ドイツワイン通信Vol.104
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北嶋 裕の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
ルドルフ・トロッセン詩集(試訳)
今回お届けするのは、モーゼルの生産者ルドルフ・トロッセンの詩集である。1990年から2008年にかけて制作された作品20編で、昨年春に自費出版された。その年の暮れに翻訳を依頼された私は、二つ返事で引き受けた。約束を、今回ようやく果たすことが出来、ほっとしている。
ご存じの通り、ルドルフ・トロッセンはモーゼル中流のキンハイム・キンデル村の醸造家だ。1976年に他界した父から21歳で醸造所を継いで以来、バイオダイナミック農法を続けている。1984年にモーゼルで志を同じくする生産者達と、有機農法団体「オイノス」Oinosを結成した。1985年には、ドイツ各地で有機農法に取り組む醸造所が結成した、「エコヴィン」Ecovinの創設メンバーのひとりとなった。その他、バイオダイナミック農法団体「デメター」Demeterの、ラインラント・ファルツ州とザールラント州支部の設立にもかかわっている。
ルドルフのワインが世界的に知られるようになったのは、2010年頃にデンマークのレストラン「ノーマ」のソムリエ、マッズ・クレッペに見出されてからだ。その頃から、亜硫酸塩無添加のナチュラルワイン「プールス」シリーズを造り始め、今ではドイツを代表するナチュラルワイン生産者の一人となっている。しかし、ブドウ畑の規模は2.5haのままで、「自分ひとりで目の届く規模であること」を大切にしている。また、レストラン関係に評判の良い「プールス」シリーズを醸造する一方、昔からの顧客のために、亜硫酸塩を微量添加するノーマルなスタイルのワインも、地道に造り続けている。モーゼルの河岸に面した醸造所では、民宿も併設している。モーゼルに新しく建設された高架橋B50neuの反対運動の中心メンバーのひとりでもある。頑固なところもあるが、自然と人とワインを愛する、地に足のついた醸造家だ。
この詩集『ブドウ樹は語る』Was die Reben sagenを読むと、モーゼルの風景とともに、トロッセンのブドウ樹やブドウ畑、ワインへの愛情が伝わってくる。詩のスタイルは、年とともに変化している。1990年代は、季節ごとのブドウ畑の様子や、ワイン造りや、ワインを味わう喜びが素直に描写されているのに対して、2000年代に書かれた詩は、技術志向で醸造された人工的なワインや、候変動に対する危機感、生や死について表現しており、次第に深淵な内容になっているように思う。
以下は拙い試訳にすぎないけれど、モーゼルの生産者の想いや、トロッセンの人生観を、ある程度お伝えできていればと思う。ルドルフが手塩にかけて栽培・醸造したワインが、彼の詩を読むことで一層おいしく感じられれば幸甚です。
『ブドウ樹は語る』
ルドルフ・トロッセン
「癒しの液体」
濡れた枝に 最後の一葉
最後の温もり、最後の匂い。
もう一度 葉は誇らしげに輝き
そして萎れ、灰色の地下室に。
冬の静寂、硬直と死、
最後の瞬き、最後の炎。
夏のブドウから滴り落ちた甘い血で
造り手は灯す 新たな炎を、
新しいワイン、夏の日は、
いくつもの夜に我々を 力づけてくれよう。
(1990年11月)
「心の微笑み」
ブドウ畑、
岩だらけの地面に立つ支柱、
節くれだった幹、力強い根、
大地を掴み、支柱に絡まり、
光に向かい 葉を伸ばす。
ブドウは自らを
太陽と月で満たし
朝靄の渓谷で丸々と輝く。
造り手の手は、土と埃にまみれ、
ブドウをそっと包み込む。
一年の報酬、
貴重な果汁が、
圧搾機から滴り落ち、
樽の中で泡立ち、
おのずから澄み、
やがてグラスの中で輝き、
舌の上で踊り、
心に笑みをもたらす。
かくしてワインが出来た。
(1991年5月)
「瞬間」
天から豊かに雨降り注ぎ、
大地を流れ潤し、
そして根の力が光へと向かう時、
新しい年の成長が始まる!
