ファイン・ワインへの道vol.44
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寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ
1966 年キアンティ・クラッシコの非常識(個人比)。
よくもこんなワイン無知な人間(=私です)が、人様にワイン記事など書かせていただいていたものだと恥じ入り、穴があったら入りたいほどの事件(※個人比)があったので、お知らせしますね。実際、その経験をしたのは、まさに穴蔵状のフィレンツェの地下セラーだったのですが。その経験はある意味、8個しか惑星がないと思ってた太陽系に、突如2,3個、新たな大惑星が現れたと思えるほどの発見、でした。
皆さんは、キアンティ・クラッシコ1966年、54年前のグッド・ヴィンテージを薦められるとどう思われますか? 「ほとんど、単に少し甘い水」、「抜栓し、グラスに注いで10分ほどで香りも味もなくなる」。それが、私の(なんとも乏しい)想像でした。
ところが。
グラスに注いですぐ、猛然たるスミレ、チェリー・キルシュ、ドライ・イチジク、そして上品なスパイスの、悶絶もののセクシー・アロマ。タンニンには十分、伸びやかで頼もしい芯があり、細かくシルキーにほぐれた酸と、同じくシルキーにほぐれつつも格調高さが現れた果実味とが、妖艶に重なった多層性となって長く続く余韻は、堂々たるグラン・ヴァンの域だったのです。特に、酸と果実味が一体化し、まるで大教会のステンドグラスのように、華麗かつ微妙なグラデーションのカラフルさになって五感に響くトーンは、異次元の知覚体験、でした。
いやはや、想像もしませんでした。キアンティ・クラッシコの半世紀以上の熟成向上力と、熟成後に現れる圧巻の妖艶さ。「そんなの常識だろう!」とご立腹の先達には、謹んでおわび申し上げます。私は、無知でした。ワインの魔境は、まだまだ広いです。
しかも、抜栓10分で味がなくなるどころか、約2時間のディナーの間中、その味わいの多層性はじわりじわりと向上さえ続けたのです(1人で1本、経時観察しました)。キアンティ・クラッシコは50年以上熟成するのか? そもそも、50年を越えたキアンティ・クラッシコを語る価値があるのか? 少し前までの私は「ノー」と言っていたでしょう。ところがこの日(今年2月22日)を境に、見解逆転。「モンタルチーノのサンジョヴェーゼだけが50年以上の熟成に耐えると思っていたら、大間違い」派に瞬時に転向しました。
しかし、そもそも。
よく考えれば、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノが50年、時には100年の熟成に耐えるというのはほぼ常識なのですが、そこからわずか北に25kmほど行けば始まるサンジョヴェーゼ産地、キアンティ・クラッシコ地域のワインは、どれも潜在長熟力なしと頭ごなしに決めつける方が、やや粗雑な思考回路ですよね(2月までの私です)。
“常識を鵜呑みにしてはいけない”というのは、まさにワインラヴァーのためにある箴言、かもしれません。
「常識を疑って、打ち破っていくのが進歩なんだね」とは、かの本田宗一郎氏の言葉です。(最近では、ドイツのピノ・ノワールの躍進ぶりも、激しく“常識”を破ってる気がします。あ、もちろん酸化防止剤無添加ワインは長期熟成しないなどという、一部での半端常識はもはや妄言の域、ですね)。
さらに(しつこく)。今回のキアンティ・クラッシコ1966年モンタリアーリで、補足すべき点が2つあります。一つは、目減り量。今回のボトル、アッパーショルダーとミッドショルダーとの中間の、かなり危険な目減り量だったのです。しかし、光にあてて色調を確認すると、ギラリとまるで宝石のルビーでできた日本刀が血を呼んでいるかのような、ただならぬギラギラした輝きが液体にあったため抜栓を判断しました。結果は、お伝えしたとおり。
さらに、このワインを薦めてくれた古酒キアンティ・クラッシコ・マニアの恩師(54歳)によると、「僕が自分で古いキアンティ・クラッシコを飲む時は、少なくともディナーの6時間以上前にデキャンタージュして、2時間ごとにデキャンタージュを少し回すけどなぁ~。いつも。必ずね」とのこと(!!)。
この点でも今回、私は“常識を鵜呑みにして”かつ小心者すぎて、デキャンターの勇気がなかったですが・・・・・、古酒キアンティ・クラッシコ・デキャンタージュの結果は、フィレンツェから持ち帰った何本かのボトルで実験後、また報告したいと思います。
ちなみにこの恩師、私がとあるトラットリアにこのボトルを持ち込んで食事を始めようかとした頃に、わざわざ店に一瞬だけ寄ってくれて一言。「慌てて飲むな。2時間以上かけてじっくり飲め」と、ダメ押しのアドバイスをして、サッと帰っていきました。
やはり、親切ですよね。イタリア人って。
ともあれ、この1966年キアンティ・クラッシコ。なんとも力強く雄大に、ワインを先入観で断じ、判断することの危険を、私に焼き付けてくれました。その危険とは、もちろん“未知の巨大な喜びと発見への道を閉ざす”危険です。いや~、ワインを先入観で判断してはいけませんね~、本当に。自然の底力は、常に私の浅智恵よりも広大、なのですね。
最近は、どんなワインでそう実感されましたか? 皆さんは?
追伸:
最高のコロナウイルス対策の一つは、自分の免疫力を高めること、と言われています。免疫増強に最も有効な手段の一つは多幸感ある経験をすること、だとか。ゆえ、こんな時こそ進んでいいワインを開けるように、私は努めています。
今月の、ワインが美味しくなる音楽:
ボサノヴァとクラリネットの、温かな好相性。
カエターノ・ヴェローゾ&イヴァン・サセルドーチ
『Caetano Veloso & Ivan Sacerdote』
ブラジルの至宝にして世界屈指の美声、カエターノ・ヴェローゾ御大の最新アルバムは、御大のギターとヴォーカル、ブラジルの若き気鋭奏者によるクラリネット(とカヴァキーニョ少々)のみ、という嬉しいシンプル&アコースティック作。シンプルゆえに、生きるのですよ。カエターノの声とメロディの美しさが。さらに今回、意外な発見だったのがボサノヴァなどブラジリアン・メロディーと、クラリネットの相性の良さ。木管楽器ならではの温かくカドの丸い音とそのひかえめな伴奏が、心地よく素朴にカエターノの名曲の滋味を深める様子は、かなりのボサノヴァ・マニアにも新鮮なはず。
桜の花を思いながら、静かに部屋で淡めのサンジョヴェーゼやピノ・ノワールを傾けつつこのアルバムを聞いていると、音自体がどこか、温かい春の空気の中をフワリ、フワリと舞う桜の花びらそのもののようにさえ、見えてきます。
https://www.youtube.com/watch?v=iGeBbNWxsvI
今月のワインの言葉:
『常識というやつは、さほど常識的なものではない』。
-ヴォルテール(18世紀フランスの哲学者)-
寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。
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