エッセイ:Vol.152 「常態・考 On “Normalcy”」
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最終更新日:2021/02/01
定番エッセイ, ライブラリー, 塚原 正章の連載コラム
常態という言葉について
“normalcy”(常態)という言葉には、「ニュー・ノーマル」とか“normalty”とはひと味違った、どこか聞きなれない響きがある。通常この言葉は、第29代北米大統領になったウォーレン・ハーディングが、1920年の大統領選キャンペーンに用いた造語だとされ、そのスローガンが、“Return to normalcy”(常態に戻れ)であった。第一次大戦以前の古き良きアメリカ的生活様式とメンタリティに戻れ、という主張には、アメリカの分断を強化したトランプ時代を修正すべきとする、ジョー・バイデンの発想にも通じる。
が、この“normalcy”という言葉は、ハーディング自身も述べているとおり、彼の造語ではなく、1857年の辞書に登場している由(“The Maven’s Word of the Day: Normalcy”1999.)。だが、ウェブスターによれば、「ノーマルであるという状態または事実」をさすこの言葉は、同書の新説によれば、1855年版の数学辞典に初出する科学用語である(Merriam-Webster Dictionary/Word History)。とすれば、ハーディングの造語ではなく、当時のジャーナリズムは「大衆化」とすべきであったという同書の指摘は的を射ている。
瞠目すべき新聞論考
久しぶりに、優れた新聞記事に出あった。「パンデミックが発した警告と希望」(日経新聞朝刊、2020.12.22)と題する、やや長文の無署名記事で、オリジナルはThe Economist(『エコノミスト』、同12.19掲載)。記事内容に説得力があるだけでなく、すこぶる上出来な翻訳でもあるから、ぜひ一読を勧めたい。
どこが優れているのか。百年を通観して歴史の進路を見すえたこと、これである。2020年を世界中が単なるコロナ禍=パンデミックに見舞われた悲惨な年とばかり決めつけず、創造的な破壊がはじまる「変化の年」と位置づけてみせた、見事な知的展望である。
基準となる視点がおかれたのは、ウォーレン・ハーディングが大統領選挙で、「常態(normalcy)にもどれ」キャンペーンをうった1920年と、その直前にあたるスペイン風邪が大流行した1918~20年。
スペイン風邪のパンデミックを乗り越え、人々は前のめりに生きる欲望に駆られ、北米は黄金時代どころか、狂騒の20年代、奔放なジャズエイジへと突入した。フェニックスもどきに「苦しみの灰の中から、人生は我慢すべきではなく、謳歌すべきものだという感覚が生まれるのだろう」と説くあたりは、講談もどきの名調子である。ともかく、こうした風潮が2020年代にも生まれ、時代を活気づけることになる、と著者は予見してみせる。パンデミックによって露呈した不平等や危うさ、技術革新への期待といった要素が示すのは、2020年は全てが変化した年として記憶されるということだ、と。
注目すべきは、ネガティヴな3点の要素(感染の規模と被害、ロックダウンと同期するかのような気候変動の進行、社会的不正と不平等)が、かえって変化の必要性を高め、進むべき道を指し示す、というダイナミックな発想であり、単なるイノヴェーションを越えた「創造的破壊」“disruption”を必須とするとする考え方である。ちなみに、「創造的破壊」を唱えたシュンペーターは、破壊という意味に“destruction ”と記し、“disruption”なる言葉を用いない。
シュンペーターはさておくとしても、まがまがしいパンデミックこそが積極的で創造的破壊を引き起こす要件になるという視点と主張には、大いに学ぶべき点があると思うが、さて読者はどのように受け止められるだろうか。うかがってみたいものである。