穏やかな南風が吹いて、
ブドウの芽が柔らかく膨らむ頃、
造り手はセラーに降りて、
積み上げられた宝物の中から、
去年仕込んだ新酒を開けて
最上のワインを探す。
いつしか繊細な香りがあたりに満ち、
越し方と未来の夢が結びつく
永遠の瞬間に。
(1992年4月)
「目覚め」
川面が輝き
陽光を千倍にして
ブドウ樹の緑を照らし、
長く深い冬眠から
ブドウ畑は目覚め、蘇る。
しかし同時に不安も目覚め、
気苦労とトラブルと病害虫で、
夏の勤勉と努力は
一体報われるのかと考える。
そして後に残るは希望と
いざという時を切り抜けるための平常心と
ワインに対する誇りと喜びが
乱れた心を 落ち着かせてくれる。
(1993年5月)
「夏の夢」
低く垂れこめた雨雲から
豊穣をもたらす天の水が
乾いた大地を潤したなら、
そして春色のパレットから
ブドウ樹の若々しい緑が
粘板岩のくすんだ青色に映えたなら、
誰の心も軽やかに弾み
世界が明るくなり、
悪意に歪んだ口元も、
頬を緩ませ、笑顔に輝く。
熟したブドウに溶け込んで
過ぎ去りし夏は ワインの中で深く眠り、
やがて舌の上で目覚め、
喜びと暖かさを与えつつ
力強く蘇る!
(1994年4月)
「謙虚」
陽が沈む、夏が去る、
熟したブドウを残し。
早くも冷たい風が吹く。
長い影が地面に落ちる。
黄金のブドウの丘に 最後の光。
ブドウ畑に一人佇み
私は黙って眺める。
だが古い樽の中で
新酒が泡立ち、
夏の太陽の力で醸され、
生気と暖気が夜通し溢れ、
陽気に踊り、歌い、笑う。
そこには神の力が働いているのだ、
畏敬の念に打たれ 頭を垂れる。
(1994年11月)
「リースリング」
輝くグラスに澄んだ香り
様々な夏の果実、
強いものから立現れては消える、
儚い夢の中で。
口中を満たせ
力強くほっそりとして
厳しくも優しく
舌を刺激せよ
感覚を魅了せよ
心を楽しませよ。
リースリング、
誇り高く太陽に立ち向かい
大地、渓谷
熱い石は
夜に暖気を発し
おまえを守り 包み込む
リースリング
お前の果実の液体を
甘いかどうか
発酵を終えたかどうかを知るために、
リースリング、
お前を味わうのは…
なんという喜びだろう!
(1995年5月)
「モーゼルの詩」
緑の波をかきわけて
無数の陽光がきらめき、
まぶしいほどに明るく
岩場にゆらめき
波間でもまた
碧玉のごとく光る。
強い光の中でブドウは育ち
この煌めきから
命輝く:
岸辺を祝福するモーゼル!
冷たい水で野原を潤し、
風を送って森と戯れ
そして夜には
やすらかに寝息を立てて
満点の星空のもと
谷を流れる。
モーゼルは岸辺に口づけし
まどろみの中で大きくうねり、
リズミカルに上下し、
命を育む。
こうして風景は旋律となり、
音楽に満ち、調和の中で
葉は茂り、
ブドウは熟し、
ワインが香る。
(1996年2月)
「ワインの香り」
グラスの薄い壁面に
幾千も付着している
細かい気泡は 星々ようだ。
これこそ新酒、
若々しく新鮮な炭酸の
ピチピチと弾け、満ち満ちて、芳醇な。
リースリングは輝きの中に
金色を帯びて
若草色にきらめく。
鼻腔を通じて香りは昇り、
豊かなアロマに満ち、
多様で 果てしなく楽しい。
思い出すのは熟した果物、
リンゴ、桃、アプリコット、
キウィ、マンゴー、パイナップル
そして夏のバラの匂い。
温かなはちみつと
フレッシュなシトラスが入り交じり、
洋ナシ、かりん、ラズベリーの香りが
一連のアロマの中でたゆたい、
青草の、乳香の、干し草の匂い、
どのワインも違い、
どの年も新しい。
ああ、人生はどんなに豊かなことか、
誰もが敏感で、オープンで、クリアで、
そして繊細であったなら、ブドウ樹のように、
良いワインのように:なんとかけがえのないことか!
(1997年4月)
「ワインの中に真実がある」
長引くどんよりとした冬空に、
老木の枝が悲しげに鳴り、
不安のうちに開花を夢見る
力強く太陽が昇る
限りなく高い空の青に、
幾千もの声が一斉に響く:
ああ、夏がいつまでも続いたらなら!
愛と欲望に満ちた夏、
暖かな風とむき出しの乳房、
だれその場を離れ得ようか?
だがもし夏が永遠に続けば、
若々しい緑はいつまでも変わらず、
もしブドウ樹が 青々として石壁を這ったままならば、
一体全体、どうやってワインを造るのか?
ワインを造るためには、ブドウは死ななければならない、
いかなる生も死へと続く。
だがそれでも、そして何度も
朝焼けに染まる朝が来る
だからワインは
内面への、そして奇跡の源への
道標なのだ、
飲めば真実の力を感じ
人生に希望が蘇る。
(1998年4月)
「色」
今年の秋、束の間の太陽が現れ
山を金色の光で染めた:
ブドウ畑が輝いている!
