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ドイツワイン通信Vol.106

公開日: : 最終更新日:2020/08/01 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

モーゼルの 13 年間

 私は13年間、ドイツで学生だった。日本で大学院の修士まで終えたので、大学に在学していた期間は通算19年ということになる。考えてみれば、これほどの長期間大学に通っていた人は、そうはいないだろう。留学中に職業は何をしているのか聞かれ、「学生です」と言うと、微妙な表情をされることがよくあった。それはそうだ。一応、法学部の日本語講師とヴィノテークのライターもやっていたが、副業であって、あくまでも本業は学生だった。長期滞在ヴィザにある滞在の目的は、トリーア大学で中世史、古典文学、日本学を修めること、と明記してあった。
 ただ実際問題として、13年間は長すぎたかもしれない。なぜこれほど長い時間がかかったのか。留学に出るときは、3年の予定だった。3年間でドイツ語とラテン語を身に着けて、本場の講義をいくつか受けて、出来れば何人かの先生達に知己を得て帰国する予定だった。だが、予定が変わった。運よく博士論文を執筆する機会を得たのだ。
 ドイツの大学で博士課程に在籍すると、最長10年までの滞在期間延長が認められる。それ以上伸ばす場合は、毎年外国人局に出頭して申請することになる。年に一度の出頭の日は、その後の人生を左右する運命の日だった。幸い許可を延長出来たのは、地道に草稿の提出を続け、指導を受けていたことが最大の理由であることは間違いない。もし、もう一つの理由があるとすれば—これは私の思い込みかもしれないが—は、トリーアの町とワインを心から愛していたからである。もちろん、そんなことは滞在許可申請書のどこにも書かなかったし、審査官との面接でも話題にもならなかった。ただ、その思いが、なぜか通じたのだ。そんな気がする。

・もしもワインをあきらめたなら
 1998年9月から2011年8月までが、私のトリーア滞在期間だ。その間、どんな生活をしていたのかは、以前このコラムに書いたことがある(ドイツワイン通信Vol. 95)。もしもワインにかまけず、学業に専念していたら、滞在期間を短縮することが出来たかもしれない、と思うこともある。
 夕方、町の中央広場にある立ち飲みスタンドに立ち寄らずに、大学とアパートだけを往復していたら。週末、モーゼルのあちこちの村で開催されるワインまつりに行かずに、図書館で勉強していたら。初夏に開催される新酒試飲会や、有名醸造所が集まる試飲会よりも、研究を優先していたら。日本から来たワイン仲間に、「今は論文が忙しいので」と、醸造所訪問の誘いを断り続けていたなら。
 おそらく何年か、帰国を早めることは出来たかもしれない。しかし、後悔は残っただろう。せっかく現地に住んでいながら、なぜチャンスを生かさなかったのか、と。
 もともと、ワインに興味がなければ、当時勤めていた会社を辞めて留学しようとは思わなかった。だからワインを我慢して研究にいそしむことは、私にはどだい無理な相談だった。なるようにしかならず、なるべくしてなった。それが今の私だ。

・私の居場所
 1998年9月。留学先で自分の居場所を見つけることが、私の最初の目標だった。そしてそれは、すぐに見つかった。トリーアの中央広場にある、立ち飲みワインスタンドだ。近隣のワイン農家が入れ替わり立ち代わり、6種類前後のワインを売りに来る。私はワインの酔い心地も好きだが、様々なワインを試すほうがもっと楽しかった。だから、ワインスタンドはまさしく理想的な場所で、私の憩いの場だった。
 あの当時、ワインスタンドに集まるのは、もっぱら地元の人々だった。顔ぶれと立ち位置も大体決まっていた。私は買い物帰りに立ち寄るので、ポルタ・ニグラ――ローマ時代の都市の門で、黒ずんだ色をしているのでその名がある――の方から近づき、八角形をしたカウンターの反対側を陣取った常連たちに会釈し、その日の農家のワインを3種類程度飲んで帰ることが多かった。一杯100mlで1~3Euro…当時はまだマルクだったが—なので、5、600円で300ml。予算的にも、学生として許される範囲内だと思う。

