ドイツワイン通信Vol.107
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最終更新日:2020/09/01
北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
北米のドイツワイン市場におけるナチュラルワインの台頭と多様性
ザ・ニューヨーク・タイムズ紙の主席ワイン評論家Chief wine criticエリック・アシモフは、去る8月20日付で「ドイツワインは、リースリングだけではない」(“There’s More to German Wine Than Riesling”, The New York Times, 20. Aug. 2020, https://www.nytimes.com/2020/08/20/dining/drinks/german-wines.html ) と題するコラムを発表している。曰く:
「…(前略)ほとんどの消費者は、リースリング酒はドイツワイン全体を代表するという認識を共有している。
しかし、ドイツにはリースリング酒以外にも、多種多様な赤、ロゼ、白のワインがあるから、リースリング酒は、この国のワインの全容の一部でしかないことは明らかだ。非リースリング酒には、リースリング愛好家をも魅了する、多くのたのしみがある。特筆すべきは、コストパフォーマンスがとてもよい場合が多いことである」
・リースリング以外のドイツワイン
実のところ、ドイツワインの公式PR団体ジャーマン・ワイン・インスティトゥートは、リースリング以外の品種について、たとえば「ピノ・トリオ」と称して、ピノ・ノワール(=シュペートブルグンダー)、ピノ・ブラン(=ヴァイスブルグンダー)、ピノ・グリ(=グラウブルグンダー)のプロモーションに、10年以上前から力を入れて来た。ただ、それがどれだけ浸透しているかは、議論の余地があるかもしれない。
また、ジャンシス・ロビンソンも、ドイツのピノ・ノワールについては、近年は温暖化と醸造技術の向上により、ブルゴーニュに比肩しうる品質のワインが、手頃な価格で手に入ると指摘している。(参照: https://www.jancisrobinson.com/articles/what-will-fill-red-burgundys-place)
彼女は昨年さらに、「今こそドイツワインを買うべき時」と題して、温暖化の恩恵を受けて、白に限らずロゼでも赤でも、わくわくするようなワインが造られている、とする記事を発表している。その一方で、イギリス市場での問題点を三つ指摘している。
第一の問題点は、人によってリースリングは、フレーヴァーと個性が強すぎると感じられること。
第二の問題点は、ドイツで売れ行きが良い手頃な価格の辛口は、イギリス人にとって酸が強すぎる場合がよくあること。ドイツでは、かつて人気のあったフルーティなスタイルに対する抵抗感が、消費者の間に根強い。そのため、辛口であればあるほど良いと思われているフシがある、と指摘している。
第三の問題点は、素晴らしいワインであっても、それを輸入するインポーターがイギリスにはおらず、かろうじていくつかの専門店が扱っているにすぎないことだ、という。
(参照:”Now is the time to buy German”, https://www.jancisrobinson.com/articles/now-is-the-time-to-buy-german. 日本語訳:http://vinicuest.com/wine_articles/2019/07/29-jun-2019.html)
・アシモフのリースリング礼賛
一方アシモフは、欧米のメディアでドイツワインについて定期的に発信する、数少ない著名なワイン評論家の一人だが、これまで彼が公にしてきたコラムを改めて見返すと、ドイツワインについて語る時は、そのままリースリング賛歌になっていることが多かった。例えばこんな具合だ:
「私の理想の世界では、春の到来を寿ぎ祝うグラスにあるのは、モーゼルのリースリング・カビネットだ。それは華やかで繊細で、春先に最初に咲いた一輪の花のように可憐だが、完璧なバランスから生じる、伸びやかな強さがある。それは瞬間を映し、印象的というよりは示唆的で、浸透する前に儚く過ぎ去り、ささやくようなニュアンスで語り、大声をあげない」(参照:”A German Riesling That Embodies Spring”, The New York Times, April 12, 2010; https://www.nytimes.com/2010/04/14/dining/reviews/14wine.html)
あるいはまた、こう書いている。