黄金色の葉に 赤い軸、
地面は草の緑が彩り
湿った粘板岩が青みを帯びる。
くすんだ灰色の古い支柱に
ブドウの幹の黒と緑が寄り添う。
成熟した褐色の若枝に、
新芽のように、希望に満ちて
来夏の果実が憩う。
大きな雲が勢いよく空を流れ、
暗い驟雨が太陽を遮る。
新鮮な空気は彩りに満ちて、
熟したブドウの匂いが漂う。
セラーで新酒が発酵している。
ざわめき、泡立ち、ゴロゴロと音を立て、
一年中の色はすべて、
姿を変えて、
鼻、口、そして心を満たす、
新たに生まれる、
また来たよ、
だが違う:ほら、君の中で輝いている!
(1998年11月)
「あるがままに」
狭い谷では視野が狭まり
あらゆるものが近く
どれも同じに見える。
斜面を登り、
するとまもなく、中ほどの高さで
感覚が解き放たれ、
頂上では
まだ太陽の光が当たる、
谷底が
暗い影に覆われていても
高みに登るほどに
あるがままを認める気持ちも強まる
それがそれであることに
敬意を抱くようになる。
自分自身を見つめ
十分な余裕があり
怒りに任せて 他人をなじることもない。
ワインの中には両方がある、
近くも遠くも
酩酊と親密さと
狭さと無限と、
どちらの場所もある、
私の、
そして君の。
(1999年4月)
「発芽」
ブドウ畑に日が当たり
暖かな石が青みを帯びる。
小さな真珠をつけたように
水滴がブドウ樹に並ぶ。
ガラスのような粒に世界が
幾千倍にも映り込む
未来への憧れで新芽が膨らみ
存在を主張する
ここにいるよと。
濃厚な色を帯びて
最初の一葉が顔を出す
輝いて
包む綿毛を突き破るかのように
光を吸い込み
将来の果実と 夏の装いを
内に秘めて
生命を内に宿して、
光を受けて緑に染まる
なんということだろう
ブドウ畑よ、
誕生のサイクルよ
命をつなぎ
新たに宿す
君のもとに行こう
天に向かって
(2000年4月)
「粘板岩は微笑む」
粘板岩を一つ 手に取ってみたまえ
青みを帯びて、ベルベットのようにやわらかい。
あるいは硬くて灰色の硬砂岩を、
君の頬に押し当ててみたまえ:
石に触れて…
感じるかい?
凍てつき寒い冬の日々に
彼は君に夏を語る、
息をしていたら、生きていたら
そして暖気が脈打っていたら。
彼は過去も話すだろう、
君に伝えようとする、
月がまだ地球の一部だった頃のことを。
かつて地球は 樹木のように生きていた
そしてただ、絶え間なく移り変わっていた。
年輪が樹皮を取り込むように
そのころ石が形をなした、
波打ち、層をなし、線を描き、重なり、
そうして石は、昔日を語る。
夏の太陽
熱気に揺れて
粘板岩は輝く
灰色と青
そして体いっぱいに
天の力を吸い貯める。
夜に
粘板岩はやわらかな熱気で温め続ける
丸々と膨らんだブドウの甘い血
そして微笑む…
(2001年4月)
「ふるさとのワインとフランケンシュタイン」
ワインの中で二つの世界が出会う:
一方は産地を表現し、
他方は科学技術を結集し
酵母と酵素で
ワインを何者かわからなくしてしまう:
化粧され、白粉をはたかれ、つるりと剃られ。
ワインに土や石の匂いがしたら
そして果実の香りが微かに舞ったら
彼は育った土地を語っているのだ。
まっとうで、伸びやかで、繊細なら、
人はそれを「ふるさとのワイン」と言う
だが新しい醸造技術が駆使され、
砕かれ、凝縮され、香りをつけられ、
けばけばしく着飾り、自己満足に浸り、そのうえ個性に乏しいなら、
人はそれを「フランケンシュタイン」とさえ呼ぶ。
真正性の根源は土壌にある、
それ故に私は土壌を養い、流行に抗う。
ブドウ畑を本当に愛する者は
畑の栄養になるものを選ぶ。
なぜなら土壌は生き生きとして、
腐葉土は絶え間なく効果を発揮して
注いだ愛に応えてくれるので、
一滴一滴が、
純粋な喜びとなる。
(2002年4月)
「輝く粘板岩」
深く青い空に
高々と昇る太陽が まぶしく輝き、
炎のような両手で
炙った弓矢を 乾いた地面に放つ。
谷の上から熱気が降りて
粘板岩が輝く。
小さな竜巻が跳ね回るように
淫らな風が 乾いた草原を吹き渡る。
ひび割れた大地、枯れ果てた畑、
干上がった小川:これからもっと頻繁に起きるのか?
