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ファイン・ワインへの道vol.41

公開日: : 最終更新日:2020/01/01 寺下 光彦の連載コラム, ライブラリー, 新・連載エッセイ

“亜硫酸が暗殺したワインの中のモーツアルト”。 祝福したい。P・オヴェルノワの本。

 いつも憎まれ口ばかり書いてるこのコラム・・・・・・、お正月ぐらい(?)、素直に祝福したい、喜ばしいお知らせを。
 それは、満を持し、かのピエール・オヴェルノワの全容を詳細・克明至極記した記念碑的大著「ピエール・オヴェルノワ 実りの言葉 ヴァン・ナチュールはこうしてつくる」(原題:La parole de Pierre)の日本語訳が“ラ・グランド・コリーヌ・ジャポン”出版により世に出た、というお知らせです。翻訳は大岡弘武、吉武大助。今までフランス語版しか出てなかったこの本、日本語版も変形A4、二段組み全200ページの堂々たるヴォリューム。約2年間、足繁くジュラのピエールの元に通い詰め、膨大なインタビューを元にしたという内容は、ワインラヴァーだけでなく、実際にワイン造りに携わる人にも、栽培、発酵、熟成のそれぞれの段階で微に入り細に入り、経験の蓄積を大・開陳する、珠玉の箴言と福音の宝庫のような書籍です。ありがちな表現になりますが・・・・・、まさに“ヴァン・ナチュールの不動のバイブル”と言える一冊です。
 しかし、声は聞こえど姿は見えず。名前は有名でも、現物のワインの流通数があまりに少なすぎて、イメージが掴めない、という方々に、念のために“ピエール・オヴェルノワとは?”を解説しますと・・・・・、20世紀後半のフランスで、一番最初に亜硫酸無添加醸造ワインを造り始めた人の一人。その最先駆、ジュール・ショヴェに続いて、現在ヴァン・ナチュールと呼ばれる方法でワインを造り始めた最初のヴィニュロンの一人、であります。ピエールの初ヴィンテージは1968年、亜硫酸無添加醸造は1984年から、ゆえマルセル・ラピエール(1981年?)とほぼ同じ時期、ですね。除草剤や化学物質は、父の代から一度も畑に入れたことはないそう。その点でも、意識と観察眼の確かさは傑出していた訳です。
 それにしてもこの書籍、思わず膝を打つ名言の数々が、本当に魅力的です。
 中でも個人的にヒットしたのが、「葡萄が健全で熟した偉大な品質の時にも亜硫酸を入れてしまう人を見ると、胃が痛くなる。こんな時には“モーツァルトが暗殺された!”と言ったものだ」。
 まさに、言い得て妙! じゃないですが。素晴らしい表現、でしょう。モーツァルトが暗殺された、って。
 さらに続けて、「とても偉大な年でも亜硫酸によって平均的なワインになってしまう。今は、いい年でさえいい作品が減った。悪いワインも(亜硫酸によって)なくなったけれど、偉大なワインもなくなったんだよ」と語ります・・・・・・。ズッシリ・・・・・・きませんか、このフレーズも。思い当たる節、読者の皆さんにもきっとおありのはず。
 ちなみにピエールはボーヌの醸造研修所で研修したのですが、亜硫酸の弊害に気付いたのは、ボーヌで習ったとおりにワインを造ると、父の造ったワインより全然不味かったから、だと回想していました。ピエールの父は、昔気質で亜硫酸を使わず醸造していたそうなのです。

 他にも、亜硫酸の最弊害の一つは、発酵時に非常に重要な働きをする多くの野生酵母、特にアロマを造る酵母を殺し、揮発酸を作る“シゾ”酵母が残ってしまうこと。素晴らしいワインを生む発酵は、野生酵母の量が重要なのだ。(ピエールは発酵中、詳細に酵母の密度計測をしている)。
 理想の瓶熟庫は、冬に8℃、夏に12℃になるもの。ジュール・ショヴェがいろいろな温度設定のカーヴで実験を重ねた結果だ。常に一定の温度に置かれたカーヴでは、ワインは偉大になるための全てのサイクルを経験できない。夏と冬の温度振幅が大切だ。(これまた、ズシッときませんか・・・・?)
 など、箴言はつきません。

