜面」とは平均斜度30%以上の斜面にある畑を指し、主にモーゼル、アール、ミッテルライン、ナーエに分布する。
これらの生産地域では、実は10年以上にわたりブドウ畑が減少し続けている。1997年から2006年にかけてラインラント・ファルツ全体の約6%にあたる3,838haのブドウ畑が減少しているのに対して、モーゼルとミッテルラインではどちらも実に約25%、四分の一も減少しているのである(モーゼル1997: 11,985ha→2006: 8,975ha、ミッテルライン1997: 610ha→2006: 460ha)。そしてモーセルのブドウ栽培面積は2012年には8,765haとさらに減少を続けている(ミッテルラインは462haに微増)。
減少の要因は樽売りワインの価格低迷であり、その結果採算のあわなくなった小規模農家の廃業である。モーゼルでは1999年に7,371軒あったブドウ栽培農家が2009年には4,415軒と約40%の農家が廃業しており、ドイツ全体でも約30%減っている(DWI Pressemitteilung 10.11.2010)。反面5ha以上のブドウ畑を所有する醸造所は、2003年から2013年にかけて20%から32%へと増加し、1ha以下の零細農家は2003年には43%から27%へと減少している(DWI Pressemitteilung 07.08.2014)。このブドウ畑の集約傾向はモーゼルで成功している醸造所がブドウ畑の所有面積を増やしていることからも確認出来る。
急斜面でのブドウ栽培は機械化の容易な平地のブドウ畑に比べてはるかに手間がかかり、零細農家では高齢化と後継者不足に悩んできた。彼らがやむなくブドウ畑をうち捨てた背景には、1971年のドイツワイン法による、畑やブドウ品種に関わりなく収穫時の果汁糖度によりワインの格付けが決まるという仕組みにより、悪平等が助長されてきたことが挙げられる。これへの反省を踏まえ、急斜面を所有する生産者を支援し、渓谷の美しい景観を維持することが差し迫った課題であるという認識が、今回のワイン表記条例の改正には現れている。エティケット表記だけでなく、従来からの急斜面でのブドウ栽培に対する補助金の増額に加えて機械化支援、効率的な作業を可能にする区画整理なども検討されている(Bauern- u. Winzerverband Rheinland-Nassau 03.01.2014)。
モーゼルの衰退とワインの品質基準
しかしながら、ドイツワイン法の悪平等の根幹である果汁糖度に根拠を置く格付けシステムが温存されている限り、格付けと品質の相関性を保証するものが欠けている。急斜面の畑を名乗るワインのブドウ品種を限定するのは良いとして、より高い果汁糖度を基準に取り入れても、そこはもともとブドウが熟しやすいが故に厳しい環境にもかかわらず開墾された畑であり、さらに近年の温暖化で果汁糖度が上がりやすくなっていることを考えても、あまり意味があるとは思われない。ワインの質を決定するものは果汁糖度ではない。収穫の品質とともにヘクタールあたりの収穫量の制限が高品質なワイン造りには欠かせないことは周知の事実なのだが、ラインラント・ファルツ州の改革案はそこまで踏み込まず、官能検査で3.0点以上という結果的なもので保証しようとしている。仕上がったワインが一定の品質を満たしていれば収穫量の多少は問わないという旧来の姿勢であり、低価格競争へと向かうリスクが潜んでいる。
モーゼルに対して一歩先んじているのはラインヘッセンである。2008年産から地域のVDPとブドウ栽培者連盟が中心となって取り組んでいるグーツヴァインGutswein、オルツヴァインOrtswein、ラーゲンヴァインLagenweinという三段階の格付けシステムがある。グーツヴァインは醸造所のハウスワインで、オルツヴァインは村名ワインでエティケットには村名のみを記載し、ラーゲンヴァインは村名と畑名もしくは畑名のみを記載する。それぞれ格付けに応じた品質の違いを表現するとともに、価格帯もベーシックなグーツヴァイン(小売価格6~10Euro, 約840円~1400円)、ミドルクラスのオルツヴァイン(12~18Euro, 約1680~2,520円)、フラッグシップのラーゲンヴァイン(20Euro以上, 約2800円以上)に設定する。一部醸造所が取り組んでいる自主規制で公的な条例などとは関係はないが、若手醸造家団体メッセージ・イン・ア・ボトルを中心に、2000年代に入ってからテロワールを表現した高品質な辛口系ワインの産地として自信をつけている産地であるからこそ、こうした取り組みが可能なのだろう。
