*

Sac a vinのひとり言 其の四十「思考回りが空回り」

公開日: : 最終更新日:2020/06/01 建部 洋平の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

 さてさて、自粛自粛で世の中は箱の中に入った猫のようにまんじりともせず動きが見えてこない。有難いことに自身は何かと忙しく物思いにふける暇もないのであるが、平時と比べてしまうとやはり変化や発見に乏しい状況にあると言わざるを得ない。こんな折には詩人であれば散歩に出てみたり、瞑想にふけることによりリンゴの自由落下を見たニュートンよろしく着想を得ることが出来るのだろうが、平々凡々な非才の身としては現代の原稿用紙と万年筆であるパソコンの前でうんうんとうなりながらカタカタと打ち込みをするしかないのである。なんとも格好がつかない、つかないがこうして紙面を与えられている以上何かを書いていかなければ緞帳は上がらないし芸人はおひねりを投げ入れてもらうこととは相成らない。新しい生活様式なるものに到底なじめそうにはないアナログな人間として今回もつらつらと書きなぐっていきたいと思う。

1 試飲会がないということ

 正直なところ、私が15年ほど前にフランスで本格的にワインについて勉強をはじめたころを思い返してみると、当時はブルゴーニュに住んでいてなおかつ貧乏学生であった為に、蔵元が試飲を受け入れてくれていた(今では考えられないくらいすんなりと受け入れてくれた!)。冬季と夏季の閑散期を除くとワインを味わう機会が週に1、2回なことなどザラであった。もっと色々なワインを味わいたいとは思ってはいたが、大体にして生産者の好意で試飲の機会を与えられていたに過ぎないので「まあ、今はこんなものでしょう」と妙に落ち着いていた記憶がある。その分ハイシーズンになると休日は自転車に飛び乗って村々を走り回ったものである。確か1年半(賞味半年)で120件は訪問したと思う。一番ハードだったのは朝8時にBeauneの家を出てMarangesまで直行し、そのまま坂を駆け上がってCôtes du CouchoisのPortes Ouvertes、生産者が一般にも試飲のドアを開けるお祭りに参加して夜9時にヘロヘロになって家にたどり着いたときか、それとも電車のサポートがあったとはいえBeaune→Morey→Chambolle Musigny→Mercurey→Beauneを一日で走り回ったときであったか… 話が脱線してしまった。その反動なのかParisでの仕事が始まってからは我が世の春が来た!とばかりに試飲会に足しげく通ったものだ。思い返してみると約7年のParis時代の記憶の殆どが週末のマルシェの光景とお気に入りのレストラン、そして試飲会に関するものばかりである。そういえば向こうに住んでいた間に日本からのお客様に「おすすめの観光スポットはあるか」「色々な名所に行ったでしょ」などとよく聞かれたのだが、人混みが苦手だったのとブドウの樹が生えていないところに興味が無かったので何時も答えに窮したものだ。
 と、このようにワイン以外では割とポンコツな人間であるため試飲会に行けない現状は辛いか? と聞かれたら即座にイエスと答える。しかし我慢できるかと言われたらあと数か月は問題ないかな、と答える。別に自分だけが試飲できないわけではないし、お金を出せば興味があるワインも手に入る。ただその時を粛々と待つだけだ。それに試飲会に参加できなくても色々と頭を働かせることは出来るのでまあ何とかなるでしょう。
 試飲会が重なりすぎて頭の中の情報が整理しきれていなかった私にはちょうどいいくらいなのかもしれない。

2 帯に短し たすきに長し

 前回に引き続き自粛要請下での生活が続いている。活動的なのは白色脂肪細胞くらいなものであり、引きこもっている間に横幅が大きくならない様に必死に皆抗っているのではないかと自信を叱咤しながら静謐で淡々とした日々が繰り返されている。戦う相手が自身の欲求と持て余した暇くらいなのは、ある意味で幸せな証左ではあるが、脳と身体を動かさない時間が長いこと続いてしまうと思考の方向がポジティブな方向に行くとは限らず、取り留めもなくネガティブな方向に行ってしまいがちである。そのような時に昔の仕事の失敗であるとか嫌な思い出などを思い出して「何故上手くいかなかったのだろう」と悶々としているとふと思い至ったのが、成功しなかった理由が実力不足やケアレスミスだけとは限らずに、状況に対するニーズが噛み合っていなかったのではないか?ということである。
 これだけではぼんやりとしすぎていて伝わりづらいので、少々乱暴なくくりであるがソムリエを3つのタイプに分類して説明してみたいと思う

