ファイン・ワインへの道Vol.56
公開日:
:
寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ 保管環境, オールドヴィンテッジ
釈迦に説法。古酒は臭いという方々。
このコラムをお読みの皆様には、まさに釈迦に説法そのもの、かつ程度の低すぎる話で申し訳ないのですが・・・・・。今もってなお、(ワインのプロでさえ!) オールドヴィンテッジワインは紹興酒みたいな香りで臭くて苦くて変な味、と解釈されている方が根強くいらっしゃるように思わされる機会が最近もあり・・・・・、せっかく熟成してくれたワインを代弁、ではないですがその不幸を紐解ければと思います。
下手すると「ナチュラルワインは臭いと思っている人(劇的に減りましたが)」よりも、「オールドヴィンテッジワインは紹興酒みたいで臭くてマズイ」と思ってる人の方が多いのかも・・・・・・との危惧さえないですか、未だに。
ともあれ1970年代、80年代のワイン、つまり40年から50年も熟成したワインを購入して飲む場合、一番大切なことは何でしょう? ヴィンテッジ? 生産者? ブドウ品種? それらはすべて優先順位2番目以下です。
一番大切なことはそのワインが産地から日本に届くまでず~~っとセラーもしくはそれに準じる温度環境に保管されていたかどうか、です。
日本にはいろいろなルートでワインが届きますね。フランス・ワインでさえ、あるものはアメリカ経由、時には台湾経由などなどのルートでワインが届くことも少なくないようです。
1970年代、80年代のアメリカや台湾で全体のどれほどの割合のワインが正しく18℃以下で保管されていたのか。想像するしかありませんが、最も楽観的な人でさえ“全て”とは考えないでしょう。
時には25℃、下手すると30℃以上の環境に放置されたワインが紹興酒、時には“たまり醤油”のような味と香りになってしまうのは自然の摂理です。
そしてもちろん、紹興酒化したワインはフランスやイタリアで、多くの古酒ストックを持つ酒屋にさえ散見します。
私は取材の際にちょくちょくそのような酒屋を訪れるのですが、古酒の状態を100本ほどチェックしても半数近くが死んだワインというケースは、少なくありません。(そのワインが長年正しい温度帯で保管されていたかどうかは、ワインの液面の色調の輝きで判別できます)。
そして。残念ながら。日本の輸入元で一本一本のボトルの状態を厳密にチェックして、健全な状態の瓶だけを判別後販売しているという輸入元さんは、私の知識不足かもしれませんが、存じ上げません。多くのワインはひとまず有名生産者で、悪くない年、というだけでそのボトルの生死にかかわらず威風堂々、輸入されているようです。
ゆえ、そのような古酒をしばしば扱う日本のワインショップのスタッフが「いや、うちの店でもよく古酒を開けて飲むのですが、大体は紹興酒っぽい、ひねた味になってますねぇ」との認識を口にしても、ある面でそれは自然なことかもしれません。
実際つい最近も私は直にそんなコメントを聞いたばかりです。とてもその記憶は生々しく、そしてとても痛々しいです。
しかしながら当然、世界中のワイン・ラヴァーがオールドヴィンテッジを血眼で探すのは、そんな紹興酒化したワインを求めてではないことは明々白々です。
健全な古酒、正しく保管されたオールドワインだけが持つ、何ものにも代え難い官能的で妖艶至極なアロマと無限の層になった花・果実・スパイスが一体化して押し寄せる巨大魔宮のような味わいを求めてのことです。 端的に言えば、古酒は甘くてセクシーな香りがないワインは死んでる証拠。かつ、返品対象とさえ思えます。
さあ話が最もややこしい領域に踏み込んでしまいました。
時にソムリエもワインショップスタッフも(もちろん、読者の皆様ではございません)単に誰かがどこかでセラーに入れてなかっただけのオールドヴィンテッジワインを、「このワインはこういう味です」、「古いワインだからこういう味です」、「ワインは一本ずつ熟成の仕方が違うからです」などといった詭弁を弄し、紹興酒化けしたワイン(=死んだワイン)で 売上を上げようとします。
ワインの死因を、「単に怠った温度管理」から「古さ」のせいにすり替えようとするのですね。
“悪質”と言わざるをえません。
そこで、思い出してほしいのはホストテイスティングの意味合いです。ホストテイスティングは、ワインの状態が健全かどうかを確認するもの、と私は習いました。
