*

ファイン・ワインへの道vol.42

味よりも、高値が大切!(?)

 賢明なるイギリスのジャーナリスト勢が、数年前から懸念し予言していた事態が、いよいよ(不幸にも)到来しつつあるようです。
 それは、「ボルドー、ブルゴーニュに続いて価格が高騰するのは、ピエモンテ・ワイン、特にバローロとバルバレスコだ」という予言です。
 去年1年間で、最も値上がりしたワインは、DRCでもペトリュスでもなく、“あの”2002年(!!)のモンフォルティーノ/ジャコモ・コンテルノ。なんとたった1年間で、75%値上がり。同じ、ロンドンのワイン取引指標「LIV-EX」の高騰率ランキング・トップ10の中では5位、6位もピエモンテ・ワイン。ガヤのバルバレスコ2007年⇒35%アップ、同2011年⇒31%アップ、です。
 そしてガヤ、コンテルノだけでなく、マスカレッロ、リナルディ、ヴィエッティなどなど。バローロのビッグ・ネーム生産者のワインは近年、意気揚々と高値を更新し続けています。

 ご存じの通り、世にはワインを飲むことには全く情熱がなくても、ワインに株券や債権と同様の興味と情熱を注ぐ人種が多数徘徊しています。効率のいい金融商品、利回りのいい投機対象としてのワイン愛ですね。そんな種族には、2002年のモンフォルティーノがどんな年、どんな味だったか(後述)は全く無意味で無関係。値段の伸びしろ、つまり将来的にどれだけ値段が上がりそうか? だけが重要です。
 ゆえ、ほぼ値段が天井を打って、伸びしろが減り(儲かりそうにない)、一部は値下がりしているボルドーや、同じく値段が無慈悲にも上がりきった感があるブルゴーニュはひと休み。
 そのあたりと比べると、ブランド性と産地名の威光がありつつも、ボル・ブルほどは価格が上がりきってないピエモンテに、投機人種の貪欲さが向かうのは必然、ですね。

 今、買い集めておくと・・・・・・、10年後、あのころは安くてねぇ、なんて話ができる……かな?

 

 もちろん、賢い消費者としても、今のボル・ブルに比べれば、バロ・バル(バローロ、バルバレスコ)がお買い得なのは明々白々。(ゆえ筆者も日々、バルバレスコ協同組合の単一畑ワインを細々と買い集めています)。
 一点、今日の段階でのバロ・バルの価格高騰の端緒期に、もし利点があるとすれば、「今後の値上がりを見越して消費者もレストランも多めに現行ヴィンテージを買う」⇒「ゆっくり時間をかけてそれを売る」⇒「よりしっかり熟成したネッビオーロに、一般消費者が出合う」⇒「ネッビオーロの魅力の本質に開眼する消費者が、やっと増える」、という流れかもしれません。楽天的すぎますかね? 
 しかし何と言ってもネッビオーロはその核心的魅力、バラのドライフラワー、タール、なめし革、時にトリュフの官能的アロマを現すまで、少なくとも15年はかかる品種です。

 そして、先ほど少しふれた2002年(!)のモンフォルティーノという奇譚。イタリア・ワイン・ラヴァーにはピエモンテ、トスカーナとも半ば常識の、悪夢、というか呪われたヴィンテージとさえ言われる年です。9月の大雨は、豪雨を越えて、洪水という域に達したエリアも多かったそう。この2002年のモンフォルティーノは2013年に一度、試飲しましたが・・・・・・、あっさりとライト・ミディアムで淡麗。モンフォルティーノにつきものの荘厳、壮麗、厳格、偉大な多層性……等々は、ほぼ感じられないワインでした。ゆえ、この時期前後から「モンフォルティーノは良年のみのリリース」との神話だけでなく、ジャコモ・コンテルノという生産者への神話的威信も、一部では少し揺らぎ始めたように記憶します。しかも日本の某ワイン誌には、1978年以降のモンフォルティーノを生むセッラルンガの区画“フランチャ”は、実は「葡萄が完熟しない区画」との記事まで出まして・・・・・。ですが、むろんのこと、あらゆる記事は鵜呑みにしてはいけません。小川の上、急斜面の下から見上げると、この畑の一帯にはオーラが漂うことが見てとれます。そのフランチャの南隣には隣接してアリオーネの大区画が鎮座しています。その売りに出たアリオーネのほぼ全区画を、2015年にめでたくジャコモ・コンテルノのロベルトが入手したことも、イタリアワインのインサイダー間で話題になりましたね。もっとも、資力はないが口さがない同業者たちは嫉視し、買い手の悪口を言ったようですが、情けない話です。妙なワインマフィアや超大手ワイン生産者が落札しなくて良かったのにね。
 それはともあれ、2002年のモンフォルティーノが去年の値上がり率、世界一。おそらく投機筋は、2002年のブルゴーニュとボルドーの比較的悪くない評価と、悪夢のイタリアを混同したのかもしれません。
 でも、そんなの関係ないですよね。飲むためじゃなく、転売するためのワインなら。

