『ラシーヌ便り』no. 202 「ラシーヌとトレッビアーノ・ダブルッツォ」
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定番エッセイ, 合田 泰子のラシーヌ便り, ライブラリー イタリア, アブルッツォ, ティベリオ, トレッビアーノ・ダブルッツォ, 味の原点を求めて, スポレティーノ, エルアルド・ヴァレンティーニ, バートン・アンダーソン
【ラシーヌとトレッビアーノ・ダブルッツォ】
いまイタリアであらためて注目され、高く評価されている生産地が、アブルッツォ。なかでも特別視されている生産者《ティベリオ》Tiberioのワインを、2月からリリースいたします。そこで、あらためて私たちが歩んできた《トレッビアーノ・ダブルッツォ酒》を振り返ってみたいと思います。
1)エドアルド・ヴァレンティーニのトレッビアーノ・ダブルッツォ
1995年にイタリアワインの仕入れを始めたころ、現地で興味深いワインがあるお店にせっせと通っては、熟成した【ヴァレンティーニ】のワインを楽しみました。バートン・アンダーソンが言うには「緑を帯びた黄金色の濃い液体で、イタリアの白ワインにしては異例な年輪をうかがわせたが、それより気になったのは瓶底に沈んだ澱のほう。ところが驚いたことに、香りは新鮮で飲み気を誘い、濃厚な触感をそなえ、風味は生命のうずく、熟した果物のよう。舌の上にえんえんと味が続いた。・・比類のない個性があると思い知った」
(『イタリア味の原点を求めて』、1997年、白水社刊、塚原・合田訳より)
私たちはこの本のおかげで1996年にヴァレンティーニを訪ねることができました。ナポレオン時代から続く歴史の、深い色に染まった大樽を背にしたエドアルドの温容な笑みは忘れることはありません。幸い2007年からヴァレンティーニのワインをお取引いただけるようになり、現在に至ります。
とはいえ、その後もヴァレンティーニに続くアブルッツォ産ワインを探してきましたが「何か違う、これではない」と思ってきた十数年でした。が、あげく、ついにティベリオに出会うことができました。
2)《ティベリオ》
ティベリオは、アブルッツォの新たな可能性と真価をワイン界に知らしめた、今世紀発の生産者です。ノーブルな気品と颯爽たる魅力をともに備えるワインは、賢明な醸造家クリスティアーナと、栽培・兼・営業を担当するアントニオの姉弟による、まさしく叡智の結晶。父リカルドの畑を引き継いだ姉弟は、微風そよぐ海抜350mの丘陵地で、鮮やかに出自を物語る純然たる地場品種ワインを決然として造っています。
【寸史】
ティベリオは地域のワイナリーで輸出担当として働いていた父リカルド・ティベリオが、樹齢60年越えるペルゴラ仕立てのトレッビアーノに興味を持ち、家族とともに移り住んできました。土地の購入後、リカルドはモンテプルチアーノ・ダブルッツォ、トレッビアーノ・アブルッツェーゼ、アリアニコ、ペコリーノとモスカート・ディ・カスティリオーネ、そして少しの国際品種を実験的に植えました。ワイナリーとして体制も整い、ワインも少しずつ評価されるようになった2008年に、リカルドの子供たちである、クリスティアーナとアントニオにワイナリーの運営を譲ります。2人はまず国際品種を抜き、地域の地場品種であるペコリーノとトレッビアーノをより多く植えることを決めました。植樹の際の穂木も、彼らの最も古い樹齢の樹からセレクション・マサルで選抜しました。
クリスティアーナとアントニオは農夫のように丁寧な畑の手入れを心がけていますが、常に現代的な、あるいは既存の視点とは別の視点を持つことを心がけています。ティベリオ姉弟の目標はただひとつ、品種と産地を明確に語るワインを造ることです。
醸造を担当するクリスティアーナ自身は、10代の頃から、古い年代の様々な国のワインを味わってきました。幸い、様々なスタイルのワインに触れ、それらを比べながら飲んできたことで、あるとびぬけた個性を持ったワインが、他のワインと比べてどれどけ、どのような点が違っているかを感じ取る訓練になりました。その経験のおかげで、古樹の畑からのセレクション・マサルで植樹した新しい区画のワインが、明らかに他の区画と違い、自分の造るその他のワインとは違う醸造をするべきだ、と気づくことが出来たと述べています。
【出会い】
昨年のヴィニタリー会場のこと。かなり前からティベリオに注目していた塚原が「今年はティベリオを飲むぞ」と意気込んでいました。会場のブースでその念願がかない、以前からアブルッツォのワインを探していたティーム・ラシーヌの一行は、姉弟が並ぶブースで一口味わい「ついに本命に出会った」と確信しました。凡庸な多くのアブルッツォ酒とは全く異なるワインで、気品がありしっとりとした味わいです。
3)アブルッツォのトレビアーノ品種について
