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Sac a vinのひとり言 其の四十二「テーブルという王国」

公開日: : 最終更新日:2020/08/01 建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

〆の一杯。

 この単語を聞いて皆様はどういったものが頭に浮かぶだろう?
 一時の流行から、もはや定番となりつつあるChampagne? ガツンとパンチの効いた濃いめのカベルネソーヴィニヨン? 程よく熟成したヴィンテージポート? 各々頭に思い浮かべるワインは様々だろう。私自身もその時の気分やシチュエーションによって所望する盃を勝手気儘に選んで喉を潤している。面白いのが食前酒や食中酒であると、誰かが何かをオーダーすると、同じテーブルの顧客は付和雷同と迄は言わないがその注文に追随する形となる事が多く、結果として皆で同じ味わいを味わうことになるケースが非常に多い。
 (此処には「会話を重視したい」、「手間を取らずに早く飲みたい」などと言う顧客側のニーズを発端としているパターンが多い様に思われる。もちろん被招待側がホストの選択に任せなければならないという側面や、プロフェッショナルの選択を信用して頂いている側面も多分に含まれているが。皆おんなじでいいだろ? といった同調圧力的側面も見逃せない。)

 翻って再度〆の一杯、食後酒にレンズのピントを戻してみると、意外な程各自の裁量や趣味嗜好が尊重されている様に感じられる。ホストとゲストが同じものを楽しむのであれば、お互いの好みの共通点を見出す事ができた喜びで自然とその席は朗らかとなり、もし双方違う佳酒を嗜む事とあいなれば、何故お互いの手元にある杯の中身を愛しているのかという話となり、相手のパーソナルに対する理解の橋頭堡となるであろう。
 この、食後酒とそれ以外の酒における多様性の受け取られ方を少々誇張して表現するならば、「レストランにおける君主たる顧客、そしてその招待客。テーブルという一つの王国において客人の好みなどは尊重されはするが、然してその決定に関しては中世の専制君主制の様に、君主たるホストの裁量に全ては委ねられていて、招待客は寄る方ないその身を君主の気まぐれに任せる他ない」とでも言おうか(「Champagneで乾杯しましょう」と言われて、「あまり飲みたくありません」「いや、わたしはドライシェリーを貰おう」などと答えることのなんと難しいことか!)。そこには個人の欲求という名の自由意志が介入する余地は余りにも小さく、また狭い。そんな幸福な鎖で全身を縛られているゲストが、唯一と言っていいほど気ままにその善良な我が意を通す事が可能な瞬間こそが、〆の一杯なのではないか? 乾杯の一杯の様に飲む事が義務ではないので見送るという選択肢も存在し、ホストと同じ歓びでも違う楽しみに浸るのも思いのまま。もしビジネスの席であったとしても、このタイミングまで仕事の話を続けているケースは極めて少なく、もし続いていた場合はポジティブな意味で長引いていることが多いので、あまりシリアスになる必要はないであろう。

 と、ここまで「〆の一杯」の果たす役割や位置づけについて説明してみたが、肝心要なのはここからで、顧客に満足していただくために「何で盃を満たすのか?」ということを、我々は検討していかなければならない。 ならないのだが、先ほどの説明の通り、楽しい食卓の最後を飾るこの一杯のチョイスは、理屈と経験に依って成り立つマリアージュやペアリングとは全く異なり、情や関係性に大きく影響される。散々ワインのチョイスにエモーショナルな要素を組み込むように訴えてきた私が言うのも変な話かもしれないが・・・。
 私が考えるに「〆の一杯」の勧め方に関しては、一般的で効果的なロジックというものは正直なところ存在しない。勿論、飲料部門の責任者のソムリエである以上は、ディスプレイや積極的な販売戦略を立てて様々なアプローチは行っているが、極論するとケースバイケースで対応していくしかないというのが実情である。
 そのような前提条件を考慮に入れて、「〆の一杯」に必要とされるポテンシャルを定義づけるならば、顧客の要望に的確に応えることが可能な「幅」ではないだろうか? その証左としてはホテルやグランメゾンの食後酒の品ぞろえストックを観察すれば十分であろう。しかし、スペースや資金の問題で同様のキャパシティを一般の店舗で維持するのは現実的とは言えないので、選択肢の数は絞らざるを得ない。せめて風味の「幅」をきちんと取り揃えておくことが、現実的な対応となるだろう。必要な味の幅を簡単にまとめると、
 1) ChampagneやGin、Tonicなどのすっきりとした発泡性でクリスプなもの
 2) SauternesやPortoなどの強すぎないバランスの良い甘さを持つもの
 3) GrappaやEau de vieなどのドライで強いアルコールの「食道の通りを良くするもの」
 4) CognacやCalvados、Rhumなどのリッチかつ高アルコールの王道的食後酒
 5) ChartreuseやLimoncelloなどの香りと甘味が強い支配的な風味を持つもの
 6) 上記に属さない顧客の好みに応じたもの
となる。

 1) に関しては、状況に応じて既存のもので対応をするのか別途用意するのかは現場の裁量で対応可能であるので、それほどの負担とはならない。
 2) は冷蔵庫やセラーの収納の問題と、回転率と廃棄率の問題もあり、このタイプを希望される方は拘りが強い方も多く見受けられるため、チョイスに頭を使う。ある程度割り切ってSauternesやVDTなどの白い甘口とMadèreやBanyulsなどの赤い甘口をそれぞれ一つずつ用意して、メニューの変更などの折にコマメに対応していくのが現実的な対応だと言える。
 3) は、Grappaは最低限あったほうが良い。それ以外に関してはどこまで揃えたらよいかは正直なところスペースと予算次第としか言えない。一応FramboiseとPoireWilliamが人気の2トップな感じはあるが、この2つを置いておけば安心というわけではないのが悩ましい。正直自分の好きなものを置いてしまったほうがやりやすいのかもしれない。
 4) は、CognacかArmagnacのどちらかはマストである。Rhumも愛好家が多いが、個人的な雑感としてBarに言って紫煙と共に楽しむのを好まれるようなので、もしアンバー系がコニャック以外で1つしか置けないならばCalvadosを用意する方がレストランの食後酒の用意としては喜んでいただける確率は高くなりやすい。
 5) に関しては、余りにも幅が広く風味のバラエティーも多種多様に渡るので、腹を括って責任者が好きなものを置いてしまった方がいっそ潔い。自作のリキュールを作れるならば、それをお勧めした方が顧客の満足度の向上には繋がるだろう。
 6) は、可能な範囲で対応を行うしかないので割愛する。

 フランスにいた人間として、正直なところ日本のレストランシーンにおける食後酒の軽視されがちな現状は少々残念に感じている。確かに日本においてはBarという文化が強固に根付いており、食後の一杯は河岸を変えて楽しむという行動様式が完成されているので、レストランにおいて最後の一杯を販売することの難しさは、ヨーロッパとは比較にならないのも事実ではある。(もう一つの大きな原因として日本には明確な閉店時間があるということも関係してはいるのだが。) ただ、ソムリエという職業はレストランにおける営業職でもあるので、難しく色々問題があったとしても諦めずにアプローチは続けていかなければならない。
 利益的な側面もあるが、この「〆の一杯」は、今日の食事をどう楽しむか? 会話はどうしよう? などといった様々な懸案事項や軛から解放されて、周りとの関係性にも(比較的)気を使わなくて良い、テーブルという専制君主制の小さな王国の支配から唯一と言って良いほど解き放たれている個人の喜びを優先して構わない瞬間を彩るものなのだから。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー

 
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