ドイツワイン通信Vol.115
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最終更新日:2021/05/01
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ ドイツ, リースリング, ファン・フォルクセン, ザール, リースリング・ルネッサンス, 現代ドイツワイン入門
ドイツワイン復興と日本市場への波及
1. ドイツにおけるドイツワインの復興
(1) 新時代の始まり
「リースリング・ルネッサンス」という言葉を聞いたことはあるだろうか。
ドイツで2000年代の前半に言われ始めた言葉で、ちょうど、私がドイツに住んでいた頃だ。その立役者は、ザールの【ファン・フォルクセン】だ。周知の通り、倒産した醸造所を1999年に購入したローマン・ニエヴォドニツァンスキーが膨大な額の設備投資を行い、収量を一般的な醸造所の半分以下に抑え、培養酵母や酵素などの添加物を一切つかわずに醸造した辛口のリースリングが、初リリースからものの2年で業界の注目を集め、ゴー・エ・ミヨのドイツワインガイド2002年版で新人賞を獲得した。ローマンは、甘口しか優れたワインが出来ないという、ザール産リースリングの既成概念をひっくり返したのである。ファン・フォルクセンの成功を見て、収量を絞り、完熟した収穫を野生酵母で発酵した、濃厚で複雑な味わいの辛口からオフドライが次第に増えていった。
辛口のドイツワインの躍進は、ザールだけに留まらなかった。ラインヘッセンでも、やはり2000年頃に結成された若手醸造家団体「メッセージ・イン・ア・ボトル」が、地元のテロワールのポテンシャルを信じて高品質な辛口ワインを醸造し、注目を集めた。毎年3月に、デュッセルドルフで開催される国際ワイン見本市プロヴァインに出展して、大々的に存在をアピールしたのも功を奏した。彼らに影響された若者達が、ドイツ各地で若手醸造家団体を結成し、ついには2006年、公式広報団体ドイツワインインスティテュート主導で、「ジェネレーション・リースリング」と称する大規模な若手醸造家団体が設立されるに至った。こうして、熱心な若者たちが自由に活躍するワイン生産国という、新しいドイツワインのイメージが出来上がった。
(2) 生産者達の自信
ドイツワインの生産者達が、ブドウ畑の個性を反映した高品質な辛口ワインの醸造に、確信を持って取り組んだのは理由がある。100年前、世界中でドイツワインが、ボルドーやブルゴーニュと並ぶ高額で取引されていたことを示す当時のワインンリストや、すでに1860年代にはラインガウやモーゼルで、ブドウ畑の格付け地図が作成されていたことが、ブドウ畑の個性を表現した高品質な辛口ワインという方向性が、成功に続く道であることを保証していたからだ。
ちなみに、ドイツで甘口の醸造が浸透するのは第二次大戦後、瓶詰後の再発酵を防ぐ滅菌フィルターが普及し、甘いものに飢えていた人々の、ささやかな贅沢として人気が出てからのことだ。それ以前は、木樽の中で2年以上熟成するのが普通で、瓶詰するまでに酵母が果汁の糖分をほぼ食い尽くしていた。ほぼ、というのは、セラーの環境が冷涼で、オフドライ(残糖度20g/ℓ前後)に仕上がることが多かった、という説もあるから。いずれにしても100年前、ドイツワインの黄金時代に、多くのワインは辛口かオフドライだったというのは、今や定説となっている。
(3) 辛口ドイツワインに対する評価のドイツ国内での浸透と定着
VDP.ドイツ高品質ワイン生産者連盟は、19世紀の格付け地図をもとに、現在のブドウ畑の格付けを行い、ドイツのグランクリュの辛口として大々的にアピールした。2001年産からだったが、とにかく高品質な「辛口」をプッシュすることを目指していたので、格付けは「グローセス・ゲヴェクス」しかなかった。このことも2000年頃まで、ドイツの高品質なワインは甘口という認識が一般的だったことを示している。やがて温暖化の追い風もあって、VDPの辛口ワインの格付け「グローセス・ゲヴェクス」は注目を集めるようになった。
2000年代前半は、辛口ワインの高品質化が一気に進んだ時代だった。VDPのイベントやプロヴァインで、ソムリエやワインショップのバイヤー、ワインジャーナリスト達は、産地の新しい動きや有望な新人達を積極的に取り上げたから、最新情報は瞬く間に業界や愛好家達に共有された。ドイツのワイン産地の土壌、気候、地形を詳しく扱った書籍(Sautter/Swoboda/Braatz, Weinatlas Deutschland)や、1988年から熱心にドイツのワインシーンを取り上げ、産地のポテンシャルを紹介して来たシュトゥワート・ピゴットの集大成ともいえる、分厚いワイン本(Stuart Pigott, Wein spricht Deutsch)が出版されたのは、どちらも2007年のことだ。テロワールの表現を目指した高品質な辛口と、若手醸造家を中心とする、新しいドイツワインのトレンドが明確な形として市場に定着したのも、だいたいその頃だったと言って良いと思う。