また、モーゼルの場合は上でも述べた様に小規模生産者が多いのだが、その多くは品質を向上させるためにブドウ畑と醸造設備に投資するだけの資金が無い。そしてコッヘム、ベルンカステルといった観光地周辺では、観光客のお土産用の手頃な価格で品質の必ずしも良くないワインや、地元消費用のシンプルなワインをもっぱら生産販売する醸造所も少なくない。彼らにとってはボトルの中身よりも聞こえの良い畑名の方が売り上げには有効なので、単一畑と見分けにくい総合畑(グロースラーゲ、複数の村にまたがる広大な領域を指す)の恩恵にあずかっている。質の良いワインを高く(あるいは妥当な価格で)売ろうという発想がなく、最初からあきらめている人々だ。また、総合畑は量販店やディスカウンターに大量に商品を供給したり輸出を手がける大手醸造会社にとっても手放すことの難しい販売ツールとなっているのだが、VDPをはじめとする醸造所が提唱する「呼称範囲が狭まるに従って質を高める」という戦略にとって、単一畑と紛らわしい総合畑は混乱を招き、ひいては悪用されかねない頭痛の種である。
VDPの格付けに対する批判
そこでVDPでは総合畑の廃止を訴える一方、行政側で調査中の単一畑ワインの生産の実際とマーケティングについて速やかに結論を出して議論すべきであると提言している。ただしかし、VDPが行っている格付け―グーツヴァイン、オルツヴァイン、エアステ・ラーゲ、グローセ・ラーゲという4段階に分けて、呼称範囲が狭くなるほどに品質と価格を高くするという仕組み-には批判もある。例えば呼称範囲の狭さと質の高さの間に必ずしも相関関係は成立せず、むしろ異なる区画や畑のワインをそれぞれの欠点を補うようにブレンドした方が、美味しいワインが手頃な価格で出来るのではないかという意見。また、格付けの高いワインに用いられるのは伝統的品種に限定されるが、例えばゲミシュターザッツのように、多様な品種から造ったワインが単一品種のワインよりもブドウ畑の個性を表現することもあるという指摘。さらにとりわけグローセ・ラーゲのワインの質と価格の妥当性が、今度は低価格競争とは逆の方向から批判的に指摘されている。
ただ、今回のラインラント・ファルツ州のワイン表記条例の改正で、1971年に禁止された土地台帳に登録されている区画名の使用を認めるという決定は、当時複数の単一畑が知名度の高い単一畑に合併されたという経緯から、それ以前の、本来のブドウ畑や区画の名前をエティケットに表記して、より限定された範囲のテロワールを表現した高品質なワインをリリースしやすくなると評価されており、今後は区画名を表記したワインが増えるものと見られる。
いずれにしても、ドイツワインはエクスレからテロワールへと徐々に移行しつつある。先日2007年に出版されたDieter Braatz/ Urlich Sautter u.a. (hrsg.), Weinatlas Deutschlandの英語版がUC PressからWine Atlas of Germanyとして出版されたのだが、原書の出版から既に7年が経過していてVDPの格付け制度をはじめとして様々な点で加筆・訂正すべき箇所があり、ドイツワインの今を知るには役立ちそうなものの、このまま日本語に翻訳出版するのはどうかと思われた。ドイツワインは変化を続けていることに改めて気づかされた次第である。
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会 員。
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