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Sac a vinのひとり言 其の四十六「多様性という名の鎖 1」

公開日: : 最終更新日:2021/02/01 建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

 以前のこちらのコラムで、ワインの価値に関して筆を走らせたことがある。その中で、「多様性とは本質的な意味ではワインの価値を担保するものではなく、ただ品質と価格、マーケットの供給量によって、購買者に判断されるものである」という旨の文章を書いた、と記憶する。多様性という付加価値は、クラシックと評される消費者サイドで共有されている、存外曖昧模糊なイメージがあってこそ成り立つものであり、それ単体での訴求効果は定義上ありえない。以前述べたが、型があるから型破りになるのであり、型がなければ形無しでしか無いと繰り返し述べておく。 
 何故、以前述べた内容を引っ張り出して来たのか? 蛇足にもなりかねず、私自身の浅学さを露見させて藪蛇に成り兼ねない内容を、何故再び書くのか? 確たる証拠やデータがあるわけではないが、最近試飲に臨んだ際や、ワインの提供前に確認をする折に感じるのが、『多様性』という言葉が、何かワインというものの品質や方向性に対して、ある意味で鎖のように、縛り付けてしまうのではないだろうか? これが私の感覚が間違いで見当はずれなのであれば、私が感覚を修正すれば良いだけ。単なる笑い話で済んでしまうのだが、もし、このとるにも足りないはずの推察が、わずかなりとも真実を孕んでいるとしたら? そう考えると、何とも嫌な感覚がぬぐい切れない。自身が感じた事象や例などを書き連ねていくことで分析してみたい。

 ワインの品質や味わいを規定するパラメータを考えると、大まかに五つに分けられる。 
 「品種」「生育環境」「製法」「費用」「期間」である。 

  品種 ・・・品種がワインの性質に大きな影響を及ぼすことに関しては、改めて記す必要はないだろう。 
 生育環境 ・・・ ワインの周囲を取り巻く気候や土壌などがブドウの実の成長にどのような変化をもたらすかは、ワイン関係者の間で常に議論の的になっている。
 製法 ・・・ ワインの色や性質、味わいの方向性や熟成可能期間など、色々な意味でワインの方向を決定するファクター。 
 費用 ・・・生産するのにどれくらいコストがかかり、どれくらいの価格でどれくらいの量売れば、次の年には何ができるか? などワイン造りは基本的にとてもお金がかかる。お金儲けのためのワインに魅力があるかはいささか疑問ではあるし、お金をかけたから高品質なワインが生産出来るかには疑問が残る。が、魅力的なワイン造りには少なからぬ額の資本の保有しなければならない。低資本でも優れたワインを造れた例は勿論存在するが、決して「低資本だから」優れたワインを生み出せるわけではないことは、強調しておきたい。 
 期間 ・・・ ブドウの生育、破砕してからの醸造、市場に出るまでの熟成、顧客のもとに届いてから提供までの期間。時間というファクターが良きにつけ悪しきにつけワインに大きな変化をもたらすことは、皆様も承知であろう。 

 ここから更に2点付け加えていきたい。 
 ① 上記の5点のパラメータは連動している。そのため、一つの要素でも変化が起きれば相互に干渉しあい、わずかなパラメータの変化で相当な違いが生まれるケースが少なからず存在する。 

 ② 要素が変化したからと言って、必ずしもパラメータが変化するとは限らないケースも多く存在しうる。 

  ① の例に関しては、例えば、「資金」に関して大きな違いのある、隣り合った2つの醸造元があったとして、片方は潤沢な資金があるため、剪定の段階から多産になりすぎないように絞り込みが行うことが出来る。収穫も十分な人員で、完熟に達してから最適なタイミングで一気に行うことが可能である。瓶詰後もワインがしっかりと安定してから市場に出荷できるので、顧客のもとにワインが届いたときには既に安定した品質になっている。 
 対して、経営的に決して楽ではない生産者は、遅霜や雹のリスクを織り込んで、ある程度多めに芽を残しておけなければならない。収穫も人件費の問題や天気との関連で、早めに摘んでしまわなければならないケースなどが現実でも見受けられる。キャッシュフローに余裕がない場合は、現金化を急がなければならないし、熟成期間を長くとると税金も余計にかかる。ボジョレー・ヌーヴォーを何故生産者が売り込みを掛けてくるのかという理由の一つに、資金を寝かせたくないという世知辛い理由があったりする。当然、収穫年などによっては品質的に安定していないものが顧客のもとに届いてしまうことも有り得る。皆様も経験があると思う。 
 とまあ、一つの要素が他の要素の変化要因に成り得るし、もし仮に他の要素が全く同じでも、一つの要素が大きく違えばガラリと品質が変わってくるのは、同一生産者の畑違いやヴィンテージ違いの議論を証左として提示すれば充分であろう。 

 ②番。こちらが今回のコラムの中で、一番肝の部分であり、何とも説明しづらい部分でもある。もう少し言葉を組み替えて説明すると、「主観的には大きな違いに見える要素内での差異が、客観的には、其れほどの差異ではないことが有り得る」とでもなるだろうか? これだけでは何のことだかよくわからないだろう。もう少し具体例を挙げると、「同じ品種で違う生産地域のワインを飲み比べてみたのだが、ブラインドでは正直なところ大きな差異は見受けられなかった。」とすれば、皆さんも何となく理解していただけるだろうか? もちろん、「いや、しっかりと違いがある。しっかりとティスティングしなさい」とご指摘を頂きましたら、まったくもってその通り、平伏してご意見を賜らせて頂きます。しかし、私が述べたいのは、其れを前提として一歩踏み込んだある意味での暴論。色々と粗は目立つかもしれないが、ご容赦願いたい。 

  色々ともったいぶって前置きを長々と書かせて頂いたが、本題に入りたい。 
 それは、「一般的でない違う要素を持ったワインは、必ず一般的ではない味をしなければいけないのか?」ということである。 

  現在世界中でワインが生産されて、情報のブラッシュアップだけでも大変な労力を割かなければ、置いて行かれる時代である。全盛期からすでに始まっていることではあるが、様々な場所で様々なブドウが移植されている。情報が極大化しつつあるこの状況において、消費者側が価値基準の指針にするのは、所謂一般的ともいえる概念だろう。ピノ・ノワールであれば、ブルゴーニュの味わいをオーソドックスであると捕らえるだろうし、サンジョヴェーゼならば、トスカーナの銘醸を頭の中に思い浮かべることだろう。これはオリジンに対するリスペクトであるし、決して散逸させてはならない性格のものである。もちろん南アフリカのシュナンブランやアルゼンチンのマルベックのように、新しいクラシックを創造した偉大な例も存在する。さて、では新興勢力は、いったいどのようにして王道とは違ったヴァリューを生み出していくのか? そして、それからどのような問題が発生してしまうのか、またはすでに発生したのか? 次回のコラムでは、ナチュラルワインマーケットの問題にも触れつつ、もう少し踏み込んで語っていきたいと思う。 

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー

 
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