私が住んでいたモーゼルの古都トリーアでも、2000年代後半に、地元の醸造所の高品質な辛口を中心にしたワインバーやワインショップが3、4軒オープンした。それまではワイン祭りなどで、昔ながらの、近所や親類・友人を主な顧客とした、地元密着型の醸造所のワインを飲む機会が多かったが、やがてドイツ各地のワインショップでも扱われているような、全国的に評価の高い生産者のワインを飲む機会が増えた。
1990年代までは、ドイツの辛口ワインが格式の高いレストランに置かれることはほとんどなく、もっぱらフランスワインやイタリアワインが供されていたという。しかし2000年代後半には、若手醸造家の新しいワインを喜んで試飲して、気に入れば置いてくれるレストランが増えたと、開業して間もない生産者が言っていたのを思い出す。ワインショップも同様で、新人を発掘して北米のバイヤーにつないだりするワイン商もいて、業界全体で生産者を育てようという機運があったように思われる。
2. リースリング・ルネッサンスの欧米への波及
(1) 北米への波及
こうしたドイツのトレンドは、やがて北米に波及した。2008年4月、ニューヨーク・タイムズのチーフワインテイスター、エリック・アシモフはこう書いている。
「辛口?アメリカ人の多くは、リースリングは甘口しかないと思っている。実際にはオーストリア、アルザス、合衆国産でも、リースリングは辛口がほとんどだ。さらに驚くべき事実は、ドイツ産の多くのリースリングも辛口で、今日ドイツでは辛口が好まれていて、それも20年前からずっと、辛口のリースリングが圧倒的に好まれていることだ。だが、私が最もおどろいたのは、辛口リースリングが[補足:10年前と比べると]なんと美味しくなったかということだ」(参照:Eric Asimov, “German Rieslings, Light and Dry”, The New York Times, April 23, 2008)
ここから読み取れるのは、その当時北米では、ドイツワインは一般に甘口だと考えられていたことと、良質な辛口リースリングを紹介するインポーターがいたことだ。一方で、ドイツの甘口を主に販売していたインポーターは、ドイツ人の辛口への傾倒に危機感を抱いていた。(参照:ドイツワイン通信Vol. 26)
やがて2018年、上記の記事から10年後にアシモフはこう述べている。
「ドイツの甘口リースリングは唯一無二で、ワインの界の至宝に数えられるにしても、辛口のリースリングこそ、甘口同様に素晴らしいだけでなく、他の産地産ワインにはない無比の個性を備えているのである」(参照:Eric Asimov, ”2016 Dry German Rieslings: Graceful, Resonant, Delicious”, The New York Times, May 3, 2018)
(2) 世界への波及
そして世界中のワインに深い知見を持ち、マスター・オブ・ワインでもあるジャンシス・ロビンソンも、2019年にこう書いている。
「このこと[補足:フルート型のボトルがオシャレではないという理由で拒絶されたこと] は本当に残念なことです。というのも、現在のドイツワインは、これまでの史上に例のないほど上出来で、その上他の大方のワインよりも、コストパフォーマンスに優れているからです。ドイツは、イギリスとカナダと並んで、これまで気候変動の恩恵を受け続けている産地です。かつてはブドウがなかなか熟さないため、ワインには尖った酸味をつくろうため甘みを補う必要があったが、現在はブドウが完熟し、わくわくするような辛口のワインを、赤白ロゼの全カラータイプでもって生産できるようになっています」(参照:Jancis Robinson, ”Now is the time to buy German”, Jancisrobinson.com, 29 June 2019, 和訳にあたっては小原陽子氏の訳を参考にしたが、適宜修正した:http://vinicuest.com/wine_articles/2019/07/29-jun-2019.html)
一般消費者におけるドイツワインのイメージは、英国においても向上の余地があるとしても、辛口ワインの高品質化は、欧米のワイン業界ではすでに浸透して幅広く認識されているようだ。では、日本はどうだろうか?
