『ラシーヌ便り』no. 107
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最終更新日:2014/12/26
定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー
no. 107
各地で災害がおきた8月でしたが、皆様にはお変わりありませんか。この度の広島の災害には、言葉もありません。また、農産物の被害を知りますと、農家の方々のご苦労を思い胸が痛みます。心よりお見舞い申し上げます。
フランスでも、大雨、洪水、雹害のニュースが届いています。2014年もブルゴーニュは容易なヴィンテッジではないようです。 アリス・エ・オリヴィエ・ド・ムールにお見舞いの連絡をしましたら、「うちは、雑草が表土流出を防いでくれた。年に数回除草剤を使ってるお隣は、大きな穴があいて、流された土は斜面下にたまっている、大変な被害だったよ。今年は生育が順調だったけれど、7月、8月雨が多く、小康状態だった病気が出てき始めている。早く乾燥した天気になって、問題がおちついて、最後の熟成が順調にすすんでほしいと願ってるよ。」とメールがきました。
ティエリー・ピュズラ&ピエール=オリヴィエ・ボノムの来日
二人の来日に際し、大勢の方にご参加をいただきありがとうございました。ティエリーは、長年運営してきました≪EURLピュズラ・ボノム≫をピエール=オリヴィエに事業譲渡をし、今後はル・クロ・デュ・テュ・ブッフに専念することとなりました。そのためピエール=オリヴィエを正式に紹介するための来日でした。
二人は、福岡・大阪・名古屋を台風さながら北上しながら、試飲会と懇親会を重ねてまいりました。とりわけ各地の試飲会では、ご出席者いただいた多くの方々とともに、現在の彼らの考えをじかに聞くことができました。ヴァン・ナチュールの歩みを振り返り、理解を新たにできる話でしたので、あらためてお伝えしたいと思います。
ティエリーは「ヴァン・ナチュールは単なる飲み物ではなくて、造り手と消費者との人との結びつきでつながっている飲み物だ」と繰り返し言っていました。思いおこせば、ジャン・マリーとティエリーのピュズラ兄弟に初めて出会ったのは、ロワールのサロン。ロワール全体のヴィネクスポのような催しの一角に、ヴァン・ナチュールの造り手たちの小さなブースがありました。あれから十数年がたち、ヴァン・ナチュールのムーヴメントは今も大きく発展し続けています。
私も一部は、初めて聞いた話でしたが、そもそも何故、ティエリーがネゴシアンを始めることになったか、その経緯を丁寧に話してくれました。
「1999年、ネゴシアンとしてワインを造ることにしました。1993年から兄のジャン・マリーとワインを造ってきましたが、1994年は雹でほぼ全滅、1997年は霜で半分の収穫を失い、1999年も収穫は大変少なかった。家族を養っていくのに十分なワインが造れなかった。今は素晴らしいワインを造っているミシェル・オジェの他、地元で素晴らしい栽培をしているヴィニュロンからブドウを買うことができることになり、ネゴシアンをたちあげた。私自身栽培をしているから、有機栽培の大変さをよくわかっている。自分で造るような高品質なブドウを彼らが造ってくれたら、納得できるワインを造ることができる。それで、彼らのブドウを通常のネゴシアン価格よりも高い価格で購入し、またワインが通常のワインより高く売れたら、利益を分かち合うことにした。このようなネゴシアンのあり方は、初めての試みだったけれど、うまくいって、その後地元の有機栽培をするヴィニュロン達のモティヴェーションがあがり、もっとブドウを買うことができるようになった。このモデルは、次の新しい世代のモデルとなり、レヴァン・コンテなど若い作り手が誕生した。十数年たって、トゥーレーヌ地域は、有機栽培が盛んな地域となった。」
