オフィス便りvol.41
vol.41
はじめに
こんにちは。ご無沙汰しております。2009年6月から~2013年2月まで、約4年間に渡り、(勝手に)お休みしながらも執筆を続けてきたラシーヌ・オフィス便り。約1年ぶりの執筆です。
といいますのも、このたび、私事ではありますが、2014年3月末をもちまして、ラシーヌを卒業いたします。この 際、合田さんと塚原さんから『みなさん宛にメッセージを書いてみない?』と、機会を提供していただきましたので、私にとって最後のラシーヌ・オフィス便り を執筆することになりました。
ラシーヌでの出会い
私とラシーヌの出会いは、2008年・夏(当時・27歳!)。当時、フランスのワーキングホリデービザを取得し、フランス全土を飛び回っていました。 ひょんなことから、これぞ運命!という赤い糸に導かれ、アルザス/ジェラール・シュレールで3週間、ジュラ/ジャン・イヴ・ペロン(Le Verre Vole a Tokyo/宮内さんご夫妻とともに)で2ヶ月の研修をすることができました。そのときに出逢った生産者たちから「帰国後の仕事が決まっていないなら、ラ シーヌを受けてみたら?」と、言われたことでした。
ラシーヌ入社以来、広報、営業事務を経て、2009年より営業担当をもつようになり、2013年は営業をメインに就業しました。その他にも、システム関連、新人教育、年間企画運営など、1つの会社に勤めたとは思えないほど、多岐に渡る経験をさせていただきました。
なかでも、営業担当になったことは、人生の大きなターニングポイントでした。日本全国、地域・年齢問わず、ワイン を愛してやまない方々から、多くの刺激を受けました。アルザス/ピエール・フリックのカーヴで試飲しているときに「美雪、君は今営業をやっているのでは? 2年前、日本で会った時の印象と全然違う。ずいぶんとワインに対する姿勢が変わったよ。」と言われました。これは、営業担当をさせていただいた中で、 「いい大人」にたくさん出会い、自分だけでは見ることができなかった世界を見せてくれて、私が納得して進んでいけるよう道標を与えてくださった結果だと感 じています。
ジェラール・シュレールから学んだこと
2013年7月。ラシーヌ入社5年目、2度目のフランス出張での出来事です。 アルザス/ジェラール・シュレールを訪問した夜、ジェラールと2人でゆっくりと過ごすときがありました。 これまでジェラールが歩んできたことや、ジェラールと息子/ブリューノが、それぞれ歩んでいるワイン造りへの想いを話している中で、急に、「C’est Le Chemin de Compostelle (これは、シュマン・ド・コンポステル/コンポステルへの道だな)」と言いました。意味がよくわからなかった私は、ジェラールから意味を聞きました。
「Chemin de Compostelle (シュマン・ド・コンポステル/コンポステルへの道)」 クリスチャンの使う言い回し。モンサンミッシェルから、スペイン/コンポステルへ続く巡礼の路。巡礼の旅に出るとき、とある道を通る。その道は険しく、 歩行が困難、盗人もいれば、襲われることもありとても危険な道だった。でも、その道を通らないと、先に進めない。だから、困難を覚悟で、進むしかなかっ た。今はそういうこともなくなり、安全な道になっている。それは、先人が困難に立ち向かい、道をならしてきたからこそ、今の人たちが安全に巡礼の旅を続け ることができるようになった。
つまり、ジェラールは、自分のような年輩者たちが、未来を担う若者たちのために、Chemin de Compostelleを歩んできたんだ、ということでした。それは、決して偉そうではなく、あくまで自分たちが犠牲になってでも、自分たちの経験や知識 を、未来につないでいきたいという、強い意志の表れです。その容易ではない人生を、たった一言の言い回し『C’est Le Chemin de Compostelle』に言い換えたのです。自分たちには、その道を進むしか方法がなかった、という今までの彼の人生を振り返って、こう言いました。 「私は、今の私に、私の人生に、満足している。私の生きている“今”をうれしく想っている。」と。彼は、息子/ブリューノに世代交代した今もなお、シュ レール家でワインを造り、彼らと共に生きていることに幸せを感じているのです。
ジェラールとの出会いで学んだことは、シンプルでいることの大切さ。自然であること。自分を信じること。余計なも のは脱ぎ捨て、あるがままの姿を受け入れていくこと。 彼は生きる上で必要なものだけを持っている。唯一無二の、他の何物でも補えないもの。それを維持し続けていることが、彼がもつ真の強さを証明していまし た。
最後に
私にとって、その真の強さを感じる人は、日本にもたくさんいます。 私が、困難なことに立ち向かうときは、常に自分との闘いであり、あえて厳しい道を選んできました。ただ、私がその道を選ぼうと決断できたのは、いつも側 に、“先人”がいてくれたからです。同じように厳しく険しい道を選んできた先人たちが、私がその道を思いきり駆けあがっていくことができるよう、最大限の [ 自由 ]を与えてくれていたからです。いつも私を見守り、たくさんの勇気をくださった合田さんと塚原さん、ラシーヌ・スタッフのみんな、そしてラシーヌ・ファン で居続けてくれるたくさんのお客さまたちに支えられて、5年半という短い期間ではありましたが、ラシーヌでの日々を全力疾走することができました。今まで も、これからも、ラシーヌを、ヴァン・ナチュールを愛する気持ちは変わりません。どこかで見かけた際は、ぜひ声をかけてください。一緒に、ヴァン・ナ チュールを心ゆくまで楽しみましょう。
大量生産のワインを造り、お金もうけをして、いい車やいい生活をしたところで、 その人には何が残るのだろう。それならば、僕は、大事に造った1本のワインを、 みんなで空けて楽しみながら、より豊かな(気持ちで)人生を送ることを選ぶ。 本当の意味の“豊かさ”とは、みんなで共有できるものだと思う。
マルク・アンジェリとの会話より(2010年11月) 西 美雪
- NEXT WINE TOKYO 2015(終了)