 常連たちは本当に市井の人という感じで、学校の先生や商店の販売員、小さなホテルのオーナーやソムリエ、学生専門のアパートの管理人や神父など、さまざまな職業の人達だった。
 常連の一人に、学校の先生をしている偉丈夫がいた。どの学校だったか忘れたが、ギムナジウムではなかったと思う。職人になる若者を指導する学校だったかもしれない。確か教頭先生だった。いずれにしても、ドイツ人らしく大きな体格で堂々としていたから、常連の中でも一目おかれていたし、日本人の私にも分け隔てなく接する心優しい人だった。
 彼はトリーアの近郊にある、ルーヴァー渓谷のワインがお気に入りだった。それも、ヴァルドラッハ村のとある醸造所のワインを、ことのほか好んでいた。「これこそワインってもんだよ」と、彼(ディーターという)は言っていた。その醸造所がワインスタンドに来ると、ディーターは毎日立ち寄っては、スタンドが閉まる9時ころまで、誰彼となくおしゃべりを楽しんでいた。ルーヴァー渓谷のワインまつりに行くと、必ず彼に会った。「おまえ、うまいワインがあるところには必ずいるなぁ」と、笑っていた。
 ある時、ディーターはワインスタンドで浮かない顔をしていた。奥さんが亡くなったのだという。それからしばらくして、今度は彼がパーキンソン病になった。ワインスタンドにはあまり顔を見せなくなり、私が帰国してから3年ぶりに顔を出した時、常連から亡くなったと聞いた。
 時の流れは止めることが出来ない。人はいつか死ぬ。だから、やりたいことがあれば、出来るうちにやっておいた方がいい。それは神様が与えてくれたチャンスなのだ、と思うようになった。

・ワインバーの開店
 トリーアに来てから2年目か3年目に、大聖堂のはす向かいにワインバー(Walderdorff’s Vinotheque)が出来た。私がトリーアにいるうちにオーナーと店名が変わり、普通のレストランになってしまったが、その店の開店は、私にとって一大事だった。なぜなら、それまでもっぱらワインスタンドで、地元の小規模生産者のワインを飲んでいたのが、新しく出来たワインバーには、モーゼル全域の選りすぐりの生産者達のワインが集まり、常時グラスで10種類以上提供されていたからだ。かつての貴族の館だった建物の天井は高く、図書館のように落ち着いた雰囲気があり、ワインリストも分厚く、読んでいるだけで時が経つのを忘れることが出来た。
 ただ、そこにはワインスタンドの常連達は来なかった。若干値段が高かったというのもあるだろうし、彼らにとって、中央広場の屋外にあるスタンドのほうが、居心地が良かったのだろう。ディーターは、確かこう言っていた。「あのワインバーには行ったことはあるけど、ワインスタンドのワインの方がうまい」と。一方、そのワインバーには、私の知る限りでは常連はいなかった。おそらく、私が訪れる時間が、夕方だったからかもしれないし、テーブルに座っているので、お互いに知らない者同士、会話を始めるきっかけがなかったこともある。
 ワインバーに来るお客は、私のようなワイン好きもいたが、デート中のカップルやスーツを着た勤め人や、観光客が主なお客が主だった。少し日常から離れてワインでリラックスしたい、安定した収入のある人たちだ。いつだったか、入り口付近から聞こえて来た声がある。「おい、中国人が飲んでいるぞ。金あんのかよ」。あのころは2008年の北京オリンピック前で、中国は現在のように裕福ではなく、ドイツに来ているのは留学生か、不法滞在の難民が多かった。貧しいはずのアジア人が、ワインバーでのうのうとしてワインを楽しんでいる様子が気に入らなかったのだろう。不愉快だったが、ドイツに異邦人として暮らしていると、そういうことはたまにある。
 そのワインバーでは、店主のソムリエール以外に知り合いは出来なかった。かつて近郊の村のワイン女王だったという彼女は、今どうしているだろうか。

・様々な試飲会
 ワインスタンドやワインバーとともに、私のトリーア生活を彩っていたのは、試飲会である。試飲会には大きく分けて三種類ある。
 一つは、個々の醸造所が開催する試飲会で、大抵は新酒のお披露目を兼ねている。
 もう一つは、醸造所が、親しい醸造所をいくつか呼んで、合同で開催する試飲会。その代表は、モーゼルのヴェーレン村のS. A. プリュム醸造所が、毎年3月上旬という早い時期に開催する新酒試飲会だ。この、醸造所がゲストを呼んで開催するというやり方は、数年前からザールやモーゼルの大規模な試飲イベントでも広く見られるようになった。
 個々の醸造所が開催する試飲会には、主にその顧客が招待される。顧客は醸造所によっては、明らかに裕福な中間層が多く、メルセデスやBMWが周辺の道路に所狭しと路上駐車してあることもあれば、もっとこぢんまりとして、バスや自転車で訪れた家族連れが多い、ほのぼのとした雰囲気の試飲会もある。その違いは、ワインの価格帯を反映している。
 試飲会には、多くの場合招待状が必要だが、手ぶらで訪れても門前払いを食らうことは滅多になかった。招待状がなくても入場料を払えば参加できることもある。ある程度ワインに通じていて、真剣に興味を持っていることが伝われば、試飲させてくれることもある。醸造所にとって一番迷惑なのは、タダ酒を飲む機会としか考えていない、飲ませるだけ無駄な輩なのだ。通りすがりの観光客も、あまり喜ばれないことが多い。ただ、顧客と言っても、私のように6本バラでひと箱買っただけでも、試飲会の案内は来るようになる。だから、醸造所からワインを買うたびに、試飲の機会は増えていく。