短く乾いた茎の上で、種は雨を切望する。
こんな夏は初めてだ。
ただブドウ樹だけが この暴力に抗う。
熱に浮かされているかのように、
歳月と気高さを誇りに、
ひび割れた大地の上で、
熱い石の上で耐え、
その輝く緑の葉を
太陽にむけて伸ばし、房は
金色の光を浴びる。
力強く冷たい地面の底へと
根を伸ばし
葉は貴重な水を吸い上げ
エネルギッシュに
揺らめく光の海へと昇っていく。
ブドウ樹の神殿の中で、
房と葉の中で、
秘密が起きる:
そこで神々が造るのは
新たな
甘く、果実となった天の使者、
ディオニソスの力が詰まった魔法の玉。
自由の旗をなびかせて、
人を幸せにも、不幸にもする。
造り手の熟練した手にかかれば
香り高いワインが出来る
そして感謝で興奮した舌の上を
この液体の黄金が流れたなら、
これからの文化の太陽が
人智を超えた 自然の力で輝く
奥義を識る愉しみとともに。
(2004年4月)
「愉悦」
ワインがグラスの中で輝くと、
無数の香りが満ちる。
自然の魔法を深く吸い込み、そして
沈黙が訪れる…
香りは雄弁に語る、
太陽と天候
葉と枝が
去年体験したことを。
造り手の愛情と心遣いと
そしてミミズが、
暗い地中で
星々の挨拶を受け、
その体で
ブドウ樹を養う。
次に舌を湿らせよう
美味なるワインで、
甘さの中に塩味を、
苦味の中に酸味を感じ、そして驚く:
感覚の門を通じて
君の中に世界が入り込む。
瞬間を把握し 永遠にせよ、
心の扉を開いて笑みを浮かべよ、
そしてまもなくブドウの力が
君の血に流れ 体を暖め
心に触れる:
神が君に口づけを与えた、
感謝して喜べ、
そして彼の笑い声を聞け:
君の目の輝きの中に
世界がある。
(2008年4月)
「聞こえたなら」
ブドウ畑に霜が降り、大地を覆い
寒さで失われた時間は
誰も招いたりしない。
嵐で破れた葉が風に震え、
姿を消した小川の柵に溜まる。
春の声が渓谷を呪縛から解き
凍える季節の青ざめたまなざしに 歌が湧き出る
氷が解けて ブドウが涙し、
その血が 冬の残した傷跡をふさぐ。
大地を起こし、種を植える。
膨らんだ芽の紫の中から
夏が君を見ている。
ブドウ樹は始まりをささやき
これまで成長を続けた、
葉を開く
光の中に向かい。
澄んだ夜に耳をそばだて、
黒く湿った地面を味わい、
ブドウ樹は旅人に歌う
時間をかけて。
もしも聞こえたなら
死者とともに地面を愛し、
神々の祝福と
野ばらの匂いを知っただろう。
(2006年4月)
「敢えて」
春には敢えて
白樺の若枝を曲げ
草原に横たわり
夢を紡ぎ
ただここにいて、元気でいよう。
夏には
蛍が飛んで
月光の中を漂い
輝く太陽のもと
喜びに溢れ
冷えたワインで 生き返った心地を楽しむ。
黄金の日々にブドウは熟し
成熟を味わい、不平を言わず、
すべては儚く、5月は瞬く間に終わり、
淀んだ日々もまた いつしか過ぎ去る。
冬には己を顧みて しばし手を止め、
人生を振り返るのだ、
偉大な自然は、
常に春には
新たなはじまりをもたらす
人もまたそうであるように
新たな姿を現す。
(2007年4月)
「ブドウ樹は語る」
大部屋の中の音のように
場所が違えば響きは異なり、
山の小川が岩にぶつかり、
泡立ち、水しぶきをあげ、音を立てても、
同じように見えて、二つと同じものはない。
良いワインもまた口の中で
多様な姿の一つといえる。
その瞬間に集中するのだ、
限界を探り
己を超えつつ そこにとどまれ。
扉を通り抜けるようにワインの中に入り、
幾重にも重なる香りに己を失い
粘板岩の響きに耳を傾け、
過ぎ去りし歳月の余韻を聞け、
そしてブドウ樹が語る言葉は
君の心の傷を癒すだろう。
(2008年4月)
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」 (http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。
2010年トリーア大学中世史学科で論 文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。