 ともあれ、そんな中でもちろん、今日でも多くの無学な「ワイン専門書」や、多くの無学な「ワイン・ライター」が亜硫酸を「理論上、必要」などと、ほぼ全肯定しているのは、ご存じのとおり。“亜硫酸無添加ワイン”、と書けばより多くの人に意味が伝わるのに、この部分だけ鬼の首でもとったかのように「サンスフル、サンスフル~!」と絶叫する無学なワイン・ライターやソムリエも、同類でしょう。何か“高尚”なんですか? 亜硫酸無添加、をサンスフル、ってカタカナで言うと??
 もちろん大岡さんは、ちゃんと“亜硫酸無添加”と翻訳されています。
 と話がそれて申し訳ないです。ともあれ、続きは是非、この本を手にとってみてください。

 蛇足ながらあと一点。日本では既に、(本が出る前から?)ピエール・オヴェルノワは、そのワインの絶対量の少なさが大いに手伝って、神格化されたような存在でした。一部狂信的なソムリエが「オヴェルノワのワインを知らないと、ヴァン・ナチュールを知ったことにはならない」などと言ったりする類いの、安直な意味でのカルト化、ですね。もちろん、オヴェルノワは偉大です。しかし、今日“オヴェルノワだけがヴァン・ナチュールのエベレストで、その他の生産者は富士山程度”との認識を持つ人がいたら(結構多い気がしますが)・・・・・、味ではなくラベルでしかワインを判断できない方、じゃないかと僕は思います。
 今日、オヴェルノワに勝るとも劣らない、偉大なヴァン・ナチュールは世界に少なからず存在します。ジェラール・シュレール、ジュリアン・メイエー、クリスティアン・チダ、フィリップ・ジャンボン・・・・・、数え出すとキリがないですね。もちろん、その先駆として、オヴェルノワへの畏敬は僕も一時も忘れてないつもりです。でも、「私は個人崇拝には反対だ。そんな国でも、個人崇拝が存在するたび、それは大惨事へと導かれたからだ」。これ、オヴェルノワ自身が言ってる言葉なのです。こんなところまで、やはり、さすがですね。ムッシュ・ピエール。

 

今月の、ワインが美味しくなる音楽:

一音一音に、究極の緊張と弛緩が融合。
ルドルフ・ゼルキンのピアノ。

ルドルフ・ゼルキン モーツアルト ピアノ協奏曲第17番

 お正月はクラシック、をこのコーナーの定番にしようとしている訳でもないですが・・・・・、お正月の清新で澄み切った空気に、この人のピアノはいいいですね。その神懸かったタッチは、まるで全ての音の中に、究極の緊張と弛緩、究極の厳格さと甘美さが融合しているかのような音、なのです。ホロヴィッツ、ルービンシュタインなどといったスーパースター・ピアニストと比べると、地味な存在なのも、どこかピエール・オヴェルノワの存在感とリンクする雰囲気があります。
 (※CDはドイツ、グラモフォン発クラウディオ・アバドとの共演盤がありますが、1962年録音:アレクサンダー・シュナイダー指揮コロンビア交響楽団との共演が、より音に艶があり、お薦めです。)

https://www.youtube.com/watch?v=0xOPMt8_TjI

 

今月のワインの言葉:
『亜硫酸は葡萄の命を奪う』
          -ピエール・オヴェルノワ-

 

寺下光彦
ワイン/フード・ジャーナリスト
「ヴィノテーク」、「BRUTUS」、「MEETS REGIONAL」等に長年ワイン関連記事を寄稿。イタリア、ヴィニタリーのワイン品評会・審査員の経歴も。音楽関連記事も「MUSIC MAGAZINE」に約20年、連載した。

 
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