 三つ目の試飲会が、醸造所団体が主催する試飲会だ。代表的なのは言わずと知れた、VDP.ドイツ高品質ワイン醸造所連盟の、モーゼル支部が主催する新酒試飲会と、9月の競売会。そしてモーゼルではVDPとライバル関係にある、ベルンカステラー・リングの新酒試飲会。他にもモーゼル全体のワイン生産者を統括する、モーゼルブドウ栽培者連盟や、ルーヴァーやザールの醸造所有志が主催する試飲会がある。いずれも約20カ所か、それ以上の数の醸造所が集まる大規模なイベントだ。
 ひとつの醸造所か、その仲間達が主催する試飲会は、完全制覇—そこに出ている全種類のワインを試飲すること—は、それほど難しいことではない。大体3時間前後もあれば一巡することが出来る。だが、三つ目のカテゴリーの大規模試飲会となると、事前の下調べが欠かせない。ゴー・ミヨのワインガイドや、ワイン雑誌の記事を参考に、優先順位をつけてまわっていくことが多かったけれど、試飲会の最後の方は、決まって体力と気力の限界に近づき、スピットアウトしても酔いがまわり、メモは短く字は汚くなり、あとで読み返しても判読不能となるのが常だった。

 この手の大規模な試飲会には、入場料を払えばだれでも参加することが出来たが、ワインに興味のない人が来ることはなかった。試飲は皆スピットアウトして、メモを取っているけれど、メモといっても様々で、事細かに味の印象を書き留めている人もいれば、気に入った程度を〇×か、棒の数で表現するだけの人も多かった。
 ワインまつりも、大規模な試飲会も、どちらも多数のワインを口にする機会だ。前者には、近郊からの様々な人が来て、職業や地位に関係なくワインを飲み干し、音楽と会話と雰囲気を楽しむ。有料で購入したワインを、スピットする人などいない。
 一方試飲会は、基本的にワインとその生産者を知り、仕上がりを確かめ、情報を集めることを目的とする人が来る。おそらく裕福な人もいるのだろうけれど、実際のところどうなのかは、あまり問題ではない。ワインの前に、参加者は皆、平等な関係となるような気がする。同じ穴のむじなの、仲間意識というべきか。

・変わりゆくトリーア
 ただ、以上述べたのは2011年以前のことだ。今はどうなっているかわからない。私がトリーアを去る2, 3年前から、中央広場のワインスタンドは、常に観光客でごったがえすようになっていた。1998年から数年は、閑古鳥が鳴いているのを見かけることもよくあったが、最後のほうでは、常にけんか腰で、和やかな雰囲気を乱す男がしばしばいた。かつての常連達の中心的存在だった、ソムリエで山羊髭の男が亡くなってからは、場を仕切れる人物がいなくなり、私の知る常連達の足も遠のいていった。

 ワインバーも新しい店が二つ出来た。一つはカール・マルクスハウスの前にある「ダス・ワインハウス」Das Weinhausで、もう一つは大聖堂に近い小道にある「ヴァインジニヒ」Weinsinnig。どちらもグラスワインの種類が豊富で、前者は有名生産者か大御所の品ぞろえが豊富で、後者は若手醸造家の個性的なワインが多い。今年はコロナで、どちらも苦労しているようだ。
 話が前後するが、今のヴァインジニヒの向かいに、かつて「マルクトハレ」Markthalleという食料品店があり、その二階のワインコーナーがとても充実していた。その責任者が独立して開店したのが、「ダス・ワインハウス」である。
 一方、ヴァインジニヒの店長も、トリーア郊外のスーパーマーケットに勤めていた際、ワインコーナーの大胆な刷新を行った。どこのスーパーでも買えるような、量販店向け輸入ワイン中心の品ぞろえから、地元生産者中心の品ぞろえに変えて、立派なワインショップになった。それから2009年に、自分の店を開いたというわけだ。(参照:ヴァインジニヒ開店当時の私のブログ:https://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/diary/200905040000/
 ダス・ヴァインハウスはどちらかといえばエスタブリッシュメント寄りで、客層も30代以上の中間層が多い。一方、ヴァインジニヒは20~30代の、パーティ好きな女性客をターゲットにしているので、二つの店ですみわけが出来ている。
 思えば、ヴァインジニヒが出来た2009年頃が、ドイツのワインシーンの分水嶺だったように思われる。ドイツ国内の、ワインにある程度お金を惜しまない中間層が、それまでもっぱらフランスやイタリアからの輸入ワインに傾倒していたのにかわって、ドイツ国内のワインに食指を動かしはじめた。それが2005年頃からだと思う。

 とまぁ、そんな訳で、2011年までの13年間で、トリーアのワインをとりまく環境は変化して来た。上記以外にもワインショップやワインバーはあるが、それはまた改めて。学業をおろそかにしたつもりはないが、ワインにどっぷりとつかった歳月に、後悔はしていない。

 

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。

 
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