Sac a vinのひとり言 其の四十三「情報不足」
公開日:
:
最終更新日:2020/09/01
建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
夏バテである。
梅雨明けくらいまではそれほど暑くなかったおかげ(せい)か、お盆前くらいからの酷暑で完全にやられている。食欲はあるのだがお酒を飲む気があまりしない。水分はとっているので問題はないのだが、酩酊によるほてりが洒落にならない。おかげさまで結果的に健康的な生活を送らせて頂いている。肝臓は束の間の夏休みに喜んでいることだろう。必然的にワインを飲む機会も減ってしまったせいなのか、なんだか最近は頭がシャキッとしない。普通だったらアルコール摂取量を減らすと頭が明瞭になり回転も速くなるのが相場であろうが、私の場合平時であっても基本的に頭の中がゴチャゴチャになっていて、発言や発信の際にはその都度その都度で脳髄の引き出しを空き巣のごとく乱雑にかき回してから、その場にふさわしいと思われるものを引っ張り出している。そんな人間であるから、何をするにしても引き出しの中に色々なアイディアや思い付きを詰めておかなくてはならないのだが、人生の中において恐らく最も私に影響を及ぼすだろうワインを先ほど述べた気候的、身体的理由と現在の社会情勢も相まって摂取する機会が著しく減っていると言わざるを得ない。これはいけない。いけないのだが美味しいと思えない状況でワインに向き合うのは失礼であるし、飲まないと情報の摂取量が減ってしまうというジレンマに苛まれながら現在執筆に向かっている。このままウンウンうなっていてもロクな文章を生み出すこともできそうにないので、もはや諦めてワインのコルクを引っこ抜くこととした。人類の叡智の結晶たるエアーコンディショナーをフルパワーで稼働し、空気清浄機を最強にしてカーテンで夏の日差しを遮って、軽く冷やしたピノ・ノワールをグラスに注ぎながら原稿に取り掛かるとしよう。
きっとしかめ面をしながら書いた文章よりは面白いものが出来ると信じて。
夏バテなどという季節感あふれながらもしようもない筆者の近影について書き連ねているときにふと頭をよぎったのが、ワインと季節の相関性という単語である。大阪のとある先輩ソムリエが先日書いた文章を読んだ時に「やはり同じようなことを考えている人がいましたか」と嬉しかったものである。多分読者の方々においては既に拝読された方が多いであろうから詳細は割愛することとさせて頂くが、ざっくりまとめると「季節ごとに素材が変わるのであればワインもまたそれに的確に対応するべきではないか?」ということがケーススタディで丁寧に説明されていた。私もシチュエーションとニーズに沿ったワインの発掘と提案というテーマで何回かこちらで原稿を書かせて頂いているので、いつか書こうかなあ、などとぼんやりしていたら先を越されてしまった。残念無念。愚痴っていても仕方がない。せっかくだからそのテーマに乗っからせて頂いて、もう少し深堀りしたテーマで私も書かせて頂くとしよう。素材という基準点を設定した場合にそのクオリティを決める変数は季節だけではない。何点かの素材を開設しながら説明していきたい。
≪ケース1≫ マグロ
みんな大好きなマグロである。赤身、中トロ、血合いギシ、大トロ、中落ち。部位によって味わいも大きく変わり魚体のサイズ差によっても味わいが大きく変わる。
変数は無数に存在するが代表的なものを述べてみると「季節」「サイズ」「熟成」「産地」「品種」などがあげられるだろう。
夏と冬のマグロは味わいが大きく違う。よく回遊している夏場のマグロは鮮烈な血の香りを纏って喉の奥に流れ込むようなさわやかな酸味を持っている。冬場の冷たい海を泳ぐマグロは全身に脂が綺麗に乗っていて思わず唸るような甘味とうまみが身上である。
身のサイズが違えば各部位のとれる大きさも変わり味わいも変わる。大きければ長い期間の熟成にも耐えうるのでより練れた味を目指すことも可能である。産地の違いは海流の違いとエサの違いが香りや脂の乗りに差異をもたらし、品種の違いからくる違いはもはや説明の必要もないだろう。
そうなると「マグロに合わせるワイン」というものを考察する際にそれが「勝浦の夏の80kg物のメジマグロの赤身」なのか「大間の冬の150kg物のクロマグロの中トロ」なのかによって提案されるものは違って然るべきである。前者であれば鮮度の良い血の香りに合わせる酸のしっかりとしたミネラリーな赤、例えばMercureyの冷涼な年のものであるとか、カナリア諸島のリスタンネグロなどを軽く冷やして合わせたら心地よい組み合わせとなるだろう。後者の場合は蕩けるような甘味とリッチさを考慮して塩とわさびで食べるならChampagne Blanc de noirのBrutをあわせても乙だろうし、醤油を添えるなら、こなれたSaint Emilionなら文句がないだろうし、熟成したClos de vougeotなども捨てがたい。