1) リアライザータイプ コンテンツを作成して来店動機を作り出す
2) マネージャータイプ 環境を設定してサーヴィスに最適な状況を作り出す
3) プレイヤータイプ  実働部隊として状況に即した動きを提供する

1)は、ワインバーやワインリストが素晴らしい店舗の責任者に多いタイプでワインの情報収集に精力的で購買ネットワークも豊富である。固定客がついていることが多く、ある意味ではお店の看板。いわゆる「ハコ」を作る人でメディアなどにも露出するのでソムリエとして皆の印象にあるのはこのタイプであろう
2)は、グランメゾンやホテルなどに多く見受けられるタイプ。在庫管理やサーヴィスに必要な設備の保持と管理、営業時に最適な人員配置を実施する。飲食店の営業は準備が9割といっても過言ではないので店舗運営の心臓部と言っても過言ではない。対外的に見え辛い性格の業務ではあるのでピックアップされることは少ないが、快適なレストランシーンはこのタイプのソムリエたちのおかげで成り立っていると私は考える。
3)は、ワインを取り扱う飲食店であれば必ず存在するソムリエ。お客様に心地よい時間を過ごして頂くために目を光らせて気を配り、不備の無いように業務を行う皆様が現場で目にする「ソムリエ」である。見習いであれば此処からスタートし業務を覚えていく。忙しいテンポであれば責任者でもこの業務を精力的に行う。

 と大雑把に3つに分けると分析しやすくなる。個人店舗であれば1)~3)まですべてのタイプの業務がこなす必要があり、大規模店舗の場合は2)を専門に行う人間が必要になってくる。店舗によって必要とされる技能の性格が当然変わってくるので、多店舗で非常に優秀な成績を挙げていた人間が移籍してみると期待に応えられないケースは少なからず見受けられる。そしてその逆のケースも然りである。私自身を分類すると、フランスで在籍していた店舗が古くからのお客様も多く顧客側でワインのチョイスをされる方が頻繁に来店するタイプの店であり、加えてフロアが3つ+個室のトータル45席以上の店舗に私しかソムリエが在籍していなかった。そのような状況に対応するために、必然的に私は2)と3)のタイプの業務を得手とするソムリエになった、ならざるを得なかった。満席の土曜日のディナー営業を未だに夢に見ることがあるが、今思い返してみてもどうやってこなしていたのか正直よく思い出せない。ただ6年間猛烈に忙しく鍛えられたという実感しか無い。そして日本に帰ってきて暫く経った現在、私はフリーランスのソムリエとして色々な現場に立つ機会が多くあるため、店舗によって必要とされる業務の性格が大きく異なるので、最近は1)~3)の業務に振り分ける自身のリソースをその時その時で依頼主と相談しながらコントロールしている。日本では飲食店の業態が多種多様に渡るため臨機応変に対応しなければならず、それに対応していくのは中中に骨を折るが楽しいものである。
 このコロナ状況下において飲食店も営業スタイルや業務内容、ビジネスモデルへの変化を強いられている。今後ソムリエという職業に求められるものも移り変わっていくだろう。どうすれば良いのかは現時点ではどう答えたものか皆目見当もつかないが、一つ言えるのは業務のエッセンシャルな部分への変化は恐らく求められていない。必要なのはその発露の仕方をどのようにマネージメントしていくかであるのではないだろうか。易しい道ではないだろうが、このような時に進化というものは起きていくものである。20年後に「あの災厄からソムリエという職業の価値が見直され始めたんだよ」と思い出すことが出来たなら痛快であろうなあ、などと妄想してみたりしながら筆を進めている。とりあえず私にできることは、カメレオンのように周囲の環境に馴染みながら、ナマズのようにヌルヌルと間隙を縫ってこの状況を生き抜いていくことだけである。健康に生きていれば何か良いことがあるでしょうから。

 

~プロフィール~

建部 洋平(たてべ ようへい)
北海道出身で1983年生まれ。調理士の専門教育をへて、国内で各種料理に携わる。
ブルゴーニュで調理師の研修中、ワインに魅せられてソムリエに転身。
ボーヌのソムリエコース(BP)を2010年に修了、パリ6区の「Relais Louis XIII」にて
シェフ・ソムリエを勤める。現在フリー

 
PAGE TOP ↑