ちょうどそのころ、前社ル・テロワールで、ル・クロ・デュ・テュ・ブッフの数々のワインが、驚きで迎えられ始め、特にソーヴィニョンが熱狂的なまでに支持をいただくようになり、ご注文におこたえできなくなっていました。ロワールの他のアペラシオンの高額なソーヴィニョンに比べ、ピュアで、チャーミングかつ個性ある味わいでなおかつお手軽な価格だったのですから、当然のことだと思います。ティエリーにソーヴィニョンをもっと造ってもらえないかと相談したところ、ビオのヴィニュロンからブドウを買って造れると、二つ返事で承諾を得、ロワール河をデザインした素敵なラベルでネゴシアン・ティエリー・ピュズラが始まりました。その後、楽しさあふれるプリムールを造ってもらうようになり、多くの方に楽しんでいただけるようになりました。日本のマーケットに、ティエリーの造るソーヴィニョンの登場は、本当に大きな世界を開いてくれたと、今思います。
試飲会会場ではたくさんの質問がよせられましたが、逆にティエリーから出席者に対し次のような質問があり、印象深い応答になりました。
ティエリー:「ヴァン・ナチュールには、時々醸造上の欠点があることがあるけれど、どのような点が一番困る問題ですか」
一出席者:「ブレタノミセスと、(フランス語でどういう表現するかわかりませんが)マメっぽい臭いです、だだちゃ豆のような」
ティエリーの説明:「ナチュラルな醸造をするには、栽培のレベルが高くないといけない。ブドウに力があり、健全だったら、良い働きをする多様な菌や酵母の活発な活動があり、悪いバクテリアに支配されたりはしない。しかし逆ならば、バクテリアによる汚染を抑えることができず、不愉快な臭いが生じてしまう。YASUKOも覚えていると思うけれど、1990年代終わりごろ、私たちが新たに手に入れた畑に、前の持ち主による化学物質が残っていて、何度か問題のあるワインができてしまったことがある。最近は、バクテリアの程度を、測定して調べながら、判断することができるけれど、私はテイスティングで判断するようにしている。そうでないと、どんどん感が働かなくなり、測定でしかワインが造れなくなってしまうだろう?フランスでは、ヴァン・ナチュールを造る若い作り手がどんどん登場してきている。前年まで農薬を使っていた畑で、いきなり亜硫酸非使用で醸造しようとしたため、問題のあるワインが多くみられる。盲信的に、SO2ゼロ・ワインを造ってはいけない。おいしいヴァン・ナチュールを造るには、本当に栽培が大切なんだ。」
長らく、セラーに大切にしていたワインを皆で楽しみました。
ブラン・ド・シェーヴル 1996、シャルドネ 1997、ロルモ・デ・ドゥ・クロワ 1995。
「えー! こんな古いのまだ持ってたの?」 1993年に継いで、ビオを始めてまだまもないころだからな、シャルドネ、ロルモ・デ・ドゥ・クロワ(シュナン)は、樹齢が若かった。ブラン・ド・シェーヴル(ムニュ・ピノ)は、2/3が樹齢が70年、1/3が40年だった。樹齢が高いほうが、ビオを初めてすぐに質のよいワインが造れたけれど、若い樹でちゃんと作れるようになるには、10年以上かかった。樹齢が高いと、昔ナチュラルに栽培していた時代の記憶がブドウに残っているからね」 本当に納得のいく話でした。ブラン・ド・シェーヴルは、活き活きとした酸があり、きれいな熟成をしていました。
また、楽記の会ではスペシャル・ワイン、2002Vouvray Demi Secを楽しみました。 「うーん、今夜このワインにここで出会えるなんて!家にもマグナムが2本残ってるだけだ。何年も飲んでいない。このワインは私のワイン作りで大変思い出のある、特別なワインだ。ニコラ・ルナールが働き始めた、フルニエでブドウを買った。残糖があるのに亜硫酸をゼロで作り、ビン詰めも入れなかった。33ヶ月、完全にワインが安定するまで樽でじっくりと待った。収穫の時のブドウの状態、樽のなかの状態をずっと見て、できると思ったんだ。それにしても、何と素敵なんだろう。感動だ!」
造り手とともに、古いワインを楽しむといつもですが、ワインが一層特別な表情が現れ、楽しめるように思います。このような特別なワインを楽しむことは、インポーターから長らく支えてくださった大勢のファンの方々へのせめてもの感謝の気持ちです。これからも、このように造り手と消費者の方々と共感を持ち続けた仕事を続けてまいりたいと思います。
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