3. 日本市場の問題点
(1) 先駆者としての㈱ラシーヌ
(株)ラシーヌは2011年に「ドイツの優れたワインの現状が–情報としても、ワインとしても—正しく伝えられていないと予感し」、その年の9月から春までで5回の現地訪問を経て、2012年にドイツワインの輸入販売を開始した。(参照:ドイツ | (株)ラシーヌ RACINES CO,.LTD.「従来、フランス・イタリアの小規模生産者のスペシャリストとしてやってきたので、去年の夏まで、ドイツワインを扱うことになるとは思っていなかった」と、2012年5月に開催されたお披露目試飲会で、取締役社長の合田泰子さんは言った。「日本のドイツワインのイメージは20年前で止まってしまっている。ドイツでは、生産者の世代交代が進むなど大きく様変わりをしているし、産地が様変わりしているのに、それを誰も日本に伝えないのはおかしい。インポーターとして、今のドイツから選りすぐってワインをお届けするのが、私達の仕事ではないかと思った」。(参照:日本のドイツワインに新たな兆し | モーゼルだより – 楽天ブログ (rakuten.co.jp))その時試飲に供されていたのは、クレメンス・ブッシュ、A. J. アダム、ファン・フォルクセン、エファ・フリッケ、シェルター・ワイナリー。いずれも、ドイツワインの現在を伝える生産者として相応しい醸造所だった。
(株)ラシーヌのように、ドイツの新しい生産者の辛口ワインを前面に押し出していたインポーターは、当時他になかったと思う。ドイツワインを扱うインポーターはいて、そのいくつかはドイツワインを専門に取り扱ってはいたものの、いわゆる「銘醸」の大御所が造るワインか、ドイツでは全く無名の小規模な家族経営の生産者のワインで、それも甘口が主力商品だった。2013年の時点でも、DWIドイツワインインスティトゥートによれば、日本に輸出されたドイツワインのうち、辛口白は3割に満たなかったという。
「いまだに日本ではドイツワインといえば『甘口』ないしは『中甘口』だと思われがち。しかし彼ら(補足:醸造家で有名ブロガーのディルク・ヴュルツと、ワインアドヴォケイトのドイツ担当で、2012年にThe finest wines of Germanyを上梓したワインジャーナリストのシュテファン・ラインハルト)は、今のドイツワインは、そうしたイメージとはるかに離れたところにあると断言する。クリスピーでフレッシュでほのかに甘い白ワインは、もはやこの国の主流ではないようだ」と2014年のワイナートの記事にあるのは、日本市場の認識の遅れを端的に示している。(参照:「プロヴァイン20周年・ドイツ見本市で発見!日本では見えないトレンド」Wineart No. 75 Summer 2014)
(2) 日本市場の問題点
なぜ、日本ではドイツワインの辛口の高品質化に対する認識が、欧米に比べて明らかに遅れた—あるいは現在に至るまで遅れている—のだろうか? 私見では、いくつかの理由が考えられる。
・甘口を好む昔からの愛好家
一つは、日本のドイツワイン市場の特殊性だ。80年代から90年代前半にかけて、ドイツワインはフランスワインに次いで輸入ワインのシェア第二位を誇っていた。その当時からドイツワインを好んでいた人々は、ドイツワインに対してある意味特殊なブランドイメージを持っていて、ラインガウかモーゼルの、伝統を誇る「銘醸」の甘口を、高額な価格に動じることもなく、かえって高額であるが故に購入し、同好の士とともに楽しんだり、あるいは親しい人々に勧め、喜びを分かち合ったりしていた。ドイツワインを専門に扱うインポーターは、そうした愛好家が大切な顧客だったので、「銘醸」の甘口を主に仕入れていたが、高品質な辛口を紹介して、新しい市場を開拓することに力を入れてこなかった。さらに、旧来のドイツワインが不人気になると、新しいドイツワインに取り組むのではなく、フランスやイタリアなどに主力を移していった。