本年1月19日のオフィス試飲会で、ティベリオのお披露目をしました。試飲会の際、お客様から「ヴァレンティー二のトレッビアーノは、スポレティーノなんでしょう?」と質問を受けました。トレッビアーノ種については、混乱が多いので、整理してみたいと思います。
①バートン・アンダーソンは『イタリア味の原点を求めて』(写真)で、このように述べています。
「エドアルドの畑には、トレッビアーノ・ダブルッツォ種のなかでも独自のクローンが植わっているようだが、もともとこの品種、起源はなぞにつつまれ、どれが嫡流かはよく議論がわかれる。プーリアのボンビーノ・ビアンコや、かつて統治で広い人気を博したカンポレーゼとつながるとするものもいる。トレッビアーノ種は古代ローマ以前にさかのぼり、たぶんエトルリア人が生みだしたものだろう。そのうちのある品種はグレコ種(つまりギリシア人がイタリアに持ち込んだもの)とも関係がありそうだ。一説には真正なトレッビアーノ・ダブルッツォ(なるものが、どういうものか詳かにしないけれど)は、トレッビアーノではないとの断定もあるよし。・・・・・昨今アブルッツォに植わっている大手メーカーのトレッビアーノは、悪名高き多産系のトレッビアーノ・トスカーノないし、トレッビアーノ・ロマニョーロなるその亜種である」
また、エドアルドの言葉として「・・・このロレート・アプルティーノの地で私が造るのが本物のトレッビアーノであって、私はそれを名乗ることに誇りを感じる」。今から二〇年以上前、DOCが認定の緒についたころのこと、生産者の寄り合いが持たれた。「その席で私はみんなに、本物のトレッビアーノを植えるよう勧めた。何なら若枝(シュート)をわけてあげてもいいってね。ところが連中は一笑に付した。他のトレッビアーノ亜種から絶大な収量をあげられるのに、古いブドウの木にこだわるなんて気ちがい沙汰だといわれた。そういう連中を私がどう思っているか、こちらも率直に考えを口に出した。それ以来たもとを分かち、わが道をあゆむことにした」
②バートン・アンダーソンは大著 “ The Wine Atlas of Italy ”(1990年刊、未訳)のなかで、次のように述べています。
「この幻のブドウは、かつてカンポレーゼと呼ばれていたものと同じだと言う人もいるが、そうなるとプーリアのボンビーノ・ビアンコと結びついてしまうので、その可能性は低いと思われる。エドアルド・ヴァレンティーニは、トレッビアーノ・ダブルッツォでただ一人傑出したワインを造っているが、ロレート・アプルティーノの代々の畑で伝統的に栽培されており、この土地の環境がユニークな性格を物語っている、と言う。 彼は自分のブドウの木を大切に守っているので、栽培家たちはこのワインの起源を追跡することができない。 また、真のトレッビアーノ・ダブルッツォがトレッビアーノであるかどうかも定かでない」
③他方、ブドウ品種に関する決定版 “ WINE GRAPES “( Jancis Robinson , Julia Harding, Jose Vouillamoz著、未訳)では、このように書かれています。
[起源と血統]
「トレッビアーノ・ダブルッツォは、その名の通り、イタリア中部のアブルッツォ州で古くから知られている品種。一般的には、さらに南のプーリア州のボンビーノ・ビアンコと同じだと考えられている。しかし、1994年にイタリアの自国品種として登録されたため、DNAプロファイリングによってこの品種間の問題が解明されるまでは、両者は別個の品種と考えるべきかもしれない。DNAの研究により、トレッビアーノ・ダブルッツォとトレッビアーノ・スポレティーノの間に遺伝的関係がある可能性が指摘されている。トレッビアーノ・ダブルッツォは、ビアンカーメやトレッビアーノ・トスカーノの実生であると指摘する著者もいる」
[生産地とワインの味わい]
「トレッビアーノ・ダブルッツォは、イタリア中東部のアブルッツォ州、特にキエーティ、テラモ、ペスカーラ、ラクイラで栽培されており、さらにモリーゼ州でも一部栽培されている。 DOCトレッビアーノ・ダブルッツォの規定は、トレッビアーノ・ダブルッツォとボンビーノ・ビアンコの区別をさらに難しくしており、そのDOCワインは、トレッビアーノ・ダブルッツォ(ボンビーノ・ビアンコ)とトレッビアーノ・トスカーノ、およびこの地域で認可されている他の品種から造られなければならないと規定している。ヴァレンティーニのミネラルの強いDOCトレッビアーノ・ダブルッツォは、自社畑の古樹からセレクション・マサルで増やして栽培が続けられてきた。見事に熟成し、イタリア最高の白ワインとされているが、DOCの典型ではない」
[トレッビアーノ・スポレティーノ]
「1878年に初めて引用されたウンブリアの地場品種であり、このことは、10世紀初頭のある時期に発生した地元の自然交配であることを示唆している。DNAの研究により、トレッビアーノ・スポレティーノとトレッビアーノ・ダブルッツォの間の関係の可能性が指摘されている」