 しかし、世の中は「高価なワインが好き」、「高価なワイン“だから”好き」という方々も、想像以上に多いように思います。
 ふと思い出したのは、20年ほど前に私が主催した、とあるワインの垂直試飲でした。アンリ・ジャイエのクロ・パラントゥ92、93、94の3本だったのですが・・・、当時このワインは1本2万円以下。しかも知名度も、今ほど高くありませんでした。当然、状態は完璧で味わいは素晴らしかったのですが・・・・・、参加されたソムリエ諸氏やワインのヘヴィー・マニアに「これだけ美味しいワインなんだから、倍の値段、つまり1本4万円でも買いたいと思う人、いませんか?」と尋ねると、挙手したのは僕一人のみ。
 他の皆さんは、クロ・パラントゥに4万円は高すぎる、と判断されました(ラ・ターシュが5万円ぐらいの時代)。無名生産者だったから・・・・・でしょうね。

 しかし、その時の皆さんは、なぜかその後、このワインの値段が高くなるにつれ、ジャイエの名声が世に明るみに出るにつれ、「クロ・パラントゥ! クロ・パラントゥ!」と絶叫されています。
 おかしいですね・・・・・・。昔は1本4万円でも誰も買わない派、だったのに・・・・・・。味より値段が判断基準?
 つまり、プロのソムリエでもワイン通でも、ワインの味より、その付帯事項、つまり高額さと知名度で、ワインを選ばれる人は少なくない、ということでしょうか?
 「このワインは高いワインなんだから美味しいんだ~」。そう思えれば、ラクでいい人生ですよね。本当に。
 あ、貴方の周りにもそんな人が多い? 私もです。

 ともあれ。そんな無慈悲な状況の中で、我々ができる自衛策は何か? 投機資金とリンクしそうな銀行にお金を預けない、といった方向の話はさておき。 自分の目利き、ワイン選別眼を鍛える、ということに尽きるでしょう。
 バロ・バルには未だ多数、ブルのニュイやボーヌにさえ、ブランド性・第一のワイン・マーケットの死角・盲点にある、「知られざる、偉大な生産者」は、まだ実は残っています。
 ラベルのブランド力や、高額さに左右されず、真摯に目の前のグラスの声に耳を傾ける。そのことこそが、ワインの福音に近づくための最基本にして最奥義、でしょう。難しいことでは、ないはずです。
 そしてそんな、知られざる真の名匠たちを、「誰この生産者?聞いたことない」なんて世間の白眼視をもろともせず擁護し、愛飲していくことが、利幅第一のワイン投機筋への、小さな小さなリベンジにも、なるのかもしれません。ワイン愛好家たるもの、投機筋をはじめとするワイン界のさまざまな寄生業者やハゲタカ連中から身を守るためには、とにかく自分の力をつけるほかないでしょう。

 

今月のワインが美味しくなる音楽:

超越級の純潔さと品格あるピアノに、瞑想。

ルドルフ・ゼルキン
ゼルキン・プレイズ・ブラームス、ハイドン&レーガー

 先月に続き、またもこのピアニスト、ゼルキンの作で・・・・・、今回はピアノ・ソロ。3人の作曲家の作品を収録した2枚組で、圧巻がCD2枚目の冒頭、マックス・レーガーの「バッハの主題による変奏曲とフーガ、Op.81」。静かに、音と音の間の残響の一つ一つまで、神がかった純潔さと、神聖としか言いようのない品格と格調が張りつめる音は・・・・・・、ある面、この世とあの世の中間点に立っているような気にさせるほどの、俗世解脱感。耳で聞く、寒中水行のようなテンションさえ、感じさせます。ゆえ、パーティー等には不向き。二月の寒い夜に、しみじみ自らを内省するような日に、オーストリアの鉱物的な白ワインなどと共に、味わいたいものです。

 

今月のワインの言葉:
『価格が倍なら、美味しさも倍なのだろうか』 
      -ニコラス・ベルフレージ(M.W.)-

 

寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。

 
PAGE TOP ↑