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ドイツワイン通信Vol.105

公開日: : 最終更新日:2020/07/01 北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

コロナの時代に

 あれは確か、夏至の頃だったと思う。ラインガウで開催された試飲会のあと、ローカル線でモーゼルへ帰る途中、ミッテルラインに差し掛かった。日没からまもなく、列車の中も外もあたり一面、茜色の光につつまれた。渓谷の斜面の上に建つ城塞が、夕空を背景にして間近に迫り来るように見え、とても神秘的だった。普段ならば、この特別な瞬間を、写真に撮ろうとしたことだろう。だが、その時はしなかった。撮っても無駄だ、と思った。この光景は写真では残せない。それに撮ったら、「撮った」という行為自体に満足して、こういう景色を目にしたことを忘れてしまうだろう。その代わり、心に刻め。写真に残さない代わりに、記憶に焼き付けるのだと、心の声が言った。夏、茜色の夕空を見ると、あの時の幻想的な眺めを思い出す。

・コロナの時代に

 世界がコロナ禍に覆われて、半年が過ぎようとしている。産地で開催される試飲会は、ことごとく中止か来年に延期され、再び渡航が可能になるのは現在の雰囲気からすると、早くても9月以降になりそうな感じだ。その代わりに、直接的な接触を回避しつつ、それまでと同じか、ほぼ同様の成果を得ようとする試みが、急速な勢いで普及しつつあるのは周知の通り。テレビでリモート出演を目にしない日はなく、在宅勤務でも、ミーティングはオンラインで、日常の業務はオフィスにあるPCの遠隔操作で、大抵のことが処理できるようになった。

 また、ウェビナーが頻繁に行われるようになった。ウェビナーは、「ウェブ」と「セミナー」の合成語で、実は2017年には既に使われていたようだ。当時は企業向けが中心で、有料でないと使えない機能が多かったこともあり、一般にはあまり普及しなかった。だが、感染拡大の抑制が社会的な優先事項となり、直接的な接触を避けながら、知見と意見の交換が可能な場として、ウェビナーが注目されることとなった。現地の生産者が登場したり、インポーターが輸入したワインについて語ったり、特定のテーマについてディスカッションを行ったり、料理とワインを事前にデリバリーして、オンライン上で解説を聞きながら楽しんだりと、様々なウェビナーが開催されている。
 それまでは、時間とお金をかけて、場合によっては遠距離を移動して、セミナー会場に赴かなければならなかった人も、人々が強制的に相互に隔離されることによって、逆に容易に参加できるようになった。遠く離れた場所にいる主宰者や生産者の譬咳に接し、知見を学び、直接問いかけることが出来るようになっている状況は、コロナ禍のもたらしたひとつのポジティヴな側面かもしれない。

・コロナの時代の生産者セミナー

 ラシーヌでも去る6月初旬、モーゼルの【イミッヒ・バッテリーベルク】の経営醸造責任者、ゲルノート・コルマンを迎えてウェビナーを開催した。ゲルノートは本来、5月下旬にヴィネクスポ香港にあわせて来日し、東京・京都・大阪でセミナーを開催する予定だったのだが、この状況では中止せざるを得なかった。ウェビナーでは、通常開催されるリアル試飲会と同様に、ラシーヌの取引先が参加し、事前に配送された2014 CAIリースリング・トロッケンと2017シュテッフェンスベルク(有償)を試飲しながら、ゲルノートの解説に耳を傾けた。

 醸造所の歴史やゲルノートの経歴は、2カ月前のドイツワイン通信Vol. 103  で紹介しているので、ここでは繰り返さない(http://racines.co.jp/?p=15576)。今回興味深かったのは、栽培と醸造の実際だった。
 たとえば、イミッヒ・バッテリーベルクのベーシックなワイン「CAI」(ゲルノートは「カイ」と発音していた)には、普通の醸造所ならば上級キュヴェに使うような、ドーロナー・ホーフベルクやオーバーエンメラー・アルテンベルクといった、優れたブドウ畑の自根の古木の収穫を約30%も使っているそうだ。周知の通り自根の古木は成長力が弱く、収量は低く、房も果粒も小さいが、繊細かつ複雑な味わいで余韻の長いワインが出来る。
 2014のCAIは酸の厚みと凝縮感が印象的だが、それは2014年が「私の醸造家人生の中でも、一番難しい年のひとつだった」とゲルノートが言う、天候の影響もあったそうだ。収穫直前に大雨が降り、その後気温が20℃前後と暖かかったので、ブドウが急速に傷んでいった。そのため、選別しながら収穫して、実ったブドウの半分を捨てざるを得なかった。結果、2014年のCAIのヘクタールあたりの収量は、例年の約半分以下の22~23hℓにとどまった。
 収穫後はマセレーションを行う。その期間は生産年によって異なり、たとえば2017年のシュテッフェンスベルクは約18時間行った。圧搾は2、3気圧でやや強めに、タンニンとエキストラクトの抽出を意識して行う。清澄は、マストに何も添加せず、3時間ほど静置する。粒子の大きな夾雑物が沈殿したら、上澄みをタンクか樽に入れてそのまま放置すると、自然に発酵が始まる。市販の培養酵母は使わないし、スターター用に酵母を自家培養することもない。
 難しいのは、最後まで完全に発酵させることだという。モーゼルの冬はやはり非常に寒く、土壌は痩せているので、果汁に含まれる(訳注:酵母の養分となる)窒素も少ない。だから、酵母の増殖もゆっくりとしており、暑く乾燥した年には12カ月以上アルコール発酵にかかることもある。たとえば2018年産は、澱引きまで18~19カ月かかった。ベーシックなワインでも9~10カ月、畑名入りは1年以上澱引きせず、沈殿した酵母の上で熟成させる。ゲルノートは澱引きまで亜硫酸塩は一切添加せず、ある程度の酸化を許容して醸造しているが、一般的なモーゼルワインでは、果実味を保つために、亜硫酸塩を早い段階で添加するのが普通だという。
 CAIとDetonation(未輸入)はステンレスタンクで醸造し、村名ワインにあたる「エシェブルク」から上は小型の木樽で醸造する。ブドウ畑の個性を曖昧にしたくないので、キュヴェによって醸造手法を変えることはない。ベーシックなワインは、若いうちに飲まれることが多いので、スクリューキャップを使っている。その他のワインは長期熟成を意図し、コルクを使っている。

