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『ラシーヌ便り』no. 195 「ラシーヌのポルトガルワインの歩み – Ⅱ」

【ラシーヌのポルトガルワインの歩み ― Ⅱ】

 先月に続き、5月に訪問しましたポルトガルワインについてお話しさせていただきます。今回の出張は、この数年の取引の中から見えてきた「ポルトガルの今」を確認することと、開発の仕上げともいうべき作業の為の訪問でした。どうしても会いたい造り手と日程を調整するために長い滞在が必要になりました。その結果、まったく予期していなかったことですが、アソーレス諸島のピコ島を訪ねることができました。

 2019年2月、コロナ直前の出張時に、ようやく探し当てたパリのワインバーで、まるで偶然のように、しかし会うべくして出会ったワインがあります。味わった瞬間にヴァン・ナチュールの真骨頂というべき味わいに驚きました。のびのびと、しかしまったく妥協せずに楽しく作る、家族や仲間と分かちあうためのワインで、生産本数は赤・白共にわずか。自分が本心から造りたいワイン、自分が造らなくてはいけないワインを目指している。このワインの造り手は、ルイシュ・ロペシュ(Luis Lopes)、彼の実験的なワイン作りが、次世代の若者を感動させ、育てているのです。

 初めてピコ島のワインを飲んだのは、ポルトガルに着いて3日目、海辺のレストランで。すでにルイシュ・ロペシュからも「ピコ島のワインは、素晴らしい。新しく醸造を始めた若者がいる」という情報をもらっており、ネットでピコ島の栽培の写真を見て「このような過酷な栽培環境のところで、どうやってブドウを栽培してきたのだろう」と思っていました。少々どきどきしながら一口、その瞬間突き抜けるような特別な酸と塩味、骨格を感じ、「すごい!」と思いましたが、すぐにくずれるように平板で凡庸な味に変わってしまってがっかり。しかし、そのワインは凡庸でしたが、間違いなくブドウがもつ特別な資質に驚かされました。 

 ピコ島は、リスボンから西へ1,500㎞、大西洋に浮かぶ島です。週に2便、火曜日と金曜日にリスボンから直行便があり、2時間半のフライトでピコ島に到着。島に近づくにつれ、ピコ山の雄姿が現れ、海岸に張り付くように広がる溶岩製の石塀に囲まれた独特のぶどう畑が見えます。ピコ島は445㎢、石垣島(222.5㎢)のほぼ2倍の大きさです。写真は、飛行機の窓から望むピコ山頂。 

 

【ピコ島のぶどう栽培】
 1460年ごろピコ島に人が住むようになり、小麦のほかは、ファイアル島で盛んだった染料の「ウォード」が栽培されていたが、やがてブドウ栽培と漁業の島となっていった。島の西部に位置するマダレナの町は、ファイアル島とつながる港として、また商業用ワインを生産していた当地のブドウ畑を大規模所有する者の居住地として、重要な経済活動を担うようになりました。しかし1718年に火山噴火が起こり、その後も頻繁に噴火がおこり、島は歴史から取り残されたような状態になりました。

Jancis Robinson 25  Jan 2018 The volcanic wines of the Azores によれば
https://www.jancisrobinson.com/articles/the-volcanic-wines-of-the-azores
 アソーレス諸島は14世紀から15世紀の間に発見され、ブドウ栽培は15世紀初頭に、クレタ島またはキプロスからブドウを持ち帰ったエンリケ航海王によってもたらされたと言われています。一方、フランシスコ会の僧侶がマデイラとポルトガル本土からブドウ栽培をもたらしたとのこと。カルメル会とフランシスコ会の修道僧の努力のおかげで、この穏やかで湿度の高い大西洋気候でワインの生産は急速に繁栄しました。すでにアンドレ・ジュリアンは1816年に彼の独創的な著作『世界のブドウ生産地総覧』“Topographie de tous les vignobles connus”でもって、ワインはアソーレス諸島9つの島すべてで年間合計1,340万リットル以上生産され、ブラジル、アメリカ、ロシア、イングランド、オランダ、アンゴラに輸出されたと記しています。

 ピコ山は標高2,531mあり、ポルトガルで最も高い山です。強い海洋性気候で、気温の変化が少なく、降水量と湿度が高い。年間平均気温は約17.5℃で、2月が最も寒く、海岸近くの地域では13.8℃と中程度の気温。標高600m以下では霜が降りることはほとんどありませんが、標高1,000m以上では夜間に霜が降りることがあります。内陸の高原に広大な湿地帯が存在し、標高700m以上の丘陵地では湿気を帯びた風が吹くと雲海ができ、ピコ山はほとんど雲に覆われています。
https://www.researchgate.net/publication/228973592_Azores_Central_Islands_vegetation_and_flora_field_guide 