「ドイツのリースリングほど万能なワインはない。甘口・辛口という二つの枠組みには収まらず、甘口と辛口の間には、実に様々な度合いがある。さらに、辛口から甘口までの間に広がるスペクトルの一つ一つに、様々な個性の、様々な品質の、様々なニーズを満たし、様々な喜びをもたらすワインがある。だから毎年春になると、ドイツのリースリングについて書きたくなるし、同じことを繰り返しているという気にもならない(少なくとも自分では)」(参照:”If It’s Spring, It Must Be Riesling”, The New York Times, March 31, 2009; https://www.nytimes.com/2009/04/01/dining/reviews/01wine.html)
リースリング一辺倒だったアシモフがなぜ今、「ドイツワインは、リースリングだけではない」と題する記事を公開したのか。そのきっかけは、7月に書いた「20ドル以下のお勧めワイン20本:魂を満たすワイン」のリサーチで見つけた、ドイツのピノ・ブランにインスパイアされたからだという。それはファルツのブラント醸造所Weingut Brandの、1リットルボトルに入ったヴァイスブルグンダーだった。「クリーミィで舌触りが良く、飲み心地がよすぎて止まらず、舌の上で転がし、ニュアンスを探し(楽しんだ)」。(参照:”20 Under $20: Wines That Feed the Soul”, The New York Times, July 10, 2020; https://www.nytimes.com/2020/07/10/dining/drinks/best-wines-under-20-dollars-pandemic.html)
ブラントは2014年に、当時24歳の若手醸造家ダニエル・ブラントが両親から継いだファルツ北部にある醸造所で、今は弟ヨナスと一緒にワイン造りを行っており、日本にも少量入っている。(参考:北米のインポーターVom Bodenの生産者紹介:https://www.vomboden.com/growers/brand/)
ファルツ北部の無名の村の、小規模な生産者が造るピノ・ブランに感銘を受けて、アシモフはマンハッタンの複数のワインショップを探し回って、今回8月20日付の記事で彼が紹介している、リースリング以外のお勧めワイン12本にたどり着いたそうだ。
・なぜ今、リースリング以外のドイツワインなのか?
「リースリングは今もドイツワインの基準だが、それ以外の品種にも奥深い価値があるのだということに、人々は次第に気付き始めている」と、アシモフは記事の中で、北米でドイツワインを中心に取り扱うインポーター「フォン・ボーデン」Vom Bodenの代表、スティーヴン・ビターロルフ氏の言葉を紹介している。その背景には以下の状況があるという。
・気候変動。それは人類にとって脅威であると同時に、ドイツのたとえばピノ・ノワールのブドウの質を高めた。同時に、栽培方法や醸造のノウハウも向上した。
・ナチュラルワインの台頭。世界的な広がりを見せるこのムーヴメントは、長い間脇に追いやられていた地場品種を表舞台にあげただけでなく、産地の伝統的な醸造手法を復活させた。20年前はフランスやスペインのように、多数の地場品種がある生産国でも、カベルネ・ソーヴィニョンやメルロといった、国際的に名の通った品種が優先され、ワインの画一化が進んでいた。現在は醸造面でも、有機栽培のブドウを野生酵母で発酵し、フィルターを通さず清澄もしないなど、できるだけ人為的介入を避けた、個性的なワインが評価されている。
・それに伴い、ブドウとワインの多様性が、世界的に尊重されるようになった。品種の多様性だけでなく、ドイツワインで言うならばリースリングの有名産地である、モーゼル、ラインガウ、ファルツ、ナーエ、ラインヘッセンだけでなく、他の産地にも目を向けるべきだ。
・ドイツの若い消費者は、未知のワインを喜んで試す傾向がある。かつて安物として邪魔者扱いされていた品種のワインでも、優れたワインになりうるということを、彼らは素直に認めている。
・小規模な家族経営の醸造所を扱うインポーターやワインショップの存在。アシモフがコラムの中で選んだのは、すべて小規模な生産者のワインなので、そうしたワインを扱うワインショップを見つけることが必要だ。
・アシモフの選んだエンデルレ・ウント・モル
こうした、リースリング以外の魅力的なドイツワインのなかに、ラシーヌが扱うバーデンの生産者「エンデルレ・ウント・モル」のピノ・ノワール、「リエゾン 2018」が含まれている。曰く、エンデルレ・ウント・モルは、バーデンのピノ・ノワールを英語圏に認めさせた最初の生産者のひとつで、記事の中で選んだ他のピノ・ノワールよりも、「大きく、充実しており、熟してリッチな味わい。ジューシーで、フォーカスが定まり複雑」と評している。
エンデルレ・ウント・モルもまた、自己所有する2.2haに、仲間が所有する約4haのブドウ畑の収穫を醸造する、小規模な生産者である。設立は2007年で、地元出身のスヴェン・エンデルレと、北ドイツ出身のフロリアン・モルの、二人の若手醸造家が切り盛りしている。二人ともフランスの醸造所で研修した経験があり、認証は取得していないが、農薬や化学合成肥料は使わず、病害虫の防除にはデメターに認証された薬剤を、背中に背負ったタンクから手作業で噴霧し、手作業で剪定し、手作業で収穫する。醸造にも培養酵母や酵素などの化学合成物質は一切使わず、野生酵母で発酵し、瓶詰前に一回だけ25~40mg/ℓの亜硫酸塩を添加し、ノンフィルターで、清澄なしで瓶詰する。徹頭徹尾、手作りのワインである。ちなみに、北米でエンデルレ・ウント・モルを扱う上述のビターロルフ氏は、「スヴェン・エンデルレの髭は、ロワールのジョー・ランドロンに並ぶ」と、ポートフォリオに記している。(ラシーヌの生産者紹介ページ:http://racines.co.jp/?winemaker=enderle-moll;