 周知の通り、ゲルノートはザールのファン・フォルクセンで、創設期の2000年から2004年春まで醸造責任者を務めていた。当時と現在とで、醸造面でとくに違うところがあるかという問いには、以下の答えが返って来た。「あの頃は、今よりも早い時期に亜硫酸塩を添加していた。木樽での長期熟成や、培養酵母や酵素、清澄剤の不使用などは、今も変わっていない。ただ、以前は発酵が止まったら、自家培養した酵母を添加することもあった」そうだ。「当時は、ザールでも辛口か、辛口に近い上質なワインが出来ることを世に示すことを目標にしていたので、まろやかで、人々に好まれるスタイルを意識していた。今はより堅く、強いミネラル感を持ち、ほっそりとしたスタイルを目指している」という。

・アフター・コロナの時代へ

 1時間あまりのゲルノートとのウェビナーは、終盤にゲルノートのPCのバッテリーが足りなくなるというハプニングはあったものの、無事に終えることが出来た。生産者とのウェビナーは、一方通行の動画配信とは異なる、参加者同士が体験を共有する、意味のある時間だったと思う。
 終了間際ゲルノートは、近い将来モーゼルを訪れる機会があれば、ぜひ醸造所に来てほしい、と参加者に呼び掛けた。実現すると良いと思う。ただ、それも新型コロナの感染終息と、渡航規制の解除がいつになるのか次第だ。EU域内での国境を越えた移動は、夏のバカンスシーズンを前に6月15日から一部を除いて緩和された。秋には、日本からの渡航が可能になっていると良いのだが。

 ちなみに、ラシーヌは7月6日からイミッヒ・バッテリーベルクの新ヴィンテッジの出荷を始める。ドイツで都市封鎖が行われていた3月末に醸造所から集荷され、4月上旬にハンブルクを出港。5月下旬に日本に着いたリーファーコンテナに入っていたものだ。人々の外出が制限されている中でも、物流は止まらなかった。ただ、中国に陸揚げされたコンテナが動かせなかったり、積み替え港が急遽変更されたり、リーファーコンテナ用の電源プラグがコンテナヤードで不足したり、世界各地の工場の操業停止で、原料と製品の物流需要が激減したため、半数近くの貨物船の運行がキャンセルされたりと、今年に入ってからの輸送状況は、混乱に見舞われ続けてきた。しかし、ラシーヌでは今年の仕入れを例年より早手回しに進めており、今回の状況もある程度予測されていたので、欧州各地からのワインが入ったコンテナは、着実に日本に到着し続けている。
 “Das(ダス) Leben(レーベン) geht(ゲート) weiter(ヴァイター)“(人生は続く)。災難にあったりしたときに、ドイツ人がよく言う言葉だ。変化を前向きに受け止めて、変えるべきことは変えて、新しい環境に順応しながら生きていく。世界はまだ終わっていない。リモートとコンタクトレスを推進する技術と制度は、今後も進化を続け、便利になっていくことだろう。それでもやはり、現地でしか体験できないことや、直接会って伝えたいことがある。国境を越えた人の移動が、再び自由になる日を心待ちにしながら、今日を大切に生きていこうと思う。

(以上)

 

北嶋 裕 氏 プロフィール: 
(株)ラシーヌ輸入部勤務。1998年渡独、2005年からヴィノテーク誌に寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)や個人サイト「German wine lover」(https://mosel2002.wixsite.com/german-wine-lover)などで、ドイツワイン事情を伝えてきた。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得し、2011年帰国。2018年8月より現職。

 
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