 ワイン界の常識では、山の南斜面は良い栽培が可能なはずなのですが、ここでは土中の湿度が高い、山の影となって陽が当たらない時間が長い、北風が山にぶつかって凍てつくような空気の塊が山頂から降りてくる。そして山は湿気を吸い寄せて、雲に覆われることが多く、ブドウは熟さず、宿命的にうどん粉病に見舞われやすい。といった理由で、500年にわたって海岸に沿ってぶどう畑が広がってきました。畑を作る時に掘り起こした溶岩石が塀「curral クラウ」に使われ、畑はこのクラウでとり囲まれ、海風と塩害から守られています。かつてはブドウ畑が全島を覆っていたので、石垣の総延長は8,000km にも及んだとか。台風並みに強い風が吹くため、クラウの高さは地上1mほど、これ以上高く積むと石垣が壊れるそうです。地を這うようにブドウが植えられていて、腰をかがめての手入れは重労働です。

 「ピコのワイン『ヴェルデーリョ』は、200年以上にわたって国際的な名声を博してきた。イギリス、アメリカ、ロシアなど多くの国で高く評価され、皇帝の食卓にも上されていた」と言われていますが、実際にはピコ島産の名称でなく、ファイアル島産として輸出されてきました。溶岩に覆われてブドウしか育たないピコ島は、肥沃で裕福なファイアル島に支配され、多くの奴隷が働かされ、また精神に異常をきたした者などが配流された流刑地のようだったと、村の若者から聞きました。
 18世紀末からアソーレス諸島の海域にアメリカ人捕鯨船がやってきたことで、ピコでは捕鯨という新しい活動が始まり、長年にわたって島の重要な収入源となります。
 1850年ウドンコ病、1870年にベト病がアメリカから入ってきたことと、フィロキセラ禍の拡大により、地元の歴史的なヴィティス・ヴィニフェラ種は壊滅的に破壊され、以降ブドウ栽培は長い間放置されることとなります。人々は生きるために遠く島外への移住を余儀なくされました。また、残留者はハイブリッド品種で赤ワインを作るようになり、今も伝統として自家消費用に作られています。 

 この島の栽培環境は全てが他の生産地とは真逆ですから、「パラドックス・ワイン」と言えるでしょう。難題が山積するなか、まず、板のような石の割目に隣島からの表土を埋めてからブドウを植えますが、多雨で嵐のような烈風に見まわれ、山あいより海の側の方が良いぶどうができても、日中は酷暑で生育期間は短い。ブドウしか成育できない土壌とはいえ、かつて島全体で10,000,000リットルものワインが生産されていたそうです。このような過酷な産地でブドウ栽培を営々と続けてきた、奴隷労働者をふくむ先人たちへの畏敬の念を抑えることができませんでした。
 長年ワイン造りがとぎれていましたが、1949年に協同組合ができ、ようやくブドウ栽培が復活、1994年に“IPRs of the Azores – Pico, Biscoitos and Graciosa”, 2014年に“Azores Wine Company” が設立されました。近年では、次世代の若者によって小規模の高質なワイン醸造が始まり、現在はおよそ700,000リットルが生産されています。 

アンドレとルイシュ・ ロペシュの写真

島の出身アンドレ(写真左)とルイシュ・ ロペシュに学ぶリカルド(写真右)。

 4日間滞在し、島の端から端まで、畑とワイナリーを訪問しました。のんびり離島の休日をと思いきや、岩地の畑をまわる連続でしたが、幸せな出会いの毎日でした。近年ワインを造り始めた若者のなかには、酵母添加せず醸造をする人たちもいます。これだけをとってみても、従来産のワインとは比較にならないほど、ブドウの味わいを表したワインが生まれ始めています。また、風土に適した絶滅寸前品種を守り育てる健気な生産者もいたりして、ピコ島産ワインの可能性と実力はいまや世界中から注目を浴びつつあります。 

 ピコ山はいつも雲に覆われ、山頂が見えることは珍しい。「4日間、いい天気で、こんなこと珍しいんだけれど、本当にラッキーだね」と、今回お世話になったアンドレ。人口15,000人、島はゴミが落ちていなくて、清潔。また訪問の機会はあるかしら?ピコ島に繋ぎ継承されてきた畑とそこから生まれる気高い味わいのワイン。初めて味わった瞬間の驚きは生涯忘れることはないでしょう。訪問を受け入れて下さったみなさん、本当にありがとうございました。

以下 写真説明 

 手入れ中の老人、この村最年長のヴィニュロン、90歳だとか。右手に杖、左手にスプレー管。彼の畑には他より多くブドウが植わっている。 

 今日は日曜日、でも天気がいい日は休日でも働く。雨嵐の日が休日だそうです。

 この板状の石のひび割れた隙間にブドウが植えられてきた、お気に入りの区画、畝単位alqueiresで数える。小さすぎてhaでは数えられない。ブドウを買っているが、契約できないので毎年買えるかどうかわからない。先週の強風で折れた木梢が見られる。こまめに石で重石をして地面に這わさないと、少しでも高さがあると風で折れてしまう。
 若い樹の自社畑は40aから200kgほどの収穫。テランテス種はいったん絶滅しかかって、島にも10,000本ほどしか樹が残っていないとか。気品があり、余計な味が削ぎ落とされたよう。ヴェルデーリョはシャープで、目の前が真っ青になるような感覚を覚えるワイン。ピコ島産だけでなく、隣の島のサンタ・クルース・ダ・グラシオーサ島のブドウと混醸することもある。アソーレス諸島の9つの島には、はかり知れない可能性が眠っているのだろうけれど、島を全部周るのは無理な話。

 
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