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『ラシーヌ便り』no. 105

公開日: : 最終更新日:2014/12/26 定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー

no. 105

トルコ・カッパドキアの地へ

 6月30日深夜の便で、トルコのカッパドキアにまいります。ジョージアに初めて訪問することになったときも、「まさか、仕事でジョージアに行くことになるなんて。ギリシャで終わりかと思っていたのに」とわれながら驚いていましたが、今度はカッパドキア。観光で旅をすることがほとんどないので、ワインに導かれてと言っても、まだ半信半疑です。

 今年の2月、ジョージア・クヴェヴリ・ワイン協会代表のラマツから連絡があり、「クヴェヴリ・ワイン協会に、カッパドキアでワインを造っているウド・ヒルシュUdo Hirschが仲間に入った。彼のワインがあまりに素晴らしいので、仲間として迎えることになった。とんでもなく古い樹齢のブドウとアンフォラで素晴らしいワインを造っている」と、知らされました。 5月にジョージアを訪問した際、ウド・ヒルシュさんから4本のワインを飲ませていただき、ワインの奥底から静かに輝く特別なものを感じ、迷わずその場で取引をお願いしました。

ウド・ヒルシュ

ブドウ栽培とワイン造りの起源 ジョージア・トルコ・アルメニア

 ジョージア、トルコ、アルメニアの国境周辺からは、多くのワイン醸造の遺跡が発掘されています。古代のアルメニアは、現在のアルメニアよりもはるかに広大で、東トルコ、アゼルバイジャン、黒海とカスピ海の間のジョージアを含んでいました。この一帯は、最古のブドウ栽培の地であると考えられています。 中でも小アジアにあるアララト山は、トルコ東部に位置し、おそらくブドウ栽培の起源であるであろうと目されています。考古学的には、この地方では、少なくとも6000年前にワインが生産されたことが裏付けされています。また、ジョージアでは、かなた8000年前からとぎれることなく、クヴェヴリを地中に埋めて醸造するワイン造りが今日まで続いてきました。

 ジョージア・ワインのエネルギーのこもったユニークな味わいに魅せられ、昨年からご紹介を始めましたが、今度のトルコ・ワインも、単に歴史的な意味合いからではなく、ワインそのものの素晴らしさに驚き、輸入を決めました。ジョージア、トルコ、アルメニア周辺のワインの歴史を調べていると、南コーサカス、アララト山、高い山々のふもとに広がるブドウ畑から、悠久のかなたにひき込まれていくかのように思います。さて、どんな旅が待っているのでしょうか。

高い山々のふもとに広がるブドウ畑

科学者ウド・ヒルシュ/トルコのワイン造りの伝統を遺すために

 自然保護運動家ウド・ヒルシュは、ドイツに生まれ、35年以上にわたり、様々な国でWWF世界野生生物基金の仕事に携わってきた科学者です。仕事は多岐にわたり、そのうちの一つは天然資源の保護と、これらの資源の伝統的な活用を、継続的な方法で復活させる仕事で、現在もその仕事を続けています。

 ウド・ヒルシュには、私はまだトビリシのアンダー・グランドで数時間会っただけで、活動の全容と詳細はわかりません。が、一つ本当に驚いたことがありました。フリウリのヨスコ・グラヴナーがいつからクヴェヴリでの醸造を始めたのか、正確な年を知ろうと調べていたときに、なんとUdo Fiersch という名前を見つけたのです。 “Passion on the Vine: A Memoir of Wine and Family In the Heart of Italy” という本の紹介の中に、次の文章がありました。

 In 1997, the German winemaker Udo Fiersch sold him a 230-liter red clay amphora. one of the enormous jugs in which the first wines were made, five thousand years ago. Gravner began to test out the peculiar process.

  「この本の中のUdo Fierschという名前は、あなたのことですか」と尋ねたら、「1997年にヨスコ・グラヴナーのために、2300-2500ℓのアンフォラを買ったのは私だ。その本のなかで名前の綴りは間違っているけれども」という答えが返ってきました。ウド・ヒルシュこそ、近代醸造学で造られたイタリア最上ワインの造り手ヨスコ・グラヴナーが、クヴェヴリ醸造へと転換するのに深くかかわった人だったのです。このことは、この本で紹介されているように、関係者のあいだでは知られていることなのでしょうが、私はイタリア現地でも、日本の関係者からも聞いたことはありませんでした。

 ウドさんが初めてトルコにやってきたのは、1969年。以来訪問を重ねるにしたがって、この地の他に類をみない樹齢の高いブドウの価値が、イスラム文化故に誰も気づいていないという深刻な事態を知り、失われていくブドウ栽培の歴史を護るべく、古代からの方法でのワイン造りのプロジェクトを始めました。

 西アナトリアにある彼の葡萄畑は標高1500-1550mにあり、世界で最も高地にあるワイン生産地域の一つです。そのため収穫と醸造作業は大抵10月初旬に始まり、日中の気温は20℃をやや上回り、夜間は9℃前後まで下がります。500年を超える樹齢の樹もあり、高い樹齢のブドウからワインが造られています。 

 出会いは、いつも一杯のワインから。ウド・ヒルシュが自己流に復元した、現代に生き続けるアンシエント・ワインの第一便は、6月24に、面倒な輸出手続きを何とか終えて、イスタンブールを出ました。アテネの港で、ギリシャワインと船積みをして、9月にはリリースの運びです。では、彼のプロジェクトの実像を確かめに、行ってきます。楽しみにお待ちください。

 
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