セラー保管不備で紹興酒化した古酒は、ブショネなどと全く同様に、十二分すぎるほどの返品対象となるものです。 そして、死んだ古酒に対しては消費者がしっかり「熱劣化、酸化したワインなので取り替えて下さい」と意思表示することが、状況の改善につながるでしょう。私の経験上では少なくともそのようなワインを置くイタリアのレストランでは そのような酸化した古酒は、その旨を伝えるとちゃんと交換してくれます。
とここまで書き連ねて日本のオールドヴィンテージ・マーケットには、見事に因果関係が整った4つの大きな悲劇があるように思えます。
1)輸入元が ワインの来歴を気にせず、生きてる古酒と死んでいる古酒を区分せず輸入して売る。
2)それゆえソムリエやワインショップスタッフでさえ、オールドヴィンテッジは紹興酒化した臭いワインだとの認識を持つ。
3)ゆえ、レストランやワインショップで紹興酒化したオールドヴィンテッジが出ても、臭い原因は温度管理の不備ではなく古いワインだからという誤認が根付く。
4)多くのワイン愛好家は、古酒を厭忌する。
まさに不幸の悪循環、そのものですね。
レストランなどで古酒を開ける場合は、その場で交換要請をすることができるのですがネットショップなどで買った古いワインが紹興酒化してた場合は、手立てがありません。なんとハイリスクな、と思いますか・・・・?
本当はそのワインを買う前、開ける前に一本一本光にかざして液体に光沢があるかどうか確認するだけでいいんですけどね。そう難しくないことですよ。
と、正しく健全な古酒の偉大さを知る皆様には釈迦に説法。以前も少し触れたような内容でしたが・・・。どうも最近、私が Facebook に70~60年代のバローロやキアンティばかりを美味しい美味しいとアップしていると、僕が「酸化して臭いワインが好きな変わった人」のような 接し方やコメントを(プロからも!)いただくことがちょくちょくありまして……、それではせっかく甘い香りを豪華絢爛にふりまいてくれた古酒たちがかわいそう、と本稿としました。
そうです。オールドヴィンテッジは、甘くてエロい香りがあってなんぼ。
だからみな我慢を重ねてセラーでワインを熟成させるわけです。そうでしょう。皆さん。
今月の、ワインが美味しくなる音楽:
まさに熟成ワインな、まるさと甘さのヴァイオリン。
ミッシャ・エルマン『ジュビリー・アルバム』
今月の釈迦に説法、第二弾・・・・・・。クラシック音楽ファンには、何を今さらと叱られそうのほどの有名な大御所ヴァイオリニストでありますが 。それにしても。ヴァイオリンからこんなに丸くて甘い音が出るのか!! と本当に驚きます。
普通の演奏家の音にありがちな高音の棘、時にヒステリックなニュアンスが全く皆無。とにかくどこまでもまぁ~るく、柔らかく優しく。五感をほぐしてくれる圧巻の美音は、まさに40年から50年正しく熟成してカドが取れ深みが増したバルバレスコか、ボルドーのカベルネ・フランのような趣です。
この演奏家は、1891年ウクライナ生まれで、10歳代前半から天才の名を欲しいままにした神話的存在(1967年没)。桜とともに空気が緩むこの時期、熟成ワインが手元になくても 脳内に熟成ワインの趣さえ、その音が明るく朗らかに運んでくれそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=EqkRbC4EC-8&list=PLUPmJF4yu1ajaszzotDvTaohDMnwiVLNz&index=1
今月の言葉:
「人は自分の持っている毒で、汚れのない材料を毒するのだ」
ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー』より。先入観について。
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「(旧)ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記
事を寄稿。アカデミー・デュ・ヴァン 大阪校」、自然派ワイン、および40年以上熟
成イタリア・ワイン、各クラス講師。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査
員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。
- PREV Sac a vinのひとり言 其の五十「正しさ」
- NEXT ドイツワイン通信Vol.114