Vom Bodenの生産者紹介ページ:https://www.vomboden.com/growers/enderle-moll/)
・多様性と小規模な生産者
こうしたワイン造りは、小規模な醸造所でなければ難しく、北米では主に中小規模のインポーターが扱っている。ビターロルフ氏は、小規模なワイン造りは、ヒューマン・スケールーーつまり、人間中心のワイン造りをすることだという。収益を中心にすると経営規模の拡大を目指し、細部よりも全体を重視し、個性を抑制する方向に傾いてしまう。一方、小規模であれば細部まで目が行き届き、農作業でも収穫作業でも、臨機応変な対応が可能になる。だから優れた品質のワインの生産につながるのだという。(参照:https://www.vomboden.com/about/)
現在北米では、フォン・ボーデン以外にもいくつか、ドイツの小規模な生産者のナチュラルワインを扱う、30代から50歳の比較的若い経営者が運営するインポーターが活動している。例えばSuperGlou(www.superglou.com)、Bowler(www.bowlerwine.com)、Schatzi Wines (https://schatziwines.com/)、The German Wien Collection (thegwc.com)だ。アシモフ氏が選んだ12本は、彼らが輸入したワインである。また、ドイツワインがメインではないが、ナチュラルワインを主に扱うJenny & François selections (www.jennyandfrancois.com)も、モーゼルのリタ&ルドルフ・トロッセンを扱っている。
ちなみに、長年活躍していた北米を代表するドイツワインのインポーター、ルーディ・ヴィーストは2019年に会社を整理して引退した。またテリー・ティーズは、大手インポーターでディストリビューターの Skurnik Winesと、20年以上続いたビジネス関係を解消し、事実上第一線から退いている。つまり、北米のドイツワイン市場では、インポーターの世代交代が起こっている。それに伴い、ドイツワインの品ぞろえとイメージも変わりつつあるそうだ。(参照:Valerie Kathawala, „Disrupting German Wine“, Medium, Mar 9, 2020, https://medium.com/planet-of-the-grapes/disrupting-german-wine-aad5e238c854;テリー・ティーズの動向についてはhttps://www.wineberserkers.com/forum/viewtopic.php?t=167577参照)
・北米のドイツワイン市場の変化
北米の状況の背景には、ドイツワインが甘口だという先入観を持たない、ミレニアル世代の台頭がある。また、かつてのドイツワインのイメージにとらわれずに、何か面白いアイテムはないかと探す、好奇心旺盛なソムリエたちの需要があると、上述のインポーターの世代交代を伝えるヴァレリー・カタワラの記事の中で、Bowlerのドイツワイン担当者は指摘している。
また、1990年代までの辛口は、痩せていて酸がきつくて美味しくなかったのと、やはり甘口が売れ筋だったので、仕上がったワインに甘味を補うために、人工的に発酵を止めた果汁「ズュースレゼルヴ」の添加を依頼することがよくあったそうだ。しかし現在、海外での経験を積み、生産の70%以上を占める辛口の品質に自信を持つようになったドイツの生産者達は、仮にズュースレゼルヴを添加してほしいと言っても、首を縦に振らなくなった。さらに、アメリカ市場の需要がナチュラルワインに傾倒していることもあり、今では「もっとナチュラルワインの醸造哲学を取り入れてほしい」と、インポーターが生産者に促すこともあるという。(参照:Valerie Kathawala, „Disrupting German Wine“)
ドイツワイン=甘口という先入観は、一部のワイン愛好家を除いて根強く残る一方、ナチュラルワインの台頭とともに、小規模でも良質なワインを造る生産者のワインが、世界各地で楽しまれる機会は増えつつあるようだ。これからは品種や産地、生産者の多様性と、その魅力を丁寧に伝えていくことが、生産者と消費者の間をとりもつインポーターや、ワインを売る立場にある人々の使命となるだろう、というカタワラの指摘に、私も同感だ。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。
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