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『ラシーヌ便り』no. 210 「ジャン・モンタネ、突如来日」

ジャン・モンタネ、突如来日
 ドメーヌ・ド・ラ・カデットのジャン・モンタネさんが11月6日、ラシーヌのオフィスを訪ねてくださいました。ワイン造りは現在息子のヴァランタンに任せ、ジャンは引退しているので、プライベートな旅行でした。

「佐渡島に住む友人のところで、2週間過ごしてきた。山を登って松茸をとったし、朱鷺もたくさんいたよ。船に乗って最高の滞在だった」と、とても楽しかった様子でした。
 カデットと言えば、おなじみの木彫版画のラベルが、特別な世界を感じさせてくれます。ヴェズレ村の女性アーティスト、クロード・スタッサールClaude Stassartさんがカデット用に制作した一連のラベルは、ヴァン・ナチュールの中でもとりわけ親しみ敬意を持って愛されています。このようなデザインのラベルを選ぶジャンは、「センスのいい人だなー」と思っていました。

 このアーティストの息子さんジル・スタッサールGilles Stassartさん(注1)が、日本人の奥様と佐渡にレストラン‘‘ラ・パゴッド”を2022年にオープンしたので、ジャンは長年の友人であるジルを訪ねた帰途、私に連絡をくださいました。

 愛称「ジャノー」で呼ばれるジャンとラシーヌとのおつきあいは、Domaine Montanet – Thoden 2004から。これまでも訪問の度に、私に的確な助言や生産者としての考えを教えてくださいました。ある造り手との取引をやめたあと、「もう、ジュラのワインは探さない!」と決めていた私に、「何言っているんだ、ラシーヌのリストにジュラがないなんて、だめだよ。新しい、いい造り手がでてきているから」と言って、ドロミーを教えてくださいました。

 今回も2日にわたって、楽しい語らいの一時を過ごし、彼らの近況を知ることができました。
「温暖化による栽培環境の変化はひどいもので、栽培と醸造の方法を適切に変えてかなくてはいけない。かつてのようなワインはもう造れないだろうし、そもそもワインを造れない時代がくるかもしれない。特に若いヴィニュロンは、醸造環境を整える資金がないだろうし、こんなに暑くては、醸造は問題だらけだ。10月になっても気温が30度近いなんて、困ったことだ。ヴァン・ナチュールを造ることは簡単ではない。」

「1996年にピノ・ノワールを植えたとき、INAO(国立原産地名称研究所)は『このような北の産地にピノを植えるなんて、何を考えているんだ。それでも植えるなら真南斜面でなければだめだ』と言った。その場所が、シャン・カデさ。今では、陽が強すぎて、北斜面に植えたいけれど、それではヴェズレを名乗れない。INAOのいうことを聞いていたら手遅れになる」。 

できごと@ピヨッシュ
 林:「2001 Cadette 、飲みませんか?」
 ジャン:「エッ? 2021 だろう?」
 林:「いいえ。2001です」
 ジャン:「色々思い出すな〜。植えて6年目のブドウ。難しい年だった」
 Il n’y a qu’ au Japon que l’on boit de téls vins!!! avec toutes cettes gentillesses, Jeannot Montanet 
「このようなワインを味わえるなんて、日本だけだ。本当にありがとう。ジャノー・モンタネ」(署名) 

 

 ここで、ジャン・モンタネのワイン造りを振り返ってみたいと思います。
 ヴェズレは、1世紀にローマ人によってブドウ栽培が始まった、フランス最古のワイン産地の一つです。が、フィロキセラ禍以後にブドウが植えられたのは、1970年になってからです。世界遺産サント=マリー=マドレーヌ寺院には、今なお世界中から巡礼者が訪れますが、ワイン生産地としては、注目されるようなワインは作られていませんでした。ジャン・モンタネは小麦が栽培され、羊が放牧されていた丘で、1987年にブドウ栽培を始めました。

 1990年、「カーヴ・アンリ・ド・ヴェズレ」(34haからなるフランス最小の協同組合)を仲間と創立。組合長となり、自身の畑は有機栽培に転換します(2002年有機認証取得)。ワインの品質が向上するに従い、他の組合員にも有機栽培を促しましたが、容易ではありませんでした。
 モンタネ家のすぐ側にミシュラン3星のレストラン「レスペランス」があり、シャブリの巨匠ラブノー家のワインは、そこで重要な役割を担っていました。友人であったフランスを代表するシェフのマルク・ムノーが、ジャンにベルナール・ラヴノーを紹介してくれたことがきっかけで、1990年にドメーヌを引き継ぐ前であったベルナールに、協同組合のコンサルタントを依頼することとなりました。