・廉価な甘口の不人気
ドイツワイン市場は、高級な「銘醸」の他に、主にスーパーマーケットやディスカウンターで販売される、量産ワイン市場がある。ドイツの大規模な醸造会社が工業的に生産する、1000円台までの廉価な甘口で、現在も日本に輸入されるドイツワインの大半を占めている。ブラックタワーやブルーナン、シュヴァルツカッツといった、一般の消費者が目にすることが多いワインでもあり、1990年代に「フレッシュ・アンド・フルーティ」としてもてはやされたこともあった。フルーティなので誰が飲んでもそれなりに美味しいが、1990年代後半のワインブーム、ワンコインワインの登場、手頃な価格で安定した品質のチリをはじめとする新世界産ワインの輸入量の増加とともに、辛口ワインを料理とともに楽しむことが浸透し、甘口のドイツワインは人気を失っていった。
・フードペアリングの問題
さらに、辛口ワインは料理にあわせて楽しむものだが、ドイツ料理を提供するレストランは、フレンチやイタリアンに比べるとはるかに少なく、したがって販路も狭かった。和食にあわせようにも、硬質で垂直性の強い辛口リースリングは、やわらかな食感と甘味を好む日本人の嗜好とはマッチしにくいように思う。
・コミュニケーションの不足
フランスワインやイタリアワインのブランド力に比べると、ドイツワインのラベルは読みにくく、マニアックで、産地のイメージもブルゴーニュやボルドー、イタリアワインに比べて劣っている。それだけに、辛口のドイツ産リースリングを売るには、お客とのコミュニケーションが欠かせない。黙っていては売れないので、説明して関心を引く必要があるのだけれど、その役目を担うソムリエやショップの店員のほとんどは、ドイツワインは苦手であることが多い。その原因は、そもそも国内で手に入るドイツワインの種類が少なく、試飲する機会がなかったことと、そうした欠点を補い、広報活動や試飲イベント開催の担い手となるべきドイツワイン基金日本支部が、2009年から2015年まで不在だったことにもよる。その間、ドイツワインはソムリエ呼称資格試験の試験範囲から、外されていた時期もあったと記憶している。2016年にWines of Germany日本オフィスが再開されてからは、プロモーション活動は再開されたとはいえ、試飲機会の提供と広報活動の質は、今もまだ改善の余地があるように思われる。
2014年以降、新しいドイツワインを中心に扱う個人経営のインポーターが複数設立されたり、中堅のインポーターが、新進気鋭の生産者のドイツワインの取り扱いを始めたり、ドイツワインの辛口が楽しめるワインバーがいくつか開店したりと、状況は少しずつ改善している。(参照:ドイツワイン通信Vol.96)
だが、日本のワイン市場では、ドイツワインに対する先入観や無関心が、いまだに根強く存在しているように思われる。そこで4月から1年間、㈱ラシーヌの社内で「現代ドイツワイン入門」と題して、私がセミナーを毎月行うことになった。今後、このエッセイ「ドイツワイン通信」はセミナーのテーマと連動し、ウェブでの動画配信も予定しているので、乞うご期待。暖かく見守ってほしい。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。
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