エッセイ:Vol.150 「ワインと民主主義」
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定番エッセイ, ライブラリー, 塚原 正章の連載コラム
3分間スピーチの可能性について
3分間というごく短時間で、どんな問題でも筋道を立てて論じ、結論に導くことができ、かつ説得力が伴えば、有益かつ効果的だろう。
どのようにしたらそれが可能になるか、試してみるしかない。それも、飛び切りの難問でもって。はたして、ある程度の論理性がある、一貫した議論を組み立てることができるだろうか。つべこべ言わず、実験してみるしかない。
課題:このテーマを3分間で論じることはできるか。
課題の修正:3分間という枠内で論じるためには、どのように組み立てたらよいか。
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民主主義という制度と思想を、ワインとのからみで正面きって扱うのは、壮大だが空振りになりかねない。結論から言えば、ワインに民主主義、というよりデモクラシーは、必要な前提であり、デモクラシーのないところに健全なワインとワイン文化は育たない。
立論のポイントを列挙する。
1. デモクラシーか、民主主義か?
これは、「ヴァン・ナチュレール」または「ナチュラルワイン」か、それとも「自然派ワイン」か、という呼称問題とおなじ。
派とは分派活動を意味し、卑小な行動を示唆するだけでなく、別の正統的な存在を暗示して、みずから弱い立場に追い込むから、自分から「派」を名乗るのは避けるべし。思想や立場の正統性を主張するのは、不毛な論議に陥りがちで、ビジネス上は無意味である。
2.ナチュラルワインとデモクラシー
だから私は自然派という不自然な呼びかたをしないし、すべきでない。ワインは自然派でなく、ナチュラルワインが好ましく、次にナチュラルの意味や定義を模索すればよい。
そこで参考になるのは、丸山眞男さんによるナショナリズム論。「ナショナリズムとは、あるネーションの統一、独立、発展を志向するイデオロギーおよび運動である」と定義したうえで、丸山先生は、「ネーションとは何か」という次の問いに入った。この発想を、ナチュラルワインとデモクラシーに当てはめればよい。
つまり、ナチュラル/自然とはなにか、デモスによるクラシー(支配)とはなにか。
デモクラシーには運動の契機が欠かせず、デモクラシーとは「制度と運動の弁証法的な発展」というのが丸山説。私見ではナチュラルワインも、国などが定める制度や定義にとどまらず、運動という性格を濃厚にもつ、思想と行動の産物である。
制度は形式や数量で規定できる。が、運動には目標と質がかかわるから、定義は難しく、ワイン生産者のあいだでも意見は一致しない。量と違って、質は定義できない。
かりに、ナチュラルワインが、認定された特定の方法で造られたとしても、ワインの質と味わいは定義できない。だから、世界中にあらゆるタイプ・味・品質の自称ナチュラルワインが横行し、消費者には区別や判定が難しい。
(附)ただもし、あらゆる立場の生存が許され、認められるとしたら、それはワインのデモクラシーの域を超えて、アナキーにちかい。アナキズムは立派な思想構築(定義)ではなくて、実践だというのが、デヴィッド・グレーバー(本年9月にヴェネツィアで急逝)の考え方でもある。
玉石混交のナチュラルワインの中から玉の選び方。ワインというモノを選ばずに、モノを生み出すヒト(生産者)を選べ。制度という結果でなく、「制度を生み出す精神」(ヴェーバーと丸山の発想)を探りあてるには、文章から学び、人間活動を観察し、その洞察あふれる文章や文学作品を日ごろから読み、状況のなかで人間性がどのように働くかを知り、見抜く工夫が必要である。
3.ワインとデモクラシー
ナチュラルワインについて言えることのほとんどが、ワインについても言えるから、ワインとデモクラシーについては、すでに論じたことになる。
多様な意見と人間の存在を認め、意見の相違を前提とするのが、デモクラシーの精神であり、叡智であるが、ワインの世界についても同じことが言える。多様なワインの存在を認める、ワインのデモクラシーという見方が、ワインと造り手を健全な存在に導き、世界中に個性的で優れたワインを輩出可能にする。
特定のワインだけを評価し、評点をつけるのは自由であるが、ワインにそのような階層は先天的には存在するわけではない。テロワールとは特定の立地と気象環境における可能性としてしか存在せず、その可能性を実現するのは造り手という人間存在である。
デモクラシーも制度(モノ)ではなく、運動態として人間が多様な人間社会のなかで実現させていく工夫であり、共存のための知恵である。
結論:デモクラシーは、ワインにとって必要条件であり、そのような考え方なしにワインも、優れたワインもできない。そのどちらにも、人間という契機(人間的要素;human factor)を必要とし、人間によってはじめて、より良い世界が実現可能である。
デモクラシーという考え方抜きでは、多様な中に秀作が存在するワイン社会もまた出来ず、ワインに専制を持ち込むのは暗愚である。
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反省:上記を3分間で話すのはとうてい無理で、10分間スピーチの内容となってしまった。けれども、これを短縮することは可能であり、それが私の次の課題です。(了)
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