 1993年と1994年はベルナールが醸造。さらなる品質向上の努力は続き、1999年には、フィリップ・パカレの協力を得て、亜硫酸非使用でピノ・ノワールを造り、大成功をおさめ、同様に白ワイン醸造も変え始めました。
 このワインの登場が世界中のマーケットにもたらした衝撃は、どれほど大きかったか。私は当時、ヴァン・ナチュールを扱い始めて4-5年たったころでした。フレッシュでここちよい酸と果実味、醸造家の高い腕を感じるとともに、お手頃な価格という組み合わせは、無敵でした。『ワイン・アドヴォケイト』にとりあげられたこともあり、ヴァン・ナチュールファン以外のマーケットでも高く評価されたと思います。
 そして、世界の評価の高まりに伴い、ジャンは他の組合員たちに再度有機栽培を呼びかけましたが、それでも彼らから賛同をえることはできませんでした。
 やがて、協同組合は巨大組織「ラ・シャブリジェンヌ」に吸収されることになり、ジャンは2003年に組合を離れ、自身のドメーヌでのワイン造りに専念することになります。 

ヴァランタン・モンタネ

「私は2003年に協同組合を去ったが、それは他の組合員が有機栽培でブドウ栽培ができると信じていなかったからだ。ドメーヌ・ド・ラ・カデットを始めた時、誕生したばかりの生産地で、あまりにも有名なシャブリの近くのワインであるため、フランスの市場では売れなかった。しかし海外、とりわけ日本の好奇心旺盛なワイン関係者に出会ったことで、私たちのワインは購入されるようになった。 
 おそらく日本人と自然の間には強い文化的関係があるからだと思っている。このような状況が広まって、私たちは畑でもセラーでも、安心して仕事を続けることができるようになった。今では、私たちの最初の畑を植えた1987年に生まれたヴァランタンが、私たちが始めた仕事を続けている。」

 才能豊かで、魅力的な人となりのジャン・モンタネは、歴史的に重要な地域であるヴェズレを復活させ、時代を牽引した醸造家と言えるでしょう。2017年、ヴェズレ―のエリアはグラン・オーセロワ地区(注2)内のAOCを与えられました。こうしてヴィニュロンたちの努力が報われ、ようやくヴェズレのワインが陽の目をみたのですが、その評価の遅さに驚かされます。
 ドメーヌ・ド・ラ・カデットでは2010年に息子のヴァランタンが参加、数年前に代をゆずりました。これからもヴェズレの地から、モンタネ家(注3)のワインが、多くの人に幸せな時を届けてくれることを願っています。

 

注1:ジル・スタッサール
1967年 12月26日ヴェズレ生まれ。フランスのジャーナリスト、作家、料理人。 1995年 ヴェズレの3つ星「レスペランス」のシェフ、マルク・ムノー氏から料理を学ぶ。
2005年 ヴァル・ド・マルヌ現代美術館– MAC/VAL 内の、視覚芸術と美食の実験的な架け橋となるコンセプト・レストランLa Transversalを監督。
2011年 日本に移住。
2018年 ソマリアで、難民に調理を教える。
2022年 佐渡にラ・パゴッドをオープン。

注2:グラン・オーセロワ地区。オーセロワ地区、ヴェズリアン地区、トネロワ地区、ジョワニー地区の4つの地区からなる。

注3:モンタネでは、3つの異なるラベルがあります。
ドメーヌ・ド・ラ・カデット:モンタネ家が所有する畑のブドウで作られる。
ラ・スール・カデット:自分たちの有機栽培のブドウを一部使用し、ブルゴーニュとボジョレの友人から、有機栽培のブドウを購入して醸造される、ネゴシアンワイン。
ドメーヌ・モンタネ=トダン:元妻カトリーヌ・モンタネとトム・トダンが所有する畑で、現在はヴァランタンが栽培と醸造を担当している。

ドメーヌ・ド・ラ・カデット

ラ・スール・カデット

ドメーヌ・モンタネ=トダン

 
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