どのマグロであっても共通するのが「黒ブドウを用いたワイン」くらいだろう。
≪ケース2≫ 子羊
フレンチの堂々たる看板役者、子羊である。狂牛病の影響で一時期は品質的にもコンディション的にも不遇な時代が日本においては続いていたが、3年前のEUからの輸入の解禁と、他の産地の単純なレベルアップからメイン食材の王子と言っても過言ではない存在である。
この素材の場合は、変数が「産地」「年齢」「飼料」「季節」となってくる。
産地と年齢は基本的にリンクしていて、AOPやIGPを取得している子羊は屠畜する年齢も決まっているので、成長具合からくる味わいの違いがある。若ければ若いほどミルキーだし、ある程度年齢がいくと肉々しさが感じられるようになる。飼料は香りと質感に明確な影響が出る。子羊の場合は乳飲み子羊か草を食べている子羊かの違いである。季節も案外に重要で子羊自体が元々春先から市場に出回り始める食材であり、フランスでは乳飲み子やアスパラがマルシェに並び始めると春の訪れを感じたものだ。
「Carré d’Agneau rôti(子羊のあばら肉のロースト)に合わせるワイン」に変数を当て込むと
「Agneau de Lozère」こちらは非常に若いうちに屠畜されるのでミルキーな香りと口当たりが楽しめる子羊で、酸味が余り強くなくてタンニンも柔らかなものが好ましい。5年以上熟成した新樽比率の低いChambolle Musignyなどと共に楽しむのはフレンチの神髄ともいえるし、シンプルな仕立てならば、樽のきいたMerusaultなどとあわせるのも考えられる。「Agneau de Pré-Salé」世界的にも有名な潮風を浴びて育った草を食べて育ったその子羊は、肉を食べたという満足感をしっかりと満たしてくれる。良昨年のPauillacとあわせるのは王道の中の王道。Brunello di Montalcinoとの至上な組み合わせも捨てがたいし、熟成したローヌのスパイス感もたまらない。ただ味わい的にも強いのであまり春夏向けとは言えないかもしれない。どちらの子羊も「子羊らしさ」を違った側面から体現しているので優劣をつけるのは不可能である。好みの問題でしかない。
≪ケース3≫ 牛肉
こちらに関しては昨今の熟成肉ブームやステーキハウス、焼き肉店の増加を見れば変数が多数あることは説明するまでもないだろう。ここでは非常に大きな変数ではあるが、意外と触れられていない一つの変数について軽く触れておきたい。それは「和牛か否か」である。
ものすごく乱暴な分類ではあるが、余りにも大きな違いがあるのでこのように分けさせていただく。一時ムーヴメントを巻き起こした熟成肉は、元々筋肉質な赤身の多い肉を熟成することでより柔らかくより香り高い肉質にすることを目的としたもので、ある程度酸味がしっかりとした肉質に向いている。合わせるワインは星の数ほど存在するので熟成具合や調理法で好みのものを選べばよい。ただ熟成の若い肉には若々しいワイン、熟成のしっかりしたワインにはこなれたワインということは意識した方が良いだろう。量を食べることを前提としているので所謂「潤滑油」的なワインが必要とされる。
和牛。脂を美味しく食べるという世界でも特異な性質をもつその肉は、その特性上余り熟成には適さない(適した熟成法もあるがかなり特殊なため一般化はなかなか難しい)。脂分は酸化に対して耐性を兼ね備えてはいないので、必然的に若い熟成状態で楽しむこととなる。
ただし、合わせるポイントはどちらかというと脂に焦点を絞ったものであり、また脂が多く量はあまり食べられないので一口での満足度が求められることとなる。赤ワインとは相性が思いのほか悪く、A5ランクなどの場合はむしろ白ワインやフルーティなロゼのほうが好相性なケースが多く見受けられる。酸味や渋味が強くないワインが好ましい。牛肉に関して余り季節感は感じられないが、すき焼きやしゃぶしゃぶは今の季節に(現在気温35℃)は食べたくはならないであろう。
佳酒からインスパイアを受けることで何とかアイディアを絞り出すことが出来た。やはり酒の神バッカスへの信仰をしっかりと保たなければならない。
早く涼しくなってワインが美味しく飲めるようになってほしいものである。
マスクもきついですし。
~プロフィール~
建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー